第8話 決戦、現実を知る戦い

「ハゲハゲってよくいいますけど、おやっさんだってハゲじゃないですか!」

「おいらはお前さんのように未練たらしく残りの毛は生やさず剃ってる。おいらのはスキンヘッドっていうんじゃ、このハゲ」

「またハゲって言った! ふさふさの夢をあきらめた男に言われたくはないですよ」

 話がとんでもなく面白くなってきた。だけど同時に自分の生え際が気になりだしてくる。もう30だし。ハゲの持つ暗黒パワー恐るべし!

 殴り合いのケンカにはならなそうだけど、このまま放っておいても埒が明かないと思ったので止めにかかろうとした、その時――、

「ん? なんだ」

 初めは地震かと思った。でもすぐに違うとわかった。揺れたような感覚はあったがそれは一瞬、エレベータが止まったような感じと似ていた。

 では地震が来る予兆だったのか。そうではなかった。どちらかといえばそちらの方がまだよかったのかもしれない、オレたちにとっては……。

 そして次に起こったこと、それはあまりにも信じがたく夢を見ているとしか思えない超常現象。正に魔法がかけられたとしかいいようのない光景となって現れた。

「なんだよ、これ……」

 さっきまで眠らない街としてどこにいても賑やかだった場所が一変、ビルも店も電柱もコンクリートも駅も交番も公衆トイレさえも、全てが全て岩となり岩壁となり岩路という、一面荒野と化していた。

 中でも一番目を疑った変化は、空だった。

「今、夜だよな?」

「はい。時刻は午後十時四三分。間違えなく夜です」

 ――だけど空は青かった。

 雲一つない晴天。太陽は身を焦がすほどの熱量を浴びせかけ、冷や汗なのか熱気による汗なのかわからなくなっている。

「……ついに来たんだよ」

 何が? と聞くのは野暮だろう。

「幹部・核が来たのか」

 二人は何も言わなかったが、いつにも増して険しい表情が物語っている。

 どれだけ幹部がすごいのか、まさかこうまで目に見えてわかるものだとは思わなかった。

 ――景色を変えてしまえるなんて。しかも一瞬で。

「異世界にとばされた、とかじゃないだろうな?」

「残念ながらここは未だに神橋しんばしです」

「証拠とかあんのか?」

「スマートフォンを見ればわかるんですが。圏外になってないんですよ、見渡す限り岩しかないの。電柱も電波塔もWi-Fiもないのに」

「ウソだろ⁉」

 信じてないわけじゃないが自分でも調べてみる。

 ……確かに圏外じゃなく、アンテナも四本だ。さらに念を入れるように、GPSを調べてみたら、現在地は神橋だった。

「ウソだろ」

 神橋が一面荒野と化したなら、そこにあった建物や人はどうなったのか? 全て一瞬で作り変えられ、元々あったものは全て排除されたのか? オレたちは魔法使いだったか無事だったのか?

 頭をよぎった最悪の想像は、だけど一瞬で取り除かれる。

「ありていに言うと、幻術だなこの風景は」

「なに⁉」

 岩だらけの風景も、岩間から吹き抜ける風の音も、足から伝わるごつごつ感も、口の中のじゃりじゃりも、吸い込んだら鼻に詰まるような砂塵も――五感全てを騙す幻術だというのか⁉

 信じれない。信じられるわけがない。だけど信じなけらばならない、と思った。今まで使ったことない、あることさえ信じていなかった第六感がそう告げている。

 ここまでの変化、もう考えても無駄なのだろう。考えること自体はやめないが、考え込むことだけはやめよう。

 おそらく、これからもっと信じられない出来事が待っているに違いないのだから。

「変わったのはおいらたちの心象。それが目に見える形となったって現れたのがこの荒野。そして――」

 語り出したと思ったおやっさんがふいに見上げた先、切り立った岩壁の上にそいつは立っていた。

「アレが、核だ!」

 おやっさんが吐き捨てるように言った瞬間、そいつは跳躍した。

「とうっ!」

 ……んん? 今の、効果音みたいの自分で言わなかったか? いやいや、ただの気のせいだろうと変な疑念を振り払おうとした時、そいつはオレたちの前に着地した。

「っしゅた」

 ……なんか想像してたのと違う。

 今明らかに効果音を自分で言った。唇が動いた。こいつもしかしたら……なんて思ってしまった。

 見た目は、緑のライダースーツにライダーベルト、ライダーブーツに炎のように燃え上がるような紅いスカーフ。……なんとなく仮面〇イダーを思わせるが、仮面は付けておらず。太くて鋭い眉や見栄を切ったような目が熱血漢をイメージさせるハンサムボーイだった。

 もうどんだけふざけてるんだよと、なんか落胆があった。だけど二人の顔は風景の変化時よりももっと険しい。見た目はアレでも、決して油断してはならないと、改めて気を引き締めた。

 男は、びしっと口で言い、指をこちらに差しながら勇ましく口を開く。

「貴様たちだなこの世界を荒らす悪党どもというのは」

「いや、違うぞ」

「そうか。やはりそうだっ――なにっ、違うだと⁉」

 さっきまでの勇ましさはどこへやら。今度はカッコ悪いくらい慌てだす。

「待て待て、ちょっと待てよ。……今この場にいるということは、守るべき弱き民ではないはず。ということ――つまりキミたちは、このヒーローである俺の同士だというのか?」

「お前の同士になった覚えは無い」

「あれぇー? じゃあなんなのキミたち? 誰なの? 教えてくれない?」

 さっきまで堂々としたセリフと態度だったのに、今は及び腰。

 ……やつは本当に二人が恐れるほどの核なのか?

 オレのぽかんとした表情に気づいたのか、自称ヒーローは態度を元の堂々としたものに戻し、咳払いをしてから再び問いかけてくる。

「貴様らは誰だ!」

「人に名前を尋ねる時はまず自分から、って習わなかったのか?」

「そ、そういえばそうだった。申し訳ありません」

 また及び腰になった。何なんだこいつは?

