第3章 我の救援

1.


 我の親率する兵団は、我がトウエ=キョウドを脱出してから2週間で、拠点都市タンザの西方にあるコミュニソーシャ近郊へ密かに進出していた。タンザから馬で4日ほどの距離にあるこの村に住まう、魔王こと我を信奉するという団体を救援するためである。

 ここに来るまでに、我の側近たちの間で教団に関する議論が交わされたこと、我の脇腹の刺傷がある程度回復するのを待ったことにより、思いのほか時間がかかってしまった。

 チマオ侍従長は、救援に慎重な姿勢を示した。『場所が悪い』という彼の論点は、かなりの説得力を有している。コミュニソーシャは南方戦線と西部戦線のちょうど中間地点にあるのだ。どちらの戦線からも3日以上の行程が掛かり、救援が成功しても連絡線を寸断されて孤立しかねない。

 一方で積極策を押すのはナツァトン将軍である。チマオの実弟であるこの南方戦線の総司令官は、ヒトであったときから猛将として知られていた。この兄弟を馴致したことは、先王の赫々たる功績であろう。

 彼の積極策は、『むしろコミュニソーシャを野戦陣地化して敵をかの地と両戦線の隙間に誘い込み圧殺する』という剛毅な物。一気に支配領域を広げられる利点はあるが、両戦線の連携はどうするのか、それまでコミュニソーシャの兵糧は持つのか、それ以前にかの地の野戦陣地化が間に合うのかなど、問題が山積みである。

 我は、会議の成り行きを黙して聞いていた。表情もわざと平板なものにして。我は魍魎たちの王であり、その言葉は絶対である。我がどちらかの持論に眉を上げでもしたら、それだけで議論の方向が決まってしまいかねない。4代前の王は表情を隠すのが苦手で、それゆえ会議は常に出席者から見えぬところで聞いていたほどだ。

 一方で我は、独りで考えて決断せねばならない。その時が来た。

「陛下。ご決断を」

 侍従と将軍に促され、我はしばらく考えたのち、命を下した。

「救援には向かう。ただし、誘引撃滅策は、罠を仕込む時間と資源が限られているため、万が一に備えてのナツァトンの出動待機までとする」

 全員が黙礼して、事は動き出した。

「ナツァトンよ」

 我は会議を終え、南方戦線へと戻るため早々に席を立った将軍を呼び止めた。翻って片膝を突き、控える将軍の肩に手をかける。

「すまぬな。今回はまさに危急の事態だ」

「いえ。わたくしは陛下のご決定に従うのみでございます」

 つまり、納得はしてないが命令には従う、従わざるを得ないということか。我は苦笑した。

「そなたの連行してまいったヒトの数、今回は多いな。ありがたく思うぞ。これからも頼む」

 我の言葉を聞いて、やっと顔を上げて莞爾と笑うナツァトン。戦果を褒められたことが嬉しいらしい。我としては『これからも頼む』に力を込めたつもりだったが、はたしてこの男の耳にちゃんと届いたかどうか。

 猛将は同時に殺戮者でもあり、『行く手に立ち塞がる者は皆殺し』が信条だ。困るのは、降伏の意志を示した者、すなわち我の元に連行して馴致を施せる者まで殺してしまうところなのだ。ただでさえ人手不足なのに、と会うたびにたしなめているが、一向に堪えない。困ったものだ。

 しかして今、我は3月の陽が届かぬ雑木林の中にいる。手勢は300名。その中から目端の利く者3人を斥候としてすぐに出し、我は設営されたばかりの幕舎の中で独り目を閉じて帰りを待つ。

 走る足音が遠くから響いてきた。斥候の1人が戻ってきたようだ。

「ご注進! ご注進!」

「うむ」と我は幕舎の入り口に掛かる幕を自ら開け、平伏する斥候を見下ろした。肩で息をしながら、彼が口を開く。

「村の周りを軍勢が取り巻いております! その数、およそ300!」

 遅かったか……!

