第30話 アリスの生還
エリナが転がり込んでから、一週間ほど経過した。相変わらず、アリスは目を覚まさない。呼吸だけしている状態だ。近くの医師が付きっ切りで様子を見ているが、今のところ良くも悪くもないらしい。
「さて、アリスはいいとして……」
私は切り株に腰を下ろし、エリナの魔法練習を見物していた。書物を片手に色々試しているようだが、こちらも良くも悪くもないといった感じだ。今のところ、明かりを作れるようになったくらいだ。
「まあ。平和で何よりだな……」
私はのんびりひなたぼっこを楽しむことにした。やる事がない猫は大体寝る。そういうものだ。そのまま時間が経ち、寒さで目を覚ますと時刻は午後になっていた。
ようやく温かくなってきた最近ではあるが、昼を過ぎると一気に気温が落ちる。まだ春は遠いな。
「おーい、そろそろ切り上げろ。風邪を引いたら元も子もない……」
ドォォォン!!
やったか。ポンコツ二号。自分で使った魔法で、はるか彼方にぶっ飛んでいった。全く、自分の足下に爆発点を設定してどうする。
「さて、回収に行くか……」
私は馬車を引き出し、雪原を走っていったのだった。これが日常である。
「ふむ、子供がいなくなったのだな?」
飛び込んできた肉屋のオバチャンが、半泣きで目の前に座っている。
「はい、ちょっと目を離した隙に……」
まあ、話しは簡単だ。子供がいなくなった。探して欲しい。以上。
「分かった、やってみよう……」
「よろしくお願いします」
何度も頭を下げ、オバチャンは去って行った。
「よし、アリス……はダメだったな。エリナ!!」
「どうした?」
煖炉近くで洗濯物を干していたエリナが返してきた。
「ちょっと仕事してくる。大人数で行くほどの事はない。留守番を任せたぞ」
私はソファから床に下り、玄関に向かった。
「わかった。気を付けろよ」
そんなエリナの声を背に、私はドアに設けられている猫専用出入り口から通りに出た。
なにせ、微妙に街道から離れたこの村は、旅人などほとんど来ない。10件少々の家を廻る聞き込み調査など、すぐに終わってしまった。
「不審人物はなし。連れ去られた形跡もなし。となると、やはり村の中か……」
相手は十才にもならないらしいガキンチョだ。どんな隙間でも入ってしまうだろう。出られるかは別にして……。
「やれやれ、片っ端から潰していくか……」
サイズを私基準にしてはいけない。人間の子供が入り込めるスペースだ。この村にそう多くはない。とりあえず、私は村で1番大きな下水管に潜り込んだ。
「全く、なんという日だ……」
村中の全ての排水が集まるここは、当然汚かった。四つ足で歩いていられる水深ではなく、汚水の中を泳いで進んで行く。勘違いされているようだが、猫もちゃんと泳げるのだ。
しばらく進むと、淡い光を放つ魔方陣が見つかった。まずい、この先は……。
「汚水処理場に転送だ」
私は迷わずその転送魔方陣を踏んだ。軽い酩酊感の後、私は急流に巻き込まれた。ありとあらゆる配水管から汚水が流れ落ちている。その流れが私を押し流すが、問題の子供二名を確認。ゴミを取り除く網に引っかかっていた。一刻の猶予もない。私は魔法で巨大な魔方陣を描く。そして……。
「転送」
私は巨大な網ごと村に転送した。さすがに網が大きいので、村の外に転送ポイントを設定した。
「このイタズラ坊主ども。危うく死にかけたんだぞ!!」
私はあえて強い口調で言った。泣きじゃくる子供。今は説教しても無駄だろう。そこに、肉屋のオバチャンが飛んできて、二人を思い切りぶん殴った。グーで。
「ありがとうございました。報酬は後ほど……」
報酬? 前金でもらっているはずだが……。
釈然しないまま家に帰ると、私はまずシャワーを浴びた。念入りに洗ったつもりだが、それでも臭い……気がする。
「全く、あのガキども……」
つぶやいたときだった。玄関のドアがノックされた。
「エリナ、すまん。開けてくれ」
エリナがドアを開けると、そこに立っていたのは肉屋のオバチャンだった。
「あのこれ……追加の報酬です」
肉屋のオバチャンはなにやら細長い紙を三枚差し出した。