「ぼくの、俺の名前は――」

 一人称まで弱腰になったのかと呆れ果てたところで、やつは言葉を止めた。

 いきなりどうしたんだと、いぶかしむ視線を向けていると、突然止まっていた時間が動きだしたかのように口調が変わる。

「――貴様ら、俺をたばかったな!」

「っ!」

 なぜその結論に至ったのか? その疑問は後回しにならざるをえない状況となる。

 それはただの怒声だった。だけどそれはただの怒声ではなかった。

 怒声には唐突に湧き上がった怒りのオーラがのっており、強い突風となってオレたちを押し退ける。

 なんとか耐えることはできたが、ただ怒っただけでこのすさまじさ、ようやくやつの強さを実感した。

「現在、同士になる者の予定などないはずだ。だというのに今姿を見せていられるのは悪党のみ。つまりお前らは敵だ!」

「決めつけは、よくないんじゃないか?」

「もう騙されんぞ悪党が! 俺の正義の鉄拳により成敗してしんぜよう」

 キャラ設定あるならもっとちゃんと考えとけよ。ブレブレもいいとこだ。

 やつの凄まじさはよくわかった。だけどそれ以上にバカなんじゃないかと思う。いや確実にバカだこいつ。

 オレがどういう反応をしていいのかわからなくなってきた時、脇をつっつかれた。

「よく普通に話せますね」

 ひそひそ声で話しかけてくるのだが、男にそれをされるのはちょっと気持ち悪い。

「いやめっちゃ怖いよ。足ガクガクなんだけど」

 正直立っているのがやっとで、いざという時動けないかもしれない。

「少なくとも、心だけは負けてませんよね。すごいです。僕なんて今こうして口を開けてるのが奇跡みたいなもので、会話を交わすなんてできませんよ」

「オレとしては、あんなのと会話を交わせるのが嫌なんだが」

 もし話を合わせられるという意味で言ってるのは、あんなバカと同レベルと思われたくはない。

「こそこそ話は終わったか。それとも最後の悪党同士の会話というべきかな?」

「かっこつけんなバカ殿」

「誰がバカ殿だ誰がっ。ぼ、オレはヒーローだ!」

 やっぱりこいつ核じゃないだろ? 実はもう一人隠れてるやつがいて、そいつが核なんじゃないかと、凄まじさを知ったあとでもこう思う。

 ――だけど、やつはやっぱり核だったのだ。

「やべーぞおい!」

 突然のおやっさんの焦り声。変化というか、単にあのバカが動き出しただけなのだが。少しオーバーなんじゃないかと思いつつも、一応戦闘態勢に入る。

「有難く思うがいい。僕が貴様らを直々にくじくということ、貴様らは強い悪党だということ。だが僕は貴様らよりもっと強いスーパーヒーローだがな」

「ガキかっ」

 ついツッコんでしまったが、状況はもっと逼迫ひっぱくしていた。

「受け取るがいい。これは褒美だ。とうっ――バーニングバーンドキーック‼」

 バカだこいつ。ネーミングセンス明らか無いし。正義の鉄拳って言っときながら蹴り業だし。ツッコんだらキリがない技名だったが――威力の程は絶大だった。

 崖から跳び上がったかと思えば、その高さは空の星になるほどの距離で、だけど落下速度は跳び上がった時よりも何百倍も速く、三角蹴りのポーズで落下してくる。さらに大気圏を突っ切る時の断熱圧縮を利用し燃焼。その炎はまるで不死鳥のごとし。

 こちらに向けて攻撃をしたのだろうがオレたちは落下点が分かった時点で退避していたのでなんなく回避できる、と思ったのだが……安全第一に100mは離れたはずなのに、

「ぐっ⁉ あっちいってぇ!!」

 強烈な衝撃波と超高熱による熱風により、飛ばされないよう耐えれば炙られ、そのまま吹っ飛ばされれば岩壁に激突という最悪の二択。選んだのは前者である。

「む、避けられてしまったか。運のいい悪党どもだ」

 地面にクレーターを空けておきながら何食わぬ顔でこちらに近寄ってくる。こっちは今のかすりで完全にビビってるんだけど。

「死にぞこなったという意味では運が悪いな。安心しろ次で逝かせてやる。俺の正義の鉄拳で。とうっ」

 相変わらずセルフ効果音はバカだと思うが、

「おやっさん! 同じ火系なら何とかしてくださいよ!」

「できっかボケェ! あんなん次元が違うわ」

「目には目を。今はおやっさんが頼りなんです。っていうか、頼らせろ」

「そんな逆切れの仕方あるか⁉」

「二人とも、口ゲンカしてないで速くにげますよ。アレが直撃した即死どころか木端微塵こっぱみじんです」

 おやっさんは長谷川さんに引っ張られるような形でさっさと退避したが、オレは逃げの一手でいいのかと悩みたたずむ。

 このまま逃げを続けたとして何の解決もしないし、最悪あのバカな攻撃よりももっとすごい技を使ってくるかもしれない。

 ここは早々に打って出る!

