第32話 ルーンの日課
アリスの家は裏玄関を出ると、すぐに手つかずの広大な雪原になっている。まだ日が出たばかりの早朝。私とルーンは「散歩」していた。
「はっ!!」
殺気がこもったルーンの投げナイフは、しかし、私の残像を貫いただけ。
「行くぞ……」
空中で体を捻って強引に進路を変え、ルーンの頭に蹴りを入れた。
「なんの!!」
再び投げナイフが来たが、これは誘い。その場に身を伏せてやり過ごすと、頭上でブンと剣が抜けた風が過ぎる。私はジャンプし、剣を振って体勢が不安定な一瞬を突き、切り返そうとしていたルーンの頭上に着地した。
「……一本だな」
「あっちゃー、また負けた」
そう、これが「散歩」だ。体が鈍るというので、毎朝命がけの真剣勝負に付き合っているのだが、なかなかの使い手だ。私でなければ、とっくに死んでいるだろう。
「全く、もし死んだらどうするのだ。私とて本気で戦う時は、相手の命を狙うつもりで掛かっているのだ。私だけではない。たかが猫とは思うなよ」
私は頭からポンと飛び降りた。
「もう、なんでそんなに強いのぉ。もう、私も近接戦闘なら自信あるのにぃ!!」
ルーンがガックリ肩を落として剣を鞘に収める。
「戦闘モードの猫に勝とうなどと思わぬ事だ。猫は基本的に「武力衝突」にならないよう済ませようとするが、やるときは全力でやるからな」
ちなみに、お分かりだと思うが、私は本気を出していない。その証拠にルーンには一切手出しをしていない。当然、ひっかき傷の1つもない。
「いやいや、おかしいですよ。私の動体視力が……」
「馬鹿者。猫の動体視力に勝てるか。さて、帰るか……っと」
全く前触れもなく繰り出されたルーンの剣による突きを、私はあっさりかわした。
「キー!!」
「殺気を出し過ぎだ。馬鹿者」
ふん、まだまだだな。
アリスの家に帰ると、アリスとエリナが心配そうに待っていた。
「大丈夫ですか?」
アリスが聞いて来たが、大丈夫でなければここにはいない。
「ああ、問題無い。ルーンのプライドを崩すのは面白い」
「こ、このぉ、泣くぞぉ!!」
ホントに涙を浮かべながら、ルーンが叫ぶ。
「まぁまぁ……」
エリナがルーンをなだめる。まあ、いつもの朝の光景だ。
「あっ、そういえば、なにか立派な封書が届きましたよ。朝イチの至急便で」
……至急便とはまた高価な。ただごとではないな。
「開けてみろ」
アリスはうなずいて、なぜか包丁で封を切っていく。ある意味器用だ。
「あれ、これ国王様からの手紙ですね……うげっ!?」
アリスの顔が驚きに変わった。
「何かありましたか?」
ルーンが不思議そうに聞いた。
「まあ、覚悟はした方がいいな」
最後にエリナが言い、私はなにも言わない。なにか言っても意味がない。
「隣国ホルン王国への届けものだそうです。詳しい事は王城で説明するとの事なので、急ぎ準備をしましょう」
アリスが言うと同時に、エリナとルーンが外に飛び出た。アリスが手早く巨大な袋に携帯食やら水やらを詰め、それを外から戻ってきた二人と一緒に外に持ち出す。誰が決めたわけでもなく、この三人で出るのも始めてなのに、素晴らしい連携だ。
「先生、行きましょう」
アリスが言った。
「うむ、そうしよう」
なまじ名前が「先生」なだけに、無駄に偉そうである。偉ぶるつもりはないのだがな。
玄関から外に出ると、荷台に物資を満載した馬車とそこに乗る二人の姿があった。
「ほう、クロスボウか。エリナもなかなか面白い得物を持っているな」
ついぞ武装した事のないエリナの姿に、私は思わず声を上げてしまった
「ああ、これはお守りみたいなものだ。腕は当てにしないでくれ」
どうだかな……。
「急ぎなのは分かっているが、ちょっとしたテストだ。エリナ、あの風見鶏を撃ってみろ」
一瞬驚いたような表情を浮かべたアリスだったが、すぐにクロスボウを構えた。標的は3軒先の風見鶏。距離は百メートルくらいだ。
バシュッという発射音を響かせ、放たれた矢は風見鶏を根元から吹き飛ばした。
「いい腕だ。魔法はダメでもその道がある」
「い、いや、これはあくまでも遠距離用で……」
クロスボウの弦を発射状態にしながら、エリナがもごもごいっているが……。
「誰がそうと決めた? 発想力が足らんな。あれだけの腕があればいかようにでも使えるだろう。あとは実戦だ」
