第22話 激怒の「先生」

 応援にやってきた船は旧型船ということで、やや……いや、かなり庶民的だった。文句を言う客もいたようだが、私はこの方がいい。割り振られた部屋で、静かに例の航海日誌を読んでいた。

「なあ、二百年前の海図はあるか?」

 私はベッドでグデッとしていたアリスに聞いた。

「え? ありますよ」

 なんと、予想と反対の答えが返ってきた。

「なんでそんなものを持っているのだ?」

 聞いておいてなんだが、私はアリスに返した。

「歴史物の本が好きなら必須です。えっと、二百年前……これですね」

 アリスは空間に「ポケット」を開き、古びた大きな紙を取り出した。テーブルでは狭いので、床に海図を広げる。

「この航海日誌によれば、リース王国ポートヘルファストを出発している。概ね順調な旅だったようだな……」

 さすがにこれにペンで書き込みをするわけにはいかない。私は魔法で線を描いて行く。当初の予定では大洋を横切り、反対側の大陸に向かっていたようだった。

「当時は旅客船のスピード競争が行われていたみたいです。たった1日か2日しか変わらなかったようですが、それが重要な事だったみたいで……」

 下らんな。実に下らない。

「人間は『最速』という言葉に弱いんです。その船のステータスみたいなものでしたしね」

 ふん、本気で下らないな。

「まあ、順調だったようだが……うん?」

 航海日誌によると、最終ページの二日前に岩礁に衝突した記録が残っていた。点検の結果、問題なしとして航海を続けたようだが、結果として岩礁と衝突した事で船体に亀裂が入り、それでも無理に高速航行を続けた結果、船体はバラバラになって沈没した。日誌の最終ページには、緊迫した状況が細かく記されている。

「沈没地点がわかったぞ。ここだ」

 私は海図に大きく×を付けた。

「に、二百年も謎だったミステリーが、たったの十分で……」

 アリスが唖然とした様子で漏らした。

「なに、航海日誌まであって解けない方がおかしい。まさかと思うが、行くとか言うなよ。断固拒否するからな」

 私は先手を打ってアリスに言った。

「分かってますよ。この事はミステリーのままにしておきましょう」

 アリスは小さく笑った。

「では、休もうか」

「はい、くたくたです」

 私とアリスは随分と庶民的になったベッドに潜り込んだ。


 早朝……。私はそっと起きだした。特にやる事はないのだが、我々が最も活発に動く時間は夜明け前だ。獲物の鳥たちが活動を開始するからだ。

 船の到着予定は波次第だが、一応昼頃になっている。

「さて、どうしたものかな……」

 部屋のドアは施錠され、外に出ることも出来ない。

「やれやれ……」

 私は船窓下の特等席で外を見る。かなり荒れているが大丈夫だろうか? もうアトラクションは勘弁だ。

「あれ、先生早起きですね」

 しばらくボンヤリしていると、アリスが起きだしてきた。

「お前の方こそ早いな。なにか用事か?」

 アリスに聞くと、首を横に振った。

「いえ、早く寝ちゃったので早く起きてしまっただけです」

 なるほど……。

「つまり、暇なわけだな。眠気覚ましに甲板でも行くか?」

 アリスは首を縦に振った。

「はい!!」

 部屋から甲板まではすぐだ。重たそうにアリスがドアを開けた瞬間、猛烈な風が吹き込んできた。

『これは、なかなかですね』

 アリスが思念会話で言ってきた。何度やっても気持ち悪いな。これは……。

『ああ。戻るか?』

 私も思念会話で返す。恐ろしく寒い上に景色も見えない。甲板に出る意味がない。

『いえ、少し歩きましょう。せっかくですから……』

 要するに、私もアリスも暇していたのである。

 寒風が吹き荒れる中、ただ寒いだけの散歩が続く。甲板の最後部まで到着すると……特になにもない。当たり前だ、なにかあったら困る。

 しばらく海を眺めていると、不自然な「出っ張り」が船を追尾してきていることに気がついた。

『おい、あれはなんだ?』

『ほえ?』

 ダメだ、アリスは当てにならない。いつもの事だが。私は静かに召喚術の準備を始めた。その時だった、派手に飛沫を上げながら出現したのは、巨大な「イカ」だった。

「ほう、クラーケンか……」

 海のお約束だ。アリスの家で暇つぶしに読んでいた物語には、必ずといっていいほどこれが出てきた。クラーケンと人間の恋愛物なんていう恐るべきものもあった。それくらい有名な魔物である。

「あわわわ!?」

 いつも通りアリスはプチパニック状態に陥り、まったく使い物になりそうにない。召喚術士としては失格だ。

 さて、何を呼ぶか。一発で仕留めても面白くないな。


『船長よりお客様へ。本船後方に魔物が出現しました。船室でお待ち下さい!!』


 そんな船内放送が聞こえた。馬鹿者、逆効果だ!!

