命の天秤
「あー、くそ、ハメられた。何が私の負けだ、だ。茶番もいいところだ」
緊張の糸が緩み、手から刃がこぼれ落ちる。心労や疲労感、また安心感など様々な感情を含んだため息を吐き出すと、同時に脳が沈着して行き、冷静な思考が可能となる。
最初からアネモネは敗北を喫するつもりでいたに違いない。本当に志希人を殺すつもりなのならば、剣を交えずに《血因能力》を全力で発動させていれば造作もなかったのだ。それをしなかったということは、つまりそういうことだ。
「いやいや、状況を覆せないほどの附抜けであったのなら本当に殺していたところだとも。貴様に感服したのも、失望していたのも事実だからな」
からからとアネモネが掴み所なく笑う。
「どっちにしろお前の手の平の上なのがムカつく。くそっ、俺が勝ったんだから今度はお前の命を俺に寄こしやがれ!」
「はっは、勝負は一勝一敗で引き分けだ。私の首をやるワケにはいかんな。ああいや待て、いっそ茶番だと文句を付けるのなら今の勝利をなしにしてもいいのだぞ?」
「……ちっ、わかったよ、わかりましたよ、これ以上文句は言いませんよ」
学校でからかわれていた時もそうだが、どうにも志希人はアネモネに敵わないらしい。
「……なあ、アネモネ」
「うむ? 何だ」
「お前は俺に興味があると言ったけれど、それは俺の心に敬服しているから――だけなのか?」
「……何故そう思う」
「気に掛け過ぎだ。敬服しているだけなら、あの病院の時みたいに怒ることも、今みてえに一茶番演じるまでもしなくていいだろ。ただ見ているだけでいいハズだ」
そう志希人に言われると、アネモネはバツが悪そうにそっぽを向いた。それからしばらくして、志希人に向き直る。眉間にシワをよせ、難しそうな表情をしていた。
「……こう言うと貴様はいい気がしないかもしれんが、似てるんだよ。貴様と私は」
「……似てる? 俺と、お前が?」
「ああ、似てる。だが、途中から道を違えたのだ」
アネモネは自身の手の平を胸に当てながら告白する。
「貴様は《人外》に家族を殺され、私は人間に家族を殺された」
「……!」
「私は、家族でたった一人生き残った。生き残るために、《人外》と成った。志希人、どうやって《血の王》が生まれるか知っているか?」
「……どうって、《血の王》の血を分け与えられて」
「では、その分け与える《血の王》はどうやって生まれた?」
「……? ……! お前、まさか真祖なのか……!」
「私は辛くも生き残ったはいいが、咽喉が渇いて仕方がなかった。するとそこへ、眼前に水が流れてきたんだ。これ幸いとばかりに、私は必死になって舌を伸ばしたよ。だが後々気が付いたのだ、それは水じゃなくて、家族の血だったのだと。死体から流れる、血。それを啜り、それを境に私は人間ではなくなった」
それでどうして《血の王》に成ったかは魔術師でもないので詳しくは知らないが、私は卑しくも生き残るために愛するものの血を啜ったため、神様が罰を下したんだと思う。そうアネモネは語った。悲しそうでも苦しそうでもなく、どこか自嘲的にそう言うのだ。
「……俺と似てるってことは、お前は、人間を……」
「恨んださ。そして家族を殺したやつを私の手で、と強く願った」
「じゃあ」
「おいおい、言っただろう。私は自らの渇きのために人を殺したことがない、と。私が復讐を果たす前に、そいつらは野垂れ死んでいたよ。そういうのは珍しくない時代だったからな」
それがきっと志希人とアネモネの、道の分岐路だ。
「何も為すことなく復讐を早々に終えてしまった私は、呆然とした。これからどうやって生きて行こうか、とな。その長い思慮の中で、ふと私は気が付いたワケだ。ああ、私が憎かったのは両親を殺した連中だけで、人間は憎くないんだ、と。私の父も母も姉も、皆人間だった。私もそうだったと思い出した」
月明かりに、手をかざす。柔らかな光に包まれて、血管が透け、そこを流れる血が見えた。
「それから私は人の生き血を吸わないと決めた。家族と同じ人間の血は吸いたくなかったのだ」
だから戦場に現れ、死血を求めていた。その結果付いた異名が《血染花》。戦場を自ら作り出しているなんて噂は、結局は噂だったというワケだ。
「それに、私と同じようなものを生み出したくもないと考えた。この《
その噂は、アネモネの決意を踏みにじるようなものだ。吸血衝動はそれこそ人格を崩壊させるほどに強かで、それに抗いながら死血のみを糧としていくことはどれだけ苦痛なことか。飢えながらに眼前のご馳走を拒絶し続ける。それを一体どれだけのものが実行可能だろう。彼女の生きる世界はきっと地獄だ。だが、彼女は他の誰かを悲しませないために、自らが地獄にいることを望んだ。
アネモネの視線は、志希人を見据える。志希人の視線もまた、アネモネを見据えた。似たもの同士、道を違えたものを、見た。あるいは自分が成り得たたかもしれない、可能性の存在。
「貴様がこれから先、どのような道を歩んでいくのか気になって仕方ないのだ、私は」
その穏やかな眼差しは、まだ幼い弟を見守る姉のような優しさに満ちていた。
「さて、志希人。貴様に一つ問おう。《
「……その
「然り。では人の命を食い物にするアリア・ベルは人間か、それとも《人外》か?」
「人間の体をした、人でなしだ」
「ならば、どうする?」
「倒す。それが、俺の役目だ、俺の選んだ道だ」
淀みなく放たれた志希人の言葉に、アネモネは拍手を送る。
「よく言った! ではこれから諸悪の根源であるアリア・ベルを打倒しに行く――と大見栄をきって行きたいところなのだが、正直その必要もない」
緊張感を持とうとした途端、気の抜けるようなことをアネモネが言うので、志希人は眉をひそめた。
「調子が狂うな。倒しにいかなくていいのかよ」
「血の気が多いな、貴様も」
「《血の王》にだけは言われたくねえ」
「私単独であった場合は大暴れをして工房を潰す必要があるのだがな? 今こちらには《鋼人》の称号を持つ貴様がいるだろう? 証拠品を携えて本部に提出すれば、それだけで関係者一同は捕まり、この一件は幕を閉じる」
「……別に、俺がいなくったってそれは同じじゃないのか?」
「物的証拠を持っていたところで魔術師組合が私の言うことなど信じてくれるものかよ」
「あん? そりゃ変な話じゃねえか? 利害が一致するなら《人外》でも協力関係になるのが魔術師組合じゃなかったのか?」
「そんなもの極一部の例だ。しかもその協力関係になっている《人外》のほとんどが元魔術師。研究の末、《人外》へと至る外法を発見した天才だよ。そんな人材を手放すワケがないだろう?」
それに対して私は《血染花》の異名を冠する厄介者だ、とアネモネは付け加える。
「人のために力を振るってきたつもりだったのだが、いつしか教会からも組合からも目を付けられるようになってしまっていた。差し向けられる刺客を返り討ちにしていたら、気が付けば異名など与えられていた。私はただ、誰かのためになりたかったし、それを認めてほしかっただけなのにな」
どうしてだろうな、とアネモネが力の抜ける笑みを浮かべた。その時初めて志希人は彼女に対して同情的な感情を抱く。あの強くて手折れることのなさそうな彼女が、そのような弱い一面を見せるとは思いもしなかった。誰かに認めてほしいなどと思っているなど、想像も出来なかった。
そんな志希人の沈痛な思いに反し、ポケットのケータイが陽気な着信音を鳴らす。暗闇の中に人工の無機質な光がぼうっと浮かび上がる。
画面に映し出されていた着信名は――アリアだった。
出たものか、無視したものかと考え込んでいるうちに留守番電話サービスに切り替わる。
抑揚のない女性の電話案内の後、アリアの普段と変わらぬハイテンションな声がケータイに吹き込まれていく。
『ハロハロー、君の恩人、アリア・ベルだよーんっと。どうせ聞いてるクセに、怖くて出れないんでしょう? いいよいいよ、お姉さんはそんなことで目尻にしわを寄せたりしないからん。そのままでいいから、聞いてね?』
何を言うものか、と息を潜めてケータイを凝視する。
『いや~ん、君たちが必死に逃げるものだから、私たちも血眼になって探したのよ。でもでも全然見つからなくて、もう本当にグロッキー。だから君たちを探すのをあきらめることにしたわん』
「……あきらめる?」
そんなハズはない。志希人とアネモネは目撃してはいけないものを見、そして確たる証拠を盗み出したのだ。それが露呈すれば、アリアはただではすまない。それをあきらめるなど、決して有り得ないのだ。
『だ、か、ら、君たちのほうから出頭してもらうことにしました』
「……馬鹿な、誰が出て行くものか。何を考えているのだ、こいつは」
アネモネは罵倒と同時に、志希人に問うていた。アリアとの交流の長かった志希人も、彼女が何を考えているかさっぱり捉えられず首を左右に振った。
顔の見えない電話越しに、アリアが下卑た笑みを浮かべたような気がした。
『病院で寝ている一之瀬芽依子ちゃんの命が惜しかったら、大人しく言うことを聞きなさい?』
瞬間、志希人とアネモネに衝撃が走る。まさかここでそのようなカードが切られようとは、予想もしていなかった。
「なぁッ!?」
「外道が」
芽依子が検査入院している病院は組合の、つまりはアリアの手の内にある。これは明確な人質であり、脅迫だ。
『こちらからの要求は三つよん。一つ目は投降、二つ目は君が盗み出したであろう証拠の提出。そして最後に《血染花》の殺害及びその死体の提供よん』
「……ッ!」
『そうねー、《血染花》を殺すことが出来たら一之瀬ちゃんへの武装解除をすぐに命令してあげるわん。投降して証拠を明け渡してくれたら大出血サービス、以前通り、ううん、それ以上の待遇でもてなしてあげるわん。悪い話じゃないでしょう?』
タイムリミットは今から二時間、日付が変わるまで。何だか君のことを気に掛けてるみたいだから、それを利用して後ろからズドンとやればすぐでしょ? 《血染花》の遺体を確認出来たら、一之瀬ちゃんのところに向かわせた私兵の武装を解除してあげるわね。それじゃあいいお返事待ってるわ。あっははははははは。
そう言い残すと、通話は途切れた。
油の切れて錆付いたブリキ人形のように、ぎこちない動作で首を巡らせる。動じることなく佇んでいたアネモネは志希人を真っ直ぐに見つめ返し、静かに告げた。
「いいさ、殺せよ。私の命で芽依子の命が助かるのなら安いものだ」
「アネ……モネ……」
「いいんだ。私はもう、長いこと生きた。最期に誰かのために死ねるなら本望だ」
自らの死を告げているというのに、その表情は笑っているとすら思えるほどに穏やかだった。
アネモネに出会う依然の志希人なら、考える余地もなく彼女を殺し、芽依子の命を拾いあげていただろう。しかし今ではその命は比べようもなく尊いものになってしまっていた。
けれども世界は、常に残酷だ。それを志希人は、アネモネは、身を持って知っている。何かを捨てなければ、何かは得られない。
助けてくれる神様などはいないことも、知っている。自分たちの手で、選び取らねばならないのだ。
髪を、皮膚を、肉を、血を焼く火は、尾を立てて空へと立ち上がる。火の子はまるで命の輝きのように、夜空に舞い散っていく。
まだ心臓を貫いた感触の残る、血の染みついた手でケータイを操作し、アリアへ電話を繋ぐ。
画面に、数滴の液体が滴った。血ではない。志希人の目尻からこぼれ落ちた涙だった。
覚悟して殺したハズなのに、なんで涙なんて流れるのだろう。
シャツの袖で目元を拭い、画面を睨み付ける。しばらくしてコール音が鳴り止み、静寂が訪れた。それを破ったのは、アリアの邪気を孕んだねっとりと絡むような声だった。
『お姉さんに
「……ああ、殺した。遺体はさっきメールに添付した写真の通りだ」
『盛大に燃えていたねえ。うんうん、すでに武装は解除、一之瀬ちゃんは何も知らずにベッドの上ですやすやと寝ているから安心するといいわん。君の誠意は十分に見れたからね。じゃあ後は証拠の書類を渡して貰おうかな。車を向かわせるからその遺体も運んできてね』
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