第47話 拳の交錯
アリスの家の中は、何とも言えない空気が流れていた。アリスは泣きじゃくってなにも言えないので、私が状況を説明したのだが、ルーンは沈痛な表情を浮かべてなにも言わず、エリナはいつも通り冷静に「そうか……」と一言だけ言った。
「なんだ、お前ら。今すぐ死ぬわけでもなければ、まだ死んだわけでもない。推定一年ならそれで結構。そういう生き方をすればいいだけだ。こういう空気は性に合わぬ。いつも通りやってくれ」
私はパイプに火をつけた。全く、この空気を変える妙手はないか……よし、困った時は。
「国王!!」
もはや私の便利アイテムとなった国王を呼び出した。
「ここ、国王様!?」
ふむ、狙い通り空気が変わった。
「……なぜ女装なのだ?」
そう、呼び出した国王は、なぜか女装だった。ひげ面のむさ苦しいまま……。
「いや、暇だったのでな。そんな事はいい。お前たちに一つ仕事を命令したい。細かい話しは城まで来てもらいたい……と言いたいところだが、なにかあったようだな」
さすがに国王。空気を読むのが上手い。
「ああ、まあ色々あってな……」
私は掻い摘まんで国王に事情を説明した。
「ふむ、なるほどな。実は、お前たちにやってもらいたい仕事があってな。詳しくは早馬で書簡を送ってある。『依頼』ではなく『命令』でな。体調が厳しければ取り消すが……」
……嘘こけ。
「心にもない事を言わんでも、仕事はちゃんと受けるから安心しろ」
私の言葉に、国王はうなずいた。
「この仕事はお前ら……正確に言えばお前にしかできん。人ではダメなのだ。詳しくは命令書を読んで欲しい」
国王は立派な紙に書かれた命令書を私に手渡した。
「それは控えだが、正式なものが届いたらで構わん。さっそく仕事に掛かってくれ。良い報告を待っている」
私は国王を元の場所に帰した。
「さて、ダレている暇はない。さっそく仕事の準備に掛からねばな……」
私は深夜の街を歩いていた。ここはレオポルトの村ではなく、王都の外れである。どこの街でもそうだが、その規模に応じて光も影も広がる。ここは、その闇の部分である。いかにも怪しげな廃工場にしか見えない建物からは、謎の白煙を上げる煙突がある。
「さて、行くとしよう」
私は工場の外にあるほどよいパイプに飛び乗った。
国王から受けた命令は簡単だった。最近拡がりをみせている禁止薬物。通称「天使の微笑み」の製造元が分かったので、叩き潰せというものだった。
まさか、王都の中で堂々と精製されているとは、さすがに国王も気が付かなかったらしい。
本来なら警備隊の出動だが、敵ものうのうと構えてはいない。そのような傾向が見られた場合、即座に撤収してしまう。そして、また新しい場所で精製を始めるのだ。
そこで、目立たない私の出番である。こっそりと潜入し、内部を破壊するという任務を担ったわけだ。
街中なので攻撃魔法は使えない。最小限の爆薬をバックパックに詰め込んでの侵入だ。
「ここで待機していますからね」
工場から少し離れた場所に馬車を駐め、アリスが心配そうな表情をして私を送り出したのは一時間ほど前の事か。三時間待っても私が戻らない場合、それなりの行動を取るように指示を出してある。
「さて……」
適当な場所に換気口の出口を見つけた私は、ガタガタで今にも外れそうな鉄網を蹴飛ばした。狙い通り鉄網は地面に落ちる寸前でパイプの隙間に引っかかって止まった。
「うむ、お邪魔しようか……」
私はガタガタと今にも止まりそうな換気扇に蹴りでとどめを刺し、換気ダクトにそっと侵入する。すでにここでも、薬品臭が漂っている。
「長居は禁物だな。さっさとすませてしまおう」
どう考えても体によくない環境だ。頭がクラクラしてくる。
私は適当な通気口の格子を蹴った。やはりボロボロのようで、簡単に外れた格子は下の廊下に叩き付けられ、派手な音を立てた。……しまった。
しばらく換気ダクトから様子を見ていたが、誰も来る様子がない。どうやら、警備は手薄のようだ。
「では、行くか……」
私は換気ダクトから廊下に下りると、全速力でダッシュした。心臓はどうした? 知るものか。これが私のやり方だ。
途中で数名の組織構成員と思しき連中と遭遇したが、目の一つでも抉ってやれば、それで無力化出来た。
そうして走り続けることしばし。どうやら工場の中心部に到着したらしい。なにやら複雑怪奇な機械が唸りを上げている。
「さて……」
適当な場所に背負っていた爆弾を置き、その時限スイッチを入れようとした瞬間、私は背後を振り返り、両手を素早く打ちあわせた。そこには一本の矢……。剣ではないが、白羽取りだ。
「ほぅ、やるな……」
いつ現れたのか、そこにはクロスボウを構えた、体格のいいオッサンが立っていた。
「非武装の相手にクロスボウか。しかも、相手は猫。大した根性だな」
爆弾は武器には含まれん。念のため。
「おや、これは手加減するための道具だったのだが、お前がそのつもりならガチンコでヤルか? ああ、俺はここのボスってところだな。もう分かっているとは思うがな」
オッサンはクロスボウを投げ捨て、上半身だけ服を脱いだ。そこには、非の打ち所がない鍛え抜かれた体。……何者だ。このオッサン。
「いいだろう。私も最近暴れていなかったからな……」
返しながら、私は爆弾の時限スイッチをこっそり作動させた。これで、最悪でも任務は達成出来る。タイマーはもう止められない。
「よし、行くぞ!!」
オッサンが一気に間合いを詰めてきた。しかし、猫には遅い!! 思い切りジャンプすると、オッサンの顔面に蹴りを入れた。
「ふん、やるようだな」
顔から流れる血を軽く拭い、オッサンはニヤリと笑った。
「お前もなかなかだな。普通は今ので左目がなくなっている」
……そう、私の蹴りは目を狙っていた。しかし、すんでの所で避けたのである。このオッサン。ただの筋肉馬鹿ではない。
「では、こちらからも行かせてもらおう!!」
オッサンは恐ろしく破壊力がありそうなパンチを繰り出してきた。しかも、早い。避けるのが精一杯だ。
「ハハハ、やりおる。ここまで楽しいのは初めてだぞ!!」
……このクソオヤジ。
反撃に転じたいが、このパンチの雨では……。
えっ、魔法? 何を言っておる。男同士のガチンコ勝負に野暮というものだろう。それをやったら、私は一生後悔する。
「ほら、どうした。かかってこい!!」
その目は本気で楽しんでいた。拳を合わせた者同士の至福の時間……か。
よし、いちかばちか、やるか!!
