第9話

「キング」

部屋の外に出ると、そこには待ち構えていたかのように、一人の男が立っていた。

長身痩躯を白いスーツで包み、整った顔の半分近くに大きな傷を走らせた彼に、キングは一礼した。

彼はそれに紅い手袋をはめた左手をあげて応え、ふっと微笑む。

決して若いとはいえない年齢のはずだが、ちょっとした仕草や表情がひどく様になって見えるのが不思議だ。

「相変わらず、我らが歌姫殿は頑固なようだね。クリムゾン・ハンドでもナンバーワンのエアレーサーがご執心だというのに、これっぽっちもなびかないのだから。」

「…………。」

キングは黙したままだった。

クリムゾン・ハンド───この歓楽都市を、ルナ=ソレイユを、陰に日向に支配する組織。

そのトップに立つ絶対的支配者が、今キングの目の前に立つこの男───クラウンだ。

実力ある者は出自を問わず寵愛し、実力がなければ容赦なく突き放す。

彼に認められた者には、成功しか認められない。

ここで生き残るためには、クラウンに認められるためには、血を吐くような努力を払って成功し続けるしかないのだ。

リアは、歌という世界で。

キングは、エアバイクを駆るレースの世界で。

壮絶な対価を彼に払い続けてきた。

クラウンは、真意の見えない瞳で自らが傍に置き続けている青年を見た。

「それはそうと、君のほうは順調かね?」

「………はい。ご期待に添えるよう努力いたします。」

「結構。レーサーの頂点に立つのは誰なのか、証明してくれたまえ。」

「…………。」

そこで、彼はそうそう、と明日の天気でも話すような気安さで、衝撃的な一言を告げた。

「今年は、優勝者には豪華な副賞がつくよ。我らが歌姫殿と結婚することができるという、ね。」

キングはぎょっとした。

「………それは───」

クラウンは喉の奥でくくっと笑いを漏らすと、おもむろにキングの脇をすり抜けるようにしてリアの部屋のドアの前に立った。

「きいていたね?リア。君は、今年のレースの優勝者に娶られることになった。」

部屋の中から、反応はなかった。

それでも構わず、クラウンは続けた。

「………そろそろ、俺も我慢の限界でね。壊れた歌姫など、人形ほどの価値もない。」

口調はまったく変わらないのに、拭えない恐怖を覚える声だった。

底冷えがする眼差しで、クラウンは笑った。

「だが、幸いだったのは、君が俺の特別お気に入りだったことだ。本来ならば用済みの人間にこんな寛大な措置はしないのだが………君は運がいいよ、リア。」

「……しかし、ボス………。どうして、そのような───」

思わず声を上げてしまったキングに、クラウンは笑みを深めて彼を見た。

「何かね?キング。」

「………いえ。」

視線を外したキングに、クラウンは困ったように眉根を寄せた。

「安心したまえ。先ほども言っただろう?この処置は特別だと。俺とて、手塩にかけて育てた娘同然の歌姫をいきなりこのルナ=ソレイユに放り出すつもりはないよ。だからエアレースで優勝した人物に嫁がせる。力あるエアレーサーは、バックアップもしっかりしているからね。今と較べると劣るだろうけど、生活には困らないだろう。俺がリアにあげる最後のプレゼントだ。」

そして、ルナ=ソレイユの頂点に立つ男は、愉快げに笑んだ。

「ふふ、無論、君にもチャンスはある。むしろ、君が一番リアに手が届くところにいる。」

頑張りたまえよ、とクラウンはキングの肩を叩いて歩き出した。

「数日後には、大々的に告知をする。今年は、例年にも増して楽しい催しになりそうだ。」

その場で彼の背中を見送ったキングは、ただ拳を握りしめるしかできなかった。

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