⑥ 3年後の不気味な日常
研究室から飛び出し、螺旋階段を駆け上がるアキ。後ろから追いかけてくる気配はないが、『バグったショーコさん』とそれを何事もなく運び出す高遠の様子から、アキは得も言われぬ不気味さを感じ、『本物のショーコ』の言葉に従い、なるべく遠くに逃げることにした。
螺旋階段を駆け上がる間、地上に出たら、〝世界崩壊後〟の荒廃した世界が広がっていたらどうしようかと少し不安になっていたアキだったが、量子力学研究所を出て目にした世界は3年前とさして変わらない、『いつもの』景色だった。
(よかった。世界は無事だった…)
なんだか、中二病ポエムのような感想が頭に浮かび、少しおかしかったが、先程見た光景のおかしさに比べれば、まともな感想だと思った。
そう、世界は無事だった。
アキは、先程の異常な光景は、研究所の中だけでの話で、きっと二人共、研究のし過ぎで、思考の合理化が行き着くところまで行き着いてしまい、いっそロボットにでもなってしまった方が良いとかなんとか結論づけて、二人で『科学者としての人生を謳歌した』だけの話に違いないと思いたかった。
そのくらいに外の世界は、いつもの日常を刻んでいた。時刻は夕方過ぎだろうか。夕日が沈みかけていた。
(そうだ、テツ先輩に会いに行こう。テツ先輩ならきっと何とかしてくれる…)
アキは、混乱しかけた頭をリセットするように、両手で頬を叩いて気合いを入れ直し、スピードスター事業所のある商業区へと駆け出した。
商業区を走っている間、目に入ってくる光景は3年前と大して変わらなかった。見たことのない店もあったが、元々商業区はテナントの入れ替わりの激しい場所だったし、3年も経てば新しい店があっても何ら不思議ではない。高層ビルに見たことのないアニメの広告が掲示されているのが気になって、あれは一体何のアニメなのだろうかと、ふと足を止めそうになったが、そんなことよりも今は事業所に向かうのが先決だと、アキは先を急いだ。
スピードスター事業所についた。よかった。ちゃんと残ってる。
アキは、ほっと安堵のため息をついて、事業所の自動ドアをくぐった。事業所の時計はちょうど定時の17時を指そうとしていた。ちょうど営業終了間際の時間なので、テツオもいるに違いない。
「すみません…。アキです。テツ先輩います…」
と言いかけたところで、奥のデスクから山下が出てきた。
「あ、アキちゃん。ハハ…。どうしたの? って、あれ、アキちゃん
「あ、山下さん!」
山下がいたという安心感から、アキは心が軽くなった。そして、3年経っているにも関わらず、私の顔を見るなり、いつもどおりの優しい笑顔で声をかけてくれたことに嬉しくて泣きそうになった。
「…あのう、色々お話したいことがありまして、テツ先輩っていますか?」
「ああ、テツオなら、もうすぐ戻ってくると思うよ。ハハ…」
そんなやりとりをしていると、事業所の扉が開き、テツオが現れた。3年経っても、大きく変わることはなく、いつものテツオだった。
テツオはアキを見るなり、おかえりと言わんばかりのにこやかな笑みでアキを見つめ…。
「テツ先輩…!」
アキはテツオを見るなり、自慢の加速力でテツオの胸に一直線に飛び込み、抱きついた。
「うっ…! ぐぉ…。おいおい。どうした? アキ…。そんな勢いで飛び込まれたら、いくら頑丈な、この俺でも…」
「テツ先輩…! テツ先輩…! よかった…。会いたかった…」
未来に来て早々、〝おかしくなった〟ショーコと高遠の姿を見て感じた不安を必死に押し殺し、事業所の二人までおかしくなってしまっていたらどうしようという不安もあって、不安まみれのアキであったが、山下と、そして何より実の兄のように慕うテツオが、変わらない姿で自分を迎えてくれたことに対する安心感から、少し涙目になり、テツオの胸に顔を埋めた。
「おいおい、アキ。リョウも見てるんだから、こういうことは時と場所をわきまえてだな…」