 思い立ったが吉日。オレは少しだけ距離を開け近くの岩壁に登る。時間がないので小さな出っ張りを足場に跳ぼうとしたら、一発で頂上まで登れた。魔法使いさまさまだ。

「時間はもうわずかだな。せいっ!」

 ケツに火が付いたような勢いで足場を殴りつけ岩壁を切り崩す。人を優に超える大きさの岩片が削り出せた。魔法使いさまさまだ。

「あとはタイミングを合わせるだけ」

 ㎏ではなくt領域の岩片を構え、あいつが落ちてくるのを待つ。魔法使い(以下省略)。

「くらえっ。バーニングバーンドバーンキーック!」

 大声でさらにバカさ加減が増した技名を叫びながら、既に誰もいない場所へ攻撃を繰り出そうとするやつが落下してきた。

「今だ――おるあぁぁつ!」

 急転直下の途中のタイミングに照準を合わせ、岩片が刺さるように投げつける。魔法使……もういいか。

「この一撃で――ぐはぁっ!」

「よっしゃあ!」

 平行に投げた岩片は見事命中。バカは落下予定地点から外れ、岸壁に激突後そのまま頭から地面へ落下した。思わずガッツポーズをしてしまった。

 とりあえず様子見でこの場にとどまる。あれで倒せたらいいのだが、そこまで都合よくないだろう。

「まさか。あんな手で一撃浴びせるなんて。倉科さんには驚かされっぱなしです」

「さすがおいらの弟子。よくやったな」

 いつの間に二人が近くにいた。

「おいおい。いつからオレはあんたの弟子になった」

「今じゃな」

「なわけねーだろ!」

 さっきまでの険しい表情は消え、二人とも朗らかな顔をしていた。

「あんたら現金だな」

かしこまっても状況はよくなりませんから」

「常に切り替えていくのが社会を生き残る術だからな」

 正論だが少し腹が立つのも確か。

「少しは協力してくれよ。協力してかなきゃ今のまぐれも無駄になるぞ」

「わかってます。倉科さんが見せてくれた可能性が小さな希望になりました」

「蜘蛛の糸の一本でもありゃあ、やる気出さにゃならんと思うわな」

 二人の目に見えない炎が灯ったような気がした。これなら勝つる……ってこれフラグか。

 改めて戦うことを確かめたところで、やつが落ちた地点が爆発した。

「よくもやってくれたな! 今の姑息な攻撃で目が覚めたぞ!」

 遠目からでもわかるが明らかに怒っている。そうなることは予想してはいたがけっこうマズい。

「どうしますか?」

「オレに聞くな。年長者であるおやっさんに聞け」

「いんや。今からあんちゃんがリーダーだ」

「は⁉」

 寝耳に水とはまさにこのこと。突然のリーダー襲名。

「普通にやなんだけど」

「そういうなあんちゃん。おいらは何も年長者としての役目から逃げたくて言ったわけじゃないんだ」

「じゃあ、どういうわけだ」

 またアホなこと言うんじゃないかと思い、確固たる意思で突っぱねようとした。

「あんちゃんには度胸がある。劣勢になりながらも切り抜けようとする意志がある。それが勇気なのか蛮勇なのか答えは最後にならなきゃわからんかもしれんが、おいらはあんちゃんの船になら乗ってもいいって思ってる」

「僕も同意見です。倉科さんの行動力には目を見張るものがあり、その機転には驚かされる一方です。あなたの知恵があれば全部なんとかなるような気がします。お願いします。変に気負はなくていいですから、リーダーになってください」

 二人して勝手なことばっかり言いがって……。

「ちっ。断りづらい言い方しやがって」

「それじゃあ……」

「やってやるよ雇われ店長でも責任だけ部長でも」

「はは。指針を決めるリーダーですよ」

 こうなりゃあもうやけだ。小学生のときのお飾り班長だと思って適当にやってやる。

「ではリーダー。指示を」

「リーダー呼びだけはやめろよな」

 責任ある管理職には一生就きたくないので、気分はよくないが。

「やつの出方を待とう。あいつはバカだがとんでもなく強いのは確かだ。だが慎重に事を進めていけば勝機があるかもしれない」

「了解!」

「敬礼すんなっ。どこの軍隊だよ」

 二人の変なノリに少し辟易しつつ、戦闘態勢は維持したまま待機する。下手に動いて本気を出されたら勝てないもんが確実に勝てなくなる。……まだ勝てない可能性が濃厚な事実に歯噛みする。

「出てこい悪党ども! こそこそ隠れたところでこの俺のスーパーヒーローとしての輝きが貴様らの影を照らし出し見つけるのはさぞ簡単なんだからな」

「……ホント。何言ってんだあいつ」

 だけどそのブレないバカさ加減が今はとても有り難い。その驕りは利用できる。

「バラけて行動しよう。岩の影やらが岩壁の上やら遠回りしてでもやつを囲おう」

「おう。一気にやっつけるつもりだな」

「なわけないだろ。今のやつに決戦を持ち込んでも勝てる見込みは臆に一つもない。まずはじわじわ体力を削っていく」

 作戦というほど複雑なものじゃないが、行動を支持し二人は動き出す。

 最初は遠距離からの攻撃がメイン。とはいえ、オレにはそんな技がないので、近くの岩を拾って投げる!

「いったぁ! どこだ! 何投げたんだおい!」

 それに気づかないとはバカじゃないのかあいつ。少し角度を変えて岩を投げる!

「づっ! 投擲とうてきとは卑怯なり! 正々堂々戦え――ぐはっ!」

 会話キャンセル。長谷川さんの雷切りが後頭部に直撃。

「背中からとは卑きょ――ぶほっ!」

 また会話キャンセル。今度はおやっさんの火炎弾が背中に直撃。

 ――その後も起き上がっては倒れる、起き上がっては倒れるを繰り返したが、一向に死ぬ気配がない。

 作戦を少し変えることにした。

「もういい加減にしないと、ひどいことが起こるぞ! おいこら……ようやく出てきたようだな」

「お前が可哀そうだから顔を見せに来たんだよ」

「誰が可哀そうだ誰が! 憐れむ立場なのは僕であってお前らじゃないよー」

「ブレてるブレてる。一人称が僕になって弱気な台詞になってるぞ」

「あ……憐れむ立場なのは俺であって貴様らじゃない!」

 言い直したよこのバカ。一度目をしっかり聞いてるんだからもう意味ないってのに。

「出てきたからには一思いに殺されたくなったということだろ? その判断だけは懸命だな」

「どうしたらそういう考えになんだよ。死ぬのはオレらじゃない。お前だよ!」

 これ以上の会話は無駄だと速攻をしかける。高速移動で相手の懐に入ろうとする。

「なんだそれは歩いているのか?」

 ちっ。やっぱそう見えるか。ポテンシャルが高すぎるので動きも遅く見え、赤子の手をひねるように楽な戦いなんだろうな。……そうはさせないが。

「ふん。せめてこちらは正々堂々――とっ⁉」

 突然の脚攻撃に驚いてるよう。手筈通りオレが速攻を仕掛けたら援護してくれた。オレはそれにかまけず進む。

「ちっ、やはり卑怯な手で――っ⁉」

 再び脚攻撃。二人はよくやってくれる。これは結果を出さねばなるまい。

「だが貴様だけは俺が直々に正義の鉄槌てっついを下してやる」

「鉄拳じゃねーのかよっ!」

 一貫性のなさにツッコミながら間合いに入り、そして拳を放つ!

