天道アキは加速したい
大松エンヤ
① 加速少女アキ
フォンッ! ヒュン! シュタッ!
「ふぅ… 5分52秒っと。まだまだね…。こんなんじゃ、先輩には追い付けないなー…」
少女はそうつぶやくと、小脇に抱えていた段ボール箱を玄関口の前に置き、インターホンを押す。
ピーン――ポーン。
やや間延びしたインターホンの音から数秒後、玄関口から根暗そうな男が出てきた。
「こんちわー、スピードスター便です。YAMAZONさんより、〝超お急ぎ便〟のお荷物です。こちらにサインをお願いします!」
少女がそう言い、手に持っていたボールペンを手渡すと、男は届いた荷物を早く開けたいのか、ぐちゃぐちゃっと名字を書きなぐり、いそいそと部屋へ戻っていった。
「まいどー。さて、戻りますか…」
荷物を届け終わった少女は、ポケットから取り出した氷砂糖を口に含み、両腕をクロスさせて筋肉を伸ばし、両手のひらで太ももをさすり、腕時計のタイマーをピッと鳴らし、軽く屈伸運動をするや否や、ビュン!という轟音とともに、階段の踊り場からそのまま外へ向かって飛び出した。
ちなみに、ここは5階建てマンションの3階部分である。
陸上競技の走り幅跳びのように、空を切るように両腕を回し、一段低い隣の建物の屋上へと着地し、そのまま加速。腰の高さほどの落下防止用の手すりを、ハードル選手さながらの前傾姿勢で飛び越し、着地した足で屋上の縁を蹴り、体を『くの字』にして、そのまま隣の定食屋の二階部分―おそらく店主の住居だろうか―の窓枠に指をかけ、勢いを殺し落下。真下にある『お食事処』と書かれた看板に、一瞬だけぶら下がり、落下のスピードを落とし、地面へ着地。
着地の姿勢から復帰するや否や、ヒュン!と気持ちの良い風切音とともに、街中を駆けていく。
「…うーん! 街の中を自由に走り回れるなんて、やっぱり、この仕事天職だわー!」
『運び屋許可証』と書かれた腕章をチラ見し、ニコッと笑って、少女はどんどん加速し、あっという間に遠くへと消えてしまった。
「ただいま戻りました!」
少女は息を切らす様子もなく、『スピードスター』の事業所へ戻り、配達完了の報告を入れた。
「やけに遅かったじゃないか、アキ」
中から出てきたのは、
少女―アキ―が、〝運び屋〟の先輩として尊敬する男だった。
「もう、テツ先輩のいじわる! 一応、キロメートルアベレージは、自己べなんですけど!」
そういって、ブーっとふくれっ面をすると、テツ先輩は、ごめんごめんと柔らかく笑った。
「アベレージ、どのくらいだったんだ?」
「38秒です!」
「おお、なかなか速くなったじゃないか」
尊敬する先輩からの賛辞に気をよくしたアキは、
「でしょ?でしょ? もっと褒めて褒めてー♪」
くりっとした目をキラキラさせながら、ふざけて甘えてみせた。
「すごいぞー、アキ。半年前ウチに来たばっかりのときは、アベレージ55秒だったもんな、本当、速くなったな」
「えへへ…」
テツの屈託のない言葉に、ほんの少し頬を赤らめて、ニコニコしているアキ。
「まー、でも! 俺の方がまだまだ速いけどなー!」
「もう先輩…。でもでも! すぐに追いつきますからね! 先輩と違って私、まだまだ若いですし。伸びしろありますし!」
「何をー! 俺だって、25だし、まだまだ若いぞ!」
「25って四捨五入したら30歳じゃないですか。もうおじさんの領域に片足突っ込んじゃってますよ」
「おじ……、ってお前、言っていいことと悪いことが、だな」
『おじさん』というワードが図星をついたのか、テツは顔をピクピクさせた。
そんなテツを見て、アキは流石に言い過ぎたと思ったのか、両手をグーにして顎に当て、首をかしげ、上目遣いで、
「冗談ですよ。先輩♪」
あざといフォローを入れた。
と、いつものように互いに軽口を叩く二人に、奥のデスクから声がかかる。
「ハハ…。アキちゃんとテツオは本当いつも仲がいいね。二人とも、もう時間になったから、上がっていいよー」
「あ、山下さん、お疲れさまです。えっ、もうそんな時間ですか」
事業所の時計を見遣ると、定時の5時を指していた。
糸目で柔和な表情の、山下と呼ばれたその男は、デスクまわりの片付けをしながら、会話を続ける。
「うん。今日もお疲れさま。それにしてもアキちゃん、本当、配達速くなったよね。このままのスピードで成長すれば、音速を超えちゃうかもね」
