② 量子力学研究所

 二人は自宅近くの簡素な公園の前にいた。

 競走する時は決まってこの公園がゴールになっていた。

「はぁ…、はぁ…。危うく負けるとこだったぜ…。それにしても…、本当速くなったな、アキ…」

 勝負は僅差でテツオの勝利であった。

 額に汗をにじませ、若干息を切らしながらも、どこか満足気な表情で後輩の成長っぷりに感心するテツオ。

 一方のアキは、汗一つかかず、ケロッとした様子で、

「んー、やっぱり先輩は速いなぁ…。あともう少しだったのになー。あ、でもでも、先輩! また出ましたよ! 自己ベ、自己ベ♪ 先輩の奢ってくれたMOXコーヒーのお陰ですかね。すっごく調子よくって!」

 と、キロメートルアベレージ35秒を示す腕時計を見ながらピョンピョン跳ね回っている。

「やっぱり先輩と一緒に加速すると、楽しいです! タイムも伸びるし!」

「それは良かった…。ふぅ…、にしても…お前さん、本当、疲れ知らずなのな…。やっぱり異能持ちホルダーってのは…」

 と言いかけて、口をつぐんだ。

 異能持ちホルダーという単語を出してしまったことに気を遣うテツオを気遣うように、アキはニコッと笑って、

「あ、気にしなくていいですよ。その呼び方、昔は嫌でしたけど、今は平気です。というか、むしろ誇らしいくらいです! 異能持ちホルダーだぞー、どやぁ」

 えっへんとふんぞり返るポーズでおどけてみせた。

 テツオは、そんなアキの様子を安心した面持ちで見ると、温かな笑みを浮かべて、″どやポーズ″で静止しているアキの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「も、もう、先輩! 子供扱いしないでくださいよぅ…」

「うるせー。16歳なんて、まだまだお子さまだろ。胸もペッタンコじゃねーか」

「もう、そういうのセクハラですよ! それに胸もちゃんと成長してるんですよ?」

 ほらと言わんばかりにパーカーの襟を引っ張って、胸元を見せようとするアキ。

「ばっ、ばか! そういうとこがお子さまだって言ってんだよ!」

 アキの胸元に出来た三角形の空間を手で隠すようにして、目をそらすテツオ。

「んふふ。照れちゃって。先輩かわいい♪」


 フロンティア各地で異能力持ちホルダーが出現したのは、ここ数年のことである。

 アキのように、体内の糖分をスピードに変換する異能力の他に、人の心を読むことの出来る異能力や、死者を蘇生したり、降霊術のようなことも出来る異能力もあるらしい・・・

 〝らしい・・・〟というのは、異能力持ちホルダーが出現して間もないこともあり、異能力の正確な分類がされておらず、あくまで人伝ひとづての噂レベルに過ぎないためである。

 当然、異能力に関する社会的な認知もまだまだで、フロンティアの人々は、異能力を持った人間のことを、『異能力を持つ者』という意味合いで『ホルダー』と呼び、まるで都市伝説を目撃したかのような奇異な目を向けていた。

 アキは、例の〝困惑のスポーツテスト事件〟以降、自分が異能持ちホルダーであることを周りに隠して生きてきたが、テツオと出会って――正確にはテツオの『加速はしり』に魅せられて、自分の異能力を認めることができるようになった。

 そんなアキにとって、テツオは尊敬できる先輩であると同時に、冗談を言い合える優しい兄のような存在であった。


 公園のブランコに腰掛けて、いつもの何気ない雑談に花を咲かせていると、あたりはすっかり暗くなっていた。

「じゃあ、そろそろ帰るか。あんまり遅くなると、親御さんが心配するぞ」

「…ですね。そしたら、また明日、事業所で!」

 二人は、それぞれの自宅へ向かった。


 二人の勤務先である、スピードスターの事業所は、フロンティア第11地区―通称アクセル地区―の商業区にあり、二人の住む居住区から15キロメートルほど離れた場所にあった。

 居住区から商業区までは、10分に1本の間隔で定期バスが運行しており、人々は、この定期バスのみ・・を移動の手段としていた。

 というのも、アクセル地区における交通機関は、区が運営する路線バスのみで、区の条例で自動車の個人所有は認められておらず、市街地において、人々は、徒歩で移動するのが基本であった。

 数年ほど前までは、街中に自動車があふれていたのだが、交通事故の多発や排ガスによる大気汚染が社会問題となり、アクセル地区はクリーンエネルギーを利用した区指定のバス以外の完全廃止に踏み切ったのである。

 廃止が行われた当初、不満や反発はあったものの、区長による『定期バスの完全無料化』が宣言されて以来、そうした不満はどこ吹く風で、アクセルの人々は文字通り〝タダ乗り〟できる状況を受け入れ、現在に至っている。

 人々の移動手段の変化だけではなく、この〝自動車規制〟で大きく変わったのは、〝物流〟である。

 それまでの物流は、各配送業者の所有する配送用トラックにより循環していたが、廃止の流れを受け、〝トラック〟なるものは街から消えた。物流は街を流れる〝血液〟のようなもので、円滑化のために区から特別許可が降りそうなものではあるが、何を隠そう、交通事故や排ガスの主な原因はこのトラックによるものだったのだから、そんな許可が降りるはずもなく、それどころか、真っ先に廃止対象となった。

 規制後、配送業者は、区指定の貨物バスに荷物と作業員を乗せ、各地へと荷運びを行った。

 ただ、これでは今までよりも時間がかかってしまうので、小型の荷物に関しては、人の手で配送するようになった。

 配送業者は各地からこぞって足の速い人材を集めはじめた。こうした荷運び専門の足の速い配達員のことは『運び屋』と呼ばれ、アクセル地区において、今では欠かせない存在となっている。

『運び屋』の誕生から程なくして、配送業界にも新たな動きが出てきた。〝自動車規制〟により大型トラックなどの膨大な設備投資が必要なくなり、足の速い『運び屋』さえいれば、すぐに開業できるため、配送業界への新規参入が活発になったのである。

 スピードスター便は、そんな新規参入業者の一つであり、『〝光の速さ〟でお届けします』をモットーに、どこよりも速く荷物を届けることで一定の評判を得ている業者で、今から10ヶ月ほど前に、マネージャーの山下リョウやましたりょうと運び屋である真島テツオましまてつおの二人によって始められた。

 この山下という男、柔和な表情、温和な語り口とは裏腹に、かなりの〝ヤリ手〟で、ネットショッピング最大手のYAMAZONと直接交渉をし、通常配送よりも速い『お急ぎ便』よりもさらに速い『超お急ぎ便』のサービスを企画提案し、独占契約を取り付けた。また、運び屋の負担を考慮し、日当たりの受注件数を10件に抑え、代わりに高額な手数料を受け取ることで、事業として〝ペイ〟させていた。

 手数料は気にしないから、とにかく速く荷物を受け取りたいというニーズに応える形で、スピードスター便は他社との差別化を図り、独自の地位を築き、今では、YAMAZON以外にも、個別契約で荷運びをするようにもなった。

 なお、半年前にアキが運び屋として働くようになってからは、一日あたりの荷運び件数は、倍の20件になっている。


「山下さん、おはようございます!」

 挨拶と同時に、タイムカードを切るアキ。

「あ、おはよう、アキちゃん。出社早々申し訳ないんだけど、早速配達お願いしてもいいかな? 個別案件なんだけど」

 小脇に抱えられそうなサイズの小さめの箱をアキに手渡しながら、そう告げる山下。

「了解です! 早速行ってきますね! あ、そういえば、テツ先輩はもう配達ですか?」

「うん。午前中に〝超急〟が5件入ってて、アキちゃんと分担でって話をしたら、テツのやつ、このくらい俺がちゃちゃっと運んできてやるよって言って、すぐに行っちゃってさ…ハハ」

「もう、テツ先輩ったら無理しちゃって…。もっと私のことを頼ってくれてもいいのに…」

 ブーたれた表情のアキ。

「まあ、代わりに急遽入った個別案件をアキちゃんに任せられるわけだから、こっちとしてもラッキーだったよ。ハハ…。ああ、届け先データは時計に同期しておいたから、よろしくねー」

「はい! それじゃ、行ってきますね!」

「はーい。気をつけてねー」

 アキはポケットから氷砂糖を取り出し、口に放り込むと、颯爽と事業所を後にした。

 時計を見遣ると、届け先には『量子力学研究所 相馬ショーコ』と書かれていた。


 事業所のある商業区から居住区と反対方向に10キロメートルほど離れた『開発区』の外れに、その建物―量子力学研究所―はあった。

 コンクリート打ちっぱなしの重厚な外観に、「NEUMANN」という文字と「箱の中に入れられた猫」の絵が刻印されていた。

(……にゅー?まん…? それに箱?猫…?)

 何やら奇妙な構えの建物であったが、時計の示す住所から荷物を届ける建物に違いなかったので、アキは恐る恐る正面の入口に近づく。

(んーと、インターホンとかはどこにあるんだろう?)

 入口付近の壁を見渡すも、それらしきものは見当たらず、さてどうしたものかと一息ついたところで、目の前の扉が急に開いた。

「わ! ビックリした!」

(入っていいの…?)

 中に入るが、誰も出てくる様子もない。そもそも、エントランス的な場所もなく、入ってすぐ目の前にあるのは地下への階段だけだった。

 階段には足元が見える程度の最低限の照明しかなく、コンクリートの無機質さと相まってなんとも不気味な感じで、入口から差し込む陽の光が、辛うじてここが現実世界であると認識させてくれる唯一の安心材料だった。

 恐る恐る階段を下るアキ。

「すみませーん…、スピードスター便です…」

 雰囲気に気圧され、何故か小声になりながら、内心ビクビクしながら、階段を下っていく。

 階段は途中からカーブし始めた。どうやら螺旋階段のようだ。

 螺旋状に地下へと『潜る』こと数歩。

 アキは、この螺旋階段が結構な長さだとしたら、配達時間にロスが出てしまうと気づき、階段横に設置されている手すりに手をかけ、重心を調整しながら、階段を『滑り降りた』。

 螺旋状に地下へと『滑り降りる』こと数秒。

 アキの心配は杞憂に終わり、すぐに目の前に入口が見えた。

 その入口は、いかにも〝研究所〟然とした自動ドアで、アキが入口前に立つや否やすぐに開いた。

 中は、無数のモニターと大型コンピュータ、それに、人ひとりが入れそうなサイズのカプセルのようなものもあった。

 モニター前には、白衣を着た女性が仁王立ちしており、振り返ってこちらをビシッと指差して一言。

「待っていたわ、天道アキさん。ようこそ我が研究所へ!」

 まさかの〝お出迎え〟に面食らったアキは、お届けの挨拶も忘れ、

「あ、どうも…」

 とだけ。

「あ、その荷物はその辺の床に適当に置いといてもらえる? ポイポーイって。で、早速なんだけど、アキさん、私…」

「あなたのことがほしいの…」

「え?」


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