ジョニー・ウェストンの無理難題

 暗闇の中に一条の光が差し込む。次第にその光は強さを増し、闇を振り払った。

 まぶたが開き、視界に飛びこんできたのは目に痛いほどの白い光を放つ電球と、塵が積もりクモの巣が張る薄汚れた天井だった。鼻腔に吸い込まれる空気も埃っぽく、そしてオイルと火薬の臭いが混じっていた。

 

 目を滑らせて周囲を窺うと、赤錆びの目立つドラム缶や鈍く光る一斗缶が地面に放置され、その上には細々としたネジやボルト、またそれらを運用するドライバーやスパナが乗っていた。その近くには金属を加工するためのプレス機や切断機、研磨機などがどっしりと腰をすえて居座っている。どの機械も年代物のようで、随所に劣化が見られた。


「おうおう、お目覚めかい」


 軋む首を巡らし、声の主を確認する。今にも壊れそうなパイプイスに腰をかけていたのは、小柄な老人だった。


 老人は色素の抜けた白髪を隠すかのようによれたカウボーイハットを被り、その顔には深くシワを刻んでいた。鼻っ柱には絆創膏が張られており、ヤンチャをして怪我してしまった小僧を思わせる。明度の高い花柄のアロハシャツを羽織っており、その下にはセンスを疑うダサいデザインをしたシャツを着ていた。しかしそんな茶目っ気を吹き飛ばすほどにくぼんだ眼窩に収まる目は鋭く、ただものではないと一目で感じ取ることが出来た。

 

 事実、彼はただの老人ではない。


 老人の正体は神代市の郊外にひっそりと店を構える武器職人、ジョニー・ウェストン。そしてここは倉庫を改造して作られた彼の武器工房だ。


「……何で俺、ジョニーの工房に」


 脳裏に焼きついた最後の光景は、青年が慌てて駆け寄ってくる姿であったハズだ。記憶と光景が繋がらないことに困惑しながら起き上がろうとするも、体が言うことを利かず、重たい。支えにした右腕は力が入らずにがくりと崩れ、ベッド代わりの作業台に背を打ちつける。


「うぼあっ!!」


 そんな滑稽な志希人の姿を見て、ジョニーはクヒッ、と意地の悪い笑みを漏らした。


「無茶をするもんじゃあないぞ。今さっき左腕を血液を流し込んでるところじゃい。しばらくは安静にしとれ」


 言われて、目だけを動かして左腕を見る。食い千切られたハズの腕が肩からきちんと繋がっていた。手首には管が差し込まれ、輸血パックから血が絶え間なく体に流し込まれ続けていた。


「組合の連中がお前さんを運んできてくれたんじゃよ。一人、やたらとうるさい青二才がおったのお。綾女さん死にませんよね、大丈夫ですよね、と喚き散らしておったわい」

「……そっか」


 心配してもらって嬉しい反面、申し訳ないという気持ちが込み上げてくる。


「あの様子じゃあお前さんと仕事をするのは骨じゃろうて。腕の一本や二本捥がれてウチに運ばれてくるなんて日常茶飯事なのに、のお?」

「へっ、そのうち嫌でも慣れてくれるだろうよ」

「クヒヒッ、可哀想にのお」


 ジョニーは胸元からタバコを取り出し、口に咥えた。火の付いたタバコの先端からは青白い紫煙がゆらゆらと立ちこめ、古木のような彼の唇からは、色を失った白煙が吐き出される。

 天井に向かっていくほどに薄れていく煙を眺めながら、志希人はうわ言のように問うた。


「……俺が気を失ってる間に、この腕のことは――」

「――バレちゃあおらんよ。自分たちじゃあどうにもならないから、傷口や左腕には不必要に触れなかったそうじゃ」


 食い気味に放たれたジョニーのセリフに、志希人はほっと安堵のため息を吐く。そんな様子をジョニーは白けた目付きで眺めていた。


「ケッ、そんなにその体のことがバレるのが嫌かのお」


 ジョニーは足元に転がる血塗れの布を引き揚げる。その布に包まれていたのは切断された志希人の左腕だった。切断面からは神経ケーブルや人工血管がぶらりと垂れ、食まれた箇所からは人工筋肉やチタン性の骨が覗いていた。