私はオッサンが繰り出してきたパンチに素早く飛び乗り、そのままジャンプして空中で弧を描いた。そして、地面に着地する途中にあったオッサンの顔面を思い切り引っ掻かく。私が着地した瞬間に繰り出されたオッサンの蹴りで、私は結構な距離を吹っ飛ばされた。
「やはり、なかなかやりおる」
嬉しそうなオッサンだったが、もう時間がない。そろそろ決めねば。
「フン、お前の蹴りもなかなかだぞ。では、そろそろ雌雄を決しようではないか」
私はオッサンに向けて一気にダッシュした。体中が痛いが、それは後回しだ。
「よし、こい!!」
ファイティング・ポーズで待ち構えるオッサンに、フェイントを交えながら全速力で接近し、そのまま体当たりするフリをして素早く背後に回ると、その背中に渾身の飛び蹴りを放った。
「おっ!?」
体勢を崩したオッサンの体を素早く登り、私は両目を叩き潰した。毎度の目つぶしパターンだが猫が人間に勝つにはこれしかない。
「ぐっ……そう来たか。ハハハ、これは愉快愉快」
相当な痛みがあるはずだが、オッサンは笑った。そして、見えない目で立ち上がり。再びファイティング・ポーズを取る。熱いな……。
「こんなもんじゃ俺を倒せないぜ。本気でこい!!」
……良かろう。コイツは本気で倒すべき相手だ。
必殺の目つぶしが効かないとなると……。
次の策を考えていると、オッサンがその豪腕を振るってきた。一瞬反応が遅れた私は、見事に弾き飛ばされ壁に叩き付けられた。猫の私に受け身すら取らせなかったのである。恐るべき相手だ。
「魔法を使ったっていいんだぜ? そんなもん蹴散らしてやるからな」
……コイツ。
「そんな無粋な真似をするか。舐めるなよ」
私はオッサンに向かってダッシュする。防御など関係ない。パンチと蹴りの応酬が開始された。私の方が、圧倒的にリーチが短い分不利だが、先ほど抉った両目がターゲットだ。ここしかない。
「なぜ、お前には私の位置が分かる!?」
ターゲットが限定されているとはいえ、私の攻撃はほとんどが防がれてしまい、反対に豪腕を食らう結果になっている。この世界に来て屈指の強敵だ。
「なに、気配で分かる。お前も猫ならとんだ失態だな」
ちっ、こんなバケモノ相手に、いちいち気配を消して戦えるか!!
「うるさい。お前ほどの相手と戦えて嬉しいな」
半分本音でそう言うとオッサンが笑った。
「ああ、俺もだぜ。しかし、もう時間切れだな。爆弾の起爆時間が近いはずだ。転送魔法で外まで送ってやろう」
……スイッチを入れた事に気づいていたか。タイマーの表示を見ると、あと三十秒を切っている。
「悪いな。あの世で会おう」
爆弾の威力はせいぜい一部屋吹き飛ばす程度のはずだが、このボロい建物が耐えられる保障はない。
「……そら、ソイヤ!!」
図太いオッサンの呪文が終わると同時に軽い酩酊感に襲われ、私は建物の外に出ていた。ボサッとしている暇はない。私は待機中の馬車めがけて走った。その背後で爆発が起きる。配合でも間違えたのか、その威力は一部屋どころではなかった。建物をぶっ飛ばし……待避が間に合わん!!
私は転移の魔法を使った。待機していた馬車に飛び乗ると、御者台に転がりこみ、急発車させた。
「ど、どうしたんですか!?」
アリスが聞いてきた。
「死にたくなかったら逃げろぉ!!」
「ああ、先生の顔色が真っ青になっているぅ!!」
アリスが叫ぶ。なぜ、顔色が分かる? 毛なのに……。
……まあ、なにはともあれ、私たちは無事に逃げ切った。爆弾の破壊力は凄まじく、街の一ブロックを吹き飛ばしたのだった。これなら、攻撃魔法の方がまだマシだったかもしれない。
何にせよ、私たちは任務を完了したのだった。
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