第20話 時代の置き土産

「つまり、港に着い時には、すでにハマっていたわけだな」

 船室に戻り、私はアリスに言った。

「そうですね。なんの違和感も感じずに乗船できましたし……」

 乗船時を思い出す。確かに違和感はなかったな。

「今思えば、あの港からおかしかったです。海辺だからかなと思ってなにも言いませんでしたが、雪が全く積もっていなかったのです」

 ……そうだったか? まるで記憶にない。

「まあ、いずれにしても情報不足だ。まずはこれを読んでみよう」

 それは、操舵室にあった航海日誌だった。これを読めばなにか分かるかもしれない。

「そうですね。今のところ手がかりらしい事はそれしかありません。

「最終は……二年前の夏か……」


『嵐だ。嵐が来た。もうもたない!!』


 前日まではちゃんと書いてあったが、最後だけ酷い字で殴り書きされていた。よほどの事だとこれだけで分かる。

「アリス、確かにこの船は二年前の夏に嵐に遭っている。そして、恐らく沈没したのだろう。この日誌が全てを物語っている」

 私はパタリと日誌を閉じた。

「イタズラであってほしいですね」

 ……まあ、アリスの反応ももっともだが。

「誰がなんのために?」

「それは……」

 そう、私たちにイタズラを仕掛ける意味がないのだ。誰が得をする?

 アリスは言葉に詰まり固まってしまった。どこからともなく聞こえてくる機械音が徐々に弱まり、やがて無音になった。船体を波が叩く音だけが聞こえてくる。

「どうやら到着のようだな。『私たちのトネリコシーパラダイス』にな」

 私はわざと明るく言って、ニヤリと笑った。アリスが今にも死にそうな顔をしていたからだ。

「とりあえず、船を下りよう。ここにいても始まらん」

「はい……」

 船室から出ると、相変わらず豪華なロビーを横切り、乗降口へ。先ほど廻った時は頑なに開かなかったドアが、今は勝手に開いている。どこからともなくタラップまで用意されていた。

「さてと……」

 扉をくぐるとまさにそこはパラダイスだった。廃船のな……。

「なんだか臭いキツいですし、色々厳しいところですね……」

 アリスが露骨に嫌な顔をした。真っ暗な空には時折燐光のようなものが走り。朽ちかけの桟橋には、なんのためかちゃんと照明まで付いている。アトラクションなどこれで十分だ。私たちはゆっくり桟橋を歩いて行く。小型の船が大多数だが、中には巨大な船もある。

「……グリモニック号。今から二百年間に大洋上で消息を絶った豪華客船です」

 アリスが震えた声でいう。

「詳しいな」

 私が聞くと、アリスはカクカクとうなずいた。

「有名な話しです。当時の最高技術を結集した船が、その処女航海で消息不明になったのです。今もまだ遭難海域すら特定出来ないって、雑誌のミステリー特集では定番ですからね……」

 ……そんなものか。私のいた世界では、なんといったか、ほら、そう。インスタ辺りで「難破船発見イェーイ!!」とでもやるべきところか。えっ? なに、人間の情報は重要だ。ある程度知っておいて損はない。下らんがな。

「なるほどな。では、そのミステリーにチェレンジしてみるか。お呼ばれしているようだしな……」

「えっ?」

 アリスが声を上げた。そのなんとか号の乗降口にはタラップがかけられ、まるで手招きするかのようにドアがブラブラしている。

「いや、ちょっと……」

 アリスが本気で嫌そうな顔をしている。しかし、手がかりは多い方がいい。

「なにを怖がる。二百年前に消えた船が目の前にあるのだ。入らぬ手はないだろう?」

 単に好奇心だけではない。他にめぼしい船も見当たらない。廃船巡りをしても意味ないだろう。

「ふぅ……分かりました。行きましょう!!」

 一息ついてから、アリスは力強く言った。よし、そうこなくてはな。

 錆びだらけのタラップを登ると、そこは往時の豪華さを伝える船内だった。

「さすがに気合い入った豪華さですねぇ」

 アリスが呆気にとられながら言った。

「アリス、よく考えろ。この船は二百年も前に消息不明になった。誰も手入れしていないのに、床までピカピカだ。なにかあると思ってかかれ」

 アリスはなにも言わずに包丁を抜いた……せめてナイフなら、まだ格好付くのにな。

 そして、誰もいない船内の探索が始まった。私たちが乗ってきた船も豪華だったが、こちらはそんなものではない。半端ない気合いの入れようである。人間というのは、どこまでも桁外れの事をやってのける。

「やはり、誰もいないですね」

 アリスがつぶやく。

「いたらいたで怖いがな」

 私たちは広大な船内をひたすら歩く。どこにも異常はないという言い方はおかしいが、これといってなにもなかった。機関室など、まだ真新しい油の匂いがする巨大な機械があったくらいだ。完全に時間が止まっているといっていい。

「さて、最後の部屋。操舵室だな……」

 アリスは威勢良く構えた……包丁だがな。

「行くぞ」

 ドアに鍵は掛かっていなかった。そっと室内に入ると、機材こそ時代を感じるが、まだ真新しいままそこに色々並んでいた。まず真っ先に探したのは航海日誌だ。船の全てはここにある。それは……すぐ見つかった。

 日誌を開けた瞬間、勝手に一番最後のページまでめくられた。そこにはなにも書かれていない白紙だったが。いきなり赤い文字が浮かび上がった


『ごきげんよう。キンサシャでも会ったな。お前たちは巻き込まれやすいようだ。全て『時代の置き土産』のような物だ。君たちを送ろう。本来あるべき場所に。また会わない事を祈って』


 ……ふん。長生きしてみるものだな。

 数秒後、軽い酩酊感ののち、私たちはどこかへ飛ばされた。

「っと、ほう。ここは船着き場か……」

 見覚えのある場所、見覚えのある光景、そして人……何もかも全てが懐かしくさえ思えるが、私たちは「帰って」来た。

「ん? あれここ!?」

 素早く包丁をしまったアリスが、素っ頓狂な声を上げた。

「ああ、戻ってきたようだな」


『最終便のご案内です。トネリコシーパラダイス行きにご乗船の方は、お急ぎ下さい!!』


 係員が声を上げながら待合室内を廻っている。

「……どうします?」

 あれほど行く気満々だったアリスが、微妙に腰を引いている。

「なに、大事はない。予定通り行こうではないか。急ぐぞ」

「はい」

 慌てて手続きカウンターに行くと、いらっしゃいませと声を掛けられた。

「……あれ、1度乗船手続きされていますね。13時? その時間の便はないはず……受付者はポール……課長!?」

 後ろからスーツ姿の紳士が近寄ってきた。

「ほう、これは驚いたな。今でも覚えているよ。この仕事で初めて手続き業務を行い、送り出した船が嵐で沈没したのだから……。それがきっかけで、この時間帯の便はなくなったのだが……世の中には不思議な事があるものだな」

 そういって、紳士は便の覧にシャッと赤線を引き、余白に次の便の時刻と担当者のサインする。

 私の目には分かる。便の時間が違うだけで、筆跡は全く同じである事が。

「良い旅を。ゆっくり楽しんで」

 紳士は小さく笑った。

「なあ、アリスよ。世の中には分からぬ事も多いな。

 私は手に持っていたあの船の航海日誌をポンと叩いた。最終ページを開いても、もうあの赤文字はない。

「それ持ってきちゃったんですか!?」

 アリスが思いきりビビリながら叫んだ。

「誰だか知らんが、置く間すら与えられなかったからな。まあ、いい。旅を楽しもうではないか」

 こうして、私たちは船上の人になった……この世界のな。

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