④ 時空転送装置

「ここを、加速するはしる…」

 アキは、『時空転送装置』と紹介されたそのトンネルを前に、ポツリと呟いた。

 トンネルは、10キロメートル先にある終点が見渡せそうなくらい、ただただ真っ直ぐに伸びていた。幅や高さは、鉄道車両を思わせる広さで、内部には暖色系の照明が均等間隔に設置され、全体的に赤みがかっていた。

「そう! 思う存分駆け抜けていいわ、全速力で。いえ、むしろ未来に行くためには、アキさんの限界を超えたスピードで駆け抜けてほしいの」

「限界を超えたスピード……」

(思いっきり加速してはしっていいんだ…)

 運び屋の仕事をするようになってから、アキは日々街中を走り回っていた。

 が、配達のときも、テツオとの競走のときも、本当の意味での全速力を出したことはなかった。

 というのも、運び屋は、『許可証』と書かれた、その腕章が示すとおり、区から街中を走る『許可』を得ている立場であり、道行く人や建物に衝突しないよう細心の注意を払う必要があったからだ。

 連日キロメートルアベレージの自己ベストを更新したと喜ぶアキであったが、それは、事故を起こさないように注意を払った上での全速力――いわば〝街中を走るためにセーブした全速力〟であった。

 それこそ、アキが本当の意味での全速力で加速したはしったのは、3年前の〝困惑のスポーツテスト事件〟が最初で最後であった。

「あなたの異能力ちからって、『体内に取り込んだ糖分を速さに変換する』異能力ちからよね?」

「…えっ、あ…はい。そうですけど…って、なんで知ってるんですか?」

「ああ、ごめんなさいね。3年前の例の事件以来、あなたのことは研究対象として…んっん、…じゃなかった、将来の研究パートナーとして、調べさせてもらっていたの」

「例の事件って…、スポーツテストのことですか…。何でも知ってるんですね、ショーコさんは…。というか、今、研究対象って言いませんでした?」

「言ってないわ」

「いや…、言いましたよね?」

「言ってないわ」

 〝本当に言ってないです〟風の真顔で二度も否定するショーコを、ジト目で見つめるアキ。

 ショーコはアキの視線をフフッと柔らかな表情で躱し、話を続ける。

「加速に必要な糖分は、こちらで用意してあるわ。高遠くーん! 天道さんに例のアレ、持ってきてー!」

「はいはい。わかってますよ…。というか、座布団持ってきてーみたいに言わないでください…」

 高遠は軽くため息をつくと、トンネルとは反対側――ちょうどテレポ実験の転送先になっていたカプセルの奥の部屋から、キャスター付きの簡易ベッドをアキの前に運んできた。

 ベッドには、病院でよく見る点滴剤の袋と小さな薬箱のようなものが備え付けられている。

「さ、アキさん、このベッドに横になって」

「あの…ショーコさん、まさか糖分って、点滴で……」

「そうよ。経口摂取・・・・では吸収効率が悪いもの。ささ、横になって」

 アキは若干の不安を感じていたが、協力すると言った手前、断りづらいというのと、自分の限界を超えたらどうなるのかということへの興味から、ショーコに促されるまま、ベッドに仰向け・・・になった。

(うーん…点滴久々だなぁ。チクッとするの嫌だな…)

「アキさん、向き・・が違うわ。仰向け・・・じゃなくて、うつ伏せ・・・・になって」

「え、点滴を打つなら、仰向け・・・でいいんじゃないですか?」

「ええ、普通はそうなんだけど、点滴を打つ前に、ちょっとした準備・・が必要なの。この点滴剤には高濃度のブドウ糖液が入っているわ。おそらく投与を始めてすぐに、強烈な加速衝動にかられてしまうと思うの。今まで甘いものを食べた時に感じたものの比じゃないレベルのキョーレツなやつよ。そうなると、投与が完了するまで、とっても辛いでしょうから…」

 そう話しながらショーコは、点滴剤と一緒に置かれていたケースから小指の先ほどの大きさのクスリを取り出し、アキに見せた。

「加速衝動を抑えるクスリよ。さ、うつ伏せになって」

「まさか、ショーコさん…、それって…」

「ええ、座薬よ」

「………っ! 座薬…ですか…?」

 まさかの座薬の登場に驚きを隠せないアキに対して、何か問題でも?と涼しい表情のショーコ。

「ほら、早くうつ伏せになって、お尻出して。あ、高遠くん! わかってると思うけど、あなたは奥に引っ込んでなさいね。ここからは私とアキさんの『女の子の時間』だから。さ、アキさんお尻出して!」

 高遠は言われなくてもわかってますよと言わんばかりに深く頷き、ベッドが置いてあった奥の部屋へと戻る。

 高遠が奥の部屋へ消えたのを確認すると、ショーコはアキの体をひっくり返し、スカートの中に手を入れ、パンツを下ろし始める。

「ちょ、ショーコさん、待ってください! やめて! まだ心の準備が…」

「大丈夫よ、痛くしないから。ほら、お尻もっと突き出して!」

 ショーコは医療用の薄手の手袋をはめて、人差し指で潤滑油のワセリンをアキの『穴』に塗る。

「ひゃっん…」

 普段触れられたことのない部分に触れられて、思わず変な声が出てしまい、アキは赤面する。そんなアキの様子を楽しむかのように、ショーコはニコニコと笑いながら、座薬を挿入した。