 にそのようなものが詰まっていると知らなければ、誰も義手だとは思いもしないほど精巧に作られている。挙動のしなやかさはもちろん、皮膚の瑞々しさや柔らかさ、そして指紋などの細部に至るまで、人の生腕と比べて見ても全く劣らない。


 この芸術品と評しても過言ではない代物を設計したのは志希人だが、空想を技術で持って現実にまで押し上げたのはジョニーだ。人の腕と見紛うほどのそれを再現する技術はまさに神業であり、彼以外には成し得ない所業だろう。

 だがジョニーは、それを常々気に入らないと言う。人工皮膚で覆い隠す――志希人の臆病さが、気に入らないのだとか。


「万年アンダーアーマーを着込んでるのも、関節部の繋ぎ目が甘くて中身が見えるかもしれなくて、怖いから。……じゃろう?」

「……」


 見事に図星をつかれたその一言に、志希人は黙るしかない。


「その隠してしまおうっていう魂胆が気に食わん。稚拙なら可愛げがあるってもんじゃが、そんなにも技術の粋を凝らして巧妙に隠されると苛立ちすら覚える」

「……でも、余計な心配はさせたくないだろ? いらない不安を掻き立てたくねえじゃねえか」


 にへら、と志希人がしまらない笑みを浮かべる。


「臆病さもさることながら、その周りには心配させまいと、立ち入らせまいとする性質も気に入らんわい。無理に笑うな、気色が悪い。自分がボロボロのクセに他人を気遣うな」

「手厳しいなあ……じゃあどうしろっていうんだよ」


 ジョニーの吐き出した煙がゆったりと重く地面に持たれこむ。フィルター間近まで灰になったタバコを床に落とすと、サンダルの裏で踏みつけて火を消した。


「別にどうしろとは言わんよ。ワシ個人がただ気に入らないってだけじゃ。しかしまあ、そうさな、あえて助言をするなら、もう少し他人を信じて頼るこったな」

「今も十分ジョニーには頼ってると思うんだけどな」

「バーカ、そりゃあ頼ってるとは言わんよ。ワシとお前さんはビジネスパートナー。金を貰い、仕事を遂行する。鉄よりも冷たい関係じゃて。というよりはじゃろうよ」


 志希人は何となく納得しかねた。そんな金だけが繋ぐ関係だというのなら、態々気に入らないだとかを口にして、助言を出すようなことをするだろうか。けれども言ったところでこの老人には飄々とした口ぶりでかわされてしまうだろうから、言わないことにする。


「さて、金の分は働くとするかのお。消費した武器弾薬の補充、それと《杭打ち機》のメンテナンス……明日の午前中までには終わらせておいてやるわい」


 ちらりと柱にかけられた時計を見ると、針はすでに午後の十一時を指している。


「急ぎすぎじゃねえか? 取り掛かるのは明日からでもいいだろ」

「あぁん? 誰よりも生き急いでるやつに言われたかないわい。高い金貰ってんだ、それぐらいはしなきゃならんじゃろ。それとな、ワシが丹精込めて作った《杭打ち機》が今も汚れっぱなしなのが嫌なんじゃい。手入れは早いに限る」


 在庫の確認をしてくるからそれまでゆっくりしていろ、と言い残し、ジョニーはそそくさとその場を立ち去ってしまった。

 だだっ広い工房の作業台の上に置き去りにされた志希人は、一人でくっく、と咽喉を鳴らして笑った。


「何がビジネスパートナーだよ、ジジイが照れやがって」


 ああもわざとらしい言い訳を並べられたのでは、笑えてくるではないか。


 工房に独り残った志希人は、ジョニーの言葉を思い出し、噛みしめる。

「臆病もの、か」


 ジョニーにいくら臆病と揶揄されたところで、志希人のは治らないだろう。

 こんな体を晒して周りを心配させたくない、という気持ちは確かにある。それ以上にこの体のことを知られ拒絶されてしまうのではないか、という恐怖もあった。

 

 ジョニーの言う他人を信頼しろ、とはとどのつまり秘密を打ち明けられるような人間関係を築き上げろ、ということだ。


「……ハードル高すぎるぜ、ジョニー」


 他人から見れば取るに足らない秘密なのかもしれないが、しかし志希人にしてみれば自身の根幹に関わる問題なのだ。そう易々と告白出来るものではない。

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