第6話 初体験、エロイことは一切なし

 おやっさんの言うとっておきたいとっておきの場所というのは、電車を乗り継いだ先にあったビル街、七本木だった。

 ビル街というだけあって見渡す限りビル・高層ビル・高層ビルディング! 田舎とはかけ離れたコンクリートジャングル。方向音痴なら絶対目的地にたどり着けないだろう迷路地。

 そのビルディング中でも一際目立つ超高層ビル「七本木ヒルズ」の足元が目的地だった。

 近くに蜘蛛くもをモチーフとしたスタイリッシュなアート作品があったが、今一番言いたいことはその印象ではなく、

「人、いなっ」

 つい叫んでしまうほどだーれもいなかった。

「夜中なんだから静かにしろ」

「叫びたくなる気持ちは大いにわかりますが、騒ぐと警察が来てしまうので」

「す、すいません」

 怒られてしまった。ションボリな気持は置いておいて、

「早急に説明を求む」

「僕もこのあとの展開を話してほしいです」

「まあ慌てなさんなご両人。次期にやってくるから」

 何が来るのだろ? そんなことを思いつつボーっと待つこと数分。それは思っていた以上に早く、考えていた以上にヤバいのが来た。

 それは見るまでもなく空気が変わったことにより気づいた。

「な、なんだ⁉」

「ま、まさか……インコペテンスデパートメント」

「めっちゃすごそう! なんの呪文だよそれ?」

 ツッコみ兼質問だったんだが、二人は答えないまま武器を出す。

「堕剣エクスカリバー」

「バッカスボトル」

 長谷川さんは先日見たのと同じ剣を。おやっさんのは酒が入ってそうな徳利とっくり。両者ともツッコみたくなることが多々ある武器だが、今は大事な場面っぽいので控える。

「強いのが来ます。倉科さんも早く武器を」

「だからだせねっつーの」

「出さなきゃおっちぬぜ、あんちゃん?」

「……はめやがったな」

 普通はゴブリンとかスライムとかのザコ敵がチュートリアルの常識だというのに、段階すっ飛ばしてボス戦からとか、現実はどうしてこうも厳しいんだ。

 経験者を求めるんじゃなくて、一から育てる気負いはないのかね。

「来ました!」

 またもオレの目には突然現れた印象。それはイガイガしい金棒を引きずってきた2メートルは優にある赤いトロール、いや角とはみ出た牙を見るからに赤鬼のようだ。

 赤鬼の動きはのろくおそるるにたらずと近くの店の壁によっかかり呑気に構えていたら、突然悲鳴のような声が聞こえた。

「っ! あんちゃん避けろっ」

「は? 何をそんなにビビッて――」

 言葉の途中で左に金棒が生えていた。……え、どういうこと?

「うわっ」

 目の前に赤鬼がいてようやく気づいた。先程まで遠くにいたはずの赤鬼が金棒をオレの顔面横の壁に突き刺していたのだ。

 メタボリックな見た目に反して超速い。全く笑えないくらい速い。

 だけどなぜ一瞬で葬らなかったのか? 失敗したから? ……いや違うだろう。おそらく舐めプ――舐めてかかったのだろう。

 命からがらだけど、それがずっと続くわけがないことにすぐ気づく。それは相手がにたりと笑ったから。

 瞬間、オレは身体ごと頭を下げる。それと同時にガラガラと上の壁が崩れる音が聞こえる。突き刺したままの金棒を横に引いたのだ。危うく首から上が無くなる所だった。

 もちろんそこで危機を脱したわけじゃない。むしろ詰んだといえる。

 身体ごと頭を下げたまではいいが、今座り込むような形となっている。立って逃げようにもワンモーション多くなりその隙が命取り。ハイハイあるいは匍匐ほふく前進するではあまりにも遅すぎる。

 オレは全てを諦め、目を閉じて唱えるようにつぶやく。

「……お父さんお母さん先立つ不孝をお許しください。部屋のベッドの下にあるダンボール箱は中身を見ずに処分してください。パソコン内のデータは中身を見ずにそのまま完全消去してください。貯金は少ないですがせめて葬式代の足しに――」