と、いつものように茶化してくるテツオの態度が、今のアキにはとても愛おしく感じられた。そんな二人の姿を山下はニコニコと眺めていた。
「落ち着いたか?」
涙目になっているアキの頭をそっと撫でるテツオ。
テツオの優しい手の温かさで、冷静さを取り戻したアキは、テツオに抱きついているという事実に気恥ずかしさを覚え、テツオからぱっと飛び退いて、ポツリと一言。
「テツ先輩…。ありがとう…」
「このくらいお安い御用よ。胸くらいいくらでも貸すぜ。…で、何かあったのか?」
アキはこれまでの事情を説明した。3年前のあの日、量子力学研究所の相馬ショーコの元へ行き、未来へやってきたこと。未来の相馬ショーコは様子がおかしく、慌てて逃げ出してきたこと。相馬ショーコが普通じゃなくなった今、過去に戻る方法もなく、途方に暮れていること。
アキは、事の顛末を改めて自分の口で語ると、あまりにも現実離れしていて、二人がちゃんと聞き入れてくれるか少し心配になったが、テツオと山下は、そんな心配が吹き飛ぶくらいに、アキの話に真剣に耳を傾けた。話を聞いた二人は、満面の笑みで、アキを見つめ、
「そんなに心配すんな。一緒に過去に戻る方法を探してやるよ」
「過去に戻る方法が見つかるまで、ここで働いてもいいよね…。ハハ…」
と、優しい言葉をかけた。この二人がいてくれるなら、何とかなりそうだとアキは安心した…。
「ハハ…。ところで、アキちゃん、もう一度聞くけど、
ほっとしているアキに、山下が変なことを聞いてきた。
「え? ひとりってどういう…」
と、返事をするタイミングで事業所の扉が開いた。
そこには、もう一人のテツオがいた。
(………!)
「おお、アキじゃないか。どうしたんだ? そんな顔して」
もう一人のテツオは、アキの強張った表情を見て声をかけた。
安堵の表情から一転、徐々に表情が雲っていくアキ。
「あ…、あの…これって…」
「ハハ…。テツオだよ。何かおかしいかい?」
アキは
「おう! 遅かったな。ご苦労さん。テツオ」
(………)
「あの、テツ先輩…?」
「「ん? どうしたんだ? アキ。そんな顔して。俺が二人いたら変か?」」
二人のテツオが同時に同じ言葉を発する。同じ声色、声の高さで奇妙なハーモニーを奏でている。
「あ…、ちょっと、私、外の空気を吸ってきますね…」
アキは、またも奇妙な現実を突きつけられ、少し冷静になりたいという思いと、この場から離れた方が良さそうだという心の声から、外へ出ようとする。
よろよろと入口へ向かうアキに対して、
「ハハ…。大丈夫かい? アキちゃん…」
「「お、大丈夫か? 一緒についてってやろうか?」」
山下とテツオとテツオが声をかける。
アキは、後ろから聞こえてくる
頭が混乱し過ぎて、整理が出来ない。なんでテツ先輩が二人もいるんだろう。というか、二人いるという事実を何も疑問に思っていないのはなぜなんだろう。これって、ショーコさんと同じように、テツ先輩も『何者か』になっているんじゃないだろうか…。山下さんは…。頭の中でいろいろな不安が湧き出てきて、目眩がしてきた。
一回落ち着こう。そうだ深呼吸しよう。そう思って、事業所前の通りを見ると、前から女の子の集団が歩いてくる。どこかで見覚えがある姿…って。
『アレ』は、私だ。未来の私だ。そうだ、未来の私に話をすれば、この不気味な状況の正体も…。
よく見ると、未来の私は
先頭を歩く女の子が未来の私だと思いきや、隣に並んでいる女の子達も全く同じ姿形をしている。
配達を終えてリラックスしているのだろうか、ゆっくりこちらへ向かってくる。5人で仲良く談笑しながら並んでこちらへ向かってくる。どうやらこちらの様子には気づいてないらしい。
(いやいやいや…、なにこれ…。無理無理無理無理…)
状況を整理するなんて暇はなかった。ただただ気持ち悪くなって、気がついたら、アキはその場から逃げ出していた。
