トンネルの先へ

 ジョニーから調整された《試作・杭打ち機》を受け取ると、志希人はその足で組合へと向かう。アネモネとのリベンジの場を設けてくれるよう、アリアに懇願するためだ。


 社長室を訪れると、アリアが疲れた顔でイスに座していた。プレジデントデスクにはアロマデューサーが設置されており、霧を絶え間なく拭き出している。


 何かあったんですか、と志希人が問うと、疲労を隠そうともしない声色で、

「ちょっとねぇー、どこからかコウモリが紛れ込んでね、それに色んなところ荒らされたのよぉ。後片付けが大変だったわぁん。まっ、大事なものがなくなってるとかじゃなかったから、まあ無問題モウマンタイなんだけどねん」


 要領を得なくて志希人ははあ、と曖昧な返事を返すことしか出来ない。


「それで志希人君はどんなご用かしら? 君から私に会いに来るなんて珍しいじゃないのん」

「ええ、アリアさんにお願いがあって来ました」

「お願い?」

「……《血染花》との再戦リベンジがしたくて」

「あっ、なるほどねん。オッケーオッケー。いつがいい? 今日――はさすがにちょっと厳しいから、明日でいいかしら?」


 プレジデントデスクの中から書類を取り出しつつ、アリアがそう言う。右手にはすでに万年筆が握られており、再戦の許可のサインを書く気満々だ。

 懇願した志希人が困惑するぐらいの手早さでアリアは再戦の場を設けてくれた。まるで待っていたかのような準備の良さだった。


 いや、アリアはきっと待っていてくれたのだろう。英国本部から応援を呼ぶのを嫌がっていたのも、志希人を信用して待っていてくれたからだろう。頼りにされているとわかると、最近沈みがちであった口角が自然と釣り上がった。




 アリアと明日のブリーフィングを終えた志希人は、そのまま組合の地下一階にある修練施設へと降りて行く。

 《試作・杭打ち機》の調子を確かめるべく、素振りを行うためだ。


 普段使いのものより大きく、また重たいそれを振り回していると、中々体の動きに馴染まず、自分が振っているのではなく、自分が武器に振られているような錯覚を起こす。少しずつ時間をかけ、己の体の一部としていった。


 二十メートル四方の、白を基調とした無機質な個室が汗で濡れていく。汗を吸ってぐっしょりと重くなったシャツがたまらなくなり、脱ぎ捨ててアンダーアーマーだけになる。その状態からさらに一時間ほど修練を重ねると、激しい疲労感に襲われた。水分補給のため壁により掛かり、休息を取る。


 本当なら左手に銃も構え、実戦を想定して補助用の銃火器も使用したいのだが、アリアにも受付嬢にも止められていた。壁や床、天井は対魔術アンチマジックを施した特殊な素材を使用しており、ちょっとやそっとの魔術ではびくともしないのだが、物理攻撃などはその限りではない。物理防御は限りなく平均的だ。杭を接射すれば壁に大穴が開くだろう。


 壁や床は易々と貫けるのに、アネモネのあの堅牢な守りには歯が立たなかった。しかしコイツならあるいは――そう考えて、右手に装備された重武装を見つめる。

 確信はない。だが賭けるに足るだけの性能を、危険性を、この武器は持っている。


「……ッ」


 不安を振り払うように、また修練に打ちこむ。

 眼前にアネモネの姿を投影。そこへ向けて杭を振るい、トリガーを引き、雄叫びを上げる。


「がああッ!!」


 夢想の世界にいた志希人を現実に引き戻すケータイの着信音が鳴る。


 もしかして、芽依子から……。


 そんな期待と共に慌てて画面を見るが、着信主はアリアからだった。露骨に落ち込んだ顔をしながら通話ボタンを押し、スピーカーモードにする。


「何です、アリアさん」


 武装を壁に立て掛け、タオルで汗を拭いながら気だるげにアリアへ問う。


『志希人君、今どこにいるの?』

「どこって、地下のトレーニングルームですけど。いい加減に物理耐性の高い部屋の一つぐらい作ってくださいよ。俺が一番よく使うんですから」

『そうね、前向きに検討しておくわ。でも今はそれどころじゃないのよ。君のことだからどうせ常に臨戦体勢、いつでも戦闘に行ける状態でしょ?』

「……まあ、そうですけど」


 どうせ、という部分が引っかかり、志希人は歯切れの悪い返事をする。すると電話の向こうでアリアの雰囲気が明るくなったのを感じた。いや、明るいというよりも一安心と言うほうが正しいだろうか。


『よかった。じゃあ上に車用意しておくから、すぐに乗り込んでね』

「……一体、何だって言うんです?」

『人払いと情報規制は不完全なんだけど、君が目的地に到着する頃には完了してると思うから』

「……人払い? 情報規制?」


 顔も見えない相手に首を捻る。

 アネモネとの再戦日時を間違って実行してしまっているのだろうか。


「あの、俺がセッティングをお願いしたのは明日で、今日じゃあないですよ?」

『《血染花》のことじゃないわよ。それとは別にのよ』

「……出たって、何が?」


 問いながら、志希人の中ではもう答えが出ていた。


『《血の王》よ。しかも自我がしっかりあるらしくて、今バスをジャックしてるみたいなの!』

「……ッ」


 志希人の予想は大まかには当たっていた。しかし事態はその斜め上を行くらしい。ここ最近、神代市で発生する《血の王》は数多く狩ってきたが、まさか自我を持ったやつだとは。今までは自我のない出来損ないだったというのに、ここに来てなぜ。しかし熟考している暇はない。


「わかりました、すぐに行きます」

『詳しくは現場についてから話すわ! というか私も超特急で向かってるところ! それじゃ現地で会いましょっ!』


 アリアが通話を切るよりも先にケータイを収納し、修練所を出る。


 外へ出ると、志希人を待っていたのはあのビビりの青年組合員――吉野屋よしのやじんだった。滑りこむようにして後部座席へ乗り込むと、ドアも満足に閉めさせてくれないまま車はエンジンを吹かして飛び出す。


 身を乗り出して、志希人は吉野屋へ話しかける。


「あなたも大変ですね。転属早々、こうも次から次へと厄介事が入ってきて。前はもう少し暇だったハズなんですけど」

「暇じゃなくなったから、僕が転属させられたワケなんだけどね」


 そう言いながら吉野屋は苦笑を浮かべた。

 車は急いで走ってこそいるものの、以前のような荒々しさは感じられない。ドライバーが落ち着いて運転している証拠だ。


「もう慣れましたか」

「……まだちょっと怖いけど……この前の《血染花》の時よりはマシかな」

「はは、十分ですよ。異名持ちなんかと殺り合う機会なんて滅多にないんですから」

「ああでも君を運ぶのは慣れたくないね。君、自分で思ってるより随分と重いよ? 今日も運ぶのは本当に勘弁願いたいかな」

「たはは、気を付けます」

「ホントに頼むからね?」


 吉野屋は苦笑を浮かべた後、バックミラー越しに志希人の表情を窺った。視線に気付いた志希人が何ですか、と問うと、彼は言い淀みがちに口を開く。


「あの、さ。今回の《血の王》はバスをジャックしているんだろう」

「ええ、アリアさんから聞いた話だとそうですね。それがどうかしたんです?」

「その……バスジャックが出来るってことは、自我や知性がハッキリと残ってるってことだよね。志希人君は……辛くないの?」

「そりゃあ辛いですよ、自我持ちを倒すのは。獣の膂力に人間の知性。これほど厄介なものもそうはな――」

「――そうじゃない。そうじゃないよ、志希人君」


 食い気味に青年に否定され、志希人は眉をひそめた。では辛いとは、どのような意味なのか。


「自我も知性も、感情だって多分あるんだろう? だったらそれは僕らにんげんと同じようなものじゃないか。そんなのを殺すのは辛くないかってことだよ」


 人間と《人外》が同じようなもの。そんなことは終ぞ考えたことがなかった。


 言われてから思考を巡らせてみるが、しかし実感は一切わかない。やっぱり人間と《人外》が同じものであるワケがない。あってたまるものか。容易く手折られる花のように脆く儚く美しい人間と、醜悪で忌々しい《人外》が決して同じであるハズがないのだ。


 ミラー越しに苦々しく思い詰める志希人を見、吉野屋は慌てながら、


「あっ、ご、ごめん! これから戦いに行くっていうのに余計なこと言ったよね! ごめんごめん、今のなし!」


 それから車内に響くのは道をひた走るタイヤの擦れる音だけだった。




 ――神代市から出発したバスが県境のトンネルを越えようとした。


 トンネルの構造はひたすらに真っ直ぐで、バスの前方を走る車はなく、また対向車線から向かってくる車もなかった。だからきっと運転手は安心してバスを走らせていたことだろう。

 しかし、トンネルの中腹付近まできて事態は一変。避難スペースから男が一人飛び出してきたのだ。


 運転手が急ブレーキを踏んだ時にはすでに遅く、男はバスに正面から激突、車体の下をすり抜けていった。衝突してからブレーキを踏むのに数秒のタイムラグが生じ、男はバスの数十メートル後方に転がっていた。運転手は慌ててバスから飛び出し、道路に横たわる男へと駆け寄った。


 彼は一命を取り留めていた。


 心配した乗客の何人かがバスから出て、様子を窺っている。運転手と男は二言、三言ばかり会話を交わしていたようだが、不意に男が運転手の首元に齧り付いた。

 当初、運転手は逃れようと足掻いていたが、万力のごとき男の手の中からの脱出は難しく、最期は無抵抗に血を吸われ、死んでしまった。


 それを目撃してしまった乗客たちは恐怖に駆られトンネルの出入り口へ走り出す。すると男が腕を振るい、何かを飛散させたかと思うと、トンネルの天井が崩壊し、瓦礫が出入り口を塞いでしまった。


 男は逃げ出した乗客たちをバスの中へ戻すと、自分もその中へと乗り込んで行った。


 かくして男はバスに跳ねられた被害者から、バスを強奪ジャックした加害者へと転身する――




 事のあらましを監視カメラの記録映像で覗き見た志希人は、低く唸る。その隣で同じく映像を見ていたアリアは、どう思う、と志希人に問い掛けてくる。


「どうにもこうにも、この崩壊現象は《血因能力》によるものかと」

「やっぱり」

「能力の詳細はわかりませんけれどもね」


 志希人たち魔術師組合は、瓦礫によって封鎖された出入り口とは反対側、つまりは神代市側にテントを張り、緊急対策本部と銘打っていた。

 捜査権限は男が《人外》と判断された時点で警察から組合に移行、それに合わせて報道機関はこの場から排除されたハズ――なのだが。


 バラバラバラ、と三枚の羽がけたたましく回転し、地上にいる志希人たちをその風が襲う。ヘリからはマイクを持った女性と、カメラを構えた男性が身を乗り出し、何かを喚いているようだった。


「……情報統制は完了したのでは?」

「……き、緊急のことだからまだ完璧じゃないのよ」

「……」


 白けた志希人の目がアリアをじっと見つめる。


「で、でもホラ、彼ら報道の足が速かったおかげでの知るところになったワケだし、ね?」

「ねっ、て言われてもね」

「私たちの存在は後で揉み消すわよう。たまにはこういう不測の事態だってあるわ」

「……ま、そうですね」


 アリアも相当この不測の事態というやつに参っているらしく、先ほどから面倒な絡みをしてこない。これ以上責任を追及するのは酷と言うものか。基本組合から足を伸ばさない彼女がこの場にいる、というだけで事の重大さが身に染みてわかる。


「《血の王》も、何もただバスジャックがしたくて立て篭ってるワケじゃないんでしょう? 要求はなんです?」

「それなんだけどね、逃走車と身代金二億円を要求してきてるらしいの」

「……随分とまあ庶民的な要求ですね。本当に《血の王》ですか?」

「車に跳ねられても死なない不死性、それに吸血、能力と来たら間違いないでしょう」

「……ですよね」


 相手が《人外》とあれば、志希人の役目は変わらない。


「でも中の様子がわからないんじゃあ殺しにいくタイミング掴めないですよ。人質もいますし」


 監視カメラでもう一度トンネル内の様子を確認する、という提案をしたが、アリアに却下されてしまう。というか試みたらしいのだが、男はバスのカーテンを閉め切っており、詳しい状況を知ることが不可能なようなのだ。


「うぅん……」


 アリアが腕を組んで唸っていると、パソコンを抱えた女性組合員が彼女の元へと走ってきた。


「た、大変です組合長」

「もうすでに大変よッ! 一体何だって言うのよ」

「あっ、す、すいません! こ、これを……」


 一喝されて身震いを起こしながら、組合員がパソコンを差し出す。志希人とアリアがそれを覗き込んだ。

 その画面には、今のバスの状況がリアルタイムで映し出されていた。


 バスの出入り口を塞ぐようにして血塗れの男――《血の王》が膝を抱えてへたり込んでいる。映像のアングルから察するに、乗客は後部座席のほうへと追いやられるようにして座らされているようだった。


「これって」

「ケータイによる動画配信のようです……」


 言っている間にも動画の視聴者数は増えて行く。


 アリアは髪の毛をかきむしり、ヒステリックな叫びを上げた。


「きぃぃ~! バレたら犯人を刺激するでしょうにッ!! そのぐらい気が付きなさいよ! じょ、情報統制が難しくなる……」


 こういう監視社会って嫌いなのよぉ、とアリアが泣き崩れそうになったところで、志希人が静かにするように、とジェスチャーを出す。


「音量を上げてください」


 言われるがままに組合員がパソコンのボリュームを上げる。乗客が己の不幸を憂う嘆き声に、男の微かな声が混じっていた。


『……ち……う……つもりじゃ……たんだ……抑えが……なくて、俺は……殺……つもりじゃ』


 永延と、うなされるように男は同じ言葉を繰り返している。


「泣いて、いるのか……?」


 垂れる鼻水を拭うために、男が顔を上げた。と、そこで獣並の目が視界の隅に映る赤い光を捉えた。


『……! 何撮ってやがるッ!』

『ひっ……!』


 男は立ち上がると、カメラにまで一気に詰め寄る。彼へと道を明け渡すべく、ざっと乗客が左右に別れた。数多の悲鳴と共に、カメラのアングルが変わった。視点は一気に高くなり、血走った目の男を上から見下ろす。画面の端には血の染み込んだ袖が映っており、その腕に配信者が宙吊りにされているのだろう。


 反対の手がぬっと伸びてきて、カメラが奪い取られる。一瞬、配信者であろう小太りの女性が映しだされたかと思うと、破砕音と砂嵐が走った。画面にはNow Loading…の文字だけが映り、それ以後変化することはない。


「……チョベリバ。いっ、今の小太りちゃん、まずいんじゃあないかしら」

「それだけじゃあない、他の乗客にまで飛び火する恐れは十分にありますよ……!」

「あぁ~んもう! 何してくれてんのよぉぉ~!」

「くっ、組合長!」

「今度は何よ!」


 きっ、とアリアが組合員を睨み付けると、青ざめた顔をして電話を差し出してきた。


「《血の王》から、電話です……」


 ぎくりと身を強張らせ、アリアが電話を受け取る。彼女が耳元に運ぶよりも早く、電話口で男ががなり立てた。


『いつまで待たせる気だぁぁあ! 早く金と車を持ってきやがれぇ! あと十分待っても用意出来なかったら人質を殺すぞぉぉお!!』


 男は言うだけ言って、通話を切ってしまう。後には、つー、つー、という音だけが響く。

 アリアは切れてしまった電話を無言でじっと凝視していた。あまりに動かないため、志希人が心配になり声を掛ける。


「あの……アリアさん?」

「……これはチャンスよ」

「えっ?」

「誰か志希人君にジャケットとネクタイを貸してあげて!」

「ちょっ、ちょっとアリアさん! どういうつもりですか」

「交渉人のフリをして潜りこむのよ。そうすれば怪しまれずに近付けるわ」

「……! なるほど」


 アリアに言われるがまま、志希人はジャケットとネクタイを着用させられる。そこへアタッシュケースをぶら提げれば、交渉人の完成だ。


 いつもの《人外》討伐とは異なる心持ち、足取りで歩を進める。


 薄闇に覆われたその先へ進み入ろうとすると、ガゴン、と何かがズレるような不穏な音を立てて、トンネルが揺れた。ほとんど反射的に頭上を見ると、天井には亀裂が走っており、今にも崩れる寸前だった。一度目の崩落で、トンネル全体の強度が弱まっているのやもしれない。


 天井が崩壊するよりも先に走り抜けようとするも、瓦礫が落ちてくるほうが一瞬早い。


「まずっ……」


 瓦礫が志希人の体を圧殺する寸前、足元のアスファルトが盛り上がり、その真下から樹木の根が出現した。根は降り注ぐ瓦礫の雨を受け止める。


「これは……アリアさんの《碧緑の壁グレートウォール》……」


 後方を振り返ると地面に両手を押し付け、まるで自身が瓦礫を抑制しているように苦悶の表情を浮かべたアリアがいた。


「早く行って! そんなにコレ長く持たないわよっ!」


 アリアの言うように、瓦礫を受け止める根はすでにギシギシと音を立ててたわんでいた。


「……っ、ありがとうございます!」

「ちゃっちゃと倒しちゃいなさい、志希人君!」


 志希人が走り抜けるのとほぼ同時に根が折れ、今度こそトンネルは崩落した。


 外から光の差し込まなくなったトンネルを、志希人は振り返らずに進んで行く。

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