「遺言はどうでもいいから、さっさと逃げろ!」

 おやっさんの怒鳴り声が間近に聞こえた。何事かと思い目を開けると、振り下ろされた金棒をおやっさんが酒瓶で受け止めていた。

「こっちです」

 すると今度は何か強い力で引っ張られる。見ると長谷川さんがオレの腕をつかみ全力で赤鬼から距離をとっていた。

 大分距離が開いたところで喋り出す。

「アレが見えてる時点で、倉科さんは魔法使いの資格を持ってるんです。先程も言いましたけど、あとは覚悟だけです」

 言い終わると長谷川さんもおやっさんに加勢しに行く。

 残されたオレは二人の勇姿を遠くから観戦するとともに考える。

「食らえ!」

 長谷川さんの横やりにより生まれた隙を利用し、酒瓶のふたを開け中身を口に含むと赤鬼に対して噴き出した。

 汚物かと思いきや炎となって赤鬼の前進を包む。堪らず金棒で防ぎながら後退したところで長谷川さんの雷切り。炎と雷の夢の共演。

 おやっさんが隙を作り、長谷川さんが斬りつける。あるいはその逆と、二人のコンビネーションにより赤鬼は手も足も出ない様子。体力が高いのか中々倒れなかったがそれも時間の問題だろう。

 なんだこのまま押し切れるじゃん、とそう思った時点でそれがフラグになるのが世の常。

 散々な攻撃に耐えかねた赤鬼は突然行動を変える。防御一徹に見えた棍棒を縦に構えを解き、振り回しながら回転し始める。

 その勢いは徐々に増し、終いには竜巻となって二人は身体ごと押し退けられた。

「くっ、体勢が崩された」

「これじゃあ近づけませんね」

「いずれは回転も止まる。その隙に一気にしかけるぞ」

「はい」

 会話の終了と共に二人はタメに入る。長谷川さんの身体にバチバチと雷を纏わせ、おやっさんは酒を一気に煽り周囲にメラメラ炎があふれ出す。

 次で全てが決まるらしい。本来であるならば回転が止まろうとするとき一気に2人の必殺技を受け赤鬼が消えるのだろう。

 だけどオレは何だか嫌な予感がしていた。このままではおやっさんたちが負けるようなビジョンが頭の中に映ったのだ。

 そんなことはないと邪念を振り払ったところでその瞬間がやってくる。

 竜巻の勢いが無くなっていき赤鬼の輪郭がどんどんはっきりとしてくる。もう間もなく止まるというところで必殺技が繰り出される。

「雷迅!」

「バッカスファイア!」

 轟雷駆け抜け火炎が炸裂。

 2人の織り成す圧倒的な力により赤鬼は消え――なかった。

「なにっ!?」

 必殺必至な筈の攻撃に耐えたどころか無傷でいられるわけがない暴力がまるで効いてないように仁王立ち。

 そしてさらに変化が。赤鬼の皮膚がぺりぺりとまるで脱皮のように剥がれ落ちていき、黒い表層がお目見え――赤鬼から黒鬼に変化を遂げた。

 そしてその変化は見た目だけに止まらなかった。

 突然消えたと思ったらおやっさんの前に現れ、棍棒を振るう。さっきと同じように受け止めるのだが、おやっさんはピンポン玉の軽く吹っ飛ばされ店の壁に激突。

「おやじさん!」

 長谷川さんが叫び駆け寄ろうとした横にまたいつの間にか現れ棍棒を振り下ろす。

 地面をも砕く粉塵舞うその一撃にミンチにされたかと青ざめたが、砂煙が晴れると棍棒を受け止める長谷川さんがいた。

「まだ生存してたか」

 でも九死に一生といったところで、長谷川さんは片膝をついていた。

 これはまずい。オレにも何かできないかと、とりあえず吹っ飛ばされたおやっさんに駆け寄ることにした。

「大丈夫っすか!」

「……お、おう。でーじょうぶだぜ」

 全身骨折内臓破裂な感じで壁に激突していたので安否を心配したが、おやっさんは血すら流していなかった。

「あれで無傷!?」

「まあな。魔法使いの身体は頑丈なんだぜ」

 にししと笑う姿にホッと胸を撫で下ろす。

「だが、身体が痺れて動きやしねえ。感覚が完全に戻るのに一分くらいかかるかもしれん」

「それって、長谷川さんを助けに行けないってことですか⁉」

「残念だが間に合わねえかもしれねーな」

「そんな……」

 長谷川さん……。昨日会ったばかりの人とはいえ、死んでしまったら寝覚めが悪い。

「どうにかならないんですか!」

「おいらは動けねー。おいらは動けねーんだ」

 大事なことなので二回言いました、ってことは何か意味があるんだろう。

 ……いや。考えることもなく察した。

「オレが魔法使いになって戦え、と?」

「へっ、ガンバレよあんちゃん!」

 闘魂注入とばかりに、肩を思いきりはたかれた。めっちゃ痛いんだけど、ホントは立って戦えるんじゃね?