 案の定、魔物を一目見ようと乗客たちが集まってしまった。

「クラーケン!!」

 私は全く同じ魔物を呼び出した。そして、取っ組み合いの喧嘩が始まる。どちらか分からなくなるので、召還したクラーケンは赤く染めておいた。

 まさに怪獣同士の戦い。これは熱くなるだろう。

「はい、天然ものが勝つと思う方は白札を、召喚ものが勝つと思うか方は赤札を!!」

 いつの間にか復活したのか、アリスが集まった観客の間だを革袋を持って歩いている。

「勝手に賭博を始めるな、全く……」

 この戦いに八百長はない。巨大イカたちの殴り合いは延々と続く。ちなみに、イカやタコは猫には禁忌である。与えないように。

「おい、アリス。胴元なんてやってる暇があるなら手伝え」

 こちらのクラーケンが、やや押され気味だ。私は叫んだのだが……。

「ダメです。胴元が手を出したら反則です!!」

 ……この馬鹿者。

「お前は召喚術士だろう?」

「それ以前に人間です!!」

 ……なんだそれは。まあ、あとできっちり締めるとして、とりあえず押され気味の真っ赤なクラーケンの制御に入る。掛けなど知ったことではない。私はもう1体クラーケンを呼び出した。

「おっと、ここでもう1体乱入~!! ベット変更は1分以内です!!」

 アリスの馬鹿声が、風の魔法によって拡散されて消えて行く。まあ、好きにやるがいい。今のうちにな。

 1対2。アンフェアだが致し方ない。これは戦闘なのだ。出し惜しみしている場合ではない。さすがにこれにはまいったか、天然の方のクラーケンが撤退を始めた。深追いするつもりはない。船から離れたらそれでいい。

「おい、なんだよ。どっちが勝ちなんだ?」

「掛け金返せよ!!」

「血を見せろ血を!!」

 勝手に観戦していた乗客たちが、一斉にアリスに詰め寄る。

「せ、せんせーい!!」

 アリスの悲鳴が強い風を割いて聞こえた。

「まあ、頑張ってな」

 小さく言い残すと、私は船内に入りエントランスホールで適当な場所を見つけ、そこで丸くなったのだった。


 ようやくというか何というか、我々はようやくトネリコシーパラダイスに到着した。なにが船で二日だ。一ヶ月くらい旅した気分だぞ。

「なにか、変に感慨深いものがありますね」

 船を下りると、ぼこぼこに殴られたアリスがポツリといった。私が殴ったのではない。ほれ見ろ、慣れない胴元などやるからこうなる。呆れて回復魔法を使ってやる気もしない。自分でも使えるしな。

「ああ、なにか遠い異国にでもきた気分だな」

 長かった、ここまで本当に長かった。もう、当分船旅は結構である。明日にはまた帰りの船と考えるとかなり気が重いが……やれやれ。

「とりあえず、桟橋にいてもなにも始まらない。私たちは奥へと進んだ。すると、入場ゲートでトラブルが発生していた。

「入場できないって、どういうことだよ!?」

「ふざけるな!!」

「上の人間だせ!!」

 様々な怒号が飛び交う。やれやれ、ここに来てまたトラブルか。

 とりあえず、私たちは入場ゲートに来てチケットを見せた。笑顔で確認した受付はいきなり顔を曇らせた。

「申し訳ありません。ご入場いただけません」

「どういういう事だ?」

 キーキー言いそうなアリスを手で制して、私は受付に聞いた。

「はい、お客様の船が大幅に遅れてしまったため、正規料金をお支払い頂いたお客様と後の船のお客様でホテルが満室になってしまいまして。この券は無効にせよとの指示が出ております。お帰りの船はスィートをご用意致しますので……」

 そして、受付は無料宿泊券を破り捨て、帰りの乗船券を差し出した。

「ふん、つまり勝手に無料券など作っておいて、ちゃんと金を払った奴だけを相手したいのだな。こちらには落ち度のない状況でもな。アリス、帰るぞ」

 私は文句を言いそうなアリスを蹴飛ばし、桟橋に戻った。

「なんで、文句の1つも言わないんですか!!」

 アリスが思いきり文句を言った。

「……聞くが、この対応でここにいたいと思うか?」

 私が静かに言うと、アリスは黙った。

「そういうことだ。まあ、落とし前は付けさせて貰うが……」

 私たちは帰りの船に乗り、まずは部屋の確認。確かに広くて快適そうだ。

「甲板に行くぞ」

 私の声に無言で従うアリス。そして、船は静かに走り出す。帰りはもちろん最新鋭船だ。適度に離れたところで、私は召喚術を使った。

「リバイアサン!!」

 水竜リバイアサン。それがもたらすものは……巨大な波だった。あの島くらい軽く吹き飛ばせるほどの……。

「満足したか?」

 私はアリスに聞いた。

「はい、とっても満足です!!」

 こうして、トネリコシーパラダイスはこの世界から消えた。滞在二十分。まあ、いいだろう。こういう事もある。なるべく死傷者は出さないように心がけたつもりではあるが、いけ好かないので手加減はしていない。

 そう、猫を怒らせたら怖いのだ。努々気を付けるように。

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