第39話 先生の寿命

 衝撃といえば衝撃の「アリスお付き合いします」宣言より一晩、ルーンはまだ復活していなかった。ベッドに籠もったまま、なにやらうなされている。

「ありゃりゃ、自分で望んでいたのにこれですか.……」

 アリスは楽しそうにルーンを頬を突いた。

「……おい、アリス。ちょっとこっちに来い」

 私はアリスを引っ張って、部屋の隅に移動した。

「おい、ルーンは本気だぞ。軽くあしらっていいものでは……」

 私が言うと、アリスは私の言葉を遮った。

「私だって本気ですよ。冗談であんな事を言うわけないじゃないですか。付き合いはじめてダメだと思ったら別れればいいんです。私は駆け引きは苦手なんですよ」

 いやまあ、確かに駆け引き出来るようなタマじゃないが……。

「いつでも使い魔契約を解除していいからな。邪魔をするつもりはない。野良も悪くないもんさ……って、おい!!」

 アリスは無言で私を抱え上げ、軽く頬に口づけした。よせ、何とも思わんから無駄だ。そもそも猫に恋愛などない。

「先生がいるから、こんなに積極的になれるんですよ。なんだか、無敵になった気分になれるんです。先生がくるまえは、お世辞にも明るいタイプではなかったですから」

 ……ケツがむず痒くなる事を言うな。

「だから、先生には見守って欲しいんです。私とルーンちゃんの事。私も恐らくルーンちゃんも、初めての恋愛でしょうから……」

 何を見守れというのだ、全く。そして、なぜに声に出さない程度に泣く。泣く要素、どこかにあったか?

「分かった。やれるだけやってみよう」

 ……なにをどうすればいいのか、全く分からんがな。

「ありがとうございます。うううう……」

 全く……。

「とりあえず、いい加減泣き止め。そもそも、泣く理由が分からん」

「ええ、私も分かりません」

 本人に分からないものが、私には分からない。まあ、なんだ。抱かれている事をいいことに、とりあえずアリスのショートカットを撫でた。

「先生らしくないですよぉ。普通だったらここで足蹴にした挙げ句、ボロクソに言うのに……」

「それが望みならそうするが?」

「いえいえ、決してそんな事はありません!!」

 ……つくづく分からんな。

「しかし、人間とは面倒臭いものだな。我らなど発情したメスが……」

 私は解説しようといたのだが。

「ストップ。そこから先は生々しい予感がします!!」

 ……おっと、これは私としたことが。

「なに、簡単な事だ。お互いに好いているのなら、特になにも問題はないだろう。私はもう盛りのピークは過ぎたので、よく分からんがな……」

 猫も五才となると落ち着くものだ。私も気が付けば六才(推定)が見えている。人間の年齢に直せば四十才くらいだ。しかし恋愛経験などない。発情したメスの元に集まり、オスたちが隙を狙って……まあ、そういうことだ。全てはメスに主導権がある。