 続いて馳せ戻ってきた残りの斥候たちも、同様の報告であった。違ったのは、軍勢の数。多くて400、少なくて300という結果になった。

 我は斥候たちに下問する。

「軍勢は村の周囲を取り巻いておるとのことだが、何をしておった?」

 斥候たちはお互いに囁きを交し合ったあと、2番目に戻ってきた斥候が答えた。

「わたしが一番近くまで接近したようなので、お答えいたします。軍勢は陣地内にて、村側で何やら作業をしておりました」

「ふむ……どのような?」

「わかりません」と斥候は平伏する。

「よい。そなたの落ち度ではない。兵士たちが集団で何かをしていた、ということだな?」

 斥候の頷きに、我は即断した。改めてその斥候に命じる。

「ナツァトン将軍に伝令だ」


2.


 夕方、我自ら斥候に出かけた。やはり幕僚にいい顔はされなかったが、魍魎の斥候より目立ちにくいため、敵陣に近づいて視察ができるのだ。

 敵陣まで50歩ほどまで接近して、茂みに隠れて様子をうかがう。途中で哨戒の兵に全く会わなかった。たまたまかもしれないが、どうも先ほどから陣門を兵が出入りする様子が無い。

(総出で何かをあそこでやっている、ということか? ……む? なんだあれは?)

 陣門が開かれ、一群の男女が中から吐き出されてきた。身なりからして農民と見える彼らは、我の注目を引くに足る物を肩に担いでいた。すなわち、鍬とモッコである。それらの道具も服も、一様に泥に塗れているのを見て、我は思い至った。

(穴、もしくは堀を掘っているのか!)

 たとえそれが墓穴だとしても、まだ使用されていないことは、村からと思しき夕餉の支度に立ち上る煙から推察できる。だが、それが明日使用されないという保証はないのだ。

 夕闇が一帯を包み始めた。我も陣地に帰還する時間だ。哨戒にかからぬよう屈んで戻りながら、我は考える。南方戦線に走らせた早馬が約1日、そこからナツァトンが此方まで強行軍で駆けつけて約2日、つまり計3日かかる。軍勢の兵に加えて近在の農民まで動員しているのだ、駐在伯はかなり作業を急いでいると見ていいだろう。

("その日"が明日か、明後日か……)

 ふと振り返った高台。闇の暗さにまたたく村の光は、どことなく儚げであった。

 翌日は昼前から雨。兵たちに急いで樹間に屋根を掛けるよう指示を終えた指揮官のユーゴスが、我の幕舎に戻ってきた。

「ご苦労、ユーゴス。哨戒の兵は?」

「はっ、変わらず3つの部隊から交代で出しております」

 頷いて、我は地面に直に敷いた綿の敷物の上に、片肘を突いて横になった。聞くところによると、ヒトの王はこういう時のために黄金作りの椅子やら食事の道具やらを同行させるらしいが、急速前進や後退をする必要のない、まさに王者の所業ではある。

「陛下」

「ん?」

「質問をお許し願えるでしょうか?」

 本人いわく『貧乏貴族の隠し子』であったユーゴスの言葉遣いは、魍魎の中でかなり高い割合を占める平民とは違って丁寧である。我は起き上がって座り直し、ひざまずく指揮官に眼で促した。

「かの者どもは、なぜ陛下をお慕い申し上げておるのでしょうか?」

 我は、コミュニソーシャ教団救援決定後、脇腹の治癒を待つ間に行った事情聴取を思い出す。我が再誕してから馴致した魍魎たちを代わる代わる奥の院に召喚し、かの教団に関して知っていることを洗いざらい語らせたのだ。

 教団の指導者は、グラデシュという名の壮年男性。信者数はさすがに分からないが、最初は『キャピタの家の教義について議論を深める』という趣旨の小さな集まりであったようだ。

 それが、どこをどう議論が踊ったのか、魔王を崇める集団へと変貌した。もっともそれが露見したのはつい先月のことで、それまでは入団を会員制として制限し、秘儀を受けた者のみが語らう秘密主義の団体として、胡散臭くは思われていたようだ。

 さすがにトウエ=キョウドに居づらくなったのか、コミュニソーシャの村に全員で移住したのが先々月であると言う。それでもその秘密主義に惹かれたのか、信者の数は増え続け、そしてついに駐在伯を、王国を敵に回してしまった。――というのがこれまでの流れであることが分かった。

 だが、肝心の"なぜ魔王を信奉するのか"は分からずじまいであった。魍魎の中に信者がいないのだから当然ではあるのだが、どうにもモヤモヤする。

 ふと、我は思いついたことをユーゴスに下問した。

「今のそなたにとって、主神キャピタとは信奉するに足る存在なのか」

 答えは否であった。

「それは、今は魍魎であるからか?」

 それも否、とユーゴスは首を振る。

「私は以前お話しましたように、貴族の隠し子でした。母は捨てられて困窮にのた打ち回って死にました。私は貴族の子として母に厳しく躾けられましたが、母が死のうが私が成人しようが、その貴族からはなんの音沙汰もありませんでした」

 ユーゴスは瞬きもせず、我の膝の辺りを見ながら言葉をつぐ。

「私は主神キャピタに祈りました。祈り続けていました。母がその貴族の殿様のところへ戻れますように。母の病気が治りますように。殿様が、いえ父が、私のことを思い出してくれますように」

 ですが、とユーゴスの口調は淡々と変わらない。

「祈りは何一つ聞き入れられませんでした。不満を持つ私に向かって、祭司は言ったものです。『お前の信心が足りないのだ』と。そこで私は言いました。『では祭司殿、祈られよ』と。『私に今ここで殴られぬよう、神に祈られよ』と」

「結果は?」

 我の問いに、ユーゴスは顔を上げて笑った。

「お察しください」

 そのまま全てを投げ出して逃げて、逃げた先で魍魎の軍勢に捕縛されて今に至るのだと説明して。ユーゴスは次の言葉で結びとした。

「ですから、私は知りたいのです。かの信者たちがどのような理由で陛下を信奉しているのかを。キャピタを捨て、陛下を選んだ理由を」

 我を選んだ理由が知りたい。それは、我がここまで来て野営をしている理由でもあった。チマオ侍従長は諸々を勘案して、この男を指揮官に選んだのだろう。

 他の幕僚たちも、陣内の見回りを終えて戻ってきた。戻ってきた斥候の話では、陣中に動きなく、村のほうも騒ぎらしき物音は無かった、また、兵による陣地周囲の哨戒が始まったとのこと。斥候に用心するよう改めて伝えさせると、幕僚たちと昼食を摂る事にした。

 昼食は朝食と同じ、五穀粥に干し肉2切れ。口直しに干し葡萄を数粒放り込めば、会食終了である。雨はやむ気配もなく、かと言って気を緩めるわけにもゆかず。我はこの機会に陣内を巡察することにした。

 初陣以来、供を申しつけているニカラに傘を差してもらって、コンとともにぬかるんだ雑木林の中を歩いて回る。このような状況で必ずと言っていいほど起こる、兵同士の喧嘩や賭博もないようだ。だが、我は気になることがあった。我の姿を見かけた兵たちが、なにやら眼を細めたり、にやにやしているのだ。

「陛下? どうしやした?」

 ニカラが我の不振顔を見て声をかけてくる。下卑た口調だが、これでも彼なりに丁寧語を使っているそうだ。

「うむ、兵が……というか、お前もなんだが」

「へぇ」

「なぜ我を見てにやつく?」

 我の問いに過敏に反応したのは、ニカラではなくコンだった。ばっと後ろに飛び退き、平伏を始めたではないか。

「! どうしたのだ!」

「申し訳ございません! あたしのせいでございます……」

「いやね、ああいや、いやですね、陛下」

 ニカラがいよいよニヤつきを大きくし始めた。

「雨の中、スケと傘で2人きり、ってぇのがですね――」

「? スケとはなんだ?」

「へ? おなごのことですが」

 とニカラが首をかしげるが、分からないものは分からない。

「おなごと傘で2人きり、が何故にやつけるのだ?」

「それはですね、そのおなごと恋仲だったり、夫婦である男女のすることだからだそうですよ、陛下」

 いつの間にか追いついてきたユーゴスが笑って言った。相合傘、と言うそうだ。

「ふむ、そういうものか」

 ヒトの習俗は移り変わりが激しい部分があって、正直よく分からぬ。先王たちの記憶にはないので、最近広まった風潮なのではないか。

「また1つ勉強になった。ニカラ、コン、ユーゴス。礼を言うぞ。というか、コン、ずぶ濡れではないか!」

 我に指摘に気が付いたユーゴスの差し出した傘に、彼女は収まった。

(ん? コンはユーゴスと相合傘になるのは構わぬのか?)