 まあ、尋ねるまでもなかった。オレがやらねば誰がやる、というやつだ。

「うおおおおおおおおおおお!!!」

 年甲斐もなく叫びながらの全力疾走。30にもなって青春してるな……なんて思ってる時点で余裕があるなオレ。

 覚悟はできたつもりでも本当に魔法が使えるのかははなはだ疑問だが、それでもこの場はやるしかないのだけはわかってる。

 まあ、上手くいかずに死んだって社会の歯車が一つだけ、いやおやっさんと長谷川さんも含めて三つ消えるだけ。悲しいかな代わりはいくらでもいる。

「うおりゃああああああああ!!!」

 魔法の使い方なんてよくわからないから、とにかく殴る! これでどうにかならなきゃあの世逝きだ。

 ……だが人生は、得てして漫画のようにはいかないのが常識。

 黒鬼に向けて放ったオレのパンチは確かに届いた。当たった。金棒を押し付けるぶっとい腕に。

 ――だけど辺りはシーンと静まり返っただけ。失敗したようだ。

 そして黒鬼の視線だけこちらに向ける。羽虫以下のオレを見つけると攻撃を中断しこちらに向き直る。

 攻撃が緩んだ長谷川さんはタガが外れたように崩れ落ちおやっさんと同じ状態に。

「逃げてください!」

 長谷川さんが必至に何か叫んでる。でもオレは動かない。自分の無力さに呆然自失というやつだ。

 でもどうやら注意だけは惹けたようだ。この少しの時間稼ぎで動けるようになったおやっさんが助けにくるだろう。

 だけどオレにとってはもう遅い。だって黒鬼は金棒を振り上げたのだから。次の一コマ後には既にオレが潰れている絵になっているだろうから。

 オワタ――そう思った次の瞬間、予想だにしてなかったことが起こった。

 一番最初の異変は金棒が地面に落ちる鈍い金属音。一瞬自分がミンチになったのを幽霊として見たのかと思ったが、まだ自分の足があったので違った。

 ではなんだ? と音の聞こえた方を見てみると、金棒とそしてそれを掴んでいた腕が一緒に落ちていた。……どういうこと?

