フルメタルバレッドは折れない
志希人と遺体を迎えに来た車に乗っていたのは――《人外》処理班の男たち。
彼らの登場に、志希人はあまり驚かない。黒幕がアリアだとわかった段階で、アネモネの血を現場から持ち帰ったのは彼らだろうと予想はついていたから。ただ一つ、気掛かりがあった。
「……吉野屋さんはあなたたちの仲間じゃないんですか?」
その場に、吉野屋の姿は見受けられなかった。リーダー格の男はバツが悪そうに志希人から視線を反らし、首を横に振った。それからもう少し現場に慣れてから引き込むつもりであったと教えてくれた。
それだけを聞いて、志希人は安心する。あの気が小さくて優しい吉野屋がこんなことに加担出来るものか。きっとそんな恐ろしいことをさせられたのなら彼は耐え切れないに違いない。
いつもと変わらない車内の面子。しかし空気は酷く張り詰めながら、車は工房へと向かう。
大部屋の中にはいまだにアリアの生み出した巨木が聳え立っており、手術台は撤去され、その上に縛り付けられた人々はどこかへ消え去ってしまっていた。
アリアを中心にし、工房の魔術師たちが額に汗を流しながら志希人へと視線を注いでいた。正確にはその先――志希人の背負う遺体袋に、だろうか。
「ファスナーを開いて中を見せてくれるかしら?」
言われるままに袋のファスナーを開き、遺体をアリアたちに提示する。魔術師たちはその瞬間を固唾を飲み、見守っていた。
何とか人の形を取りとめた遺体が袋の中には収まっている。肉は炭化し焦げ落ち、髪などは残っていない。心臓には風穴が開き、心臓は欠損していた。浮き上がる胸の骨格などから、女性だと辛うじてわかる。
袋ごと遺体を冷たい床の上に安置し、そこへ研究日誌を乗せる。それを回収しようと数人の魔術師たちが動きを見せるが、アリアが腕を伸ばして抑止した。
『《
茨の波が遺体を覆い尽くす。探るようにして、茨が蠢いた。
波を掻き分けて一本の白木の杭が顔を出す。茨はまるで手のように杭を掴むとそれを遺体の風穴へと突き立てた。役目を終えたとばかりに自らの動きを制止、白い薔薇の花を咲き乱れさせた。
白木の杭も、薔薇の花も《血の王》が嫌悪し、その肉体の再生を阻害するものだ。
「ちゃんと心臓を杭で封をしなきゃダメよん。心臓を貫かれようとも、名立たる《血の王》は生き返る、なんてことを私が知らないとでも思った? これで万が一にも起き上がるなんてことはないわねん」
それからようやく魔術師たちが遺体に群がり、回収していく。まるでアリが獲物を運んでいくようで嫌気が差す。
志希人の手の届かないところまで持っていくと、アリアは指を高々と鳴らした。すると一斉に、その場にいた魔術師たちが杖や短剣、魔術書などの触媒を取り出した。
「……何の真似です。無罪放免なんじゃなかったんですか」
「そんなもの、嘘に決まってるでしょう」
「俺の手がなけりゃ研究資金は得られないでしょう」
「《血染花》という極上の研究素材が手に入ってしまえばこっちのものよぉ。これ以上《血の王》を増やさなくていいなら、今の資金でも運営していけるわん。つ、ま、り、君は用済み」
無言のうちに、《二重蔵》から銃火器を引き抜き、構えるも。
「抵抗したら病院の一之瀬ちゃんの命がないってわからないかしら? 私が連絡すれば、すぐに別働隊が殺しに向かうわよ?」
十名ほどの魔術師たちは口々に魔術の詠唱を開始する。それに合わせてアリアの腕がゆっくりと掲げられていく。
「さようなら、志希人君。出会ったあの日から今日まで、いい駒だったわよ、君は」
アリアが腕を振り下ろせば魔術師たちの渾身の術が志希人に放たれる――ハズだった。
しかし瞬き一つの間で命のやり取りをする戦場において、彼らの
志希人の放った銃弾を肩や太ももに受け、魔術師たちは悲鳴と共に崩れ落ちて行く。
アリアだけが、志希人の攻撃を制していた。無数の茨が弾丸を受け止めている。その隙間から顔を覗かせたアリアが、心底理解に苦しむ、というように顔を歪ませて、
「はああん?」
と疑問の声を上げた。
「自分が何をしたかわかっているの? 私に逆らうってことは、大事な大事なお友達の命を捨てるってことなのよ? それとも何かしら、事ここにいたって自分の命が惜しくなったの? そうだとしたらお姉さん、ちょっとがっかり。そんな薄情に育てた覚えはないわよん?」
「別に、命が惜しくなったワケでもないですよ。芽依子を殺す? やれるものなら、どうぞ
「……吹くじゃない。ならお望みどおり、殺してやるわ」
通信端末を取り出し私兵に連絡を掛けるも、一向に出る気配がない。コール音が長引けば長引くほど、アリアの表情から余裕が消え失せていく。
「何で……!」
コールをしてから三十秒ほどして、ようやく通話状態となった。アリアは一転、勝ち誇った顔を志希人へ向ける。
しかし、
『たっ、助けっ……化け、化け物だ、化け物が来た! 何で攻撃が通じないんだよチクショウ!うわ、うわあああああ!?』
耳を劈く悲鳴を最後に、通話が途切れてしまう。何が起きているのかわからず、予想外の出来事に見舞われたアリアは困惑の色を隠し切れない。
「アネモネがメーコのそばにいるのでもう人質にすることは出来ませんよ。あいつの強さは俺が一番知ってますから」
「《血染花》が……? 何を馬鹿な、そこで死んでいるじゃない」
「……偽物って可能性は、考えなかったんですね」
「偽、物……? 有り得ない、有り得ないわ! 君なんかにそんなこと出来るハズがない! 偽物だというのなら一体、これは誰の遺体だというの!? 君に人が殺せるワケがない!」
「……ええ、俺に人は殺せません。芽依子もアネモネも、選べなかった。だから姉ちゃんの器に身代わりになってもらったんです」
「……姉、ちゃん……? 君が後生大事にしていたものでしょう、それは」
「……そこに姉ちゃんの魂は、ありません」
それならば魂を持つアネモネを救いたかった。
しかし魂なき物言わぬ器だとわかっていても、それでも涙を禁じ得なかった。
「そもそも君が《人外》と手を組むなんて有り得ない! 有り得ない! 有り得ない!」
「……アンタの敗因は、俺を知りすぎていたことです」
アリアの手の平の上で踊らされていた志希人なら、《人外》と協力など絶対にしなかっただろう。でも今は違う。人間だから、《人外》だからと判断するのは、もう止めた。
銃火器を捨て、右腕に《試作・杭打ち機》を装備する。ずしりとした重みが、全身に負荷を与えた。
「敗因……? 敗因ですって? まだ私を止められもしていないくせに、随分と大きな口を叩くじゃないの!」
ざわりと、アリアの髪が揺らいだように見えた。それに合わせ、彼女の背負う気迫が鋭さを増す。吸い込むだけで肺が傷付けられたと錯覚するような、剣呑なそれだ。
「私を騙して人質を守れたまではよかったかもしれないけれど……けれどもね、君が死んでしまえば、全ては闇の中なのよ! 《血染花》の言うことなど、誰が聞くものですか」
小瓶の中からいくつかの種子を取り出すと、倒れ付す魔術師たちの体の上へとそれを投げつけた。
「《
アリアの声に反応し、種子は光を放ち、時間をすっ飛ばしたかのように急成長を果たす。それは真っ白な薔薇の花を咲かせた茨だった。茨は魔術師たちに絡み付くと、
「え、あ……アリア様? アリア様ァァァァァア!?」
足に絡み、胴に絡み、腕に絡み、そして最後には顔を飲み込んで行く。鋭利なトゲが体を串刺しにし、隙間からは鮮血が飛散する。茨はそれを吸い上げ、肉を食み、自らの糧としていた。
「なっ……!?」
食われずに残ったのは骨だけで、しかしその骨すらも養分にしようとし、茨は離そうとはしない。頭蓋骨の眼窩からは赤黒く変色した花が咲き乱れ、まるで瞳が宿っているかのようだった。
「ひ、い、ひあああああ!!」
逃げ惑う最後の一人を飲み込もうとした時、志希人が間に立ち塞がり、茨を杭で断ち切る。魔術師はこれ幸いと一目散にその場から逃げ去って行った。彼が戻ってくることはもうないだろう。
だだっ広い工房内、残されたのは志希人と、アリアだけになった。
「仲間なんじゃなかったのかよ……!」
「ええ、仲間よ? 研究を共にする、大切な仲間。でも、私の宿願のためには誰が犠牲になろうと、知ったことじゃないわよ。それにしても敵を助けるなんて、相変わらず優しいのね」
「アンタはとことん外道に落ちたな。……いいや、元からなのか?」
「あはは、そんな体になってしまった君に言われたくないわね。《人外》が、人間様に舐めた口を利くんじゃあないわよ」
「……俺は人間だ。アンタのほうこそもう立派な人でなしだよ。人の心を失った、醜い、化け物だ」
「……醜い、ですって? 訂正しなさい? 私は、私は美しければならないのよ!」
アリアの怒号に反応し、茨が動き出す。こつんこつんと頭蓋骨を打ち鳴らし、志希人へと襲い来る。
「くっ」
杭が茨を絶つも、《血の王》から作り出した薬品を吸い、血肉を食らった茨の生命力はすさまじく、断面からすぐに再生してしまう。茨は止まることを知らず、志希人を攻め立てる。ならば狙うべきは茨ではなく、それを操る術者だ。
矢継ぎ早に発砲された弾丸が、正確にアリアへと直進して行くが、
「《
聳え立つ大樹の根が伸び、アリアの体を取り巻くようにして弾丸を弾く。薬品に浸された種子から発芽したそれの表皮には、引っ掻いたような薄傷しか与えられない。
「私にばかり気を取られていていいのかしら」
直進する伸びた茨が両脇腹を走り抜けていく。それだけで無数に生えたトゲが志希人の体をズタズタに切り裂く。
「がっ、あああああああッ!?」
人の肉感に近くなるように設計された志希人の体ではあるが、しかし人体とは比にならないほどの強度を誇っている。それを戦闘のエキスパートでもないアリアの魔術が抉り取っていくとは信じ難かった。
「あっははは、私なんかその気になれば易々と倒せると思っていたんでしょう? でも残念ね、伊達に神代市の組合長を任されてないのよ」
魔術師たちにそうしたように、茨は志希人の体を飲み込んでいく。トゲが体に食い込み、骨にまで達する。引き剥がそうとするも、茨の抵抗する力は激しく、また痛覚が邪魔をして万全の力を震えない。
その茨の拘束力は《人外》のそれに匹敵した。舐めてかかれば、数多の《人外》と渡り合ってきた志希人とて殺されかねない。
ここで負けるワケにはいかない。ここで敗北を喫すれば、またあの温かな日常を奪われてしまう。
アネモネが志希人の勝利を信じて待っている。負けたのじゃあ合わせる顔がないじゃないか。
「二番格納庫……ッ!!」
志希人の手の中に酒瓶が握られる。そのラベルにはスピリタスと名が打たれていた。そこに表示されたアルコール度数は――九十六度。その純度は酒というよりもアルコールそのものだ。
スピリタスは飲料アルコールでありながら気付に消毒、そして焼却にと用途は多岐に渡る。
瓶を手の中で砕いてやると、中身の液体が志希人に、そして茨に染み込む。瞬間、杭打ちのトリガーを引き、杭と射出口から火花を飛び散らせる。火花はアルコールに着火すると、見る見るうちに大きな炎へと成長していく。炎は志希人を飲み込み、そして茨をも焼き尽くす。
さすがに焼かれ続けては、茨もその再生能力を発揮することが叶わない。当然だ、炎は《血の王》すら焼くのだから。拘束していた部分から次々と焼け落ちていき、志希人は解放される。
しかししばらくすれば茨は火を消し、再び襲い掛かってくるだろう。何より束縛から逃れるためとはいえ、自らにも火を放ったのだ。志希人も悠長にはしていられない。
この一撃で、何もかもを終わらせる。
「ユニット接続――制限解除――バトルオペレーションシステム、起動」
『バトルオペレーションシステム、起動を確認』
その身を焦がす炎の熱が消えた。しかし鎮火したワケではなく、ただ痛覚を消し去っているだけに過ぎない。こうしている今も着々と炎は志希人の命にまで届こうとしている。
「トンネルで見せた奥の手ね……」
樹木の隙間から顔を覗かせたアリアの目は、嘲笑っていた。そんなものでは打ち砕けないと、彼女の中では答えがもう出ているのだ。
「無痛覚、怪力、そして視覚の拡張。どれもこれも脅威だわ。フランケンシュタインの怪物をモチーフにした君にしかなし得ない業の数々かもね。……でも、その杭打ち機の威力自体が上がるワケではないでしょう? それじゃあ緑壁は打ち破れないわよん」
「……確かに、このままじゃあ、な」
「……え?」
アリアはバトルオペレーションシステムのことを奥の手と言ったが、それ自体は何てことのないサポートシステムだ。志希人の――《試作・杭打ち機》に内蔵された本来の力を引き出すための、前段階に過ぎない。
「――
弾倉から後方、銃床までが分離、移行し、志希人の背中にコードを突き立てて繋がる。
『
花が開くようにして、パーツが展開していく。その中から現れたのは
高温に晒された周囲の空気が弾け、パンッパンッ、と短い破裂音を響かせる。噴射口の周囲は空間が歪み、火柱を囲うようにして真っ白な
「なん……なのよ、それは……ッ」
《試作・杭打ち機》の規格コンセプトは至ってシンプルなものだった。超重量武装を超速度でぶつければ、圧倒的な破壊力を叩き出すことが可能なのではないか。どれほどの脅威であろうとも、感知されるよりも早く死角より一撃必殺を当ててしまえば、その脅威は発揮されない。
そんな暴力を暴力でねじ伏せるべく作られたのがコレだった。
しかしジョニーに封印してもらっていたように、使用者への負荷があまりに甚大すぎる。一度飛び立てば対重力スーツも着ずに生身で戦闘機に乗るような無茶を強いる。空気の抵抗もあるから、痛いなどというものではすまない。そもそも背で高温の炎を噴かしているのだから、その熱量だけで体が痛めつけられていく。痛覚はカットしているからまだいいものの、最悪衝突の際に当たり所が悪ければ即死も有り得る。
「……この一週間、どうやってあの暴力の権化を倒すか考えてきたんだ。それに比べれば、アンタのその樹なんて大したことはねえよ」
ストライカーの出力は上昇していき、噴出される炎の色は青白くなっていく。もはや噴射音は耳鳴りのような高音に変化し、志希人を中心として巻き起こる風のうねりは常人ならそれだけで吹き飛ばされてしまいそうだ。
『スタンバイ完了。どうか、無事で――』
「――《
噴かしたストライカーの推進力に耐えようとする脚部の力を緩め、腰を低くすえて――飛び立つ。
瞬間、アリアの視点からは志希人が消えたように映っただろう。それほどまでの驚異的な速度で志希人自身が弾丸となって放たれた。全身を焼き尽くそうとしていた炎は、飛び出したと同時に体から振り払われた。
弾丸である志希人だけが、その速度を知覚出来ていた。拡張された視界の中で、標的であるアリアから弾道がズレていることを自覚する。
触れただけで壁の側面が抉れた。まるでアイスクリームをスプーンで削るような気軽さで。しかし秒速千メートルでの接触だ、ただではすまないのは壁の側面だけではなく、志希人もまた同じ。痛覚こそないが、骨などは粉々に砕けているだろう。
「ま、わ、れェェェエエ!!」
全身全霊の力を持って無理矢理に軌道を修正する。鋼の体が悲鳴を上げ、筋繊維が何本も千切れて行く。だが構うものか。今の志希人は一発の弾丸。当たらなければ意味がない。
「おォぉぉぉぉ!」
今度こそ杭の切っ先がアリアへと向いた。
樹木と杭が真っ向から衝突したと思った次の瞬間、緑壁を重量数百キロ、マッハ速度の衝撃が貫いた。
あれほどまでに堅牢であった緑壁はいともたやすく爆砕され、その雄々しさなど微塵も感じさせないほどに細々と吹き飛ばされていく。
しかしさすがと言うべきか、
だがアリアは倒れない。
敗北の、老いの恐怖がアリアを駆り立てていた。ここで負けられぬ、と。
術者が倒れぬ限り術が解除されることはなく、緑壁は砕かれたその瞬間からすでに再生を始めていた。
対照的に、志希人のストライカーからはもう炎が消えてしまっていた。今一度点火することは難しい。それほどまでの暇をアリアが与えてはくれないだろうし、何よりも志希人の体がもう持たない。
それを何とあなしに察知したのか、アリアは血の滲む歯茎を覗かせ、勝利を確信した笑みを見せた。
だがここであきらめるようなら志希人はこの場所にはいないのだ。
銃身の
薬莢を一本だけ残した円筒は銃身の中に戻って行き、カラカラと軽い音を立てて回転、そして止まる。
「やめ――」
射出された杭は樹木に埋まった薬莢を叩き、爆裂させる。それを呼び水として、次々とその場に転がる薬莢が炸裂した
「かっ……」
豪奢であった服をボロボロにはためかせ、硝煙をかき分けてアリアの体が地に落ちていく。
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