事業所で得た束の間の安心感を叩き潰しにくるような事実に、リアルに吐き気を催して、アキは、居住区の近くにある公園の水飲み場で口を濯いでいた。テツオと競走する時にいつもゴールにしていた例の公園だ。
「はぁ…、はぁ…。ふぅ…」
水の冷たさで気持ち悪さは和らいだが、状況はさっきと変わらないどころか、さらに悪くなってしまった。未来のショーコは、もはやショーコではなかったし、スピードスター事業所も同じ人間が複数いる『大所帯』になっていたりと、頼るべきものがなくなってしまった。
(あ…)
せっかく居住区の近くにいるんだ。自宅に戻ろう。お父さんとお母さんに会いに…。あ、でも、お父さんも、お母さんも普通じゃないかもしれない…。だとしたら…。
いや、いいや。とりあえず部屋のベッドで少し横になろう。未来にきてから、色々なことがいっぺんに起きて、思考の整理が追いつかない。寝てスッキリすれば何かいいアイデアも浮かぶかもしれない。
そんな一縷の望みにかけて、アキは自宅へと向かったが…。
――自宅は…なかった。
別の人の家になっているとか、違う建物が建っているとかそういう次元の話ではなく、物理的になくなっていた。自宅のあった場所には、巨大なクレーターが出来ていた。アキの自宅だけではない。隣の家も、向かいの家も、テツオの家も、どこもかしこも本来家があった場所はクレーターになっていて、居住区一体穴ぼこだらけで、上空から眺めたら〝蓮コラ〟みたいで、さぞ気持ち悪いだろう光景に様変わりしていた。
(…どういうこと…なの…)
アキは茫然自失し、ふらふらと、元いた公園のベンチにへたり込んでいた。
「はは…。ははは…。なんで未来になんか来ちゃったんだろう…私」
突きつけられた絶望的な状況に、軽々しく未来へ行くなんて選択をしてしまったことに対して後悔の念が浮かび、泣きそうになる。
「はぁ…。ショーコさんの研究を手伝うなんて
(ん…?
ふと、未来へ行く前のショーコの言葉が思い出される。
―詳細は、未来から戻ってきたら必ず説明するわ。必ず…!―
ショーコさんは、頭の良い人だ。単なる思いつきや、遊びで、私を未来へ行かせるとは考えにくい。何か意味があるはずだ。
(うーん。頭がまわらない。氷砂糖食べよ…)
未来にきて大して
すると、氷砂糖の入っている小瓶とは違う感触が右手に伝わる。
(ん…? なにこれ…紙…?)
瓶ごと一緒にポケットから取り出す。出てきたのは、アキが未来へ行くために鎮静剤で眠っていた時に、ショーコがこっそり忍ばせたメモ書きだった。メモ書きには、こう書かれていた。
『相馬ショーコ(本物)→TEL:09036……』
(電話番号だ…!)
にしても、『相馬ショーコ(本物)』て。書き方が胡散臭いにも程がある。まあ、今はそれよりも電話だ。アキは氷砂糖とメモ書きが入っていたのとは逆の左のポケットから携帯を取り出すが…、
携帯電話は電源が切れていた。
「あーーーもう! さっきから何なの!」
希望を見せられては、潰される。そんなことの繰り返しに、絶望よりも、だんだん腹が立ってきたアキは、一人公園で携帯電話片手にプンスカと地団駄を踏む。
そんなアキの元へ一人の青年が声をかけてきた。
「あの…、良かったら僕の携帯使います?」
いきなり声を掛けられて、アキはビクッとした。
「え? 誰?」
青年はキレイな銀髪の癖っ毛、ポロシャツにハーフパンツと散歩中かのようなリラックスした格好をしていた。身長はアキよりも少し低い。
先程までの出来事で、未来の人間は信用ならないと、緊張した面持ちで距離を取ろうとするアキ。その様子を見て、先手を制すように、青年は返す。
「あ、怪しいものじゃないです。って言うと余計怪しいかな…。ちゃんと『普通の』人間なんで、安心して。僕、日比谷アッシュって言います。良かったら僕の携帯使ってください。必要なんでしょ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます