《血染花》という《人外》
有史以前より、
植物であれば葉脈、人間であれば血管を通して生命力を循環させる。ならば惑星は。地脈を通してその膨大な生命力を循環させていた。
そしてその生命力は何らかの要因によって滞り、吹き溜まりになってしまうことがある。その吹き溜まりは霊脈、聖域、
四方を山々に囲まれ、受け皿のような地形をした神代市もまたそうであった。
だが鎖国していたという歴史的特徴があるため、神代市は近代になるまでその両組織から干渉を受けることはなかった。神代の藩主と、その側近たちがひっそりと管理を行っていた。
その閉じた霊脈に目を付けたのは魔術師組合ではなく、個の魔術師たちであった。その時代において組合と教会の力関係は均衡ではなく、圧倒的に教会が強者であった。ひとたび教会にに敵視されれば、一介の魔術師などは弁明の余地などもなく火炙りに科せられる。だから教会の目の届かない、そして霊脈である神代市は極上の土地であった。多くの魔術師が単身海を渡った。
教会から逃れたいのは《人外》も同様で、彼らなどは教会に存在を確認された時点で刺客を差し向けられてしまうから、力なきものほど魔術師たちよりも必死になって逃亡した。
時が移ろい、国が開かれ、藩が廃止され、管理者が魔術師組合となった現在も、それは変わらない。神代市では多くの魔術師たちが一般人に紛れ、そして《人外》たちが人間に紛れて生活をしている。
魔術師組合は教会と比べて《人外》に寛容だ。人に仇なさなければ――そして自分たちの邪魔さえしなければ、彼らと事を構えるようなことはしない。それどころか中には協力関係にあるものすらいるようであった。
等しく《人外》を憎悪する志希人からすれば、有り得ない話だ。彼らは彼らである時点で殺さなければならない。その思想のみを汲み取るなら志希人は教会の手合いのものなのだが、教会は決して志希人を――そして培養液の中の姉を、認めてはくれないだろう。神の教えに反するとして姉弟諸共、門前で殺されるのがオチだ。
それにあの日以来、神様など信じてはいないのだから。
自分を拾ってくれたのがアリアでよかったと思う。
《人外》を殺すのは志希人の私怨だが、それが恩人であるアリアの助けになるのなら嬉しいとも思えた。
「つっ、着きましたよ、綾女君」
焦り気味に踏まれたブレーキは、後部座席に座っていた志希人の体を激しく揺さぶった。
「うわっと」
「だだ、大丈夫でしたか?」
「え、ええ、このぐらいへーきですよ」
運転席から後部座席を覗きこんだのは、昨日のビビりの青年組合員であった。ワゴンカーの中には志希人と、その青年しか乗っていない。他の組合員はというと、人払いのために駆り出されてしまっている。全くそこらへんのノウハウを知らない彼が、最も容易である運転手を任されたというワケだ。
窓の外、神代市の中心街に建つ、何の変哲もない五階建てのビジネスホテルを凝視する。暗雲の下に聳え立つソレは、心なしか禍々しく感じられた。
「アレが本日のドラキュラ城ってワケですね」
「よ、よくそんなジョークが言えますね。こっ、これからそこに乗り込んでいくっていうのに」
青年は昨日にも増して怯えていた。車が目的地へ進めば進むほど、ハンドルを握る指は震え、歯が噛み合わなくなっていったのを志希人は知っている。
志希人が車から出た直後、アクセルを全開にして逃げ出しそうな勢いだ。しかし青年は役割を終えたのだから、そうしたところで責めるつもりは毛頭ない。
ならば早々に車から出、行かせてやるのが優しさだろうと、ノブに手をかける。
「……腕、もう動いても大丈夫なんですか?」
青年に呼び止められ、志希人は素直に驚いた。一刻も早く逃げ出したいであろう彼から止めるようなことをするとは。
「ええ、おかげさまでもうピンピンしてますよ。ほら」