 幕舎への帰り道、今一つ腑に落ちぬ我であった。

 夕刻、斥候が水溜りを蹴散らして駆け戻ってきた。幕舎で報告を聞くことにしたが、それは驚天動地の内容であった。

「トウエ=キョウド駐在伯の旌旗が見受けられます!」

 我は驚き、ついで唇を引き結んだ。かの大都市からここまで4日から5日ほどかかる。このような場所に、駐在伯自らやって来るとは!

 ユーゴスが悔しげに地面を蹴った。

「合流することが分かっていれば、途中を襲うこともできたのに!」

 斥候に罵声を浴びせようとした指揮官を、我は止めた。

「よせ。斥候の網を広く取らなかった我の失態である」

 と同時に、それは指揮官たるユーゴス自身の失態でもある。そのことを分かっているのか、この男は。

 幕僚たちの議論が始まる。

「駐在伯自ら、何しに来たのだ?」

「決まってる。陣頭指揮だろう」

「あんな、ろくに武装も防御施設も無い村相手に? といか、なぜ今頃やって来るのだ?」

「それより、駐在伯がまさか1人でのこのこやって来はするまい。多少なりとも手勢を引き連れてきたはず」

「戦力比較の再考が必要か……」

 我は議論を聞き流しながら、明日以降の成り行きを考えた。が、それは暗い予測ばかりで、外の雨もあいまって我の気分を沈ませた。


3.


 滞陣3日目。昨夜中に雑木林の別の地点に陣替えをして、付近の農民たちに我らの存在がばれぬよう計らった。その意味で恵みの雨は夜明け前に上がったが、同時に村周辺の土木作業も再開したようだ。桶を荷車一杯に積んだ農民たちが斥候に目撃された。

(堀、もしくは墓穴に溜まった水の汲み出しか)

 我は朝食の干し肉をかじりながら考える。村を全周取り巻いている駐在伯軍の外周は、いかにも即席で建てましたと言わんばかりの木の柵が取り巻いているのみである。この外敵の襲来をほとんど考慮していない防御策をどう見るか。

 トウエ=キョウドの宿の主人の推測は、速戦即決だった。我らがこの雑木林に到着した時には、既にあの防柵は建っていた。ということは、少なくとも相手は到着以来3日以上経っていると見ていい。主人の推測は外れたということか。

 となると、可能性は3つ。まず、教団の改宗を含む説得を行っている可能性がある。次に、兵糧攻めを行っている可能性。最後に、改宗と兵糧切れ以外の何かを待っている可能性がある。

 分からぬ。ゆえに我は焦れた。チマオなら、ナツァトンならどう動くか。戦略的なものはともかく、戦術眼という点において、我は2人に劣る。その自覚が、今日は恨めしい。

 幕僚が皆朝食を終えたのを見計らって、我は尋ねた。

「今、駐在伯の包囲陣を襲うべきか」と。

「恐れながら、時刻が悪うございます」

 とユーゴスは述べた。おそらく敵も朝食を終えたばかりであり、一日で最も気力横溢おういつしている時である。

 別の幕僚が反駁した。

「それは味方も同じこと」と。敵はこちらにまだ気づいていない様子。ならば当方がもっとも力を発揮しやすいこの時を使うべきではないか、と。

「それで?」とユーゴス。いささか挑発的だ。

「それでとはなにか?」と先程の幕僚も応じる。

「襲撃して、あの防柵を一部でも破ったとしよう。それで、そのあとどうするのか? 陣門は東西南北に1つずつ設けられている。そこから出た逆襲の兵に包囲、もしくは逆撃されてしまうのだぞ」

 幕僚が再反論し、ユーゴスとそれに組した別の幕僚が言い返す。あの軍勢を柵の外へおびき出す算段も、はかばかしいものは無かった。

「そこまで。よく分かった」

 我は努めて穏やかな顔で、熱論を制した。

「ナツァトン将軍が来るまであと2日。それまで待てるかどうか分からぬ。機を見て急な進発もあるやも知れぬ。それぞれに作戦案を考えておいてくれ」

 機を見て、か。我ながら情けない結論に、自己嫌悪に陥った。

 欝情を晴らすべく、幕僚たちとともに幕舎の外に出た。だが、昼なお暗き雑木林の中は、水溜りがまだまだ消えずに残っており、木々の幹も湿っていて湿度も高い。

(いっそ我自ら斥候に出かければ、少なくとも陽の光は存分に浴びれるな)

