《鋼人》
燃料を失った炎はやがて鎮火していき、最後には人の形の炭を残した。
それがぴくりとも動かないことを確認してから、志希人はケータイを取り出しどこかへと電話をかける。
電話をかけてから十数分後、車が山中の悪路を跳ねながら走る音が聞こえてきた。それからしばらくして、靴裏がコンクリートを踏み拉く足音たちが近付いてくる。疲労から壁に背を預けその場にへたりこんでいた志希人は、
「こっちです」
と声をかける。
コンクリートの建物に志希人の声はよく反響した。その声に導かれて現れたのは真っ黒なスーツに身を包んだ五人の男たちだった。山中に打ち捨てられたこの廃墟には似つかわしくない。
その異質さに似合わず、彼らは志希人を見つけるや気さくに挨拶を投げ掛ける。
「お疲れ様、綾女君。すまないね、遅くなってしまって」
「いやいや、道の悪い山の中ですから仕方ないですよ」
「後はこっちで処理するから、終わるまで綾女君は休んでいてくれ。……片腕だと色々と不便だろうから、一人世話役を付けるよ」
男の視線は志希人の止血処置の施された左肩、そしてワイシャツで包まれた左腕に注がれる。それを見て驚いた様子はない。いつもと変わらぬ、平常運転だと言わんばかりの冷静さだ。
「でも、それだと作業が遅れるんじゃないですか? 俺は一人で大丈夫ですよ」
「最近は《人外》の事件が多いだろう? だから組合長が人手を増やしてくれてね。人手を増やしてくれたのはいいんだが、まあ何分新人だからな、最初の仕事が《血の王》の死体処理は荷が重いだろう。だから綾女君の世話を、とね」
「……あー、もしかして、そこに隠れてる人ですか?」
志希人が指差した方向を、その場にいた男たちが一斉に向く。その視線の先には、部屋の出入り口からこちらをびくつきながら覗き見ている青年がいた。志希人と視線が合うや、ひい、と情けない悲鳴を上げる。
「……ったく、これじゃあ先が思いやられるな。おい新人、何をビビっているんだ」
襟元を掴まれ、引きずられながら青年が姿を露わにする。二十歳前半と思われる彼は、まだスーツに着られている感じの抜けない、見るからに新人と言った風だった。童顔が一層それを助長する。
青年の悲鳴は、部屋の中に入って行くにつれて大きくなる。両手が空いているものはその指を自らの指に突っ込んで音を遮断する。片腕の志希人は、甘んじてそれを受け入れるしかない。
「大丈夫だ、もう《血の王》はもう動かない。綾女君がしっかりやってくれたさ」
そんな情けない様を怒るのではなく、なだめるようにして男は青年に語りかけた。その場にいる全員の目に怒気はなく、どちらかというと同情、あるいは懐かしいものを見ているような、そんな優しい色があった。《人外》の処理を任されたものたちは皆、彼のような状態を経験してきていたから。
志希人も青年を落ち着かせようと思い、にへらと笑みを向ける。と、彼はより表情を恐怖に歪め、泣き叫んだ。
これではまるで《血の王》に怯えているのではなく、志希人に怯えているようではないか。
「おいおい、どうしたひよっ子」
「だだっ、だって、あの《
「冷酷無比って……」
《
魔術を至高とする彼らにとってしてみれば、それを使わずに現代兵器を扱う志希人などは当然侮蔑の対象だ。そして皮肉や侮蔑と同時に畏れも同居していた。常人では到底なし得ない、現代兵器のみで《人外》を圧倒する破格の戦闘力。それは並大抵の精神力から成せるものではなく、鋼の意志を持ったものにのみ成しえる所業である、と。
「あー……ビビられてたのは俺、ですか」
そんな仰々しい称号ばかりが先行して、どうにもよからぬイメージを抱かれてしまっているらしい。
志希人は魔術を行使しないのではなく行使出来ないのであり、銃火器に頼るのはそれ故に仕方のないことだ。単身で《人外》を狩ることは確かに規格外の戦闘力ではあるが、自分の場合は少々ズルをして戦場に立っている――などなど、様々訂正したいものはあったが、それを言ったところでどうしようもない。何よりも、言いたくはなかった。
青年の同僚である男たちが大丈夫だ、心配はいらないと言い聞かせてくれなければよいのだが――、
「ぶはっ! お、お前、《人外》にビビってたんじゃなくて綾女君にビビってたのか!?」
「《人外》よりそっちを怖がるなんて、案外肝がすわってるんじゃないか? 将来有望だな!」
「でも怖がってる相手が綾女君じゃあやっぱりダメだろ! コレを怖がってるようじゃあなあ」
どっと男たちが笑い出す。
ある種フォローのようにも取れるが、しかしこの扱いはさすがに雑すぎないだろうか。
志希人の表情が次第に引きつり、苦笑いを浮かべる。
「ちょっと皆さん? もう少し俺を擁護してくれてもいいんじゃないですか? いらぬ誤解を受けてるんですよ、こっちは」