「こ、これは、『猫と野獣』のチケット。しかも、S席!?」
それが演劇のチケットである事は分かっている。入手困難とも聞いている。しかし、「猫と野獣」とはどんな演目なのだ。気になるといえば気になる。
「報酬は前金で全額受け取っている。追加の報酬は不要だ。そのチケットは家族のために使え」
私が言い切ると、エリナは不満そうな顔をしたが、なにも言わなかった。
「えっ、でもたった金貨三枚で……」
肉屋のオバチャンは困惑しているようだ。
「金貨三枚で引き受けたのだから、内容はどうあれ報酬は金貨三枚なのだよ。もちろん、金額によらず全力を尽くす。それが私のルールだ」
私は玄関まで移動した。オバチャンはそれでは気が収まらないと言いだし、だんだん収拾が付かなくなってきた。やれやれ、恩を押しつけられてもな……。私は実害のない、派手な音がする魔法を使った。ヒートアップしていたオバチャンが、一気に静かになった。
「それをもらうのは簡単だが、ルールに反する。悪いが帰ってくれ。家族で鑑賞するといい」
私がそう言うと、オバチャンはそっと帰っていった。
「受け取っておけばいいのにな。高値で転売出来たのに」
エリナは苦笑した。
「その考えがいかんのだ。金貨三枚で受けたら、途中で何があっても金貨三枚。後になってもらうのは性に合わん。よって、全額前金でもらう。なにか問題あるか?」
私はエリナに返した。
「まあ、考え方は人それぞれだ。文句は言わんが堅苦しいやつだな」
エリナがまた苦笑する。
ふん、なんとでも言え。
どのときだった、アリスの様子を見ていた医師が部屋から飛び出てきた。
「おい、アリスが目を覚ましたぞ!!」
私はもちろんエリナまで部屋にダッシュする。
「おい、アリス!!」
ベッドの脇に駆け寄ると、アリスがゆっくりとこちらを見た。
「あれ、先生? なんだか顔が怖いですが……ぎゃあ!?」
私は猫パンチ(爪出し)を放っていた、何発も食らわせ気が済んだときには、アリスの顔はボロボロになっていた。
「な、なにするんですか。メチャクチャ痛いですよ!!」
よし、いつもの調子だ。これがないと始まらない。
「お初にお目に掛かる。私は王宮魔法使いのエリスだ。故あってここでお世話になっている。私は告知するようにしているのだが、一度死んだのだよ。腕は動かせるか?」
「は、はい……」
エリナの声にアリスがヨロヨロと腕を上げた。
「よし、上出来だ。次は足……」
エリナの確認作業は数十個に及び、アリスはすべてクリアした。
「よし、いいだろう。後遺症なしか。驚くべき対毒耐性だな……」
エリナがザラッといったが、こういうときのコイツは本当に驚いている。
「こいつから頑丈さを取ったらなにも残らん。さて、アリスよ。使い魔契約を復活させてもらおうか。落ち着かなくていかん」
意識を取り戻したばかりであれなのだが、どうも落ち着かないのだ。
「あれ? 切れちゃってますね。誰が……」
「お前だ!!」
私は怒鳴った。全く、他に誰がいる。
「無理もない。誰でも死ぬ間際の記憶などないものだ」
エリナがいつも通りぶっきらぼうに言った。
「よっと……」
アリスはベッドから下り、点滴をガラガラ引っ張りながら、おぼつかない足取りでリビングにいった。
「なんかフラフラしているが、大丈夫なのか?」
私は医者に聞いた。
「なに、一時的なものだ。飯食って寝れば治る」
……そうか。
「先生、こっちに来て下さい」
室内にはすでに魔方陣が描かれていた。エリナが興味深そうに見ている。
「魔方陣の中央へ……」
私は素直に従った。強力な魔力の流れを感じる。
「では、いきます!!」
どこにあったのか、アリスは杖を構えて呪文を高速詠唱する。そして……。
「!?」
この馬鹿野郎!! 目を閉じて突き出されたアリスの杖は、まるで狙っていたかのように私の……その、肛門に突き刺さった!! そして、そのまま膨大な魔力が爆発し、私の意識は遠くなっていったのだった……。いつか……殺す!!
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