 やつもオレの拳に合わせて攻撃を繰り出してくる。だが今回は蹴りではなく拳。まあ、正義の鉄槌なのだが。

 拳と拳が交わった瞬間――世界が揺れた。それはまるで映像が乱れるように。

 次に訪れるのは衝撃。さっきの遠距離から感じた衝撃波とは比べものにならないくらいの衝撃。さすがの魔法使い補正でも耐えきれず吹っ飛ばされた。

「ぐっ――」

 乱気流にもまれるとはこういう感じなのか。前後左右上下の感覚すら失った状態でとばされたが、岩壁に激突する直前でなんとか体勢を立て直せたのは僥倖ぎょうこう。すぐさま体勢を立て直しやつの様子を見る。

 さすがに無事では済まされなかったようだが、オレほど吹っ飛ばされなかったらしく、精々数メートル後退した程度。力の差が歴然としてしまった。

 心の中で舌打ちしながら、それでも表に出さないようにやつの場所へと戻る。

「また死にぞこなったか。すまないな」

「その謝罪は自分が死にぞこなったことへのものか?」

 憎まれ口をたたく余裕なんてないが口で負けてはいられない。

「悪党にしてはいい度胸だっ」

「そりゃあどうもっ」

 ここから壮絶な連打が始まる――。

「せめて世界の礎となるがいい!」

「だったらお前は海の藻屑もくずだ! ここら辺海ないけど!」

 さっきのようにいちいち拳をぶつけ合ったら敗北必至なのでなるべく避け、時にはいなし時には受け流す。かすらずとも風圧だけでダメージを食らてる気がするがそこは我慢。拳が重なる度に吹っ飛ばされそうになるが気合で耐える。なぜか耐えられた。

 だが――ものの開始十秒でもう限界がきた。

「これで終わりだ!」

「ちっ!」

 こちらが大きくミスした瞬間を狙ってやつが大きく振りかぶる。当たったら本当に終わりだと確信したので避ける。……もちろん普通なら避けられないが。

「消え――ぐっ!」

 絶妙なタイミングで援護射撃。攻撃事態は止められなかったが、狙いは逸れた。そのわずかな違いがオレを生かす。

「こしゃくなっ!」

 切り替えしが早く距離を詰めてくる。本来は泡を食らうところだが、

「逃がしは――またかっ!」

 援護射撃は一方向だけじゃない。それには気づいてるはずなのに対応できていない。そこが狙い目となる。

「どこ見てんだよ!」

 腕を大きく振りかぶり右フックを入れようとする。

「そんなのろい拳がオレに届くわけ――っ」

 難なく避けるのは想定済み。フックからいきなりストレートに変える。が、

「悪党の小細工にすぎんわ」

 寸前、腕でガードされた。……でもオレは唇の端を持ち上げる。

「ぶほっ!」

 やつは軽く吐血し初めて膝を地面につけた。今の一瞬で一体何が起こたのか?

 そもそも右フックもストレートも囮だったのだ。本命はジャブ。できるだけ意識させないように、右腕は大仰なことをやってのけた。それだけじゃなく、援護射撃という第三者からの攻撃という懸念、そしてやつの頭の足らなさ全てを利用してやっとこじつけた一撃。

 恨ましげな眼がオレを見上げる。すぐには立てない痛打となったらしい。

「悪党にやられる気分はどうだ?」

「……今すぐ消してやる!」

 それは困るので立ち上がられる前に強力な拳をやつに叩きつけた!

「ぐはっ!」

 思いっきり殴られたやつは背後の岩壁に激突する。オレも追従するように走る。そして、

「悪いが手段は選ばない。容赦は一切ないから覚悟だけでもしとけ!」

 そう言いながらもいとまは与えず、激突した瞬間、全力の拳をやつに叩き込む!

「があぁっ!」

 その一撃は背後の岩壁ごと破壊する。悲痛な叫びは一瞬のことで、すぐに岩壁の崩壊音でかき消される。

「はぁはぁはぁ……」

 今の一撃を必殺にするため今出せる全力を込めたため、さすがに息が切れる。

「やったか、あんちゃん!」

「そのフラグやめろ! 今すぐ必殺技やつに叩き込め!」

「死体蹴りですか? モラル的にそれはどうな」

「死体じゃねーから叫んだんだよ! とにかくやれ!」

 なぜか勝利モードだった二人を一喝する。オレの剣幕に動揺はしたものの、事態がまだ終息してないことに気づき二人も気を引き締め直した。

「地を奔る雷を食らえ――雷迅!」

「紅蓮の炎が全てを焦がす――バッカスファイア!」

 心の中で、いてててて、と言いつつ終始見守る。この追い打ちで倒せればいいのだがと思う。

 ――ここで失策に気づく。願った時点でそれは叶わないんじゃないか、と。そしてあることを考え出す。

 やつはオレたちを悪党と呼び、自分のことをヒーローと呼ぶ。何をもってそう思ったのか? バカだからとか中二病的な意味でそういってるのかと思ったが、やつは世間という巨大組織の一員で、しかも幹部・核。かなり偉いということになる。あんなバカが? という疑問はおいといて。

 世間が不自然な超自然として、今のここはヒーローバカの世界ということ。ということは、やつを中心に世界が周っていることになる。つまり、やつの都合のいい方向に物事が進むということになるのではないか?

 ――そして現実はオレたちの悪い方向に転がった。

「ぼ、僕は……負ける、わけには、いか、ないん、だ……」

 息も絶え絶え、崩れた岩壁の中からボロボロな姿のやつが出てきた。……出てきてしまった。

「おい坊主。満身創痍のお前に何ができる?」

 おやっさん、そのセリフはなんかヤバい! ……だけどなぜか声が出せない。

「何が、できる、か、わから、ない」

「では、そのまま消えてもらいます」

 慈悲はないと言いたげな、まるで悪党のセリフ。嫌な予感を覚え冷や汗が止まらない。

「言った、だろ。僕は、僕は――負けるわけにはいかない!」

「に――」

 逃げろというつもりで叫んだはずなのに、何か得体のしれない強く眩しい閃光によって阻まれる。それは、悟った失敗が現実になった瞬間だった――。

 眩い閃光が消え、その光の中心に立っていたのは、満身創痍だったはずの自称ヒーロー。

 だけどその姿は、光り輝く戦士――赤く燃え上がるスカーフはより一層の煌めきを放ち、ライダースーツもベルトもブーツも神々しさが溢れ、なによりやつの髪や目が金色に輝いていた。

 ……なんだこの敗北感。目に見える負けフラグ。その変化を言葉にするのなら、

「僕はお前たち悪をくじくため『』した。覚悟しろ!」

 身体全体にまで響き渡る痺れるような声。オレは大変戸惑っていた。

 だが、おやっさんは違っていた。

「今まで黙って聞いてりゃあ、好き勝手なこと言いやがって! あと一撃で終わるようなやつが何言ってやがる! 覚悟すんのはお前の方だ!」

 突然、せきを切ったように怒り出すおやっさん。何も言わなかったが長谷川さんも同じ思いの様子。やばい。

「これで終わりだ――バッカスファイア!」

 口から放たれた最大級の炎。今までとは段違いの大きさに思わず「やったか⁉」といいたくなるほど。やばいやばい。

「ふふ、やったか」

 火を吹き終わり、周りごと燃え上がる炎の柱。勝利を確信しにやけるおやっさん。長谷川さんも一息つき体勢を緩める。やばいやばいやばい。

「んじゃま、祝勝会といこうかあんちゃんたち!」

「そうですね。明日も仕事なんですが、今日くらいいいですよね。なにせ核を倒すという偉業を成し遂げたんですから。大きな前進です」

 完全な勝利ムード。未だ立ち昇る炎。あれで生きているわけがない。やばいやばいやばいやばい。

「MVPはおやじさんですね。とどめをさしたんですから」

「いんや、あんちゃんだろ。あんちゃんがいなきゃこの勝利には辿り着けなかったからな」

「そうですね。倉科さんあっての勝利ですもんね」

 二人がオレの努力を認め賞賛の眼差しを送ってくれる。それが男だとはいえ、嬉しくないわけがない。やばいやばいやばいやばいやばい!

 そして、青く澄んだ色のはずだった空は、急に沈みだす太陽によって色彩を紅へと変わる。それが終わりの合図だった

 ――オレたちの。

「⁉」

 レーザー、だろうか? なにかの光線がおやっさんの肩を貫通していったのだ、いきなり。そして前のめりに倒れた。

「おやじさん‼」

 驚いて駆け寄る長谷川さん。倒れたおやっさんを抱えて近くの岩壁にもたれかからせる。遠目から見るからに肩に大きな穴が空いて肉がごっそり無くなっている。血は焼かれて出なかったようだが、明らかに重傷で気を失っていた。

 オレはひとまず安心して、レーザーが放たれたであろう方角を見やる。逆光で一瞬目が眩んだが、切り立った崖の上、律儀にそこに立つシルエットがあった。

「あのバカヒーロー……」

 やっぱり生きていたか。瀕死の状態でおやっさんの全力を食らったら普通は死ぬ。だけどそれは普通だったらの話。そして本人が覚醒とやらが本当だったらそれは普通じゃなく、もしかしたら完全に防がれていた可能性もある。さらに言えば体力が全回復している最悪なパターンもありうる。