クロスボウをポンと叩くと、私は馬車に乗った。最後にエリナが乗り、馬車は早朝の村を抜けて、北方街道へと出た。
「王都までは三日ほどですが、宿泊を一回削って時短しましょう!!」
アリスの提案に異を唱える者はない。こうして、我々は次の街を通過する事にした。遠くに街が見えてくると、アリスはカンテラを取って左右に三回振る。それを繰り返すと、町の方から同じ合図が返され、同時に警鐘が鳴らされているのが分かる。
よし、ここで旅の豆知識だ。馬車で街や村を高速通過する場合は、こうやって合図を送って、事前に知らせるのがルールになっている。左右に三回は高速進行の合図だ。それと同じ合図が反ってくれば許可。ダメなら縦に二回振られる。今回は「許可」だ。
「高速進行。アリス、思い切り飛ばせ」
「はい!!」
アリスは馬車を加速させた。ほどなく街中に突入し目抜き通りを一気に駆け抜け、町の反対側に抜ける。アリスはカンテラを後ろに向けて謝意を伝えると、馬の疲労を考えてか若干速度を落とす。
「いやぁ、一度やってみたいなぁ。街中の高速進行」
後ろでルーンがのんびり言った。
「やめておけ。お前はあまりにも酷すぎて、馬車免許習得が禁止されただろう」
エリナがやれやれとつぶやいた。
……どれほど酷いんだ。私は大型馬車免許も持っているが、小型なら昼寝していても取れるぞ。
「そ、それは、私の暗黒史ですよ。お姉様」
「だから、お姉様はやめろ!!」
本当に仲がいいな。こいつらは。
こうして町や村を三つほど駆け抜けたとき、ちょうど日没を迎えた。馬車は夜闇を突いて走っていくが。
「ここでストップだ。馬がもう限界だろう」
私は進行の中止を宣言した。そう、馬車は馬が引くもの。当然休息は必要だ。
「分かりました。ここで野営します」
ここからが素晴らしかった、アリスが謎の速さで四人用のやや大きなテントを組み立て、その間にエリナとルーンがたき火と飯炊きを開始する。今まで野営といえば私は猫缶、アリスは携帯食だったのだが……」
「ルーンよ。そんな珍妙な道具で飯など作れるのか?」
みたことのない野営道具に、私は思わず声を掛けた。
「はい、もちろんです、ダッジ・オーブンのルーンと呼ばれた腕を披露します!!」
すごい気合いである。まあ、どのみち私は猫缶だ。寒さで凍っているので、軽くお湯で缶を温めるだけ。ややこしい料理を始めたルーンの後でいい。
「ややや、猫缶なんて抱えてどうしたのですか?」
見つかったらしい。ルーンが問うてきた。
「私の晩飯だ。人が食べるものは、猫は食べてはいかんのだ」
すると、恐るべき答えが返ってきた。
「使える材料と味覚が人間と違うので、料理と呼べるものはできませんが、ちゃんと先生殿の食事もご用意してあります。もう少しで出来ますので……」
なんということだ。私は今まで、猫用に作られた食事など食べた事がない。猫缶などご馳走である。それなのに、なんという気配り。どのポンコツも時々こうやって光る時があるので始末に悪い。完全にダメなら叩き出している所なのだが……。
手の空いたアリスやエリナと談笑して時間を潰す。こうやって横から料理しているルーンをみると、まるで何かの職人のようだ。声を掛けることすらはばかられる。
「はーい、出来ました。ささっと、食べちゃいましょう。先生殿の食事はこちらで冷ましてあります。四七度でしたよね」
ルーンが聞いた。惜しいな……。
「三七度だな。しかし、大丈夫だ。猫が猫舌だというのは間違いだしな」
「くっ、不覚……」
いや、そこまで落ち込まなくてもいいと思うがな。まあ、いい。
「食事にしよう。冷めてしまう。ルーンもいい加減立ち直れ」
『はーい!!』
ルーンの作った猫飯は……美味かった。それは、猫缶が最上の食事と思っていた価値観を、根底から破壊する程だった。
「アリス、泣くな!!」
「先生だって!!」
なに!? うぉっ、涙が……。
「ルーンの料理は人を泣かせるほど美味いのだ。私はもう慣れているから平気……」
「あはは、エリナだって泣いてる~♪」
自分で作った飯を食って、なぜか泣いているルーンがエリナにツッコミを入れる。
「えっ、これは汗だ。今日は暑い!!」
うそこけ。
しかし、なんだこの集団。ルーンのヤツ、変なもの入れてないか?
