わずかな歪
願わぬ形でアネモネとの再開を果たした翌日、志希人は重い足取りで登校路を歩く。重たいのは足取りだけではなく表情もなようで、隣を歩く芽依子が心底心配そうにしていた。
「どしたの、志希。そんなに浮かない顔してさー」
「や、組合――バイト先から少し面倒なこと頼まれてな」
昨日、情報の共有を図るためにアリアへと報告の電話を入れた。志希人が一刻も早く学校から追い出すべきだ、と提案しているのに、彼女は、
『志希人君と同じクラスっていうなら都合がいいんじゃない? そのまま日中は監視を継続よろチクビ。放課後は組合員何人か向かわせて、代わりに監視しといてあげるからっ』
などとのたまってきたのだ。
アリアの言い分としては、その真意はともかくとして志希人の周囲にいてくれるのなら監視が難しくもなく、また神代市支部の最高戦力である志希人が常に同じ空間にいるのなら彼女の抑止力にもなるだろう、態々安定した劇薬を刺激してやる必要はないとのことだった。
アネモネが大人しくしている間、応援を要請するかなどの対策も考えるから、ともアリアは言っていた。彼女はあまり応援を呼びたがっていなかったようだが、最終的にはそのような措置が取られるだろう。何だか志希人だけではダメだ、頼りないと言われているようで胸が痛む。
敗北で折れてはいないと自己診断を下していたが、どうやら堪えてはいるらしい。
アネモネがただの異名持ちであれば応援なんていりません、俺が一人でリベンジして殺してきます、と言いたいところなのだが――彼女は神代市で起きている《血の王》増加に関する容疑者だ。志希人の我が侭で応援を突っぱねるワケにはいかない。早急にどうにかすべき問題だ。
そんなことを考えていると、資料に記されていた彼女の異名の由来について想起された。
数々の戦場にふらりと現れ、そこで流れた血を吸い自らの力とすることから、死血によりその花を咲かせたというアネモネの異名を冠するようになった。
そのアネモネが現れる戦争だが、彼女が裏で糸を引いて起こしたものなのではないか、という仮説も存在した。
直接自らの手は汚さず、人間同士が争い、血を流し、その様を愉しんだ後に悠々と食事にありつく。まさに人でなしの所業だ。
――そんな《人外》が同じ教室にいて、芽依子や晴彦が積極的に触れ合っているのだから、志希人の足取りも重くなろうというものだ。
「ふーん? でも無理はしないでね、志希、病み上がりなんだし。私に手伝えることがあったら何でも言って、力になるからー」
「おっ、本当か?」
「うんうん」
「じゃあアネモネに近付くな」
うんわかった、と芽依子が素直に従ってくれれば万々歳なのだが、
「うん、わかった、任せておきなさーい――ってそれ、アルバイト関係なくない!?」
「ちっ、
流れで頷きかけていたが、そう上手くはいかないか。
「何で今の話の流れでアネちゃんが出てきたの?」
「……アネちゃん、ねえ。本当、お前親しそうだよな、アイツと」
「うん? 席がお隣だからね、転入初日で色々揃ってないアネちゃんに教科書とか見せてあげてたら、自然と仲良くなっちゃって。今日の家庭科も一緒の班になったんだー」
誰とでも臆せず仲良くなれるのが芽依子の長所だが、今回に限ってはよろしくない。
それで何で? と芽依子は小首を傾げる。
「や、アネモネとお前の仲の良さも、俺の浮かない顔の原因の一つなんだよ」
「私がアネちゃんと仲良いと志希の気分が沈むの?」
「ほら、あいつが転入して来た日、俺休んでただろ? で、学校に来てみたらお前と晴彦はあいつにべったりだ」
「えっと、私たちがアネちゃんに取られたみたいで寂しいってこと?」
「まあ、そういうことだな」
「何か志希らしくないねー、そんなこと思うなんて」
しばらくの間、芽依子は首を左に傾けては唸り、右に傾けては唸る。校門をくぐり抜けたところでようやく、
「よし、わかったー」
と返事をしてみせた。
「お、おお、そうか?」
存外に歯切れのいい返事だったので、思わず言いだしっぺの志希人が戸惑う。
芽依子のことだからそんなの寂しいよー、と言って断ると思っていたのに。言ってみるものだな。
何にせよ、これで芽依子がアネモネから少しでも距離を取ってくれるのならそれでいい。
少しだけ軽くなった足取りで教室に入る。窓際の席を横目に見ると、まだアネモネは来ていないらしい。
またしても遅れてやってきた晴彦と他愛ない雑談を交わしていると、それよりも遅れてチャイムギリギリでアネモネが登校してきた。やはり朝は苦手なようだ。
おはようございます、とおだやかな挨拶をしながら、自分の席のほうへと歩いていく。
一挙手一投足見逃さぬようにと監視していた志希人と目が合うと、にこりと微笑んで会釈を返す。周囲にいた男子たちが、何だよ、お前だけなんであんな愛想良くしてもらえんだよー、とひがんだ。志希人からすれば身の毛もよだつものなのだが、他人からは羨ましいらしい。代わってもらいたいぐらいだ。
そこへ他のクラスにいる友人と雑談しに行っていた芽依子が戻ってくる。教室にいるアネモネを見つけるや否や、彼女の元へと駆け寄って行った。
「わー、アネちゃんおはよー」
「あっ、おはようございます一之瀬さん」
「だからメーコで良いってー」
「ふふ、それじゃあメーコさんと」
「さんもいらないのにー」
「すいません、これはクセのようなものなので」
うふふ、あはは、と二人は和やかに笑みを浮かべ、会話を弾ませる。
「――何もわかってねえじゃんッ!!」
クラス全員が思わず振り返ってしまうほどの大声を上げ、芽依子のほうへとづかづかと歩いていく。そんな志希人を見守るように、皆黙していた。
芽依子の両肩を掴みアネモネから引き剥がすと、厳しい顔を近付けて小声で耳打ちをする。
「お前、俺が言ってたこと理解してた? アンダスタン?」
「大丈夫だよー、わかってるから」
「本当? 本当にわかった? マジ?」
「うんうん、私を信じなさーい」
どん、と芽依子が自らの胸を打つ。変なところを打ってしまったのか、けほけほっ、と咽返った。
「……すっげえ信じらんねえ」
「失礼なっ、大丈夫だよぅ」
どこから来るのかわからない芽依子の自信に押し切られて、志希人は盛大にため息を吐きながら来た道を戻っていく。
それを見届けると、クラスメイトたちがようやく言葉を取り戻した。言葉を交わすようになったが、しかしどれもこれもがぎこちない、それでいてひそひそとした声だった。
晴彦は志希人に駆け寄ってくると、
「どした、志希人。何か昨日から様子が変だぞお前」
と訝しげに、心配の言葉を掛けてくれた。
「や、別に何でもねえって」
へらへらと笑って手を振って見せるも、信じられない、という疑惑の目が志希人を射抜くばかり。晴彦だけではなく、周囲の人間皆がそうであった。
事情を話せない志希人は、笑って誤魔化すしか出来なかった。
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