「少し狙いが逸れてしまった。済まない、一思いにやれなくて。まだこの力に慣れてないんだ」

 お道化どけてみせる仕草には余裕が垣間見え、そして何より挑発しているようにも見えた。

「お前……よくもおやじさんを!」

「お、おいっ」

 やつの安い挑発が沸点となり長谷川さんが駆け出す。あの状態のやつに無策で挑むのはあまりにも無謀だと制止しようとしたのだが、僅かに届かず。

 長谷川さんは必殺技を放つ。

「雷迅‼」

 いつも以上に力の乗った必殺技は制止など不可能だったと言わんばかりの激しさがほとばしっていた。

 これならいけるか、と思ったが、

「シャイニングシャイニー光線」

 片手を前に掲げバカなネーミングセンス健在の技を突っ込んでくる長谷川さんに解き放つ。全てを貫く雷の突剣と正面衝突。光線を上手く散らせたと思いきや……、

「うわあああああっ!」

 散らされて細々となった光は長谷川さん貫き、必殺技は届くことなく途中で撃墜された。

「長谷川さん!」

 落ちてくる長谷川さんを受け止め生死を確認する。

「す、すみません。着地も覚束なかったので助かりました」

 よかった、意識もあった。おやっさんと違って分散し直撃でもなかったので大事には至らなかったよう。だが、

「本当にすみません。どうやらしばらく戦えないみたいです。できれば援護だけでもできればよかったのですけど」

 自分の足で立ち上がろうとして、すぐに膝をつく。命に大事はなかったようだが、身体の所々に焼かれたような裂傷が見受けられる。満身創痍となってしまったよう。

「しょうがない。死ななかっただけマシだと思って休んどけ」

 もう一度、すみませんと謝ってから、少しの間熱い視線を送り、その後ゆっくりとこの場から離れる。今のが彼なりのエールなのだろうか。

「残念。また失敗してしまったようだ。無様に抗うから死に損なうのだ」 

 悠々と腕を組んで、またどこか挑発するようなセリフに少し疑問を覚える。

 あのバカはどこか変容していた。どこがどうといわれれば、見た目から中身から全部変わってるように思えるが、別人かと言われればそれも違うといった感じ。

 覚醒とは、力の解放だけでなく、一皮むける効果もあるのだろう。変にかっこつけていたのが地に戻ったような印象がある。

 ……それはそれとして、

「お前こそ死に損なったんじゃないか」

「お前か。正直お前の強さは想定外だった」

「ふっ。よく言うわ。今も前も、お前の方がずっと上だったろうが」

 ずっと上だったのは覚醒する前であって、今のやつは遥か彼方、天と地の差ほどある。もちろん言わないし悟らせもしないが。

「どうした。かかってこないのか? それとも機を窺っているのか? あるいはビビっているのか」

「さあね。ご想像にお任せするよ」

 正直どれでもなくどれでもあるような曖昧な状態。どんな攻撃をしかけても勝てる気がしないので途方に暮れている、というのが正解かもしれない。

 だけど、逃げるという選択肢はなかった。逃がしてなんてくれないだろうけど、自分から逃げる気もなかった。

 なぜだろう? 背後には長谷川さんやおやっさんがいて期待して待っているからだろうか? 一人だけむざむざ逃げて見捨てるほど悪党ではないからだろうか? 理由なんてないという変態なんだろうか?

 ……だがそれは今考えることじゃない気がした。やはり今は目の前にいる、真ヒーローをどう倒すかが大事だろう。

「来ないなら僕から行こうか? それでも一向にかまわないよ」

「待ってろよ。今行くから」

 家の外にいる友達に急かされてる気分。つい焦ってしまう。

 このまま何もしないとやつが動き出すし、急かされて戦うと既に不利なのに勝機を完全に失う。……ならば。イチかバチか試してみよう。

 オレは拳を握って相手に見えるように突き出す。

「くるか」

 だけどやつは腕を組んだまま。舐めた戦い方をする。おごりではなく余裕というやつだろう。そこに勝機が少しだけある。掴めるかは別だけど。

 オレは握った拳を引き、そして駆けだす。

「来い!」

「うおおおおおおおおおおお」

 柄にもなく声を出しやつに殴りかかる。やつは遅れて拳を放つ。それで十分勝てると踏んだんだろう。正解。かち合えば勝利。オレに当てれば勝利。頭か胴体にかすれば勝利の簡易式。

 もちろん、オレはそんな敗北するのがわかっているひっ算には乗らない。

 やつに放った腕は交差することなどなく、途中で機動を変え下に。やつの足場、切り立った岩壁に。魔法使いに拳なので一撃で崩した。

「……そうだったな。お前はそういう小癪なやつだったな」

 崩れる岩壁と一緒に落ちるやつのセリフではないその余裕。そんなことで取り乱さないことはわかっていたので腹も立たない。そもそもここからなのだ。下に落ち、宙を舞う今がチャンスなのだ。

「これで僕の行動を封じたとでも?」

 無表情のままのやつはオレに向かって手を掲げる。

「シャイニングシャイニー光線」

 放たれるのはおやっさんと長谷川さんを亡き者(戦闘不能)にした強力な技。

 光線というからには光の速さで発射されるのだろう。つまり光ったと思った瞬間にはこちらに届いている、ということ。目で見て避けられる代物でもないし、ましてや打ち勝つこともできない。ショットじゃなくてレーザーだから横に避けてもたぶん手を動かせば簡単に当てられる。

 本来なら絶対絶命。……そう本来なら。

「当たってたまるかっ」

 今こそ地に足をつけた高速移動。重力加速度までは変化できないと踏んでの行動。

移動先は、やつの背後下方。つまりやつの手が一番遅く辿り着く場所。音速で動かせたとしてもさすがに光速までは不可能だろう。

 もはや瞬間移動としか思えないここ一番の速さで所定の位置にたどり着くと、間髪入れず拳をやつに突き出した。当たれ、という願いを込めて。

「やるな。でも――」

 やつをぶん殴る勢いで放った拳は、だがやつの足で受け止められる。いや蹴り返された。

 急場凌しのぎの蹴りと本気の拳が激突! 勝者は……、

「くっそ!」

 オレの拳は弾かれ数メートル吹っ飛ばされる。アドバンテージはこちらにあったのに、なんて差だ!

