第7話 アリスの失踪

 アリスの頭の中にある知識は当てにならないので、私は独自に魔法や召喚術を勉強している。書架などはなく、様々な書物は床に平積みかテーブルの上に置きっぱなしなので、私でも容易に勉強出来るわけだ。

「さて……」

 ちなみに、今ここにアリスはいない。夕飯の買い出しに出ているはずだ。まあ、三十分もあれば帰ってくるだろう。今私が読んでいるのは、まあ、言ってみれば百科事典のようなものだ。雑学収集も馬鹿には出来ぬ。どこで役立つか分からんのだ。

「ふむ、我々はイエネコ科に分類されているのだな。なんとも安直ではあるが、分かりやすくて結構だ」

 当然のように開いているのは「猫」のページ。気まぐれで、我々自身の事を調べたくなったのだ。もっとも、人間が勝手に別けただけだがな。

「ほう、たった五秒くらいだが、時速八十キロオーバー。そんな同胞もいるのだな」

 私もすばしっこい方だとは思うが、このデカい猫と追いかけっこしても勝てないだろう。しかし、猫の真価は直線の速さではない。獲物に近づく隠密性、間合いに入ってから飛びかかる瞬発力、そして、確実に獲物の頸椎を一瞬で叩き折る「見切り」である。中には群れを作る変わり者もいるようだが、猫は基本的に単独行動である。「全肉食獣の中で最も高度な狩りを行うのが猫」と言われる所以がそこだ。まあ、淑女の方が圧倒的に狩りが上手いというのは、ここだけの話だがな。

「さて、もう帰ってきてもよさそうなものだがな……」

 しばしの読書を楽しむつもりが、すっかり熱中していしまい、はや一時間が経過していた。買い物にしては遅い。探しに行こうか悩んでいると、村の青年がドアをたたき壊すような勢いで転がりこんできた。

「人さらいだ。アリスは村の全員を救おうと立ち向かったんだが、一人だけ連れ去られた!!」

 ……馬鹿め!!

「分かった。村人に怪我はないのか?」

 私は本を閉じ、手近にあった柱でバリバリ爪研ぎをしながら、青年に問いかけた。

「ああ、誰も怪我していない。アリスだけだ」

 青年は肩で息をしながら言う。全く、急だったのかもしれないが警鐘くらい鳴らせ。

「分かった。あとは私が対応する」

「頼んだぞ!!」

 青年は家から出て行った。


『聞こえるか?』

 私は思念で言葉を送った。

『はい、聞こえます。ごめんなさい、迷惑を掛けてしまって』

 即座に返答が帰ってきた。私はその間にこの界隈の地図を引っ張り出した。見事に草原ばかりだが、北の方に進むと小規模な森林地帯がある。ここが臭い。

『そこは森林地帯か?』

 地図を食堂のテーブルの上に広げ、前足で森林地帯を示す。やや遠い……。

『多分そうだと思うのですが、目隠しされていたもので……。今は城塞のようなものの地下です』

 地図にそんなものの標記はない。随分昔に遺棄されたか、はたまた読みが間違っているか……。

『思念で現在位置を示す事は出来ないのか?』

 これが出来るなら話しは早い。しかし、返ってきた答えは残念なものだった。

『私からは先生の居場所が分かるのですが、先生から私の居場所は分からないと思います』

 ふむ……ならば。

『私の居場所はどこだ?』

 私はアリスに聞いた。

『えっと、今方位磁石を出すので……。南南西の方角、距離は多分……』

 アリスの示すポイントを地図に落としていく。うむ。

「なるほど、やはりこの森林地帯か……」

 地図に書いていない場所などいくらでもある。アリスからの報告で森林地帯であるとは分かったが、ピンポイントで正確な位置までは分からない。

『お前の位置が分かった。これから一撃お見舞いするから、しっかり頭を引っ込めていろ』

 それだけ言って思念通話を切ると、私は急ぎ村から出て呪文を唱えた。

 夕闇迫った虚空に二百五十六本の「火炎の矢」が浮かぶ。そう、点でダメなら面で攻めろ。

「やれ……」

 私の声に合わせ、火炎の矢は遙か彼方の森林地帯に向けて飛んでいく。猫の足は長距離走行には向いていない。それゆえに、先制攻撃を魔法に委ねたのだ。逃亡防止も含めて。

 私の制御にしたがって、二百五十六本の火炎の矢は地を這うような低空飛行で向かっている……はずだ。打ちっ放しの魔法なのでもう止まらない。


 街道を急ぎ足で歩く私の遙か前方で、派手な爆発と火炎の渦が巻き起こった。狙い通りだ。

『先生、なにするんですかぁぁ!?』

 いきなり頭にアリスの泣き声が聞こえた。うむ、あながち見当外れな場所ではないようだな。

『戦の基本は先制攻撃だ。後手に回る前に一発撃っておいただけだが、問題あったか?』

 私は当たり前の答えを返した。

『問題も何もありません。幸い崩壊こそ免れましたが、このボロ城塞をあまり刺激しないように……』

「行け!!」

 アリスがグダグダ言っている間にも呪文を唱え、今度は氷の矢を飛ばした。数は百本。切りがいいだろう?

『次行ったぞ。今度は氷だから崩壊するような爆発は起きないはずだ』

 何の問題もないはずだが……。

『だから、もうなにもしないで下さい!! 危ないですから!!』

 ……ふん、つまらん。

『分かった。では、何かあったら知らせろ』

 それだけ告げ、私は雪の積もる街道を急いだのだった。

 ……歩きにくい。

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