狭い車内で、ぐるぐると左肩を回す。だが青年の表情は晴れない。何が彼の心に曇りをかけているというのだろうか。残念ながら、今はそれを解き明かしている時間はない。
「昨日は俺を運んでくれたんですってね。お礼を言い忘れてました。ありがとうございました。それと、すいませんでした。……それじゃあ、行って来ます」
これ以上心配をさせぬよう、笑みを浮かべて車を出た。まだ青年は何か言いたげであったが、あまりここで悠長に過ごしている時間はない。
車から降りると、周辺をぐるりと見渡す。日曜日の午後だというのに、出歩いている人は誰一人としていなかった。いつもなら雑踏がうるさいぐらいだったが、今は静けさが耳に痛い。
ここはもう戦場なのだと酷く実感させられる。
ビジネスホテルの自動ドアを潜り抜けて中に入ると、宿泊客どころか従業員もいない。
エレベーターには乗らず、一階から階段を昇っていく。一段昇るごとに疲労感とは異なる、心臓の高鳴りを自覚する。
心臓が一度どくん、と跳ねるごとに、全身を巡る血液が焦がれる。体は熱を帯び、呼吸は静かに、深く刻まれる。先刻まで青年に向けて笑みを浮かべていた口元は硬く閉ざされ、温かな光に満ちていた瞳には確かな殺意が宿る。
もはやそこにはへらへらと笑みを浮かべる少年の姿はなく、胸の奥底で燻る憎悪に身を任せて戦場を駆ける《鋼人》と畏れられた男がいるのみだった。
こうなっている時の自分をこの体同様、誰にも見てほしくはなかった。
そんな雑念すらも一つ一つ押し殺していく。
心構えが完了するのとそう変わらず、目的の部屋の前へとたどり着く。三階の、角部屋。ここに志希人の標的が潜伏している。
「……」
一呼吸を置いてから、ドアの横に備え付けられたチャイムを押す。部屋の中で音が響き、それから何の用だ、と凜とした声が返ってきた。足音がこちらへ向かって来ていることもハッキリとわかる。ロックが外れ、ノブが下へ下りていく。ドアが開くよりも早く、志希人が行動に出た。
「一番
志希人の呼びかけに応じ、手の平から――《二重蔵》から全長百五十センチにもなる大型のセミオート式狙撃銃が飛び出す。
本来なら二脚の支えを持って構えられるべき銃を脇で抱え、一切の躊躇いもなく眼前のドアへ向かって弾丸を放つ。二千メートルの彼我があろうが命中すれば人体を真っ二つに切断してみせる弾丸だ。
発射されたそれはドアを粉砕しながら部屋の中へと侵入して行く。
弾丸を撃ち尽くすと、無用の長物と化した狙撃銃を無造作に放り投げ、
「二番格納庫、MK3手榴弾」
手榴弾を取り出し、アスファルトの粉塵や硝煙で煙る部屋の中へと投擲する。
志希人が部屋の出入り口から離れて数秒後、爆発が起きた。部屋の中で立ち込めていた煙は爆風により外へと押し出される。
「番外格納庫、《杭打ち機》」
それを打ち破ったのは、瓦礫を踏み拉く靴裏の音。
煙のスクリーンに細身の人影が映し出される。目こそ煙に阻害されて合うことはなかったが、強い視線を感じた。人影がこちらをじっと窺っている。
視線を外さぬまま、緩慢とも言える動作で人影が右腕を振りかぶった。
「お返しだ、受け取れ」
何かが来る、と予見した時にはすでに体が動いていた。《杭打ち機》の銃身を前方に突き出し、盾の代わりとする。
それから一拍ほど置いて、人影が腕を振り下ろす。先ほどのゆったりとした動作からは想像も出来ない俊敏の投擲だった。投げ放たれた竿状の物体は煙に一筋の穴を穿ち、輪郭の尾を引きながら志希人へと直進してくる。
飛来物と銃身が衝突すると、防御しているにも関わらずまるで殴られたかのような衝撃が志希人を襲う。そればかりか踏ん張っていた足が勢いを受け止め切れずに浮き上がる。
「ぐっ……!?」
志希人の体を数メートルほど押し戻したところで飛来物は弾かれ、天井へとその身を深々と埋める。
志希人を襲った飛来物の正体はひたすらに歪みなく真っ直ぐ伸びた
渾身の力を込めて投げ放たれた投擲槍は天井に突き刺さり、動きを静止した後も柄を弛ませながら震えていたが、しばらくすると酸化して錆となり空気中に霧散して消えてしまった。
まだ右腕に痺れを感じる頭で受け切るのではなく弾くことを優先し防御してよかった、と安堵した。銃身を斜めにして弾いていなければ、装甲を突き破られていた恐れがある。
きっ、と煙の向こう側の敵を見据えると、槍が穿った風穴を起点として煙が散り散りに千切れ始めていた。次第に敵の姿が露わになっていく。
煙の中から現れたのは――志希人とそう年端も変わらぬ少女であった。
「……ッ」
そのあまりの美しさに身が竦み上がった。
事前に絶世の美少女の装いをしている、と聞かされていてよかった。何も知らずに顔をつき合わせたら、きっと動揺を隠しきれなかったに違いない。
ドレスでも着ていれば、童話に出てくるお姫様と見間違っただろう。しかし彼女の服装は、とても現代的なものだった。
ボディラインを強調するような黒のタートルネックシャツに、黒のミニスカート、そしてそこから覗く太ももにはガータータイツを着用していた。それらの上からはワインレッドのロングコートを羽織っており、その裾をなびかせていた。
「やれやれ、随分と礼儀知らずな来客もあったものだな。ノックの仕方も知らないのか?」
少女の姿には似つかわしくない厳かな口調で彼女が喋る。それでようやく志希人は冷静な思考を取り戻した。いくら美少女の装いをしていようとも眼前に立っているのは数百年の時を血を啜り生きた《
アネモネは志希人の爪先から頭の天辺までを無遠慮に観察する。値踏みをされているような気分だ。
志希人が臨戦体勢であるのに対し、アネモネは漫然と立ち尽くしていた。しかしそのハズなのに、攻め込む隙を見出せない。だから志希人は彼女が切り出すのを待つより他なかった。
「……ふむ、ここは魔術師組合の管理する霊脈。対立する教会は言わずもがな、
廊下に転がる空薬莢、爆破された部屋、そして志希人の右腕に装備された《杭打ち機》と、アネモネの目が順繰りに追う。彼女の瞳は無言のうちに語っていた。魔術師らしくない、と。
「通常、学のない狩人たちですら最低限の身体強化魔術を施してくるものだ。だのに貴様からは一切の魔力を感じない。弾丸に魔術が組み込まれているかと言えば、そういうワケでもない。多少の銀加工はされているが、結局はその程度。魔術を知らぬものでも出来ることだ。まさかそんな過剰な武器を持っておきながらただの一般人だと言うワケでもあるまい?」
アネモネの言に小さく舌打ちをする。たったあれだけの戦闘行動から志希人の戦力が推し量られようとしたためだ。
ああ、やっぱり知性を持つ敵はやり辛い。
最近は自我を持たない成り損ないばかりを相手にしていたから、余計に痛感する。
やつらにどれだけ手の内をみせたところで所詮は自我を飲まれた獣、対抗策だとか封じ手を練ることはない。
けれどもアネモネは違う。手札を見せれば見せるだけ、不利な状況に追い込まれていく。だから志希人はなるべく手札を隠したまま、短期で彼女をねじ伏せなければならない。
「……てめえが自分で言ったじゃねえかよ。この神代市で組合以外が干渉してくるワケねえだろ。脳みそまで血に浸って機能しなくなっちまったか?」
闘争心を隠そうともしない声色で志希人がそう答える。
今にも飛び掛からん勢いで睨み付けているにも関わらず、アネモネは志希人そっちのけでため息を吐き出し、何やら思案に耽り始めた。
「はあ、やはり組合の手合いか。本来ならば私のほうから仕掛けるつもりだったのだがな。私が潜伏していることをいち早く感知したばかりか、こうもつぶさに手を打ってくるとは。いやはや、侮れないなここの組合長は。さすがと言うべきか。私ももう少し心して挑むとしよう」
その様は、言外に志希人を敵として見ていない、と語っていた。
攻め時か、と足を踏み出そうとしたところで急にアネモネの意識がこちらを向いた。まるでわかっていたようなタイミングで彼女との視線がかち合うので、思わず志希人は身動きを止めてしまう。
無邪気とも言える笑みを浮かべ、アネモネが志希人に向かって人差し指を立てた。
「少年、提案があるのだがどうだろう? 私も貴様も得をする、素晴らしい提案だ」
「……提案?」
「私から手を引け。そうすれば貴様は無用に命を落とすこともなく、私は無駄に力を使わなくてすむ。どうだ、良い案だろう?」
「――ッ」
アネモネが言い終わるや否や、志希人は放たれた矢のごとく疾駆していた。
《人外》というだけでも目障りなのにそれが口を利き、己を敵と見ておらず、あまつさえ情をかけてくるのだ。どうして我慢出来るものか。
「ああ、先ほどの襲撃の件は仕返しをしたので許してやる――と、もう聞いていないか。そちらがやる気ならば仕方がない、私も対峙するとしよう。全く、組合長の
間合いに入った瞬間、床を蹴り跳び上がった。怒りに任せて銃身を振り下ろす。速度と重量を伴った杭の切っ先がアネモネの頭をかち割らんとする。
しかし杭は触れる寸前で阻まれてしまった。
「ッ!?」
行く手を遮るのはハルバードと呼ばれる鋭い穂先と無骨な斧の刃を併せ持つ斧槍だ。それまで何もなかったハズのアネモネの手にはソレが握られていた。
両手で柄を持つと、曲げていた肘をぴんと前に張ってみせる。すると宙に浮いたままだった志希人の体は容易に押し戻されてしまう。
ハルバードの間合いから逃れるように後退しつつ、志希人は渋面を浮かべた。アネモネはそれを見て軽快に笑う。
「どうしたどうした、攻撃はこれで終わりか?」
底から先端まで二メートルはあろうかというハルバードを見、志希人は露骨に舌打ちをする。
「……それがてめえの《
「いかにも。私は《
吸血鬼伝承から見てもわかるように、彼ら《血の王》は多くの能力を有している。吸血、対象の隷属化、催眠、エトセトラ、エトセトラ。その中でも極めつけは《血因能力》と呼ばれる個体それぞれが所持する固有能力だ。名が表すように、血に起因するその能力は個体によって千差万別に変化する。
情報によればアネモネの能力は己の血から武装を生み出す、とのことだった。彼女が今手に持つハルバードも、先ほどの投擲槍も能力によって生成されたものだろう。
石突きで床を叩いてやると柄にびしりと亀裂が走り、砕けた。散らばった破片は投擲槍と同様に酸化して錆となり霧散していく。
「おや? 存外に重い一撃だったらしいな。まさかこう易々と壊されるとは思いもしなかった」
残りの柄を放り投げ、前に腕を突き出すと、
「《鉄血処女・
何の前触れもなくアネモネの手の平から多量の血が爆ぜてこぼれ落ちる。バケツをひっくり返したかのように溢れる血は彼女の足元に溜まり、しかし一定量になると出血は不意に止まった。そして今度は重力に反するようにして、手の平の周りを逆巻き始めた。
血はやがてハルバードの形を成すも、見えない膜に覆われているようにぶよぶよとしていて硬さや鋭さなどは微塵も感じられない。
だがアネモネの指先がその不可視の膜に触れると、そこから血は鉄へと変化していく。やがては先ほどのハルバードと全く同じ物が完成する。
まるで自慢するかのように、アネモネがにやりと口元を釣り上げて笑った。
俺はやれる。
そう自分に言い聞かせると共に、《杭打ち機》を握る拳に力を込めた。
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