第13話
だんだんと定期便の中が混み合い始めてきた。
あと数分もしないうちに飛び立つだろうとジャックは言った。
「なるべく、声は出さないように。君は顔だけじゃなく声も知られてるからね。外見はどうにかなっても声ばかりはどうしようもないから。」
「……何かあったらどうするの?」
「んー、万が一バレた場合にもいくつかパターンがあるけど……何も知らない人相手なら私がマネージャーってことで話を合わせてくれるかな?」
「……わかった。」
「ただなぁ……君のことを少しでも知っている奴が来ちゃった場合が問題なんだ────」
そう言いかけたジャックの声が途切れた。
彼を仰ぐと、険しい表情で前方を見ていた。
つられて彼女が視線をたどると、そこには黒のスーツに身を包んだ屈強そうな男が二人、乗客の顔を確認するように歩く姿があった。
二人の左手には、赤い手袋がはめられていた。
〈クリムゾン・ハンド〉だ。
ジャックは、サングラスを押し上げた。
「さすがに鼻がきくというか……フリーセルの奴もごまかすのが厳しかったか………。」
リアはこのとき初めて、あのルームスタッフの名前を知った。
そのとき、ぐん、と体に負荷がかかった。
次いで、窓の外の景色が少しずつ下に遠のいていくのが見える。
定期便が、離陸したのだ。
「さて………この状態は少々都合が悪いなぁ……。どう突破したものか……。」
ジャックが顎に手を当てて考えていたときだった。
『本日は、飛行定期便〈ルーク号〉をご利用いただきまして誠にありがとうございます。本定期便は、ルナ=ソレイユ外縁、エーデル経由ベルンシュタイン行きでございます。』
あまり感情の感じられない添乗員のアナウンスが流れた。
『デッキに出られるお客様は、手すりから身を乗り出しませんよう十分にお気をつけください。なお、喫煙等は、お手数ですが機内後方にあります喫煙室にてお願いいたします。』
それからいくつかの注意事項を述べた後、それではよい旅となりますよう、と言ってアナウンスが切れた。
デッキからの眺めを見たいと思ったのか知らないが、カップルや家族連れが数組ほど席を立ってぞろぞろと後方へ向かい始める。
〈クリムゾン・ハンド〉の二人組はその間にもこちらに着実に近づいてきている。
ジャックはリアを見た。
「君は、荒事は得意?」
リアは首をかしげる。
「荒事?賭け事の種類?」
ジャックは肩をすくめて苦笑をにじませた。
「いや、聞き流しておいていいよ。元からあまり期待はしていなかったからね。」
仕方ないな、と彼は蓬髪をかき上げた。
それから、リアに視線を戻してサングラス越しに軽くウィンクする。
「私があいつらを引きつけてあげるから、その間に君は奥のデッキに行くんだ。人混みに紛れれば多少は気づかれないですむだろう。」
「でも、それじゃああなたは?」
リアの言葉に、彼は口の端を吊り上げるようにして笑った。
「私は少しだけ彼らと遊んでくるよ。あれくらいなら私の相手ではないからすぐに済む。」
大丈夫、と彼は続けた。
「私は生きることに関しては死ぬほど貪欲なんだ。殺しても死なないって、エースから太鼓判を押されるくらいね。」
エースの名前にはっと顔を上げると、ジャックはサングラス越しに目を細めて、立ち上がった。
「それじゃあ、うまく隠れるんだよ。すぐ迎えに行くから。」
ひらりとコートの裾を翻して、彼は通路に立った。
そして、こちらに向かってくる〈クリムゾン・ハンド〉の二人組みに、わざと足を引っ掛けて盛大に転んだ。
驚いた二人組の注意がジャックに向く。
「っ……申し訳ない。」
怪我はないかと身をかがめた一方の〈クリムゾン・ハンド〉に、彼はへらへらと笑って見せた。
「余所見をしていたのは私も同じですから……。」
タイミングを計るためにそっとその様子をのぞいていたリアは、つい先ほどまでの雰囲気の変わりように脱帽するしかなかった。
同一人物とは思えない変わり身の早さである。
二、三会話を交わした後、立ち上がった彼らに、ジャックがさりげなく尋ねた。
「ところで、あなた方はどなたか捜されているのですか?離陸のときも席に着かずうろうろしていらっしゃったようでしたが……。」
すると、二人がぎくりとしたように体を強張らせる。
それから目で合図をすると、懐から何かを取り出した。
おそらく、リアの写真か何かだろう。
「このような女性を見なかったか。」
ジャックはしげしげと眺めるそぶりを見せた後、残念そうに首を横に振ってみせる。
「残念ながら……。」
二人組はとくに疑う様子も無く懐から出したものをしまう。
「そうか、手間をかけた。」
「いえいえ。…………ところで。」
蓬髪をかき上げ、サングラス越しにジャックは笑った。
「君たち。目が覚めたら無銭搭乗の許可は〈クリムゾン・ハンド〉の信用を落とすとボスに報告しておきたまえ。」
「は──────」
二人組が、問い返す間もなかった。
ジャックは、そこで思いっきり先ほど写真を出してきた方の構成員の顔に強烈なパンチを見舞った。
どっと通路に倒れ込んだ構成員の姿に、機内に残っていた人々から悲鳴が上がる。
その瞬間、リアは座席の陰から飛び出して、デッキに向かった。
その後ろ姿を確認したジャックは微かに笑むと、目の前の敵に目を向けた。
「このっ………!!」
勢い込んで反撃してきた片割れのほうには、振り返りざまに肘を打ち込む。
まるで無駄のない身のこなしである。
どちらも一発で片をつけたジャックは、やれやれとため息をついて呟いた。
「いくら天下の〈クリムゾン・ハンド〉とはいえ、無銭搭乗は感心しないなぁ……私がいた頃はちゃんと手続きを踏んで、後からつまらないことで横槍が入らないようにしていたというのに……。」
そして、駆けつけてきた添乗員に告げる。
「騒がしくして申し訳ないね。無銭搭乗者が紛れ込んでいたもので。」
サングラスを押し上げた彼の耳に、悲鳴じみた歓声が届いたのはそのときだった。
「ねえ、あれってキングじゃない!?」
「マジだ……トップレーサーのキングだ!!」
「なんでこんなところにいるの!?」
ぎょっとして窓に駆け寄れば、ちょうど目の前を機影が一つ、過ぎ去っていった。
黒一色の機体に走る一筋の銀のラインが目をひくエアバイク。
それに、ヘルメットすらつけずに跨がっていたのは、金髪の青年───トップレーサーと名高いキングその人だった。
窓越しに、一瞬、稲妻のような瞳と目が合った気がした。
そのまま後方のデッキへと向かっていったキングの意図を察したジャックは、舌打ちをしながら駆けだしていた。
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