第15話 出発

 出発前夜。アリスは馬車へ食料など必要品の積み込みと整備を行っていた。

 私も手伝いたいが、この身ではなにもできない。こうやって、時々人の身がうらやましい時がある。まあ、言っても始まらんがな。

「これは、交換しかないですね……」

 ペンチを片手に針金と格闘していたアリスが、ついに根負けして放り出した。そう、あの針金だ。気持ち悪いからと引き抜こうとしたのだが、その試みは失敗に終わった

「まあ、馬車の走行に問題があるわけではない。とりあえずそのままにしておこう」

 私はパイプを吹かした。

「そうなのですが……やはり気持ち悪いです!!」

 あの村が実在した証拠だ。私とて気持ちがいいわけではないが、無駄な時間を食っている場合ではないだろう。

「それにしても、ちょっと積み過ぎではないか? 馬車で半日なのだろう?」

 アリスが馬車に積み込んだ荷物は、先日南に向かった時とほぼ同量だ。いくら何でも慎重過ぎる気がするが……。

「念には念を入れてです。私は孫の代まで使えるほど、食料や水を積み込むことで有名なんです」

 ……そうか。

「まあ、いいだろう。で、この装備はなんだ?」

 私は全身防寒着に覆われていた。なぜか、専用の夜間対応双眼鏡まである。安くはなかったはずだが……。

「はい、急ぎで作ってもらいました。これで、どんな寒波が来ても大丈夫です!!」

 天然の防寒着があるのだがな……。マイナス30度でも平気だというのに。

「まあ、ありがとうと言っておこう。それで、こんな夜遅くまで粘っていいのか? 明日は早いはずだが」

 もう日付が変わろうとしている。これからの私と違い、アリスはもう寝る時間のはずだが……。

「確かに早いですが、整備不良で立ち往生じゃ話しになりませんので」

 もうどこを整備するのか分からないくらい整備していると思うのだが……なんと言ったか、石橋を叩いて渡るだったか? まあ、石橋をたたき壊さない事を祈るのみだ。

 こうして、アリスの整備は明け方近くまで続いた。


 夜明け前、私たちはルクレールに向けて発った。過剰装備で過剰整備の馬車は当然のごとく順調に進んでいるのだが……手綱を握っているのは私だった。アリスは隣ですっかり寝ている。まあ、無理もない。それ見たことか。

私は椅子に置いた地図と方位磁石を頼りに馬車を進め、新兵器である双眼鏡で遠方を見ながらユルユルと馬車を進める。想定以上に積雪があり、無茶をすると重たい馬車がめり込む恐れがあるのだ。だから、積み過ぎと言ったのに。

