第6章 我の裁決

1.


 教団の幹部を下がらせて、再びしつらえた広間の会議にて諮られたのは、今後の戦略である。

 ナツァトンは、先日の積極策を上回る攻撃案を提案してきた。近隣の村から兵糧を急遽調達したら全軍出撃し、なんと長駆トウエ=キョウドを襲撃するという案だ。今なら駐在伯の手勢が壊乱したため、防衛戦力は手薄である。そのことは、前駐在伯のグートも認めた。ですが、とグートは続ける。

「東部……あくまでベイティアから見ての話ですが、東部で攻勢に出るための王軍が王都を進発したと聞いており申す。春到祭の3日ほど前に聞いておりますゆえ、かの軍勢が変事を聞いて急行していると、いささか微妙なことになるかと」

 最悪、かの大都市を攻めている最中に逆包囲されかねない。グートの言外の含みはそれを物語っている。

 まだグートにしかるべき役職を与えていないため、ナツァトンの次に位階が高いのはユーゴスとなる。我に問われてもしばらく猶予を乞うた彼がやがて切り出した案は、救援前の線まで戻る。つまり、退却であった。

「ただし、かの教団の内、我らに一味同心した者を引き連れての退却です。魍魎になることを拒む者はここに移住させます」と彼が地図上で指し示したのは、西部戦線の前線近くにある小さな村。

「先ほどの顛末で、あえて無礼な表現を使わせていただきますが、陛下に失望した者どももおりましょう。その者たちはここに置いてゆくことにします」

 大胆策か、堅実策か。我は2つの提案を整理し、場に検討を委ねた。

 その討議を聞きながら、我は心中密かに落胆していた。

 先ほどの説明において、かの教団が我を"救い主"と呼んでいたわけは分かった。

 だが、分かるべきではなかった。なぜか、その思いだけが我の心の中で繰り返される。

 思えば我は、魍魎たちに無条件に崇敬されている。なぜなら、彼ら彼女らの我に向ける忠誠は理屈ではないから。利害や思惑、あるいは因縁の絡んだものではないのだ。

 しかるに、教団は違う。初めに、娘の幸せが暗転したことに対する憤懣があった。そしてその憤懣は核となり、同じくキャピタの家に様々な不満を持つ輩を集めた。だがそれは所詮、教義の検討に名を借りた、愚痴の言い合いによる慰めの場でしかなかったろう。

 それが、とある男の魔王賛美で別の核を得た。キャピタ(とその信徒)の無情さと傲慢さを嘆きながらも、ほかに寄るべき精神的支柱を見つけられなかった教団は、魔王というキャピタの対極に位置する存在を手に入れたのだ。

 かくして、あくまで概念上の"対極の主神"が作り上げられた。そしてその至高の存在は、キャピタのように信徒がどれだけ乞い願っても姿を現さぬ"ケチ"なことをしない。魔王が、つまり我が再誕したと知った時、彼らの狂喜は如何ばかりであったか。想像したくもないが、想像するに難くない。

 彼らは、いや我らは、出会うべきではなかったのではないか。我はキャピタと同じく概念上の至高の存在として、彼らは我を信奉する好ましきヒトたちとして、遠く離れてお互いを想う。それで良かったのではないか。

 片耳で聞いていた検討は、膠着しているようだ。ナツァトンより何枚も格下であるユーゴスは健闘していると言えるが、埒が開かない状態になっていることも事実。

「しばし、休息しよう」

 我は席から立つと、屋敷の外に出るべく出口に足を向けた。


2.


 どこへというあてもなく、村内をぶらつく。我はニカラに声を掛けた。

「主宰の話、そなたはどう思った?」

「んー、そうっすねぇ」

 ニカラは頭をポリポリと掻きながら答えた。

「食い詰めもんが、てめぇの居場所探ししてるだけじゃねぇすかね? 結局、自分でどーにかしようってんじゃ無さそうですし」

「ふむ……」

 これで存外常識人のニカラの評論は、奇しくもトウエ=キョウドの宿屋の主人と同じものだった。そのことに我は、妙な安堵を思えていた。

「コンよ」

「はい」

 コンは自分にも問いが投げかけられるのを予期していたのだろう、即座に返事が返ってきた。

「先ほどのおなごだが――」

「おなご? ああ、広間でのお話ですね」

「うむ。大層な狂乱振りであったな」

 コンは苦笑する。井戸端にいた住民たちが平伏するのに手を挙げて応えながら、我は続けた。

「我がそなたを馴致した時、あれほどまでに拒絶された覚えがないのだが」

「……それは、ヒトそれぞれかと思います」

「そなたは、良かったのか?」

 重ねての問いにコンは一瞬絶句したあと、ぽつぽつと語りだした。

「……あたしは、あの晩、死ぬつもりだったんです」と。

「夫に捨てられて。行商から帰って来て仲間と打ち上げして、夜遅くに帰宅したら、家に別のおなごがいて。……子どもまで、そのおなごに懐いていて」

 我の前を走って横切る子どもたちを衛兵が叱ろうとして、我は黙って手で制した。慌てて飛びのき地面に這いつくばる子どもたちに声を掛け、我らは四つ角を右へ曲がる。

「行商の稼ぎを袋ごとおなごに投げ付けて、家を走り出たんです。走って、走って、でももう門は閉まってたから、近くの林で首をくくろうと思ってたのにできなくって。……行商仲間のところに行く気にもなれなくって、でも道をふらふらしてたら巡邏に捕まっちまうから、適当な建物の影でうずくまってたら……魍魎の吼え声がして」

 ニカラがぼそっと呟いた。

「オレだな」

「……肝が冷えたよ。まったく心の準備がなかったんだから。しばらく様子を見て、もっと大きな吼え声のした方向から遠ざかろうとして大通りに出たら……」

「我がいたわけか」

「……はい。陛下が走ってこっちに向かってくるところでした。周りの人たちは気づいて逃げ腰で、あたしも一緒に逃げようとしたんですけど、ふと思ったんです。『ああ、これであたし、自由になれる。あいつらとのしがらみも無くなる』って。……そしたら身体、動かなくって」

 我が立ち止まって振り返ると、コンは泣き笑いしていた。

「……すみません、こんな時に泣いちまうなんて」

「よい。語らせたのは我だ。すまぬ」

 目礼すると、コンは恐縮した様子で縮こまった。

「ですから、陛下には感謝しております。こうして仕事ももらえて、メシ……いえ、食事も食べさせてもらえるんですから」

「メシ?」

「うるさい!」

 コンに肩を張り飛ばされたニカラが、向いた方向でいぶかしげな声を上げた。

「……なんだ、ありゃ? ケンカっすかね?」

 我が彼の指差すほうを見ると、その先にはそれぞれ齢が違うと見える女たちが6人いて、四辻の角を曲がっていった。そのうちの1人を羽交い絞めにして、嫌がる彼女を村の外へ連れ出そうというのか、北門のほうへ引きずっていく風情である。

「追うぞ!」

「! へい!」

 我は土ぼこりを上げて駆けた。一瞬遅れてニカラが続き、さらに遅れてコンと衛兵が走る。

 四辻の角を曲がると、女たちはさほど進んでいなかった。頭に例の角飾りを着けているところを見ると、全員教団の者なのだろう。羽交い絞めにされた少女の白衣と長くまっすぐな黒髪に、我は見覚えがあった。

「何をしておる!」

 我は叫んだ。自分でも驚くほど強く、大きな声で。

 我の声が届いた女たちは驚き、振り返ると慌てて皆平伏した。にもかかわらずまだ両腕を押さえつけられたままの少女を見て、我はわけも分からず憤激した。早足で歩み寄ると、女たちの後頭部に怒声を飛ばす。

「答えよ! その前に、その手を離せ!」

「え?! いえ、しかし……」

「王の命に従わぬか!」

 と衛兵が凄み、彼女たちは、それでも渋々といった態で少女を解放した。

 羽交い絞めにされていた少女は、やはり昨夜の訪問者であった。真っ青な顔をして唇を噛み締め、震えている。その口元は、赤く腫れているではないか。改めて怒りを覚えながら、我は女たちを見下ろした。

「お、恐れながら申し上げます。こ、こいつは、昨夜無断で救い主様の下に忍び込んだとのことですが――」

「忍び込まれた覚えはないが」

 我の指摘に、上申してきた20代と見える女は反論してきた。

「この子は私たちとの協定を破りました! 救い主様には近づかないこと、行くとしてもみんなで行くこと、そう誓っていたのに! だから、この子にお仕置きしようと思って……」

