複製に失敗した男

別家伝家

第1話

おかしいと思ったんだ、とエラーは頭を掻いた。この世の中はまるでネジが一本欠けたみたいに不完全で怪しい。あの日以来だ。この奇妙な居心地の悪さを体感しはじめたとき、まだあのXデーから数日しか経っていなかった。教卓で指揮をふるう機械人形を無視して、エラーは歴史の教科書を閉じた。まだここには載っていない。人類を滅亡に導かせたXデーのこと。でも世界の歯車は止まることなく回り続けた。エラーは外を見て思った。この町は死と再生を繰り返す。何度滅ぼうと、どれほどボロボロになろうとまるで時間が巻き戻されたように町は元通りになる。しかし、残念ながら町を元通りに戻すためには労力と多大な時間が必要とされるらしい。


「今日のボランティア係はエラーだ。よろしく頼むよ」と先生は言った。

「もちろんです、先生。任せてください。これもみんなと町のためですから」放課後の時間はすべて他人のために費やせ? その言葉に文句をつけることはできない。それが今の現状。一人ソファで寝転がる時間はないし、どうでもいいテレビ番組を眺める時間もない。もちろんおやつを食べる時間なんてありはしない。エラーはもう一人の男子生徒と共に並んで今日の派遣場所に歩いて向かった。「こんなこといつまで続くんだか…」

「さあね。トライは今日で何回目なんだ?」

「三回目くらいかな。まるで終わらないよ。このまま永遠に終わらないかもしれない。俺たちはずっとただ働きをしている囚人のようだ」

「それにしては顔つきが明るいように見えるけどね。明るい未来を見ている目をしている」

「もう暗い過去を省みて悲観している時間なんてないさ。みんな明るい未来を見て、復興に力を注いでいる。エラーもそうだろう?」エラーは眉をひそめた。

「よくわからないんだ。なぜみんな必死になって、迷いもなくまっすぐに頑張れるのか。僕はどうしても自分にいろいろと問いかけてしまうジコチュウな人間だからな。僕は何をしたいんだろう? 自分のことを考えて勝手に苦しんでいる」

「エラーはジコチュウには生きられないさ。そうやって他人の為とか自分の為とか悩んでいるのがエラーの優しさだよ。つまりさ。エラーは強いから。余計なことを切り捨てずに立ち向かって悩み続けることができるんだから。俺はすぐに逃げたがる弱虫だ。俺のモットーは、余計なことはあまり考えないほうがいいってやつだ。だからさ。俺の口からは退屈な言葉しか出ない、期待するな」僕はいつまでもずっと期待した答えを求め続ける。ポジティブに言えばロマンチスト? エラーは溜息をついた。「悩める人は強い人だって? そもそも強かったら悩みなんて生まれない。弱いから悩んでいるんだ」

「悩みもなく強い人なんて俺は知らないな。そいつは俺の目から見ればもはや人じゃないね。化け物だよ」


エラーとトライは今日のボランティア活動をこなすため、他の人たちと合流した。エラーは今までに見なかった黒いスーツに身をつつんだ人たちを見て、不審に思った。トライは蛍光色のベストを着た老人に言った。「今日の活動内容は清掃作業でしょうか?」車道はコンクリートの破片やごみなどで埋まり、とてもではないが車が通れるような地面ではなかった。これでは救急車でさえ安全に通ることはできない。たった二、三人では決して終わらない数が散らばっていたので、すべてを掃除するためにも数十人の老若男女がここには集まっていた。


エラーはコンクリートの破片を拾い集めながら、黒いスーツのいかつい男と女をチラチラと見た。見知らぬ人だ。それもとびっきり怪しいやつらだ。いや、怪しいのはここにいるみんなに当てはまることなんだ。みんながこうしてボランティア活動を行っているのは何のためだ? 社会の為? 他人の為? みんなの為? どうしてみんな善いことをしようとする? 今この場に流れている空気は吐き気がするほど濃密な優しさが生んだもの。

 みんな秩序を乱す者になることを恐れ、復興に力を注ぐ人々という集団から除け者にされることを恐れている。多数者に混じることで少数者が受けるリンチを避けるために。みんな自分が可愛いんだ。当然だ。僕だって、自分が可愛い。自分が他人に傷つけられることはとてつもなく耐えがたい。


夕焼けが沈むころ、休憩時間に老人が水の入ったペットボトルを手渡してくれた。「ありがとうございます。いただきます」

エラーが水を口に含もうとしたとき、強引に手からペットボトルを奪い取られた。エラーはつい眉をひそめて、相手を睨みつけた。黒いスーツを着た女の人だった。「これは毒よ。飲むと死ぬわ」まるで異国情緒あふれるサングラスを外し、その冷たい瞳を老人に向けた。

「なんてことを言うんだ!」と老人は言った。

「あなたはボランティアという役を利用し、彼らに温かい笑顔を振りまいた。それですべては完了した。彼らに心優しい老人という印象を植え付けて、まさか悪事を働くような人間ではないだろうと思わせる。そして煮るなり焼くなり好き放題にする。それがあなたたちのやり口だってことは知っているの」

