二章『Chaos theory』
相互観察
アネモネ・ウィンフィールド。
英国の片田舎で生まれ、幼い頃より遠い異国の日本へ強い憧れを抱いて育つ。今回が初の来日ながら流暢な日本語を話す。本人曰く、村に日本人夫婦が住んでおり、彼らから教えを受けたらしい。当然英語もペラペラなのだが、訛りが出ていないか不安とのこと。しかし英語の阿部先生が評するには完璧な発音らしい。
物珍しさで各教師たちから授業中指名されまくるも、全てそつなく答えてみせるだけの優秀な頭脳を持つ。だがそれを鼻にかけることなく、おしとやかで謙虚。
容姿は言うまでもなく美少女。
才色兼備ではあるが、体を動かすことは苦手の模様。そもそも体が生まれつき弱いらしく、体育の時間は木影で見学をして過ごす。全てが整いすぎていないのが身近に感じられて良い、守ってあげたくなるような可憐さがある、と男子から転校初日にして絶大な人気を得る。
――以上、なけなしの金で晴彦に缶ジュースを奢って得た留学生の情報である。
「……ちっ、なぁにが体が弱いだ、キャラ作りやがって」
ルーズリーフノートにまとめた走り書きを眺めつつ、志希人が吐き捨てる。
ちらりと横目にアネモネを盗み見ると、一日明けた現在も留学生ブランドは健在であり、彼女の周りは休み時間の度に人だかりが出来ていた。それは昼休みも例外ではなく、方々から投げかけられる質問に戸惑いながらも真摯に答えている。
それは首輪のされていない猛獣と人間が戯れているのと同じ状況が繰り広げられているワケだから、志希人としては気が気ではない。
「綾女は行かなくていいのか? 留学生のところに」
通りかかった男子生徒が志希人に問う。
「……まあ、興味がないワケじゃねえんだけど」
迂闊には近寄れない。
「もちろん興味の問題もあるけど、そうじゃなくて、晴彦の保護者としてさ」
「あん?」
男子生徒が指出したほうを目で追う。そこにはアネモネを中心として群れる人だかりがあり、その中で一際目立ち、喧しい輩がいた。
「ねぇねぇねぇ! 彼氏、彼氏はいるの!? いないならオレ立候補しちゃう!」
晴彦だ。馬鹿さ加減丸出しの質問。しかもスルーされてしまっている。
「ちなみにあの質問、昨日もしてたぜ。多分聞こえてないと思ってるんだろうなあ」
「同情したくなるほど馬鹿だ」
「で、止めにいかなくていいの?」
「そもそも俺は晴彦の保護者じゃねえし、まあそれに、何だ、ちょっと混ざりにくいんだよ。出遅れた感じがしてさ」
「ふーん? そういうもん?」
まあいいや、じゃあ俺は学食に行くから、と男子生徒は言い残し、教室を去って行った。
言われてから時刻を確認してみると五十分あった昼休みのうち、半分ほどが経過してしまっていた。アネモネを囲んでいる生徒たちは皆昼飯などそっちのけで交流を図ろうとしている。
志希人も彼らのように、アネモネに問いたいことは山のようにあった。なぜこの学校に留学生と身分を偽りいるのか、そもそも何を企み神代市にやって来たのか――などなど。
質問のどれもこれもが、あの輪の中に混じっては出来ないものばかりだ。二人だけの場に誘い出して質問攻めにしたいところだが、他の生徒たちが許しはしないだろう。何せアネモネはこの学校では話題の留学生だ。
志希人に今出来ることと言えば、見守り続けるしかない。
しかし晴彦が馬鹿なことを言ってアネモネを怒らせたりしないだろうか。
そう考えると、心臓が暴れ狂う。自らの命を賭して戦いに挑むよりも緊張するのはなぜだろ。頼むからこれ以上口を開かないでくれ、俺をこれ以上ハラハラさせないでくれ。志希人は強くそう願う。
「もー、皆そんなに質問攻めにしてたらアネちゃんがご飯食べる時間もないでしょー」
アネモネがやって来てからまだ一日だというのに、もう随分と親しげに名を呼ぶ生徒がいるものだ。彼女に近付くということはそれだけ危険に身を晒すということ。しっかりとその生徒に危害が及ばぬようにせねばなるまい。一体どのような生徒だろうかと声の主をさがしてみれば――芽依子だった。
「うぉぉぉぉ……メーコォ……」
どうして志希人の周りには地雷原にタップダンスを踊りに行く人間が多いのか。動悸、胃痛に加えて頭痛までしてきた。
芽依子の発言で配慮不足に気付かされた生徒たちが一斉に静まり返り、そうだよな、気遣い出来てなかったな、と各々反省の言葉を口にする。アネモネは気にしなくて大丈夫ですよ、と苦笑しながら周囲にフォローを入れる。
すっ、と生徒たちの熱が下がったのが目に見えた。こればかりはよくやったメーコ、と賞賛の言葉を送らずにはいられない。
自分たちも昼食にしようか、とその場から去っていく生徒もあれば、アネモネを昼食に誘う生徒もいた。
率先して誘っているのが芽依子と晴彦だったので、志希人はまた頭を抱えそうになったが、アネモネはそれに乗ることはなかった。
「ごめんなさい、今日はちょっとご一緒したい方がいて」
「あっ、そうなんだー。じゃあまた今度一緒に食べようねー」
「ありがとうございます、また誘ってください」
ぺこりとアネモネが頭を下げる。傲慢な《血の王》が
アネモネは優雅に音も立てずに立ち上がると、弁当箱が入った包みを持って歩き出す。例の昼食を一緒に食べたい方、とやらのところへ向かうつもりなのだろう。志希人としてはそれを監視しないワケにはいかない。
しかしアネモネに目を付けられた可哀想なやつは誰だろう、同情する。
立ち上がり、アネモネを追おうとしたところで、彼女の歩みがこちらへ向かって来ていることに気が付いた。彼女は志希人の前で立ち止まると、
「先日はどうもありがとうございました、志希人さん。その節のお礼もしたいですし、よろしければ昼食、ご一緒にいかがですか?」
顔の前で弁当包みをひょい、と持ち上げて見せて、微笑んだ。
「……は?」
不意の出来事に志希人の表情は固まる。
アネモネの発言に耳をそばだてていた生徒たちは口々に、綾女とウィンフィールドさんってどういう関係なの、先日はありがとうございましたって何のことだろう、でもあの二人って今日喋ってなかったよね、それなのにウィンフィールドさんから誘うなんてまさか綾女のこと、などと様々な憶測が行き交う。
クラスメイトの疑問を代弁して――本人が気になったことをただ口にしただけだろうが――晴彦が、
「おーおーおー、こりゃあどういうことですねぇお志希人君よぉ。お前、ウィンフィールドさんと顔見知りだったのか? 全然知らない風だったじゃねぇかよ。アレか、秘密にしておきたい関係だったってのか、ああん!?」
と志希人の首に腕を回しながら喧嘩口調で問うてくる。
「い、いやあ、何のことだかさっぱり」
「さっぱりだぁ? んなわきゃねぇだろ! 先日はどうもありがとうございましたって、お前のこと名指しで言ってんだぞ! 何かあるだろ、何かよぅ!」
「ぐっ、馬鹿のクセに鋭いところついてくる!」
「誰が馬鹿だ! オラ、白状しやがれ。どういう関係なんだ、オイ」
「いや、その、だからだな」
お互いの
志希人が上手い嘘を言えずに右往左往していると、クラスメイトたちの目が好奇のそれに変わっていくのがよくわかる。まずい、このままでは変な噂が流れる。例え噂でも《人外》とそのような関係、と言われるのは絶対に嫌だ。
くそっ、アネモネに目を付けられた可哀想なやつって俺かよ!
志希人が要領を得ない呻き声を上げていると、助け舟は意外なところから出された。
「えっと、多分志希人さんが私のことをよく覚えてなくても仕方がないと思います。あの時は慌しかったですから」
「あの時ぃ?」
「日曜日に、ホテル爆発事件がありましたよね。私、ちょうどあの周囲にいて。避難勧告はあったんですけど、神代市に来たばかりでどこへ向かえばいいかわからなくて。そんな時に志希人さんが私を安全な場所へ連れて行ってくれたんです。それで、別れ際にお名前を教えてもらって。志希人さんにとってはただの当然の人助けなのかもしれませんが、私にとっては恩人ですから。まさか留学先の学校でまたお会い出来るとは思いもしませんでしたけど」
「あー、確かにあったな、そんな人騒がせな事件。んだよ、そうならそうと言えよな志希人」
アネモネのその弁を受け、ゲスの勘繰りから一転、何だよ綾女やるじゃん、と皆が志希人を褒め讃える。
賞賛を受けて、志希人の内心は罪悪感でいっぱいだった。
ごめんなさい、その物騒な事件の犯人は俺です。
そして事件の火種は眼前にいる。
アネモネに視線を落とすと、にんまりと彼女が笑っていた。その笑みを見て志希人はからかわれていたのだと察した。
性格の悪い吸血鬼だ、本当に。
しかし苛立ちは笑みの下に隠す。
「だから、覚えてなかったんだって。でも言われて俺も思い出してきたよ。慌ててたのも勿論あるし、名前、聞きそびれてたからさ」
「それは大変失礼しました。アネモネ、とどうぞ親しみを込めて呼んでやってください。それで、私のお誘い、受けていただけますか? 色々とお話したいことがありますし」
「……もちろん」
「いやはや、先ほどの貴様の慌てようは面白かった。あれだけ取り乱してくれると、からかうこちら側もやりがいがあるというものだな」
「そーかよ」
オレも一緒に行きたい、と言う晴彦を振り切り、志希人とアネモネは屋上前の踊り場にいた。屋上へ通じる扉は施錠がされていて、逆に言えば、それさえどうにかしてしまえば誰からも邪魔をされない。密会をするには打ってつけの場所だ。
「うーむ、日陰のあるバルコニーあたりがいいのだが」
人気がないとわかると、アネモネはすぐさま素に戻った。志希人には一切正体を隠すつもりはないらしい。志希人としても上っ面だけの楽しい会話、なんてしたくて屋上まで足を運んだワケではないのでそちらのほうが好都合なのだが、急に戻られるとどうにも調子が狂う。
「……田舎の高校にそんな洒落たもんあるワケねえだろ」
志希人は慣れた手つきで施錠を外し、屋上へと出る。その後にアネモネが続き、ガコン、と重々しい音を立てて扉が閉ざされる。
空は雲一つなく晴れ渡っており、さんさんと太陽が輝いていた。
「貴様のあの便利な倉庫に日傘などはないのか。私には眩しくて敵わない」
「持ってたとしても誰が貸すかよ」
「ふん、そうか。私も随分と嫌われたものだな」
アネモネの内履きが転がっていた石ころを蹴りつける。すると彼女の足元に血溜りが生まれ、波紋が広がる。波紋の中心から、ぬっ、と棒が伸びた。
能力の発動に応じて志希人が拳を構えると、アネモネが慌てるな、と制する。
アネモネの頭上より高く棒は伸びると、先端から四方に小さな骨組みを枝分かれさせ、そこに薄い膜を張り始めた。やがて膜は骨組み全体に行き渡ると、彼女の足元に濃い影を落とす。
それはアネモネの《血因能力》によって作られたパラソルだった。
「あまり日の光が得意ではないのでな、失礼するよ、ふふ」
またからかわれたのだとわかると、志希人はアネモネにも聞こえるように舌打ちをする。
「ああ、そうするとシートも作らなければならないか。地べたに座ったのでは、せっかくの制服が汚れてしまうからな」
瞬時に血溜りが薄く伸び、敷き物が作られる。大きさはちょうど二人分のスペースだ。
アネモネはそこへ腰を下ろすと、手に持っていた弁当箱の包みを置き、ほら座れ、と志希人を促す。
が、志希人がそこへハイそうですか、と座るワケがない。
「……何のつもりだ?」
「はて、私は昼食を共に食べよう、と提案し、貴様はそれに同意してここにいるハズだが?」
「んなもの建前に決まってんだろ。そういうこと聞いてるんじゃねえ、何の思惑で学校にいやがるんだ、って聞いてんだよ」
「ああ、そのことか」
志希人の話を真面目に聞いているのかいないのか、アネモネは弁当箱の包みをするするとほどいていく。
「なに、先の戦いで貴様に興味が湧いてな。少し近くで観察をしてやろうと思ってな。前々から学校というものにも通ってみたかったことだし、観察場所には都合が良いし、ちょちょいとこう、転入手続きをしたのだ」
くい、とアネモネがメガネのフレームを掴んでずらした。煌々と輝くルビーのような瞳が志希人を見つめる。
「……ふむ、例に魅了を使ってみたが、やはり貴様には効果はないか」
《血の王》の目を直接見たものは、一定時間そのものの傀儡となる。魔力耐性のない一般人などは、これだけで自由を奪われてしまう。とすれば、転入届を偽装させるぐらいワケもない。学校はおそらく、志希人の制服から割り出したのだろう。それさえ特定出来てしまえば、後はどこのクラスにいるかなど芋づる式にわかってしまうことだ。
「俺に興味が湧いたから転入してきた……? そんな馬鹿な話を信じろっていうのかよ」
「別に信じて貰わなくとも構わんよ。私は勝手に貴様を観察するだけだからな」
「……神代市に来た理由も、学校に通いたかったから、なんて言うんじゃないだろうな」
「はは、それとこれとは話が別だ。元から野暮用があって神代に来、そこで貴様と相見え、興味を持ったから転入してきたのだ。順序が違うさ」
「じゃあ、その野暮用っていうのは」
「ふふ、さて何だったかな」
「……ふざけてるのか?」
「元よりふざけているさ。
「なら無理矢理にでも教えてもらおうか」
拳銃を取り出し、銃口をアネモネの眉間に向けるが、彼女は立ち上がらないどころか、弁当に伸ばす箸を止めようともしない。
「虚勢はよせよ」
「……虚勢?」
「貴様は今、引き金を引けないだろう?」
全てを見透かしたかのようなアネモネの目が志希人を射抜く。たったそれだけのことなのに、志希人の足は一歩後ろへと下がった。
図星を突かれ、戸惑いを隠せない。
「言っただろう、私は貴様を観察しにここに来た、と。監視しているつもりだっただろう? 実際に見られていたのは貴様のほうだと言うワケだ。長いこと人の移ろいを見てきたのだ、わかるよ」
「……何が言いたい」
「貴様は一之瀬芽依子や天谷晴彦の前で武器を取れない、と言っている」
「……!」
「私の存在を確認してから、ずっとクラス全体に気を張り巡らしていただろう。誰一人私の毒牙にかからぬようにと。特に先ほどの二人の時は気を張り詰めていたな。よほどこの日常を大切にしていると見る」
志希人は何も言い返せない。
「そんな貴様が自ら日常を台無しにするようなことが出来るか? 答えは否だ」
アネモネの言うことは正しい。
自ら日常を踏み躙るどころか、自身の正体がバレてしまったらと考えると――体は強張り、動かない。
志希人に引き金を引く勇気は、ない。
くそっ、と毒吐き、武装を解除する。
「……ッ、そこまで断言するんだ、もし手を出したらどうなるか、想像はしてるんだろうな」
「おお怖い怖い。しばらくの間は優等生のフリをしておくのが得策そうだ。まぁ、元より通ってみたかった学校だ、私も自ら台無しにするようなことはしないさ」
「……ちっ、まだ言いやがるか」
「嘘を言った覚えはないのだがな」
くすくすと悪戯な笑みをこぼした後、アネモネはこちらの様子を窺うようにちらちらと目配せを送ってくる。
「何だよ」
志希人が問うと、アネモネはおずおずと口を開いた。
「昼食は食べないのか?」
「……は? んなこと気にしてちらちら俺のこと見てたのか?」
「そんなことではない、気になるではないか。だって貴様はフランケンシュタインをモデルにしているのだろう? なら食事はこう、バッテリー的なものを食事としているのか、とか知的好奇心をくすぐられるではないか」
なるほど、それで志希人の様子を窺っていたのか。
「フランケンシュタインの怪物も人間と変わらねえもの食ってただろうが。電気とかってのは映画のイメージだろ。俺だって普通のもの食うわ」
「むう……そうなのか、残念だ。少し期待していたのだがなあ」
「まっ今日は誰かさんのせいで金欠なんで、昼飯は抜きだけどな」
「ふむ、なら私の弁当を少し食すか? 味は保障しよう。私の手製だ」
嫌みったらしく言ってやったつもりなのだが、アネモネには通じないらしい。
「いらん。誰が《血の王》の作ったもんなんて食うか」
「そうか、それは残念だ。いい出来なのだがなあ」
「……つか、てめえこそしれっと弁当食いやがって」
「ん? 私だって血以外も栄養とするぞ。まぁ、やはり血に比べると貧弱だがな。しかし美味いものを食べるのは楽しいぞ」
「……そうかよ」
表情こそは変わらなかったが、アネモネは美味そうに弁当を口に運び、咀嚼し、飲み込む。そんな様子を手持ち無沙汰で観察していると、体は正直なようで、腹の虫がぎゅう、と本日最大級の泣き声を上げた。
結局、アネモネの真意を推し量ることは出来なかった。だがそれはいずれわかることだ。当面の問題となるのは、はたして彼女が本性を現した時、志希人が芽依子たちを守れるのか――アネモネを殺しきれるのか、ということだ。
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