「それで終わりじゃないんだろうな?」

 悠々と着地ししたやつはそんな安い挑発をする。いつものオレならそんな安易な罠にひっかからないのに、その時の自分は冷静沈着な判断ができなかった。

「くっそおおおおお!」

 飛ばされた勢いが無くなるよりも速く動き出す。後先考えない走りに愚直なまでの怒りの鉄拳。

 威力は確かなものだったが、それは当たれば効果があるというもの。さらに実際確かに当たった。だがそれは、やつが放った拳に。二度目の激突。勝者は……、

「ぐぁっ!」

 今度は吹っ飛ばされなかった。だが代わりに、拳が砕けた。

 手から多量の血が吹き出し、そして激痛。顔を歪めて拳を引き、距離を取った。

「あんな挑発に乗るんじゃなかったぜ」

 悔恨。致命的なダメージをおそれ今まで慎重に動いてきたのに、怒りに身を任せた結果がこれだ。悔やんでも悔やみきれない大きな失敗。

 痛みで遠のきそうな意識をなんとか引き戻し、やつを睨みつける。

「無様だな。いやそれが本来悪党の姿というものか」

「ずいぶんとバカにするじゃねえか」

「実際そのような扱いになるのが当然ではないかお前らは」

「なんだと」

 今の言い方はさすがにカチンときた。

「お前がどんだけ偉いか知らないが、オレとお前は同じ人間であることには違いないんだぞ」

「同じ人間、か。よく言ったものだな」

 その声には憐みに似た何かを感じる。もちろんそれがまた一層火に油注ぐ行為で、

「ヒーローっていってるくせに、お前は人を差別するのか!」

 ヒーローと認めたわけじゃないが。

「差別? いや、善と悪を判断する、区別だ」

 それは自分の都合よく解釈した詭弁だと思った。そこで一つ、前々から気になっていたことを尋ねてみる。

「お前の言う善悪ってなんだ?」

 おそらくオレにとって平行線な答えが出るだろうとは思っていたが、それでもどうしても気になった。

「僕にとっての善は人々にとって善き行いをすること。悪とは人々を害することだ」

 思っていた以上にいい答えだった。文句のない一例だとは思う。

「じゃあオレたちはそんなに悪いのか? オレたちが人々に何したってんだ?」

 いい答えを出したからには少し期待してしまう。それはオレたちを否定する正当な理由があるんじゃないという、少々おかしな期待。

「本来、悪であるお前たちに説明する意味も義務もないのだが」

 そういう人の神経を逆なでするような前置きはいらない。

「人々にとって善き行いとは、社会貢献に置き換えられる。大人は皆結婚し子供を成し育て上げ自分と同じような大人を作り上げる、それこそが大人の義務であり責任なのだ。――だがしかしお前らときたら何だ? 適当に働き、好き勝手遊び、自分より優れている者や幸福な者を否定し、貶め、笑い、酒の肴にする。お前らのような人間を悪党と呼ばずしてなんとする! 法律はお前らのような悪党を処断するためにあるべきではないか! ……それでもこの国は自由国家。言いたいことが言え、身分の違いを越え努力次第で何にでもなれる良き国だ。だからお前らにも救済の手が差し伸べられ、機会が与えられている。……だというのに。お前らはその手を払い、尚自由を主張する! そんな横暴が許されていいのか? 頑張ってる人間が、苦労してる人間が、なにも努力せず口だけ達者な悪に、言いたい放題やりたい放題させていいのか? 否だ! 断じて否だ‼ ……だから僕は処断する。お前たちのような悪党を。法では裁けぬ悪党を処断するため。悪党を処断するための法律を作るため、邪魔する悪を全てが全て処断する!」

 長々とした語りが終わり、オレはやつを理解する。ただ思いの丈をオレにぶつけただけのようにも気もするが。

 ……やつはどこまでも正義なのだ。悪を決して許さぬ正義なのだ。誰もが思う不条理を無くそうとする正義のヒーローなのだ。

 そしてオレたちは誰もが通る道を外れる悪党。道を踏み外したのにもかかわらず正義を主張する悪党。世の中を否定し自分を全肯定する悪党。

 否定の言葉は思いつく。だけどやつの正しさがこちらの仄暗さを的確に突き、何も言えなくする。得てして世の中は善き方に味方し、最後には必ず悪をくじくのだ。

 ……どうすればいいというのだ? どうすればよかったのだ? したくないことをし、本当にやりたいことをやめればよかったのか? 

 それは何か違う気がする。だけど違う気がするという以上に、世の中の風は、世間の風は弱者に、低所得者に、非婚者に、芸人に、ヲタクに、ブサイクに、ニートに、ハゲに、ピザに……冷たい。

 世の中間違っていると唱えても世の中が変わらないのは、世の中の正しさが、否定する者を否定するから。

 正しさとは多くの支持を集めたものであり、世間に反する意見は全て間違い――オレたちの存在は間違いなのかもしれない……。

「その拳、最早まともに戦えまい。観念する気はないか?」

「……どうだろうな。ある意味最初から観念してたような気がしてきたよ」

「諦めか。いや、自分の否を認めたか」

 どこまでも落ちていく気分とどうしようもない敗北感がオレを無気力にする。

 そんな時、手を差し伸べるのがヒーローなのだ。

「お前が改心するというなら、僕らの仲間になり悪をくじかないか?」

 願ってもない救済。心の隙間をつくような甘美な誘い。これが宗教勧誘のあざとい手口。

 弱った心には絶大な響きだったが、

「いや。オレはオレの意志を貫いて死ぬ」

「そうか。非常に残念だ。お前ならあるいは幹部になれたかもしれないのにな」

「オレは自惚れはしない」

 曲がらない意思に同情してか、やつはせめてもの慈悲として一撃で殺してくれるそうだ。苦痛を感じず死ねるなら本望かもしれない。

 ……思えば、ここまでくるのは予定調和だった気がする。おやっさんや長谷川さん、オレまでもが何かに操られたように動きやられた。

 ……ん? もしかしたら何か考え違いをしているのかもしれない。――なぜか突然そんな疑問を抱いたのは、やつが覚醒したことについてひっかかり覚えたからだ。

 強くなったことでこちらが窮地に立たされたのだが、本来なら覚醒などせずともオレらを倒すのは容易だったはず。なのにやつは覚醒した。これはオレがやつを窮地に追いつめたからだろう。

 やつが中心の世界ならやつを有利にするため覚醒させた。それはわかる。わからないのはオレたちの行動をある程度操作できるはずなのに覚醒するところまで行ったこと。

 つまり調のではないかもしれない、ということ。そうだと仮定した時、覚醒は偶然あるいは後付け。世界がやつ中心であるならば偶然なんてありえない。予定調和じゃないならば必然ありえない。