「毒なんていれるものか!」老人は黒いスーツの女からペットボトルをひったくると、ぐいっと飲み下した。老人は笑って言った。「どうってことない」


「即死性の毒じゃないのよ。中毒性のある薬物が混入されているに違いないわ。そうして薬物中毒者にして、金蔓にするのが彼らのやり方。私は小さな警察の者、ジス。社会秩序が崩壊している今の社会を正しい道に導き、法に縛られない力を持った善良な一般市民の味方よ」

ジスは拳銃を構え、言った。「間違いのない。事実でしょう? 答えなさい」

老人は歯ぎしりして、悔しそうにつぶやいた。「じ、事実だ。悪かったと思っている。すまない。だから、恐ろしい。その拳銃を下してくれ」場の空気が一瞬、氷のように凍てつき、心臓の鼓動だけがエラーの耳に響いていた。

ジスは言った。「私たちに出会った運命を呪いなさい。あなたたちに生きる価値などない」パアンッと乾いた音が鳴ると、老人は血を流して死んでしまった。エラーは震えた声で言った。「なんてことをするんだ。人間のやることじゃない。確かめもせずに殺すなんて…君は頭がおかしいよ」

「確認はしたわ。ずっと怪しい動きをする老人を監視していたの。すると、決定的な証拠写真がとれたわ」

ジスはエラーに写真を見せた。老人がペットボトルに細工をしている写真だった。「こんなものいくらでも偽造できる。証拠にはならない」

ジスは反論する気もないようだった。とても冷たい表情だった。「そうかもね。でも、私たちは真実を知ったうえで彼を殺したの。それに彼が死んでしまった今、いくら感情をむき出しにして青筋を立てても遅いことよ。何かをしたかったエラー君の気持ちはわかる。でも後になってはすべて無駄なの」エラーは目の前に立つジスをぶん殴りたい気持ちを抑え込んだ。

「すべて無駄なの」とジス。ジスはエラーの手をとると、懐から端末を取り出し、車を呼び出した。「すべて無駄。それを言い訳にして何もしないのは間違っている」エラーはジスの手を振りほどこうとしたが、彼女は赤子の手をひねるようにエラーの足掻きを鎮めた。

「いくら足掻いてもどれだけ足掻いても、結果が変わらないとしても? それでも尚、無駄じゃないと言い切れるの?」エラーはジスに丸め込まれた手に力を入れて、思いっきり引っ張った。ちぎれるほどの痛さだ。

「私たちがここに来たのにはもう一つ理由があるの。私たちにとって害なるものに正義の鉄槌を下すこと。そして、私たちの創り出した世界から疎外された者を見つけること。それがあなただった。あなたは私たちの救済の手から零れ落ちてしまった悲しい種よ。私たちは力はあるけれど、そんなに大きな手をしていなかったの。だから零れ落ちる者が現れてもしようがないのは分かっていた。謝らないといけないわ。ごめんなさい。あなたはとことん運がなかったのよ」ジスはようやくエラーの手を離した。エラーは一歩退いた。

「お前たちのしていることは余計なお世話だ。お前たちの独りよがりな救済なんていらないし、僕たちを巻き込むことが幸せだなんてとんだお節介婆だね」

 ジスは腕を組んでエラーの手前で仁王立ちした。「エラー君は私たち正義の味方の敵になるつもりですか? いま私たちがエラー君に優しい理由は第一にあなたが善良な市民だからです。敵となれば、その瞬間あなたは死ぬ運命にあいます。救済を受け入れ、私たちに従いなさい。さもなければ」

「正義の味方が善良な市民を脅すんですか?」

「脅しに聞こえているのならば、あなたは悪だ。私たちはあなた達に救いの手を差し伸べている。これは脅しではないの。あなたが救いを拒むというのなら、エラー君の家族諸共、今受けている生活保護の対象外となるけど、それがエラー君の望みなの?」

 エラーは黙ってジスの背中についていくしかなかった。何を考えようと全てが無駄だと知り、エラーは考えることを止めた。そうだ。納得できないのに従う道理はない。考えなくてもわかることじゃないか。

 エラーは右ひざをつき、コンクリートの破片を拾い上げた。重心を前に傾けてジスの後頭部めがけて腕を振り下ろす。空を切る音がエラーの耳朶をうった。ジスはエラーの殺気を肌で感じ取っていた。エラーの手首を受け止めると、その凶器を奪い取る。「お前たちは保護などという言葉で僕たちを管理しようとしているんだ。毒を盛ったあいつと同じさ。僕は騙されない。お前たちに支配されてたまるか!」

「では誰が人間を救うというの?」ジスはエラーの腕を破片でうった。「世界が滅んだ時、世界を複製し、滅ぶ前の世界に戻す。そのためのバックアップ技術だった。誰もが世界滅亡の真実に気づかず、いつも通りの日常を迎える。私たちの複製技術は人類を救う技術よ。私たちは影から人類を支える正義。誰もその存在に気づくことはないけれど、誰もが認める存在なの」ジスはエラーの頭を拳銃で撃ち抜いた。「あなたのような失敗作以外はね」ジスは顔をゆがめて、立ち去った。

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