「くっ、くく、悪い悪い。でもだって、なあ?」
「《鋼人》っていう称号を聞くたびに吹き出しそうになる」
「そりゃあ、確かに高校生で《人外》と渡りあうのは凄まじいの一言だよ。銃火器で圧倒しちまうところなんて、ああ《鋼人》なんて称号付けられても仕方ないのかなって思っちまう」
「でも戦闘が終わった後に電卓叩いて経費使いすぎた、今月の生活費厳しいかも、なんて言ってる所帯染みた高校生が《鋼人》なんて呼ばれて畏れられてると思うと……ぶっ」
一度は止んだものと思った笑いが、思い出したかのようにまた爆発する。その場で笑っていなかったのは、馬鹿にされている当人の志希人と、それを恐れている新人の青年だけだった。
青年は己が畏れていたものが同僚たちに小馬鹿にされている様を、目を丸くして呆然と眺めていた。
けれども、
心なしか、青年の表情から多少なりとも恐怖の色が抜け落ちているように見えた。気が削がれたでも言おうか。そんな様子を見逃さず、現場慣れした組合員が彼の背をドン、と叩く。
「それじゃあ綾女君の世話は任せた。なあに、彼が何かしてほしいって言った時にそれを聞くだけでいい。それとも今にでも起き上がってくるかもしれない《血の王》の処理を手伝うか?」
恐怖を煽るように言われたその言葉に、青年は反射的に首を横に振ってしまう。
「じゃっ、しっかりやれよ。そうでなきゃ組合長にどやされるぞ」
「……っ」
言葉もなく青年は怯え、身を竦ませる。志希人の時と同じぐらいか、それ以上の反応のように思われた。脅し言葉に使われるほど、
渋々と青年は頷き、それを確認したその他の組合員たちは事後処理に移り始めた。
「よ、
「綾女志希人です。握手は……手が汚れてるんで今は失礼しますね」
右手を差し出そうとした瞬間に吉野屋仁――青年が怯えたのを見て、志希人はさっと手を引っ込めた。
「あの、えっと、何かしてほしいことはありますか……?」
「あー、水をもらってもいいですか? 咽喉乾いちゃって」
志希人がそう願うと、青年はさっと行動に移し、すぐにペットボトルに入った水を持ってきてくれた。それを受け取ろうとすると、彼は何かに気が付いたようにして一度差し出したペットボトルを引っ込めた。片腕ではキャップを外し難いだろうと、気を利かせて開けてくれたのだ。礼を言って受け取り、カラカラに乾いた咽喉に水を流し込みながら志希人は考える。
悪い人じゃあないんだけどなあ……どうすりゃ誤解がとけるだろう。
この《人外》処理班に青年は配属されたと言っていた。とすれば、《人外》殲滅を担当する志希人とは長い付き合いになるかもしれない。ならば恐れ恐れられではいけないだろう。
「あの……後学のためにいくつか質問をいいですか?」
どうしたものかと悩んでいると、意外にも青年の方から沈黙を破り話しかけてくれた。
話しかけてもらえた嬉しさで、志希人の表情がぱっと明るくなる。
「ええ、ええ、構いませんとも」
青年が引くほどに志希人はしきりに首を縦に振って応じた。
おどおどと彼は先輩たちが運搬している棺おけを指差す。
白く透き通るような木目の棺おけの中に、組合員たちは慎重な動作で黒炭になった《血の王》の死体を詰め込み、蓋を閉めると釘で封をしてしまった。
「あれは……一体何のために? 《血の王》の埋葬、でしょうか」
「どちらかと言えば封印、ですね。連中は不死の化け物。例え心臓を破壊したところで、死なないことがあるんですよ」
「……っ」
「とは言っても、そんなのは極少数の例ですけどね? 少なくとも俺が狩ってきた中では、そんなやつは見たことないですよ。まあ、一応の対策ですよ、一応」
「……はあ」
そう念押しはしたものの、明らかに青年は物言わぬ死体をまるで檻詰めされる猛獣か何かのように警戒して見ていた。しかし志希人はそれでいいと思う。彼らにはどれだけ恐怖を抱いても足りない。大切なのは《人外》に対する恐怖心を失わないと共に、それに飲み込まれないことだ。どちらかが欠如すれば容易に命を失う。それを怠ったがために志希人は左腕を食い千切られるハメになったのだから。
「えっと、もう一ついいですか?」
「いくつでもどうぞ」
「組合長の指示では、生け捕りだったハズですよね……? あんなになるまで燃やしてよかったんですか?」
笑顔こそ崩さなかったものの、内心では心臓が破裂するほどに慌てていた。それは志希人自身も懸念していることだ。
「……あの棺おけが埋葬用じゃなくて、封印用っていうなら、やっぱり生け捕りにしないとまずかったんじゃあ」
青年は自らのセリフが口から吐き出されていくに連れて、顔色がどんどんと青ざめていく。それを払拭しようと――同時に自分の中の不安も打ち消そうと、志希人は残った右手を顔の前で仰ぐようにして左右に激しく振った。