 しかし、それにしても街が見えてこない。ルクレールは南部地区最大の街と聞いている。そんなもの見落とすはずがないのだが……。

 その時だった、方位磁石の針が異常な勢いで回転をはじめ、いきなり進路が分からなくなった。

「おい、アリス。起きろ!!」

 寝かせてやりたいが緊急事態だ。私は即座に馬車を止めて、アリスに軽く猫パンチを見舞った。

「うーん。あれ、どうしました?」

 目をコシコシしながらアリスは目覚めた。

「よく分からないが、急に方位磁石が役に立たなくなった」

 私は狂ったように回転を続ける方位磁石を示した。

「ああ、『マルスの樹海林跡』ですね。この辺りの地質が原因らしいのですが……って、ええ!?」

 アリスが跳ね起きた。

「先生、だいぶ進路がずれています。マルスの樹海林跡といったらここ。街はここです!!」

 地図上を走るアリスの指が、相当目的地と離れている事を示した。何たる失態。いつになっても着かないわけだ。

「……すまんな」

 謝るしかないだろう。これは。

「先生が気にする事ではありません。あとは私に任せて下さい!!」

 やたら朗らかに言うアリス。

 ……普通、気にすると思うが。

「さて、行きましょう!!」

 アリスは馬車の向きを180度変え、ひたすら進んで行くのだった。


「アリス、本当にここでいいのか。どう見ても山道だが……」

「……」

 日も暮れようかという頃。私たちは山道の登り口にいた。

「先生、ここどこだか分かります?」

「……分かると思うか?」

 最初のミスは私だ。それは認めよう。しかし、これはアリスのミスだ。

「とりあえず、このまま登ります!!」

「おい、しっかりしろアリス。街までに山などなかっただろう」

 私は慌てて止めたのだが……。

「いえ、こっちで大丈夫です。精霊がそう言っています!!」

 ……なんの精霊だ?

 そして、馬車は山道を登り始めた。勾配がきつく道幅も狭い、そして平地より深い積雪が襲いかかる。しかし、アリスの馬は素直に言うことを聞いた。そのまま進む事しばし。登山道が少し広くなった場所で、日没を迎えた。今日はここまでだ。危険過ぎる。

 例によってアリスが手早く野営の準備を追え、たき火に当たりながらの作戦会議となった。

「恐らく、ここだな……」

 この世界の地図は荒い。街や村。主立った街道くらいしか書いていない。しかし、大きな山くらいはかいてある。私が示したのは、そのうちの1つである「カルパチア山脈」だった。