 だが我が行っても状況は変わらぬ。なんとかせねばならないのに、何も良い知恵が浮かばないのだ。我は焦れた頭で、村に籠もる信者たちに思いを馳せる。

(村に閉じ込められた者たちは、どう過ごしておるのだろうか)

「ふぁぁっ、っと」

 我の後に続くニカラが、大きなあくびをした。護衛としては失格だが、まあヒトもいない陣内であるし、大目に見る。我は立ち止まると、ニカラに笑いかけた。

「退屈そうだな、ニカラよ」

「まったくだ……ですよ」

 幕僚たちににらまれて、ニカラは首をすくめた。

「さもありなん」と我は笑って、無礼を許したことを周りに示す。

「お前は、以前の生業は日雇いであったな。毎日どこかで汗を流して働いていた頃を思えば、今は退屈であろう?」

「そうですね」とニカラは笑うと首をコキコキと鳴らした。

「今の時期なら、畑の土起こしですね。これがまた単調で」

「ほう、そういうものか」

「ええ。しかも街の祭司様が長ったらしい儀式をやって、教会の鐘が鳴ってからやっと作業開始でしたから、あの待ち時間もかったるかったなぁ」

「そういえば、そろそろ春到祭か」

 と幕僚の1人が、枝で隠れて見えぬ空を見やる。ヒトであったころの思い出でもあるのだろうか。

「正確に言うと、4日前だな」

 ユーゴスの言葉に感心した我は、今しばらく散歩ならぬ巡察を進めようとして、はたと立ち止まった。

 4日前……駐在伯が到着したのは昨日の夕方か。

「ユーゴスよ。トウエ=キョウドからここまで、少人数で馬を飛ばすと何日かかる?」

「……3日から4日かと思われます……そうか春到祭か!」

 そう、駐在伯は春到祭の儀式に出席してからトウエ=キョウドを発ったのだろう。

 幕僚の1人がうなる。

「軍勢を先発させたのは、一日でも早く村を封鎖して、武器や兵糧、傭兵を村に入れないためか」

 まずい、と我の頭が熱くなり始める。敵は寄せ手の主役も到着して。もはや準備万端だろう。今こそこの雑木林を出でて、包囲陣を襲撃すべきではないのか。

「あの……」

 その時、コンがおずおずと手を挙げた。普段控えめに我の随行をしている彼女にしては、思い切った行動だ。

「なんだ? コン」

「先ほどから耳を澄ましているのですが、村のほうから悲鳴とか、剣のぶつかる音とか、全く聞こえてこないんですけど」

 それを聞いた幕僚の1人が、村のほうへ走っていった。10分ほどして戻ってきた彼は、包囲陣に全く動きがないこと、村からも炊事の煙らしきもの以外は上がっていないことを伝えてくれた。

「分からんな……まだ何かあるのか?」

 我は頭を抱えそうになって、自重した。王が臣下の前でする振る舞いではない。

 その時。

「ご注進! ご注進!」

 斥候が転びそうになりながら走ってきた。水溜りにも構わず片膝を突き、明らかに慌てている。

「ちゅ、駐在伯の手勢が、こちらに向かっております!」

「数は!」とユーゴスが怒鳴る。

「それが、20名ほどで……」

「20?」

 急報とその内容に動揺している幕僚と兵が鳴らす鎧のガチャガチャという音が耳障りだ。そこへ、

「ご注進! ご注進!」とまた斥候が駆け戻ってきた。

「駐在伯の手勢が――」

「それは聞いた」と我は苦労して、穏やかに返す。

「20名ほどだな?」

「はっ! それと――」

「それと?」

「多数の荷車を従えております!」

 一瞬虚を突かれて、我は黙ってしまった。ユーゴス以下幕僚たちが我のほうを向く。

「陛下、敵の真意はともかく、ご決断を」

 襲うか、転進するか。

 襲えば、敵に我らの存在を知られてしまい、ナツァトン勢が間に合わぬまま戦端が開かれてしまう。だが、転進するといっても、今から完璧な陣払いなど到底間に合わない。ならば。

 我は唇を噛み締めたのち、決意を込めて全軍に告げた。

「敵を取り込む。一兵たりとも逃すな」

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