 となるならば、今度疑問に思うのはやつを中心としただ。

 もしも。仮にもしもだが、やつを中心にしているのがこのだとしたのなら……。

 小さいけれど、ほんの僅か、極小、億分の一、天文学的数値――言葉にして上手く表せないが、一つだけ、敗北じゃない道があるのかもしれない。

 もしあるのだとすれば、それは幾つもの条件と可能性を擦り合わせたたった一つだけの道。

 ……オレはそのあるかどうかもわからない道に賭けてみることにした。

「さよならだ」

 手から放たれる光線。寸でで身体ごと移動し避ける。狙うポイントがわかっているならこんな簡単ことはない。

「足掻くか!」

 もちろん腕を動かし光線の位置をずらす。その時にはもうオレは背後にまで回っていた。

 やつの背中に向かって放つ拳。届く! と思った距離でそれはやつが振り向いて放つカウンター、拳にすげ変わる。

「同じてつを踏むがいい!」

 敗北必至の拳が交わる寸前――それは果たすことなく、拳は忽然と消える。

「なっ、めるな!」

 一瞬、ほんの僅か、コンマ一秒足らず驚愕したが、トリックに気づき、再び振り返って拳振るう。そこには、消えたはずのオレの拳があった。

 忽然と消えたのではなく、当たる寸前拳を引っ込め再び背後に回ったのだ。

 だけどそれも悟られ、再び拳が交ろうとしている。当てたいはずの拳だが、それが相手の拳では負けてしまうというジレンマ。――だがその拳もまた再び消えることになる。

 三度目の背面取りからの放つ拳。それでもカウンターの拳が待ち構えていた。 「しつこいぞ!」

 三度の消失・出現に、やつも意図を察した。この行為が、やつを倒すためじゃなく、時間稼ぎだということに。

「体力の消耗を狙ってか? 疲労からの隙を待ってるのか?」

「さあな。一生思考の迷宮にでも彷徨さまよってな」

 答えを教える気なんてない。ただひたすら、背面取りと拳の押し引きを繰り返す。

 やつもイチイチ応戦する必要はないのだろうが、もしやめた時そこで引くのをやめられオレの拳が当たった場合、即死や致命傷じゃないにせよどんな不都合に起こるかわからないのでやめられない。

 オレもオレでスタミナに限りがあるうえ、相手が他の行動できないよう超高速でやり続けなければいけない。

 もちろん、全てのパラメータが上なやつが有利。超有利。賭けにもならない賭け。

 だけど引くわけにはいかない。これ以外は勝機もなければ逃げる場所もない。

 やがて息が切れ始める。無理くり抑え込めやつに悟らせないようにする。気づかれれば、やつは別の行動を起こし、全てがおじゃんとなる。

 隠しきれなくなるのは時間の問題だった。だからオレは、

「……気づいたんだよ、オレは」

「? 何をだ」

 好奇心旺盛で助かった。

「ここの仕組みにだよ」

「ふ、何を言っている」

 キチガイなことを、と思っているんだろうな。話したところで理解できないかもしれないが、それでも話を続ける。

「お前は主人公で、オレらは悪党らしいな」

「今更気づいたのか? 悪事をやめる気になったのか?」

「なわけねえだろ。そもそもオレにとってこの行為が悪事だと思ってねえし」

「お前のような考えのやつがいるから犯罪者はこの世界から消えないんだ」

「悪党の次は犯罪者か。落ちるトコまで落ちてるな、はは」

「この後に及んで笑うとは、お前は大悪党と認めてもいいのかもな」

「そりゃあ有り難いな。よかったよ小者って言われなくて」

 末吉よりも大凶の方がいいという発想かもしれない。でも今はそんなことどうでもよくて、

「オレはよ、主人公は必ず勝つって思ってたんだよ。悪が栄た試しはないっつうだろ?」

「……わかっていて戦うのか?」

 憐れな視線を感じてる気がする。とことん主人公だな。

「けど違うって気づいたんだよ」

「何にだ?」

「……主人公が必ず勝つんじゃない。勝った世界しか知らないからだって」

 歴史の作るのはいつだって勝者だ。敗者はいつだって惨めな思いをしてそれを隠そうとする。結果見えなくなる。

 敗北が表に現れることがある。だけどそれはいつだって戒めや教訓のため。意味のない無様な敗北はいつだって影に隠れ勝利という日の光によってかき消される。

「だからオレはお前に勝てない。勝てるわけないんだよな、はは」

 勝てないとわかった戦い程笑えるものはない。気づけば声に出していた。

「勝てないと解かり戦う意味は何だ?」

「そんなの決まってんだろ」

 もう限界が目の前まで来た。だから大きく息を吸って、答える。

「お前を倒すためだよ!!!」

 やつの目が大きく見開かれる。だけどその目はすぐにあざけるものに代わる。

 戯言だと思ったんだろう。もちろん失敗すれば戯言となる。だけど失敗すると思って戦ってるわけがない。だから戯言にならない。

 ついに、幾度となく繰り返してきた行動に終止符が打たれる。

 背面取りをし、そして足を止め腰を入れ全力の拳を放つ! もちろんそこにはやつの拳が待ち受けていた。いくら力を目一杯込めても覆せない現実カウンター。 

 ……だけどもしもこの時間稼ぎで察してくれるなら、そこに最後の場所へと通ずる道が開かれる。

 そしてその道は――開かれた!

「終わり――かっ⁉」

 やつの顔が驚きの色に変わる。カウンターの拳に衝撃がぶつかる。

 その衝撃は雷を帯びていた――長谷川さんだ。

 どうやらオレの時間稼ぎの意図に気づいてくれたらしい。やつの疲労や隙を狙ったものではなく、彼が回復し援護してくれるのを待っていたのだ。

 そしてそれが今叶った。――終わりだ。

 重なろうとしていた拳は互い違いとなり、そして――互いの胸を貫く!

「がふっ!」

「ぐあっ!」

 互いに吐血し、堪らず膝をつく。

「こ、こんなことを、しても、僕は、し、なない、ぞ」

 必死状態だってのによく喋れるな。これが主人公の生命力、いや主人公補正か。

 だが、終わりだ。

「気づいた、か? 一瞬、オレの方が、速く、お前の、胸を、貫い、た」

 オレも息も絶え絶え喋れるものだな。心臓や首から上を直接貫かれなかったからだろう。

 でも今喋れるのは僥倖ぎょうこうにすぎず、そして今一番大事な部分はそこじゃない。

「だから、なんだ? 僕は、まだ、倒れは、しない、ぞ」

 二度目の覚醒を助長するフラグを建てる。だが、

「言ったろ、ここの、仕組み、に、気づいた、って」

 この世界を暴いた、というにはまだ仮定に過ぎないが、おそらく悪であるオレらにとって不死身である正義を討つ方法、いや抜け目を見つけた。

 そこに大きな影響を与える、これこそオレが狙っていたもの。

「お前ら、世間一般、大衆は、大好きだろ、……がふっ――」

 言いたいことがやっと言えた……その思いが成就した次の瞬間、多量の血を吐いてしまった。

 

 そして、そこで意識を失ってしまう。なんとも締まらない終わり方だ……。

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