「音速超えですか! 『ビュン、音を置き去りにした』―みたいなことができちゃいますかね! いいなー、そうなったら楽しいだろうなー、超気持ちいいだろーなー」
『音を置き去りにする』というアニメやマンガさながらのシチュエーションを現実にできる自分を想像し、ニヤニヤしているアキ。
「音速どころか、光速…光の速さを超えちゃったりして。そうなったら、時間すら超えちゃうことになるね。ハハハ」
柔和な表情を崩さず、そう続ける山下に対して、テツオが茶々を入れる。
「『時を駆ける少女』ってか? アキの柄じゃねーな」
「もう、テツ先輩!」
「悪い悪い。帰りに、お前の大好きなMOXコーヒー奢ってやるからさ」
「え、いいんですか!? なら、許します!」
MOXコーヒーの奢りを取り付けたアキは、るんるんとした気分でタイムカードを切り、テツオとともに、事業所を後にした。
小さいころから運動好きで、小学校時代も、いつも走り回って遊ぶようなやんちゃな子どもで、運動会のリレーのアンカーを任されるくらいには、足の速さには自信があった。
が、正確なタイムというものを測ったことはなく、人より足が速い、くらいにしか思っていなかった。
中学校に入学してすぐに、スポーツテストなるものがあり、そこでアキは自分の異常さに気づく。
50メートル走のタイムが7秒を切っていたのだ。
測り間違えかと、体育教師がストップウォッチを変えて、二度目を計測すると、なんと今度は、6秒前半、5秒台に迫るタイムだった。
確かに幼いころから足は速かった。が、このタイムは異常だった。中学生女子の平均が9秒台、男子であっても8秒台。陸上競技に50メートル走という正式種目はないが、仮にあったとするなら全国記録モノである。
測定した教師も、周りの生徒も、アキの俊足に感嘆の声を上げた。
「天道、すごいなー。お前、陸上部行き決定だな」
「アキちゃん、すごーい!」
人に褒められるのが大好きなアキは、自分の能力をみんなが認めてくれることが嬉しくてたまらなかった。
ここまでは、まだよかった。
アキの異常性はこれだけにとどまらなかった。
スポーツテストの最終種目1500メートル走で、とんでもない記録を打ち立ててしまったのだ。
1500メートル走、2分30秒。
中学生女子が50メートルを6秒台の速さで走れるだけでも異常なのに、その30倍の距離を2分30秒(=150秒)で、―すなわち50メートルを5秒ジャストのペースで、走れてしまったのだ。キロメートルアベレージにして1分である。
異常さというのは、そう、ペースが落ちないのだ。いや、それどころか、ペースが上がって、途中から加速していたのだ。
しかも、ゴールの際には息切れ一つしていない状態であった。
褒められるのが嬉しくて、皆に褒められたい一心で、全力で1500メートルを走り終えたアキが目にしたものは、周囲からの羨望の眼差しではなく、困惑の表情であった。
「ア、アキちゃん…、す、すごいね…」
「おいおい、速いってレベルじゃねーぞ、なんだよあれ…」
「…天道、す、すごいな…! 1500メートルのワールドレコードだゾ、ハハハ…」
この時の周りの反応から、アキは自分の異常さを初めて認識した。
と、その瞬間、目の前が真っ暗になり、その場で倒れ、病院に運ばれた。
「軽度の低血糖症ですね」
病院のベッドで横になり、ぼんやりと回復していく意識の中で、そう聞こえてきた。
「あの…、うちのアキは大丈夫なのでしょうか…?」
カーテンの向こうにはどうやら、お母さんが来てるらしい。
「まあ、過度な運動は控えることですな。あと、血糖値が極端に下がりやすいので、食事を…。あとですね、血液検査の結果、血中のヘモグロ……が少し特殊でして……、一度大きな病院で精密検査を……」
起き抜けのぼんやりとした意識の中で、『検査』だとか、『ヘモ』とか『グロ』とか、何やら不穏な言葉が聞こえてきて、少し怖くなった。
その後、大きな病院で検査をすることになり、どうやら私は普通の人間とはかなり異なる性質を持った人間だということが分かった。
医者によると、血液中の酸素を体中に運ぶヘモグロビンが特殊な形をしており、体内の糖分を過剰に吸収してしまうそうだ。
医者からのアドバイスとしては、
過度な運動は控えること。
糖分をたくさんとること。
の二点だった。
私は、この〝困惑のスポーツテスト事件〟(と、私は呼んでいる)以降、表向きには、また倒れて、家族や友達など周りを心配させないために、本当のところは、あの困惑の目を向けられるのがトラウマになって、全力で走るのをやめた。
50メートル走も7秒台に抑えた。どうやら、女子で7秒台は、それでもそこそこに速いらしく、陸上部を始めとする運動部の先輩達から熱烈アピールを受けたが、『病気』を盾にスルーし、運動部には入らなかった。皆の前で走る姿を見せるのを極力避けるようにした。
そうした〝努力〟の甲斐あって、周りの皆は、あのスポーツテストの日のことを何かの見間違いだったのだと思うようになり、困惑の目を向けられる心配もなくなっていった。
2つ目のアドバイスにも従って、甘いものをなるべく摂るようにもした。
お母さんが私の体のことを心配して、毎日学校に行くときは、今では欠かせなくなっている、氷砂糖を持たせてくれた。
お父さんが学校に事情を話してくれて、学校にいる間も好きなときに氷砂糖を食べていいことになった。
ただ、私としては、〝病気〟のことや、〝困惑のスポーツテスト事件〟を皆に忘れてほしくて、なるべく周りにばれないように、氷砂糖はこっそり食べることにした。
お陰さまで、口の中に何も入れてないフリをするのがうまくなった。舌使いがうまくなったとも言える。
が、ここで一つ問題が出てきた。
甘いものを食べると無性に走りたく―正確には『加速』したく―なってしまうのだ。
小さい頃から、甘いものは好きだったし、その分適度に走り回っていたので気にならなかったのだが、意識的に走らないように、加速しないようにするようになってから、体がウズいてしかたなかった。
なんだか、本能的に体が〝『加速』することを欲しがってる〟みたいで、どうしても我慢できないときは、休み時間にこっそり学校を抜け出して『加速』した。
幸いというか、なんというか、〝足が速かった〟ので、10分休みでも、ゆっくり学校の裏門まで歩いて、ささっと2キロメートルくらい走って戻ってくる―往復で4キロメートル走ってくる―のも余裕だった。
昼休みなんて、50分もあったので、10キロメートル離れた隣の区まで走って往復した。給食でデザートなんか出た日には、2往復した。
汗もかかないし、息も切れないから、周りには全然バレなかった。
家に居るときも、両親を心配させたくなかったから、なるべく走ってる姿を見せないようにしていたが、誕生日やクリスマスとか、あまーいケーキが出された日には、もういてもたっても居られなくて、両親が寝静まったのを見計らって、30キロメートル離れた2つ隣の区まで往復することさえあった。
そんな風に隠れて、こそこそ『加速』する生活を3年ばかり続けていたら、足もどんどん速くなり、中学を卒業するころには、キロメートルアベレージは1分を切った。時速60キロメートルだ。
「…ーい、…ぉーい、おーい。アキちゃーん?」
「え!? あ、はい! なんですか?」
「『なんですか?』じゃないよ。どうしたんだ? ボーっとして。糖分切れか?」
ほらよっと手に持ってるMOXコーヒーを手渡されたアキは、あたふたと受け取った。
「あ、ありがとうございます…」
「ちょっと昔のことを思い出してたら、ボケッとしちゃって……。 あ、MOXコーヒーだー♪ やったー♪」
受け取ると同時にプルタブを開け、ごくごくと飲み始めるアキ。
その様子を満足そうな表情で、見つめるテツオ。
その手には、アキと同じくMOXコーヒーが握られていた。
MOXコーヒーは黄色いデザインの缶コーヒーで、その主だった特徴は、「練乳入り」というコーヒーとしてはいささか邪道的な『甘さ』にある。
一般人は、その甘さゆえに敬遠しがちであるが、体質上、糖分の摂取が必要不可欠なアキにとっては、手軽な糖分補給のできる貴重な『糖分源』の一つである。
「あ、そうだ! テツ先輩! せっかくだし今日も家まで競走しましょうよ! MOXコーヒー飲んだら加速したくなっちゃった♪」
「お、やるか? いいぜ。久々に本気で勝負してみるか!」
アキからの挑戦を快諾したテツオは、手に持ったMOXコーヒーを一口で飲み干し、アキから受け取った空き缶と一緒に、自販機横のゴミ箱へと投げ入れた。
「それじゃあ……、いくぞ……!」
「はい!」
その言葉がスタートの合図となり、二人は一気に駆け出した。
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