 腕が落ちているなら腕がついていた胴体はどうなっているのかとでかい図体の黒鬼を見上げてみると――、

「腕が、千切れてる?」

「ぐおおおおおおおおおおおおお!!!」

 その瞬間千切れた先から黒い煙が出、そして悲鳴を上げて腕を押さえながら二・三歩下がって膝をついた。化け物でも痛覚はあるらしい。

 それよりも今は長谷川さんが気にかかる。ブルッた身体を奮い立たせる駆け寄る。

「大丈夫か!」

「は、はい。何とか」

 長谷川さんもまたおやっさんみたいに動けないだけで実質無傷だった。

 安堵したところで今度は黒鬼に向き直る。

「あれは、長谷川さんかおやっさんがやったのか?」

「いえ。たぶん、倉科さんだと思います」

「そうか、オレか……オレが⁉」

 意外な答えに素っ頓狂な声を上げてしまう。

「なんかしたっけオレ」

「一発殴ったじゃないですか」

「それはそうだけど。全然効いてなかったじゃん、悲しいくらい」

 うんともすんとも言わないダメージ0だった。

「実際には効いてたんですよ。僕たち二人の攻撃よりも」

「にわかには信じがたい」

 手ごたえが全くなかったのだから実感がないのだが。

 煮え切らない思いに首を傾げていると遠くから声が聞こえた。

「なにやってんだ! 今のうちにやらんかいっ」

 おやっさんがお腹を揺らし走ってくる。美女の巨乳だった録画ものだったのに。

「ですが、僕たちではどうにもならなかったじゃないですか」

「アホ。今やつは傷ついてるそこを狙えばやれる」

 ゲームでは当たり前のようにやる行動、だけど現実になると途端卑怯になる手段、弱点攻撃。人間の心はそう簡単には割り切れないということか。

「わかりました。倉科さんもお願いします」

「オレ殴るしかできないよ? フレンドリーファイアとかやだよ?」

「ああ。それなら僕たちの攻撃が終わったら殴ってください、ディクシと」

 変な効果音だなと思っている間に長谷川さんたちは動いた。

 さっきと同じように2人はタメ、そして同じ必殺技を繰り出す。

「雷迅!」

「バッカスファイア!」

「ぐおおおおおおおおおおおおお!!!」

 さっきと違いもだえ苦しむ声を上げる。これで終わってくれればオレの出番は無くなるんだが……オレの願いは叶わなかった。

 炎と雷を持ち替えた手の金棒で振り払い、そして真っ先にオレに襲ってきた。

「うぉうっ」

 寸でのバックステップ。魔法使いとなったオレの後退はとんでもなく速く、寸でだったのにもかかわらず金棒の射程圏外へ逃れた。魔法使いとさまさまだ。

「あんちゃん、はよ殴らんかい」

「あ、はい」

 いわれるがままに拳を振るう。ゼロ距離でないと当たらない難儀な攻撃だが、金棒を振り下ろしている今がチャンス。半秒にも満たないスピードで相手の懐に入り、今度はどてっぱらにかます!

 ――辺りはシーンと静まり返っただけ。前と同じで失敗した。

 なんでこうも恥をさらさなきゃいけないのかなあ、と顔を真っ赤にしたところで今度はもっと早く変化がおとずれる。

 拳を入れたどてっぱら、そこにヒビが生じる。そのヒビは徐々に範囲を広げていき、やがて身体全体へと広がり、そして――、

「ぐ、おおおおおおおおぉぉぉぉぉ……」

 悲鳴と共に黒鬼は砕け散った。破片は黒い煙となって完全に消えた。勝った!

「やったなあんちゃん!」

「僕たちの勝利です倉科さん!」

「お、おう」

 2人は盛り上がってるようだが、オレは実感がまるでわかなかったのでどうしていいかわからない反応。でも流れは勝利ムードへ移行していく。

「初戦にしては最高の仕事をしてくれたなあんちゃん!」

「いったぁ! そらりゃあ、どもです」

 喜びを暴力で表す体育会系ノリはやめてほしい。

「本当にすごいですよ。倉科さんがいなかったら勝てなかったかもしれません。ありがとうございます。逸材の仲間はとても喜ばしいことです。今後とも期待できますし、頼もしい限りです。よろしくお願いします」

「よ、よろしく」

 なんとか苦笑いで誤魔化したがそこまで褒められると正直恥ずかしい。

「そ、それより。すげえ黒鬼強かったけど、あれが幹部なのか?」

 さりげなく尋ねたのだけど、2人のお祭りモードは一変、通夜モードに切り替わる。

「残念ながらあれは幹部ではありません」

「せやな。あんな弱くないんだよな」

「アレが弱いって、幹部どんだけ強いんですか?」

「そのうちわかる。近々、会いまみえる予定じゃからな」

 うわあ、戦いたくねぇ、と思ったけど口にはしなかった。顰蹙ひんしゅくを買いそうだったから。

 黒鬼よりももっと強い敵に挑もうとする二人は、魔法使いという名の戦士なんだろう。だけどオレはまだ違う気がする。そこまでの気概がない。というかイマイチ実感がわかない。

「よしこれから宴会だ! お前らも付き合え」

「ええ⁉ 明日も仕事なんですけど」

「そんなのかまわん。ジャンジャン吞むぞ」

「構うんですけど。これ以上は仕事に支障をきたすんですけど」

 魔法使いになったはいいが、いざとなったら逃げ出すかもしれない。失敗したら例え最悪な未来が訪れるとしてもそのために命を投げ出すほどの覚悟はまだない。

 見切りをつける、という選択肢がまだ頭をよぎっているのだ。どうしようもないなオレの覚悟は。

「倉科さんも何とか言ってください。このままじゃ朝まで続く宴会が始まりますよ!」

「がはは。みんなで楽しもーや」

「ああ、オレはともかく長谷川さんはいけるんで」

「ちょ、僕を売らないでくださいよ!」

 スイッチの切り替えが早い2人だなと。そんな2人を見てたら悩んでるのがバカらしくなってきた。

 今はただ流されるままでもいいかと思った3人での夜だった。

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