チューリップ〜博愛〜

第1話

[チューリップ/博愛]





みんなで仲良しこよし、なんて言葉は嘘だ。そんな薄っぺらい言葉なんてとうの昔に信じなくなった。俺の周りにはそんな仲良しこよしできる人なんか、一人もいない。

いつからこんなことになったのだろうか。人と話すことは嫌いではなかったのに。このクラスで一番の優等生である人気者に嫌われてしまったせいだ。


彼は女神に愛されたような存在であり、当然のごとくクラスのみんなにも愛された。王子様のようなキラキラとした笑顔や、人当たりのよい雰囲気、誰とでも仲良くできる、そんな彼、飯塚みちるは博愛主義者だった。皆にも博愛される存在、といっても過言ではなかったのだ。

クラス替えをして、初めて飯塚と同じクラスになった高校二年の春、俺は飯塚と初めて言葉を交わした。

そう、一方的に。

「悪いけど、僕、君とは仲良くできないんだ」

ごめんね、安井くん。と、彼は女神に愛された美貌の笑顔で残酷な言葉を告げたのだ。俺が何かしたのだろうか。席だって、最初は名前順だからむしろ離れている方なのに、わざわざそんな残酷な事実を告げるために博愛主義者はここまでやってきたのだろうか。そうとしか思えない。

そうすると一転して、前後の席になって話していたクラスメイトたちは、俺に話しかけてこなくなった。一体、どうして。

俺の高校生活は、この一言で破綻してしまうのだろうか。絶望という言葉と感情が頭の中をすぐに侵食していったのだった。




ああ、またか。

窓際の机は水浸しで目も当てられない状態だった。椅子には雑巾が水浸しで、とても座れる状態ではない。

最初はヒステリックにでもなってクラスの人間に当り散らしたりしてやろうか、と考えたりもした。けれどそんなことをしたところで奴らの思う壺だし、ますますエスカレートするのではないかと考えて、諦めようとした。彼らが飽きるのを待とうとしたのだ。

だがそんな状態も放置ばかりできないようになってきたのだ。恥ずかしい話、最近食事も戻すようになってしまったし、何より授業中にもストレスしか溜まらないのだ。クラスでも誰にも関わらないように、できるだけ誰とも顔を合わせないように生きてきて、自分も気にしないでいこうとひらきなおろうとした。だが、存外人間は鈍感でもないらしく、やはり精神的にはどんどん弱っていった。

それもこれも、あの飯塚のせいなのだ。

初めて接触をもってきたあの日から約一ヶ月が経とうとしていたが、俺はもう限界だった。両親には顔色も芳しくない息子に何かあったのではと思ったのだろう、いろいろ探りを入れてきたが、なぜかそういう時は意地を張って心配をかけまいと、無理にでも笑顔を作って学校には登校した。ただし、保健室に通った。幸い保健室の先生は俺のとりとめのない、うまくない話を聞いてくれたし、相談に乗ってくれた。

俺のことを見て、話しを聞いてくれた人はこの一ヶ月で、この学校では先生だけだった。


「辛い時は、大人を頼っていいから」

そう言って頭を撫でてくれた先生の言葉でいろんな感情が一気に押し寄せてきて、俺は一ヶ月ぶりに泣くことができた。感情を押しとどめていたんだ、とそこで初めて気づいたのだ。

「あ、りがと…ざいます…」


震えて出た言葉に対して、先生は頷いて「どういたしまして」と返してくれた。





ある日保健室に登校すると、ノックをしても誰の返事もなかった。そういえば先生は今日は午前中は出張で不在だと言っていた気がした。ならば俺の天下だ。少しばかりベッドで休んでもいいだろう。そうして俺は奥のベッドにこもって、しばし一人の時間を過ごそうと決めたのだった。


一限目開始のチャイムが鳴る。確か現国だったような。勉強は面倒だがそんなに嫌いでもなかったんだけどな。高二になってから、授業中も上の空だったから、正直成績は芳しくないだろうし、何より出席日数が足りるかが問題だ。いつまでもこの状況が続くわけはないし、自分で何かしらの現状打破をする方策をそろそろ考えないとなぁとはうっすらと思ってはいる。けれど、今この一人の時間は、消毒液のにおいが鼻をくすぐるこのベッドで休ませてくれたっていいだろ。俺は疲れたんだ。


すると、程なくして扉の開く音がして誰かがやってきたのだ。

保健室なんて人が来てることなんてほとんどなかったのに。まあ、有名人に嫌われた俺がいるから、誰も近寄らなくなったという方が正しいか。


ならば俺は出て行かない方がいいだろう。俺となんて関わりたくもないだろうし、なんてったって保健室の先生が不在なんだから、用はないと思って帰るだろう。


さて、本格的に寝ようとしたその時、勢いよく俺のいるベッドのカーテンが開いたのだった。




「…っ、」


瞬間、俺は息をのんだ。

カーテンからちらり、保健室の蛍光灯のまぶしさが垣間見えて、その光をつくりだした主とばっちりと目が合ったのだ。


「飯塚、…くん」

「…っ!」



思わず呼び捨てにしそうになったが、すんでのところで堪えた自分を褒めたたえたい。心の中ではいつも呼び捨てにしていた、というよりむしろ、名前を呼ぶことすら避けていたのだ。驚きから思わず声を出さずにはいられなかった。

なんで、なんで、なんでここにいるの。

どうして、ここに来たの?

純粋な疑問からどんどんと自分の中にどろどろとした感情で占められていく。


僕の居場所を、この学校のどこにもつくらせないつもりなのか。


生理的に目頭が熱くなるのを俺は止めようがなかった。だめだ、ここで泣いてしまっては。余計に今後がつらくなるだけなのに。


「な…」

「…?」


何か俺に言いたいことがあってきたのではないか。次の飯塚の一言がどんなことなのか、俺は待つことしかできなかったが、よくよく見れば、飯塚は何かに驚いているようだった。



「名前…初めて…呼んでくれた…」

「…え?」



顔だけは俺も認める飯塚のその顔はじわじわと朱が差して、口元を押さえ、何かに耐えているようだった。俺の顔が見るに堪えないほど醜くて、憎らしかったのだろうか。それならそうと、一刻も早くこの場から立ち去ってほしい。


「ああ、もう…そんな…可愛い顔…されたら、僕、」

「…は?」

「ねえ、なんでもっと早く僕に頼ってくれなかったの?僕だけのものにしてって言ってくれなかったの?なんで保健医なんかを頼るの?僕は浩二のことぜんぶ分かってるのに」



こいつは…何を、言っているんだ。


「浩二がいけないんだよ、僕じゃない男と仲良くなんてするから。あれ、もしかして僕に嫉妬して欲しかったの?やだなあ、僕が浩二以外に興味持つなんてありえないから」


一体、何?浩二って、まさか、俺の事?


飯塚はどこか恍惚とした表情で俺にゆっくりと触れ、目元から溢れた涙を長い指でそっとぬぐった。まるでその動作が当然のように流れるほど自然に行われたせいで、俺はそこから動けなくなった。

「でも僕の名前を呼んで、僕に縋ってくれた。ねえ、浩二が、やっと、僕の物になるんだね」


浩二のためなら、浩二だけの僕になるから。

その声は有無を言わせない何かを含んだ、美しい声で、狂気をはらんでいるように聞こえた。


「大切に、大切にするから」



まるで壊れ物を扱うかのように、ぞっとするくらい優しく博愛者は俺の頬を包み込み、唇にキスを落としたのだった。





end

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