「あ…ちょっ…本当待って…。いやーーーー!」


 高遠がモニタールームへ戻ると、真っ赤な顔を両手で隠して、半泣き状態でベッドの上にへたり込む、事後・・のアキの姿があった。

「……シクシク…。汚された…」

「座薬ぐらいで大げさね、アキさん。あっちの穴・・・・・には手をつけてないわよ。なんなら、あっちの穴・・・・・にも指を入れた…」

「相馬先生…! これ以上、天道さんに追い打ちかけないでください! というか、あっちの穴・・・・・って連呼しないでくださいよ…。まだ16なんですよ、天道さんは…」

 珍しく強めの口調で介入してくる高遠を見て、ショーコは、それもそうねと、アキをからかうのをやめ、本題を切り出す。

「さて、準備が整ったわけだけど、アキさん、大丈夫?」

「……ええ、まあ。もうここまでやったら、とことん付き合いますよ……」

「今から点滴の投与を始めるわ。投与が完了するまでに20分くらいかかるから、その間に、この後の流れと、未来へ行ってもらった後の話をするわ」

「はい…」

 ショーコと高遠は、病院の先生と看護師さながらの手際の良さで、テキパキと点滴の準備を始めた。

 今度は仰向け・・・にベッドに横たわったアキの腕にゴムチューブを巻き、血管を浮かび上がらせ、ササっとアルコール消毒をし、針をプスっと突き刺し、ブドウ糖液の流れる量を調整した。

「さ、まずは、この後の流れを説明するわ。点滴投与が完了したら、そのまま時空転送しょうち・・・・の中に入ってもらうわ。私と高遠くんとで、装置のスイッチを入れて、アキさんの量子情報をすぐに解析できる状態でスタンバイするから、しばらく――おそらく数分だと思うけれど、座薬の効果が切れるのを待ってちょうだい。座薬の鎮静効果で、眠くなるかもしれないけど、その時は眠ってもらって構わないわ。座薬の効果が切れると、アキさん、あなたは加速したくて、体が疼いて、いてもたってもいられなくなるわ。そうなったら、この時空転しょう・・・装置の中を全速力で駆け抜けてちょうだい。本能の赴くままに、ね」

「あ、その全速力っていうのなんですけど、以前全速力で加速した時に、倒れちゃったことがあるんですけど、大丈夫ですかね…?」

「大丈夫よ、安心して。アキさんの過去のバイタルデータから、今のアキさんが出せるであろう限界まで加速した場合に必要な血糖量を算出した結果、通常の15倍の濃度のブドウ糖を500ミリリットル投与すればいいことがわかっているわ。ちなみに、今投与しているのは、通常の30倍の濃度だから、加速中に糖分切れで倒れることはないわ」

「わかりました…」

「アキさんが加速を始めたら、その様子を私と高遠くんとで、このモニタールームから観察して、最高速度に達した時に、アキさんの量子情報の読み取りを開始して、『未来へのテレポ』を始めるわ」

「そういえば、今更なんですけど、未来ってどのくらい先の未来へ行くんですか、私?」

「良い質問ね。そうしたら、このまま、未来へ行ってやってもらいたいことを伝えるわ。アキさんには、3年後の未来に行ってもらうわ。そして、そこで未来の私、『相馬ショーコ』に、『ある質問』をして来てほしいの」

「質問…ですか?」


 ――『箱の中身は生きてますか』

 ショーコから、頼まれた質問とは、アキが午前中にこの研究所に配達した箱の中身の生死を、未来のショーコに問うて欲しいということであった。

 というか、箱の中身って生き物だったんだと知り、少し驚く。

「えっと…、それを聞いて、どうするんですか?」

 アキは、ショーコに問う。

 高濃度のブドウ糖の点滴の効果で、アキの体は徐々に火照り、頭がぼーっとし始めた。

「今は、詳しく話すことはできないのだけれど、もし、未来の私が『わからない・・・・・』と答えたら、そいつは私じゃない何者か・・・・・・・・だということだけ覚えておいて。詳細は、未来から戻ってきたら必ず説明するわ。必ず…!」

 何故か、語気を強めて、アキを励ますように手をにぎるショーコ。

「……。どうしたんですか? ショーコさん……」

「………なんでもないわ。それと、アキさん。未来で起こることで、何かおかしいと感じたら、すぐにその場から逃げること。いいわね」

 逃げる・・・なんて物騒なことを言い出すショーコであったが、座薬の鎮静効果か、少し眠くなってきたアキは、昔から逃げ足には自信があるし平気ね、なんて呑気なことを考えていた。

 点滴が完了する頃には、座薬の鎮静効果がすっかり効いて、アキはぐっすり眠りについた。

 ショーコは、ベッドで眠るアキのパーカーのポケットに小さなメモ書きを忍ばせた。

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