「いえ、それはありません。冬期でなくとも半年はかかります。恐らく、この辺りの名もない山に登ったのだと思います」

 アリスの細い指が地図を走る。

 ……ふむ、なるほど。

「まずは、この山をこれ以上登るか引き返すかだな。お勧めは引き返すだが、お前に任せる」

 私が知らぬ土地だ。アリスの少し残念な頭にかけるしかない。

「このまま登って反対に下ります。この辺りはこういう山が多いので、迂回するとかえって手間が掛かります!!」

 ふむ、反対まで道があるといいな……。

「決まったな。では、お前は寝ろ。いつまでも寝ぼけられたら命に関わるからな」

 私は眠そうなアリスに言った。

「はい、ではお先です」

 まさか使うと思っていなかったテントに入り、中から微かに寝息が聞こえて来た。

「全く、無理するからだ」

 1人つぶやき。私はたき火を見つめる。これはまた、とんだ旅になったものだ。やれやれ……。


 翌朝も天気は晴れ。日が昇った早々に出発し、一路山頂に向かって突き進む。いかほど進んだ時だったろうか。馬が急にいななき止まった。

「あれ?」

 アリスがつぶやいた時、空から巨大な生き物……ドラゴンが舞い降りてきた。

「ええええ!?」

 さすがに予想しなかったか、アリスが悲鳴染みた声を上げた。

「これは失礼しました。あなた方は話しが分かる方々と思い、はせ参じました。この先には進まないで頂きたいのです」

 またもや驚きだ。ドラゴンが普通に話してきた。

「ふむ、なるほど。その理由を聞かせて頂きたい。こちらも急いでいるのでな」

 私はドラゴンに問うた。

「はい、卵があるのです。守り通さねばなりません。ですから、ぜひこのまま下山して下さい」

 ……そういう事か。

「その卵が孵るまでどのくらいだ?」

 私はもう一度ドラゴンに聞いた。

「人間の単位で……およそ1週間です。もう少しなんです」

 なにか嫌な事でもあったのか、悲壮感すら漂わせてドラゴンが言う。

「分かった。その間私たちが協力しよう。これでどうだ?」

「ちょ、先生!?」

 アリスが声を上げたが無視した。

「えっ、人間が卵を守って下さるのですか? いつも盗みに来て困っているのに」

 ……それでか。妙に必死なのは。

「私は猫だ。そして、こっちはポンコツな主だ。ドラゴンの卵に興味などない。その代わりここを通して欲しい」

「あ、ありがとうございます。これで私も気が楽になります」

 心底安堵した様子でドラゴンは言った。

「では、先に戻ってお待ちしております。ありがとうございます」

 言うが早く、ドラゴンは空に舞い上がった。

「さて、そういうわけで先を急ぐぞ」

 私の言葉にアリスがうなずいた。

「いいんですか? ドラゴンの卵を守るなんて……」

 豪快に雪をかき分けながら。私たちの馬車は突き進んでいく。外から見たら、さぞかし勇壮な光景だっただろう。

「ああ、これでいい。元々は退屈な旅だったのだ。それに、これで貸しが2つだ。召喚獣として契約して貰うつもりだ」

 そう、これが私の本音だ。手札は多い方がいい。

「うわぁ、抜け目ない!!」

 ……お前が抜けているだけだ。使い魔として恥ずかしいぞ。

「そんなわけで、間違っても崖から落ちるなよ」

「はい!!」

 ざらざらと音を立て、馬車は雪上をゆっくり進んで行く。

「そういえば、山にしては動物が少ないな……」

 晴天だというのに鳥すらいない。少々不気味ではある。

「冬のこの時期は、極端に動物や魔物の活動が鈍くなりますからね。たまに冬眠し損ねた熊が……」

 唐突に咆吼が聞こえた。見ると、私たちの崖上に一頭の熊がいた。素早く戦闘態勢に入った私だったが、大事には至らなかった。

 その熊は一気に崖を降り、途中で転がり落ち、もの凄い重い音と共に路面に叩き付けられ、派手にワンバウンドして崖下へと消えていった。

「……なるほど、冬眠し損ねた熊が降ってくるのだな。気を付けよう」

 全く、動物として呆れてしまう。お前は本当に野生かと。

「……ラジオ、つけよっか?」

「分かった」

 私はアリスとの間に置いてある四角い箱のスイッチを入れた。最近になって爆発的に普及が始まったという、遠くから音声や音楽を届ける機械だ。ちょうど良く、アップテンポのマーチが流れてきた。なんとなく寒い旅行きには熱い曲が似合う。

 その曲に合わせアリスが鼻歌を歌う中、私たちの馬車は山頂に到着した。

「なんだ、ここは?」

 一面平らなところにベンチなどが置いてあり、さながらちょっとした公園という感じだ。

「……」

 アリスは馬車から飛び降り、公園? の中央に立ていた石碑のようなものに駆け寄った。やや遅れて、私もそれに近づく。


『キリドール山山頂 標高1750メートル』

 

「……どういうことだ?」

 私の問いにアリスはその場に崩れ落ちた。

「ここで行き止まりです。キリドール山はルクレールの裏山です……」

 ……ご苦労。アリスよ。

「お待ちしておりました」

 先ほどのドラゴンが公園の隅にいた。

「ああ、待たせたな。して、卵というのは……」

 私はドラゴンに近づいて行く。すると、大きな卵が3つあった。

「特に温める必要はありません。待てばいいのですが、隙を狙って人間が来るので、気が休まりません」

 ……そういうことなら、備えておくか。

 私は山頂の四隅に特殊な石を置いた。そして、小さく呪文を紡ぐ。すると、淡い光が山頂全体を包んだ。

「これでいい。私たち以外がここを通ると派手にアラームが鳴る」

 まあ、これも魔法だ。色々と知識は入って来る。まあ、手習いみたいなものだ。

「おい、アリス。いい加減復帰しろ。場所が分かったのなら、先に街に行っていいぞ」

 私の声にアリスがヨロヨロと立ち上がった。

「そういうわけにはいきません。私もここにいます」

 もう見慣れたが、相変わらず鮮やかな手つきで野営の準備を始めている。

「さて、ゆっくりするか……」

 私は馬車に乗り、ゆっくりとパイプをくゆらせる。旅は突然迷走を始めたが。まあ、私たちらしい。気まぐれなのが我々だ。

「全く、平和が一番いいな」

 香草が上げる香に酔いながら、私は青空を仰いだのだった。

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