 こんな状態でアリスのフォローなど出来るか不安だが、まあ、そこはなるようになれだ。

「えっ、先生ってもう恋愛には興味がないんですか?」

 ……何と答えるべきか。

「そうだな。お前が思っている恋愛とは違うと思うが、ほとんど興味がなくなったのは確かだな。もう二、三年若かったら、また違ったかもしれんが……」

 もはや、発情したメスを追いかけようとは思わない。そろそろ寿命が近いのかもしれんな……。

「そうですか。先生も色々あるんですねぇ」

 アリスがしみじみとそういう。

「まぁな。あと四、五年もすれば、私はもう老猫だ。ほとんど動けなくなる。そうなったら、違う使い魔でも呼んで、恋愛の方法をレクチャーしてもらえ」

 私がそう言った途端、アリスの顔に怒りマークがいくつも浮かんだ。

「また、そういう事を言う!! 私は先生以外の使い魔を呼ぶつもりはありません!!」

 やれやれ……。

 私は猫と人間の年齢換算表と注釈を示した。手書きで大体こんなものだという感じだ。参考程度に出した。

「まぁ、私とて直に六才となる。人間に直せば四十才だ。さすがに若猫のようにはいかぬ。永遠の命でもないし、「その時」は覚悟いておいてくれ」

「……」

 アリスは黙ってしまった。換算表をそっと服のポケットにしまい。またも泣き出してしまった。迂闊だった。換算表を出すタイミングを間違えた。

「あー、私のアリスちゃんをいじめるな!!」

 どうやら起きたらしい。ルーンが鋭い声を飛ばしてきた。いじめているわけはないのだがな……。

「いじめではないですよ。使い魔の主として、知っておかなければならないことです」

 アリスは泣きながらも、気丈にそう言ってみせた。

「知らなければならないこと?」

 ルーンが食い下がった。やはり、気になるらしい。

「なんでもないよ。ルーンちゃんが起きたところで、散歩でも……」

「私たちのルール一。隠し事をしない。それで、どうしたの?」

 アリスは洗いざらい喋った。すると、ルーンが難しい顔になった。

「寿命じゃ蘇生は出来ないはずだねぇ。前にエリナから聞いた事があるよ。こればかりは、避けて通れないか……」

 ……そう、私とて無限の命を持っているわけではない。いつかは寿命を迎えるのだ。その時にこれでは、おちおち死んでもいられない。

「まっ、先のことは先に考えようよ。えっと、先生。見守り役よろしくぅ♪」

 ルーンが明るくそう言った。顔を見れば誰でも分かる。無理していると……。

「まあ、そういうことだ。こればかりは言っても始まらん。とっとと立ち直れ」

「……」

 アリスが何か言った。

「聞こえん。もう一度言え」

 聴覚に優れる私でさえ聞こえない声。それがどれだけ小さかったか察して頂きたい。

「……立ち直れるわけないじゃないですか。寝ます!!」

 アリスはそのまま、今し方までルーンが寝ていたベッドに潜った。時折嗚咽が聞こえる。

「なぁ。前も聞いたが私ってそんなに重要なのか? 猫などそこら中にいるではないか?」

 ルーンは黙って私を部屋から押し出した。そして、ドアを閉めるや否や、いきなりビンタをかましてきた。

「全く、本当に疎いんだから。アリスちゃんはあなたに対して、思慕にも似た感情を持っているの!! でもなにも出来ないから悶々としていたところに、私が登場ってわけなんだな。分かっているんだ、私があなたの代理って事は。それでもいいんだ。いつか気持ちが私に向いてくれる。そう信じているからねぇ」

 ルーンは笑った。

「やれやれ、複雑なものだな……」

 詰まるところ、私が寿命の話しをしたことは失敗だったということだ。あとの恋愛なんぞ分からん。猫に恋をしてどうする。アリスよ。

「さて、飯にするか。腹が減っていかん」

「よく食べられるねぇ。まあ、あなたらしいけどさぁ」

 再びルーンが笑った。腹が減ったら食う。当たり前の事だ。

「いいから飯だ!!」

「はいはい、今日は猫缶金印!!」


 午後になり、アリスが復活してきた。顔が青白かったが、まあ大丈夫だろう。しかし、食事を取ろうとしないとは.……前言撤回。やはりダメかも知れない。

「そんなにショックだったか? 人間だっていつかは訪れることだ。我々はそれが人間より早いというだけだ」

「でも、まさか先生の寿命がそんなに早いとは……」

 よほどショックだったのだろう。アリスの顔にいつもの無意味な明るさはない。

「何度か言った気がするが、猫の時間の流れと人間の時間の流れは違う。当然の事なのだよ」

 私はパイプを吹かしてそう言った。今日はマタタビを入れすぎたな。

「ですが、残り推定六年で平均寿命ですよ? さすがにショックです……」

 ……ええい!!

「いつまでもうじうじするな、馬鹿者。精一杯楽しめばよい。さすがに肉体的には厳しいが楽しみはいくらでもある。落ち込む暇があったら楽しむ方がいい」

 こういうグチグチが嫌いなのだ。先に進まん。

「ルーンでもエリナでもいい。何か楽しめそうな場所はないのか?」

 強引に話しを持っていく。アリスに任せていたら、いつまでもグチャグチャだ。

「そうですねぇ。温泉などもあるけど、さすがに猫さんは入れないよねぇ……」

「当たり前だ。ここから馬車で二ヶ月ほど南下したところに「最南端の碑」がある。なにもないが、ここでウジウジしているよりマシだろう」

 他に選択肢がないなら、乗るしかないだろう。

「よし、準備しよう。アリス、ボサッとしていないで動け!!」

「は、はいぃぃぃぃ!!」

 こうして、半ば強引に旅へと出発したのだった。

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