「いや、いやいやいや、大丈夫です、大丈夫。だって俺、毎度生け捕りにしろって言われてますけど、出来た例ないですもん!」
どこに安心出来る要素があるのかわからない発言だった。
「……ほ、本当ですか? 組合長に何かされるってこと、ないですよね……?」
「なっ、ないないない、ないです! …………多分」
「多分っ!? 多分って言いましたよね今!? やっぱり組合長に怒られるんじゃないですか!?」
あれほど怖がっていた志希人に掴みかからん勢いで青年が詰め寄ってきた。よほど懸念しているようだ。
「大丈夫、大丈夫ですって! ほ、ほら見てくださいよ。他の人たちは落ち着いているでしょ? だから何の心配もいりませんって」
「……た、確かに先輩たちは気にした様子はありませんね」
「でしょ?」
へらっと志希人は笑って見せる。それで一応納得したのか、青年は志希人から顔を遠ざけた。
「……まあ、綾女さんが言うなら大丈夫なんでしょうね」
んなワケはない。
志希人だっていつアリアから金を打ち切られるか不安で不安で仕方ない。その他の組合員たちが何も言わないでいてくれたのは、青年の気苦労をこれ以上増やさないための配慮か、それとも志希人がやりすぎてしまうのはいつものことだとあきらめられているからなのか。せめて後輩のための配慮であってほしいと願うばかりだ。
「あの、それと、最後に」
青年の視線は志希人の左肩と切断された左腕に向けられる。
「大丈夫、なんですか……?」
その目に宿る色は怯えや恐れではなく、純然たる同情や哀れみ、共感であった。青年はそう問いながら、自身も痛みを覚えるかのように腕を押える。真新しいスーツが力強く握られ、深いシワが刻まれた。
優しい人だな。
恐れを抱く相手にそう問える人間は、あまり多くはないだろう。しかしそんな優しい彼を騙しているようで、志希人は心苦しかった。
「組合長ほどではないですが、僕も治癒魔術を使えます。痛みを抑えることぐらいなら……」
「や、大丈夫ですよ。半端に処置をしてしまうと、くっつかなくなるかもしれないんで」
「そうですか……」
義手の神経接続は左肩から先にかけては切れており、そのためにもう痛覚はない。そのことを言えれば青年の好意を無駄にせず汲み取れるのだが、しかし志希人はそのような体であることを知られたくなかった。
嘘を吐いた後ろめたさと役に立てなかった無力感から志希人と青年の間には重苦しい空気が流れる。
その雰囲気をぶち壊してくれる、作業が終わったから帰るぞ、という明るい声がかかった。これ幸いと志希人はフラフラと立ち上がり、ズボンの尻に付いていたコンクリート片を払う。
「……片腕では、これは運べないですよね」
壁に立てかけてあった《杭打ち機》を青年がちらりと横目で見た。それは駆動していないながらも重厚な存在感を放ち、見るものを威圧する。彼が志希人に対して抱く恐れのうちの何割かは、この重武装が担っていることだろう。
片腕だろうが問題なくこれを持ち上げることは可能だ、しかしそれをしてしまえば青年はまた怯えて口を利いてくれなくなるかもしれない。会話を交わす中で少しとは言え距離が近くなった――気がするだけかもしれないが――のだから、それでは寂しい。だから志希人は慌て気味に、運べないならじゃあしまっちゃいますね、と言う。
右の手の指を大きく開き、そして《杭打ち機》の銃底に触れてやると、触れた先から消えていく。手の平が床を撫でる頃には、それは跡形もなくなくなっていた。
その手品じみた光景に青年は感嘆の声を漏らした。
「同様の刻印を記した空間と空間を繋ぐ《二重蔵》! 魔術師にとってそう珍しいものではないけど、手から物を収納するなんて見たことない! 普通はポケットとかトランクとかの媒介を使うのに! どっ、どうやったの!?」
未知のものに対する好奇心で、青年は目を爛々と輝かせて興奮していた。やはり彼も探索者たる魔術師で、知的好奇心は人一倍らしい。
だが
特に魔力を持たない志希人でも使える、数少ない魔術なのだから。
「そりゃあまあ、企業秘密ってことで」
人差し指を口元に持ってきて、にやりと志希人が笑う。そんな格好を付けたポーズを取ったというのに、左腕を失った体はバランスを保てず、ぐらぐらと揺れた。
「あらら、ら?」
終いには立っていることすら叶わなくなり、気が倒れるようにして直立のまま身を投げ出した。床に突っ伏してしまった志希人に、困惑しながら青年が駆け寄る。
「どっ、どうしたんです!?」
「あ~…………まずい。血が足りないですね、こりゃ」
心なしか視界も霞んでいる。心配する青年を安心させようと無理に笑おうとするも、それを実行するよりも先に気絶してしまった。
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