 我は当初の勢いを失って、げんなりした。話し終えて、ぐっと口を引き結んだ女にゆっくりと話しかける。

「協定を破ったことは、この娘の手落ちである。そなたのいうお仕置きとやらがどのようなものかは分からぬが、我は、そなたらが我に会う会わないなどという瑣末事で争うことを良しとせぬ。この件はそこまでにせよ」

「あの、ちょっといいすかね?」

 ニカラが手を挙げた。コンと衛兵の目じりも釣りあがるが、構わず我に話しかけてくる。

「せっかくですから、陛下に会いたいっつうスケ……じゃない、おなごの願いもかなえてやりませんか? もう会議に戻らなきゃいけない時間すから、ひるめ……昼食にでも呼んで」

 我はしばし考えたあと、女たちに告げた。

「よかろう。ただし、全員というわけにはいかぬ。取りあえず、ここにおる者たちで昼食時に屋敷へ来るがよい。それから」

 望外の成り行きに喜びかけた女たちが、怪訝そうな顔をして再び頭を垂れる。

「我は救い主と呼ばれるのを好まぬ。王にふさわしき呼称で呼ぶがよい」

 我はきびすを返すと、屋敷に向かって歩き始めた。後方で歓喜の声を上げる女たちの視線を感じながら。

「ニカラよ」

「へい、すみません。出過ぎました」

「うむ。意見は良い。ただし、余人の前で意見をする時には、言葉をちゃんと整えよ。我は酒場の親父ではないぞ?」

 いささか冗談めかして終えると、我は我らを探して向こうから走ってくる兵を見とめて、手を挙げた。


3.


 会議はその後、1時間ほどして跳ねた。近隣から徴発できる兵糧の量及びそれらがこの村に搬入されるまでの必要日数を大至急調査すること。それとともに、王都からの遠征軍がどの辺りまで来ているのかを探る騎馬偵察隊の急派。つまり、ナツァトンにユーゴスが押されたのだった。

「よかろう。ただし――」と我は付け加えた。

「博打はしてもよいが、暴走はしてはならぬ。よって、兵糧が想定より集まらぬ場合、あるいは偵察の結果遠征軍が想定より接近している場合は中止とする」

 この件はこれで決定した。続いては、『勇者の一般公募』に関する件だ。グートが席から立ち上がり、彼の記憶を基にした報告を始めた。それによると、勅令は10日前にトウエ=キョウドにも届き、早速市街に掲示し、また地域内の全ての町村に写しを配布したとのことだった。

「誰かが応募する気配はあったか?」

「いえ」とグートの答えは短かった。

「民衆の反応を私の手の者が探りましたが、皆鼻で笑っておりました」

 さもありなん。我はこの話題をこれで終わらせようとしたが、着席したグートの表情を見て続きを促した。

「これはあくまで噂の範囲ですが――」

「ふむ?」

「王国の西方辺境で、応募せんとする若者がいるとか」

「……それはどういう経路で耳にしたのか」

 我の問いに、グートはさして面白くもなさそうな顔で答えた。

「王宮のさる筋からの情報でございます」

 この男は、本当に宮廷に戻りたかったのだな。そこが、この男の棲むべき場所だったのだろう。少なくとも彼自身はそう信じていたはずだ。

「その若者が応募したとして、我のところにたどり着くまで、どのくらいの月日がかかると思うか?」

 じっと考え込むグートを待つことしばらく、彼は口を開いた。

「その者が王都に到着するのが、おそらく1カ月ほどかかるでしょう。勅命に応じた者ですから、王宮官僚どもにたらい回しや無視されることもないはず。とすれば、あとは勇者たる試練に適うことさえ証明できれば――」

「できれば?」

「吉日を選び、聖別式が挙行されるでしょう。それからさらに吉日を選んで出陣式を行い、王都から出発してここまでたどり着くのに――」

 しばし黙したグートは、王都からここに至るまでを3週間と推論した。ナツァトンも、そのくらいだろうと賛同する。

「最短で2カ月弱、か」

 これほどまでに勇者が急募されるなど、未だかつて無いことである。先代までは、ベイティア側にも勇者抜きで何とかしようという気概というか傾向があって、10年待っても勇者が来ないことはざらであった。勇者の家門に該当者が現れるのを待っていたからという理由もあるだろう。

「グートよ」とナツァトン将軍が問いかけた。

「一般公募なぞするなら、なぜこの時期なのだ? 恐れ多い物言いとは承知しているが、陛下が再誕される前に勇者を送り出せば、ことはもっと容易く済んだはず。この15年間、一体何をしておったのか、知っておらぬか?」

「それについては、王室と家門なりのお考えがありまして」

 王室としては、魔王もいない以上、内乱の火種になる勇者を作り出したくない。勇者の家門の増長ぶりも目に余る。

 一方、勇者の家門としては、勇者を乱造されて自己の権威が薄れてしまうことは避けたい。

 そんなところでせめぎあいがあり、今回も結局我が現れるまでずるずると結論が引き延ばされてきたのだそうだ。

 それにしても、存外の短さである。だが、だからといって怖気づいてもいられない。

「ご安心召されよ。このユーゴス、勇者めが接近して参ったら、軍勢にて十重二十重に押し包み、必ずや討ち取ってみせまする」

 ユーゴスの言葉をきっかけに、他の武将たちも口々に同様のことを述べてくれた。実際の話、勇者が魍魎の王の眼前に立つ前に、我らが軍勢に数で押されたり、伏兵に遭って戦死に果てることは多い。勇壮な一騎打ちの風習は廃れて久しく、もはや懐古の武勇伝である。

「そなたらの心意気、嬉しく思う。よろしく頼む」

 膂力も剣技も持たぬ王たる我は、素直に頭を下げた。



 チマオ侍従長へグートの処遇を相談する使者を手配し、兵糧の調査と騎馬偵察の件は武将たちに一任して、我は昼食を摂るべく中庭へと向かった。

 朝晩はまだまだ冷えるが、昼ともなれば柔らかな陽光が地上にあまねく降り注ぐこの季節、屋内にいるばかりでは気が詰まる。よって昼食は天候が悪化しない限り、中庭に大きな机を持ち出させてすることとしていた。

 中庭に足を踏み入れた我の眼に、例の少女が写った。ただ1人所在無げに、しかし優しげな表情で歩きながら、中庭に整えられた花壇を見て回っている。初春ゆえまだ花が咲いているものは少ないが、それでもところどころに赤や黄色、白の花模様が色づいているさまは、昼食の準備に立ち働く給仕たちの喧騒とは無縁の静謐さである。その花壇の間をふわふわと歩く少女の白い服が、まるで花から花へと飛び回る蝶のようで、我はしばしその光景に見とれていた。

 給仕たちが我を見つけて、一斉にお辞儀をした。その物音に蝶ならぬ少女は驚き、慌ててぺこりとお辞儀をする。我は少女に近づいて、話しかけた。

「そなた独りか?」

「は、はい! お招きいただき、ありがとうございます! あの……」

 お辞儀をしたまま言いよどむ少女の面を上げさせる。健康的に日焼けした端正な顔が、申し訳なさそうに沈んでいる。

「皆さん、ご家族の方と大事なお話し合いがあるそうです。お昼を食べてからにしてくれってお願いしたんですけど……どなたも受け入れてもらえなくって……」

 家族でお話し合い。我が午前中に命じた"選別"のことであろう。

「あのー。陛下?」

「ん? なんだニカラ?」

「てことは、昼飯、余るんですよね?」

「ニカラ!」

 察したコンが声を上げる。我は笑ってニカラに言った。

「余った昼食は、そなたとコンのために取って置くように命じる。だが、そなたらは我の護衛。一緒に食卓には付けぬ。そこは我慢せよ」

「ありがとうございます! じゃあ、オレは2人分を――」

「ニ カ ラ !」

 コンににらまれて大仰な身振りで恐縮するニカラの仕草を見て、少女も我も笑った。

「そういえば、そなたの名をまだ聞いておらぬな。我はレイト・ローザン・ボウツキ。今生こんじょうはこの名において魍魎を統べし17番目の王である」

「は、はい! マルカ・ルークスと申します!」

 緊張したのだろう、びしっと気を付けの姿勢で名乗る彼女の姿がおかしい。

「あ、あの、何かおかしなことを申し上げましたでしょうか?」

 首を振って否定していると、将軍たちも中庭にやってきた。わけを話し、昼食の席次は今日限りの賓客として、マルカを我の横に座らせた。

 昼食会とは言っても、前線ゆえ豪華なものではない。別に本拠でするそれが豪華というわけでもないのだが、戦陣での干し肉と干し葡萄三昧よりは遥かにましである。

 その食事が進み、マルカも緊張がほぐれてきたのだろう、ようやく笑顔が見えるようになった。

「マルカはどこの生まれか?」

「スンラ=フォです。えーと、王都の西のほうにあるのですが」

「おお、スンラ=フォか」とナツァトンが反応した。

「わしの家は、その近くのスベネルクの領主であった。スンラ=フォの葡萄酒祭に行って、へべれけになるのが毎年の楽しみであった」

 ナツァトンが珍しく、往古を懐かしむような眼で遠くを見ている。

「兄者は今でこそ身体を壊して酒を飲みませぬが、あの頃はその時期が近くなるとそわそわしだしましてな、わしに一緒に行けるかどうか、くどいくらい手紙で聞いてきたものでございます」

 我への説明に、思わず吹き出した。あの謹厳実直な侍従長が将軍と2人、へべれけになっている光景など想像もできない。

「ルークスということは、そこの領主殿の一族か?」

 とナツァトンから重ねての問いに、マルカは小さく頷いた。

「はい、でも父と母からは分家も分家、ほぼ他人だから名乗りには気をつけよ、と言われておりました」

「そなたはご両親からは離れて暮らしていたのか?」

 ユーゴスの不審げな問いに、マルカは言葉に詰まったあと、静かに答えた。

「父と母は、ここへ移住する途中で亡くなりました……」

 移住の際、馬賊に襲われて母親が殺され、それを庇って刀傷を受けた父親も、傷が悪化して亡くなったのだという。

「すまぬ。由無いことを訊いた」

 ユーゴスが謝罪して、マルカはとんでもないと手を振った。

「あの、陛下に伺ってもよろしいでしょうか?」

「? うむ」

 我が葡萄酒を飲み干すのを待って、マルカが問いかけてきた。先の会話になるまで、実はちらちらと我のほうを見る彼女の視線を感じていたのだ。何か思うところがあるのだろうと、質問を許可する。

「私は、魍魎の王は出会う人出会う人を魍魎に変える恐ろしい魔王だ、と子どもの頃から聞かされて育ちました」

 列席の武将たちの会話が止む。

「でも、陛下にお会いしてから、魍魎とされたのはタヘリア様しかいません。いったいどちらが、本当なのでしょうか?」

「ふむ、我はそのように思われておるのか」

 いささか心外である。が、つらつら思ん見るに、我の意図を喧伝したことがかつて無かったことに気付いた。おまけに、我にもベイティア王にも、主神キャピタにすら、魍魎をヒトに戻す術は無いときている。なるほど、我を見て皆逃げるはずである。

 我は姿勢を立て直すと、マルカに答えた。

「ヒトを皆魍魎にする気など、我には無い」

「まあ! そうなんですか?」

 と真から驚いた顔をするマルカ。武将たちの囁きを聞くに、知らぬ輩もいるらしい。我はきちんと説明してこなかった不明を改めて恥じ、マルカに説明を続けた。

「なぜなら、我を含めて魍魎は子をなさぬ。まぐわうことはあっても子が出来ぬゆえ、ヒトを全て魍魎にしてしまったら、あとが続かぬ――どうしたマルカ?」

 武将たちにも改めて聞かせるつもりでまっすぐ前を向いてしゃべっていたら、皆の視線が我ではなくその横の席に集中しておるではないか。ふとそちらに眼を向ければ、そこには首筋まで真っ赤になって俯くマルカがいた。

「気分が悪いのか? 葡萄酒を水で割らなかったのか?」

 ユーゴスが、おずおずと言上する。

「陛下、恐れながら申し上げます。うら若き少女の面前で……その……」

「なんだ?」

「いえ、その……臣が愚考いたしまするに、『まぐわう』という表現はちと、刺激が強すぎるのではないかと」

 我にはわけが分からない。

「なぜだ? 事実ではないか?」

「事実だからこそ、マルカが赤面しておるのでございます!」

「ふむ……」

 そういうものか。

「では、乳繰り合うなら良いか?」

「何も変わっておりません!!」

 我の背後で、ニカラとコンが吹き出し始めた。殊勝にも堪えていたらしい武将たちも、ナツァトンの抵抗が決壊したのをきっかけに爆笑と盛大な咳き込みが始まる。マルカまで真っ赤なまま、くすくす笑い出したではないか。

「ぬぅ、難しい生き物だのう、ヒトとは」

 なんだろう、この疎外感は。我独りが笑えぬまま、どうやら昼食会は盛況にてお開きとなった。


4.


「では陛下、おいしいお食事をありがとうございました」

 屋敷の玄関前までマルカを送ると、彼女はいたって恐縮の態で謝辞を述べた。

「よい。我も満足だ。この屋敷の料理人はなかなかの腕前であるな」

「はい。楽しい昼食でした。久しぶりに」

 久しぶりに、か。昼食時に交わした会話の陰に、マルカが教団内でも孤独である様子が仄見えた。いたって快活で物おじしない性格と見受けられるが、何か人を寄せ付けないものが彼女にあるのだろうか。それとも、教団内の有力な誰かが、彼女を嫌い抜いておるのだろうか。

 村人が1人、血相を変えて駆けてきた。

「恐れながら申し上げます!」

 ニカラとコンが素早く動いて、我とマルカの前に壁となった。衛兵も一斉に槍を構える中、村人は地に膝を突いて叫んだ。

「村長と村長が言い争いをして――」

「あぁ? なんだって?」

 ニカラがすごむと村人は怯んだが、我が補足してやった。

「グラデシュとポドンラーが言い争いをしておる。そうだな?」

 村人は頷くと、一旦つばを飲み込んでからまた叫んだ。

「それが、引き連れている者同士の喧嘩になっちまいまして、村の倉庫の前で」

「ユーゴス!」

 暫定的に村の守将に任じてあるユーゴスを呼んで、騒動の鎮圧を命じた。

「まったく……」

 愚痴りながら踵を返そうとした我を、コンが止めた。

「陛下、もし良ければですけど、騒動が収まるまでマルカちゃんを屋敷にいさせたほうがいいんじゃないですか?」

「おお、それもそうだな。マルカよ、しばらくここにおれ」

 マルカが頭を下げるのを待たずに、屋敷の警備責任者を呼んで、部屋を提供するよう命じた。

 騒動の主犯たちが屋敷に引き立てられてきたのは、それから30分ほどしてからだった。グラデシュもポドンラーも顔に青痣を作っている。

「まったく……」

 我は不機嫌さを隠さない。決裁せねばならない文書が溜まっているというのに。

「この男が私に掴みかかって――「グラデシュ!」

 我は切りつけるように、教団主宰に言葉を発した。

「誰が発言を許可した? 王に対して伺いもなしにしゃべって良いのは伝令と斥候だけだ!」

「ひっ!」

 主宰は縮こまった。我はもうひとにらみすると、ポドンラーに発言を許す。

「春到祭から1週間、ほとんど耕作ができておりません。陛下のおかげをもちまして包囲から解放されましたので、今朝から土起こしを行って戻ってきたところ、この者たちが種籾の入っている倉庫の前で私たちに因縁をつけてきたのです」

「グラデシュ、お前の言い分は?」

「この村の物は全て救い主様のものです! それを断りもなしに使用するなど不届き千万!」

 我は深くため息を吐いた。

「ポドンラーよ、村の損害は?」

「は、壊されました物はございません。怪我をした者が4名、そのうち1人は腕を骨折しております」

「グラデシュよ、弁償の方法はポドンラーと相談せよ。取りあえず、骨折をした者の耕作を代行する者を出せ」

「な、何ゆえでございますか!」

「グラデシュよ」と我はゆっくりと言った。

「この村にある物は、我の物ではない。お前がいた王国では、万物はキャピタと王の物であったかもしれぬ。だが、ここでは、いや、我の支配する土地では違うのだ」

 グラデシュもポドンラーも、眼を見張っている。

「我はこの村を占領している。もしこのまま占領するなら、我がこの村に望むことは2つ。我に逆らうな。年貢と税を必ず納めよ。それだけだ」

「し、しかしこの者たちは、救い主様に逆らいました――」

「うつけ!」

 我は叱責した。この者は不遜に過ぎる!

「我がいつお前に種籾を守れと命じた? 逆らう村人に害をなせと命じた? 勝手に我の代理を名乗るな!」

 ようやくにして合点がいった。この者は、大使徒になりたいのだ。キャピタではなく、魔王の。

「グラデシュよ」と我は三たび言った。

「よう分かった。我はお前たちの救い主ではない。我は魍魎を増やし、支配地を拡げ、ヒトの王国を滅ぼしてこの地上をあまねく魍魎の国としたい。だが、それがお前たちの救いになるかどうかなど、我のあずかり知らぬところと知れ」

 グラデシュは赤くなり、青くなり、肩を落として我の前を辞していった。

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