第2話 もちろん、始まり
「お疲れ様です」
仕事終わりの挨拶を済ませ、いつものように駅へと歩いていく。
世のサラリーマンたちは寄り道して酒でも呑んで仕事のストレスを発散するのだろうが、オレは真っ直ぐアパートに帰る。
大した理由はない。単純に金がない。安月給なのだ。
「……ようやく今日が終わった」
電車の車窓から流れる街を眺め、自然とぼやいていた。
学生だった頃には社会人にいろいろな期待と不安を抱いていたが、いざ自分がそうなってみるとそこには何一つ夢のない、あったのは悪夢だけ。
連日の残業。週休二日だったはずなのに土曜日返上。辛うじて残った一日の休日が終われば毎回やってくる月曜日、出勤日。これでもマシというのだから世も末だ。
休日を
戻りたいとはまだ思っていないが、あの日々は幻想だったんじゃないかと思えてならない。
実際あの時の友達とはもうすでに連絡を取っておらず、特別目立っていたわけでもないので、おそらく級友らはオレのこと忘れているんじゃないかな。考えると泣けてくる。
「
「……おっと」
ボーっとしてる間に降車駅になっていたので慌てて降りる。
残念ながら乗り換えなのでまだ自宅には着かない。重い足取りで階段を上り下りし、ホームに作られたの列の後ろへ並ぶ。
ここでちょっと不快な気分になった。目の前に並んでいたのが学生三、四人の塊だったからだ。もう夜だってのにご苦労様なこった。
「お前そのレアキャラゲットしたのか。すげえな」
「まあな。0.05%だっつてたけど、11連ガチャ三回で出たぜ」
「えー⁉ 俺なんて五回回してもSSRすら出なかったぞ。その運よこせ」
「ケツから出るウンならあげてもいいぞ」
「いらねーようんなもん。Nくらいいらねーよ」
ソシャゲの話でもりあがってらっしゃる。ウザいこと極まりない。電車に乗ってからも飽きずに同じような話をする。
社会人となっていつからかわからないが、学生服を着るガキたちが嫌いになった。うるさいし、やたらデカいスポーツバッグ邪魔だし、女子の長い髪たまにぶつかるし、夏になると薄着の女子に目が行くし、いつもバカみたいに楽しそうだし……。
自分が学生だった頃は気にも留めなかったことが、いつの間にか気を逆なでするもになっていたとは。社会人になって気が短くなったのかな。
オレが降りる駅で降りなかったので「降ります」と声を出して割って降りる。一旦一緒に降りてから再び乗ればいいものの、その些細な工程が面倒らしく、少しだけずれるだけ。間を通る瞬間、嫌な顔した時は殺意が沸いた。
ピッと改札を通り抜け駅から出たら自宅は目と鼻の先――なんてことはなく。バス代をケチって徒歩二十分の帰路を歩く。
途中、無灯火の逆相自転車に何度かぶつかりそうになりながらも無事帰宅。
帰ったらまずは洗濯物を取り込みそして夕ご飯の支度。といっても毎度お馴染みの百均で大量に買ったカプメンなのでお湯を沸かして注いで三分待つだけで出来上がり。とっても簡単よ。
麵をすすりながらバラエティ番組を見、テレビと会話する食事を終え、少し経ってから風呂に入り、パソコンで動画やら生放送やらを見て次の日になったくらいに寝る……そんな毎日の繰り返し。
そしてそんな面白くもない毎日は、ある事が起こった、いや始まってしまったことにより終わりを告げる。
平凡からの打破を望んでいたわけではないが、自分ではどうしようもなかったと思うので、仕方がないという言葉で納得することになる……。
それはいつものように社畜に勤しみ、苦痛な帰宅電車に揺られ帰ってきた時のこと。
いつもと違っていたのは、夜の宅配便が届いたこと。別にこれがきっかけというわけではないが。宅配便のおじさんはこんな夜遅くまで本当にご苦労様である。
「なんだ? ……母さんからか」
段ボール箱を開け中身を確認する。いろいろな冷凍食品が入っていた。
実家はとくに田舎でもないので、畑から採れた野菜でも牧場で育てた家畜物でもご近所さんから多く貰いすぎたものでもなく。普段から自炊しないタイプだと知ったうえでのチョイスなのでこれが妥当だろう。
仕送り自体珍しいことじゃなかったが、今回はなぜか手紙も一緒に入っていた。
なぜか音読する。現実に疲れてたのかな。
「――大樹へ。お誕生日おめでとう。といってもケーキもなければ洒落たプレゼントないけど、せめて食費を浮かせればと冷凍食品を送りました。……気がつけばあなたも30になるのね。働き出してから30まであっという間だったでしょ? 何者にもなれずしょげていませんか? お金持ちになれなくて人生投げ出そうとしていませんか? どんな思いを抱えてるかわかりませんが今まで頑張って働いてきただけでも母さんは偉いと思っています。できれば結婚して孫の顔でも見せて母さんたちを養って老後の心配を無くしてくれたら嬉しいです。 母さんより」
最後らへんは願望が入ってたような気もしたが、一応心配してくれたようだ。
「誕生日、か」
そういえば忘れていた。自分の誕生日なのにとバカにされるかもしれないが、社会人となってからは仕事を覚えるのに必死でそんなことに気を留める暇がなく、慣れた頃には四季以外のことがどうでもよくなり自分の歳もまた例に漏れることなく。
暦から数えればわかるのだが、そういってること既にどうでもいいという証明になっている。
「そうか。もう30になったのか」
なんとなく呟いてみる。
……とくに感慨はなかった。実感がわかないというべきだろうか。
30歳になったからといって何かが変わるわけではないのだ。お酒を呑めるようになるのは20歳だし、衆議院議員になれるのも25歳。……ああでも参議院議員や都道府県知事なんかは30歳からか。なる気はないので関係ないが。
「30歳を祝して酒でも呑むか」
果たして三十路となることが本当に祝えることなのかはともかく、好きでも嫌いでもないが呑めなくもないので記念に呑むことにする。ちょっとコンビニまでひとっ走りして買ってこよう。
――買ってきたので呑む。発泡酒です。プシュッと開け口をつける。一缶で酔うことはないが何本を開けられるほど酒豪でもない。
もう一口吞みながらテレビを点ける。
バラエティ番組で芸人がいじられ大爆笑しているのを外側から冷めた気持ちで眺めていると、ふと思い出したことがある。
「そういえば……30歳まで童貞を守りきると魔法使いになる、なんて都市伝説があったような」
どこで聞いたのやら。たぶん学生時代の頃だと思うが、当時は男女関係のことをすごく気にしていたような覚えがあるのだが、今となってはなぜかどうでもよくなっている。
決して性欲がなくなったわけではないが『仕事が忙しい』のその言葉が病気のように心を蝕んでどうでもよくなってしまったのかもしれない。
……いろいろ考えていたら醒めてしまったので風呂でも入って寝るか、と立ち上がろうとしたところで、ピンポーンとチャイムが鳴る。
「なんだ。こんな時間に宅配便か?」
時計を見れば十時過ぎ。さすがに営業時間は終わってるだろうと思いながら玄関にいく。
寸前で少し怖くなったのでドアの覗き穴から来訪者を見てみる。
「誰もいないなんてオチはないだろうな」
怖いのは苦手なのでそういうのは勘弁してほしい。あと髪がやたら長い女とか。
……だが現実にはちゃんとした人間が立っていた。よかった。
ハンチング帽に無地のTシャツの上にスーツそしてジーパンの無難なファッションの男だった。
相手がたぶん人間だとわかったところでこんな時間に訪問してくるのだから怪しいのには変わらない。悪いが居留守をつかわせてもらう。
音を立てないようゆっくりとした足取りで戻ろうとすると、ピンポーンとチャイムが再び鳴る。だけど居留守を決め込むと誓ったので無視無視。
その後も何度かチャイムが鳴ったが一向に出ないのであきらめたのかしばらくするとチャイムが鳴り止む。オレの粘り勝ちだ。
もしかしたらやっぱり幽霊だったんじゃないかと窓側のカーテンをチラッと開けてみたがバッと張り付いている、なんてことはなく安心して座り込む。
だがその時――、
「
ビクッと固まる。静かになったと思い安心したのも束の間、いきなり名前を呼ばれたのだから驚くなって方が無理である。
どこで名前を知ったのか。郵便物から名前を見たのか、個人情報をクラックして探り当てたのか、どんな真相かわからないが、どうやら無視できない事態に陥ってるのだけは確か。
おそるおそる玄関のドアを開ける。
目の前にはさっきの男が立っており、視線が合うとニッコリと微笑み、そして喋り出す。
「やっと開けてくれましたね」
「……開けざるを得んだろ」
オレの表情と声音から察したのか苦笑いに変わる。
「すいません。込み入った話があるのでできれば中に入れてほしいんですが」
「散らかってるんですけど」
「平気ですよ。それに足の踏み場がないほどではなさそうですし」
その視線はわずかに開いた玄関の床を見てのものだった。観察眼に優れている男らしい。
適当にあしらおうとしたがそういわれては断るに断れない。それに断ろうにも相手は得体の知れない者なので、断ればどうなるどうなることやらわかったもんじゃない。
「……どうぞ」
「嫌々なお招きありがとうございます」
顔に出たことを率直に口にし、根絶丁寧な口調のハンチング帽の男はオレん家へずけずけと足を踏み入れる。
「散らかっているなんてとんでもない。十分片付いているじゃないですか」
部屋を見渡しながらちゃぶ台の前に知れ者顔で座る。その友達面な感じにイラッとしながらオレは向かい側に座る。
「社交辞令とかいいから。何しに来たかはっきりしろ」
工程を全てぶっ飛ばし本題がなんなのかをきく。
「まどろっこしいのはお嫌いですか?」
「面倒な段取りが嫌いなだけだ」
それ以上に顔に張り付いたような微笑みが怪しさを助長させ気持ちが悪い。長時間の会話は拒みたい。
「そうですね。夜も遅いですし手短に話しましょう」
ハンチング帽の男も戸惑うことなく頷き、一呼吸置くと本題を口にした。
「倉科さん、魔法使いになってくれませんか」
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