彼の想い

「こんなところで……負けら、られない……のよ……ッ!! 今負ければ何も残らない……! 何も、何も……ッ! 私は、私が生きた証を残すのよッ……!! 私の、私の軌跡を……!」


「生きた、証……?」


 懐から小瓶を取り出すと、一気に飲み下した。


「なっ……」


 するとアリアの体に刻まれた大小さまざまな傷が、跡一つ残さずにたちどころに治癒していくではないか。


「そんな馬鹿な……ッ」


 傷が完治したどころか、アリアの内側の生命力、そして魔力値は増大していく一方だった。


「は、は、は、は! 素晴らしい! 何て素晴らしいの! これが、これが私の求めていた力なのねッ!!」


 敗北の兆しから一転、身震いすら覚える歓喜の中にアリアはいた。もはや一撃を繰り出すことすら難しい志希人は眼中になかった。


「ああ、体の内側から力が漲ってくるわ。これが生なのね。うふふふ、あははははは!」


 咽喉が張り裂けんばかりの高笑い。しかし、不意にその声がひび割れる。


「……え?」


 違和感に気が付いたアリアが、自らを省みる。先ほどまで瑞々しく張りにあった手は、朽木のように水気が失せて干乾び、骨と筋、血管が浮かび上がっているではないか。


「何よ、これ……!?」


 言っている間にも、体の節々から水分が奪い去られて――老いていく。やがて老化は首を昇り、顔にまでやって来、最後には明るい色をした髪から色素までもが失せていく。


「何、で、こん、な……」


 もはや声にすらならないかすれた音が、虚のような口から吐き出される。しまいには自らの足で立つことが叶わなくなり、アリアは切り倒された樹木のように倒れた。


「……人間の器で、《人外》の力を受けとめきれるワケがないでしょう」

 ぽつりと志希人が呟く。


 樹木が《人外》の力を受けて育ちきれたのは長い年月を生きられる植物だからで、人間ではその膨大な生命力を受け止めることは叶わない。結果、有り余る生命力が暴走し、若さを保つどころか老化を加速させてしまったのだろう。


 いや、アリアの場合、このしわだらけの老婆の姿が本来あるべき姿なのかもしれない。人の命を吸い上げて若さを、美を保とうとした、魔女の成れの果ての姿。


 志希人を利用し、裏切った度し難い人間だが――それでも、志希人はアリアを恨みきれなかった。心のどこかに憐憫の情すらあった。だから、


「……アンタの生きた証は、アンタが残してくれたものは、俺じゃダメだったんですか……?」


 乾き血走った目が志希人を追う。古木の唇がわなわなと振るえ、口元に浮かぶシワをより深く刻んだ。


「あっはっはっはっはっ……君が、私の生きた証? 笑わせてくれるじゃない」


 母と死に別れてから早十年余り。いつの間にかアリアの声は母のソレより長いこと聞き慣れてしまっていた。でももう二度とその声を聞くことも叶わない。虚のような口から漏れてくる声は、以前のアリアとは全くの別物になってしまっていた。


 老婆のひび割れた肌に、一筋の水滴が伝い落ちた。


「……本当、笑わせる。何で私はそんなことに気付けなかったのかしらねん」


 穏やかに、アリアの重たいまぶたが閉ざされていく。


「……アリアさん、アンタは俺の暗い道を照らしてくれる温かな灯火でした」

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