「ああ、こんな美味しいもの食べられるなんて、死んでもいいや……」
こら、死ぬなアリスよ。一回死んでいるし、もういいだろう。
「大丈夫だ。死んでも私がいる」
……そういう問題ではない。
「そこまで褒められるなんて……」
たき火に銀の光がきらめく。フン。
私は左前足の短い指二本でそれを受け止めた。投擲用のナイフだった。
「先生殿、マジでなに者なんですか!!」
うーんは首をうなだれた。
「ただの元野良猫よ。猫という生き物はな、寝ている間すら周辺警戒を怠らない、臆病な生き物なのだよ。この程度では隙のうちにも入らん」
私はわざとオーバーな動作でナイフを投げ返した。避けるなり受け取るなり、簡単なものだろう。しかし、それは思い切りルーンの心臓を射貫いた。……当たったな。うん、当たった。
「エリナ、すぐ蘇生しろ。アリスは手伝い!!」
『はい!!』
大騒ぎになったキャンプ。だから、飯食いながら蘇生するのはやめろ。うむ、生き返ったようだ。意外とイージーらしいな蘇生術。そして、アリスが取り皿片手に回復魔法を……失敗した。このポンコツめ。致し方ない、私が……おっと、もう動けるのか。大した身体能力だ。
「先生殿、なにするんですかぁ!!」
「いや、避けるかと思ったのだが……」
私は少々腰が引けながら言った。このザ・ゾンビが!!
「ナイフを投げる猫なんて誰が想像しますか!! 完全に油断していましたよ!!」
油断していたのは認めるのだな。
「……攻撃魔法の方が良かったか?」
私が軽い冗談を飛ばすと、ルーンの顔から血の気が引いた。
「あの……冗談ですよね? 私は魔法でぶっ壊したりぶっ殺したりするの好きなのですが、逆に撃たれるのは弱くて……」
……なるほど、隊の最前列に配置されて、いきなり死ぬタイプだな。
「無論、冗談だ。そして、今ナイフを投げようとしたのも見え見えだ。疲れるからやめろ」
全く懲りないというか、またナイフを投げようとしたのである。
「な、投げる前から防がれた。無念……」
そして、ルーンは気を失った。なんだ?
「蘇生開けであんなに動いたらこうなるのは当然なんだがな。誰か回復魔法を……」
面倒臭いからこのまま寝かせて起きたかったのだが、アリスは飯を食っている最中だったので、致し方なく私が回復魔法を使った。
「ふっかぁーつ!!」
「いいから黙って寝てろ」
私は強力な眠りの魔法を唱えた。しかし……。
「効かぬわ!!」
なぜか、ますます元気になってしまった。脅威の体だな。
「なに、案ずるな。コイツを寝かせるには……」
エリナはたき火の薪を1本取り、思い切りぶん殴った。もちろん、火がついている方で……。
「ぎゃあ!!」
大げさ? な悲鳴を上げ、ルーンは地面に倒れ込む。私がやったわけじゃないぞ。
「ほら、寝ただろう。ところで、見張りはどうする。順当なら私とルーン、お前とアリスになるが……」
ふむ……。
「起きている奴が先に寝ろ。この無駄に元気な奴と私が先にやるから、アリスとお前で組め」
私は大きくアクビをした。眠いわけではない。念のため。
「分かった、そうしよう。片付けたらさっそく寝る。すまんが頼んだ」
そして、残った飯をアリスと2人で全て平らげ、片付けを済ませたのちに、アリスとエリナはテントに入った。
「……一応、回復魔法使っておくか」
あんまりと言えばあんまりなので、テントの中が寝静まった頃、私はルーンに回復魔法を掛けた。これでは凍死しかねん。
「復活……」
うむ、元気がないな。なんとなくありがたいが気持ち悪い。ちなみに、寝ている間に投げナイフの在庫は全て処分してある。
「なんだ、元気がないな」
私がそう言うとルーンは半泣きになった。
「だって、お姉様が私の弱点殴ったんですよ。火のついた薪で!!」
そこまで覚えているのか。大したものだな。
「それはまあ、そうしなきゃ止まらなかったからな。お前」
私はポツリと言った。
「昔なんですけど、ここは家が火事で全焼したときに、酷い火傷を負いまして……。私以外は全員亡くなったのですが、ここに火を当てられると気絶しちゃうんです。記憶の逆流に耐えられなくなって……」
……なんだ、随分ヘビーな話しだな。
「それだけ聞くと、エリナは極悪人みたいだが……」
私は率直に言った。
「とんでもない。お姉様はいい人ですよ。時々、記憶から重要な事が飛んじゃうみたいですけど」
……フォローしてるのか。それは。
「まあ、お前とエリナの関係にはさほど興味はないが、どうせ暇な時間だ。ゆっくりと話しを聞く時間はある」
そして、ルーンは語り始めた。過去の話を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます