一章『Hello world』

綾女志希人という男

 今は誰も寄り付かないハズの山中の廃墟。湿った空気の蔓延する、ヒビ割れたコンクリート作りの建物内に、ぴちゃぴちゃという水っぽい音が反響していた。それに混じり、生き物の息遣いも聞こえてくる。

 地を這うようにして、男が廃墟内で食事をしていた。口元が汚れてしまうことも気にせずに彼は獣のように齧り付く。その瞳は淀んでおり、まるで意志というものを感じられない。肉を食む犬歯は異様に鋭く、刃物を思わせた。

 

 そして男が食している肉は、人の腕の形をしていた。彼が噛み付く度、手首から先がぷらぷらと揺れる。

 

 何よりも異常だったのは、その人肉を食む男がヘソから下を失い、臓物を引きずるようにしているというのに未だ絶命していないことだ。

 

 男はもはや人ではなく、人の道を踏み外した化け物――《人外アウター》と成り果てていた。


「がふ……がふっ、がふ」

 

 食んだ傷口から溢れ出す血を一心不乱に啜らんとしている。血が床にこぼれれば赤黒い舌を這わせて舐め取る。男の体を突き動かしているのは己の意志ではなく、血を吸いたいという衝動だ。そのためならどんなことでもする。

 

 血は生命なり。なればそれを啜り力と成すものこそ、生命の王。

 

 男は《人外》の中でも特に不死性の高い――吸血鬼伝承などの起源ともなった《血の王ライフキング》、その成り損ないであった。

 

 人間なら死に至る傷であろうとも、彼ら《血の王》は力の源である血を吸ったのであればたちどころに癒えてしまう。彼らを殺したいのなら頭を吹き飛ばすか、力を供給し続ける心臓を破壊するか、その血を奪い尽くすより他ない。

 

 そして綾女志希人あやめしきひとは、その選択を誤った。


「ぐっ……ふぅぅぅ……甘かった、心臓を破壊したと思っていたのに……!」

 

 校章の入ったワイシャツを右手と口を使って裂き、包帯の代用品とする。

 志希人の左腕は肘から先にかけて失われていた。ずたずたに引き千切られた断面からは絶え間なく血が流出し続けており、一面を血の海へと塗りつぶしている。

 シャツの切れ端で止血処理を施すが、それでも蛇口の壊れた水道のようにぽたぽたと血が逃げ出していく。

 

 処置を施す際に口元に付いた自分の血を舐める。鈍い鉄の味が口いっぱいに広がり、志希人は内心で酷い味だ、と吐き捨てた。

 

 血に濡れた右手を伸ばし、足元に転がっていた武装を掴む。

 人外用重武装、《杭打ち機パイルバンカー》。全長八十センチ強にもなる、鉄の箱だ。分厚い鉄板やボルトで補強された銃身からは人の二の腕以上の太さがある杭の切っ先が覗いており、乾いた血が付着していた。


 この重武装で持って志希人は男の体を真っ二つにして見せた。

しかし勝利を確信した瞬間、男に反撃の隙を与えてしまった。油断の代償が左腕だ。


「今度こそ完膚なきまでに捻り潰す……」

 

 高校生らしからぬ修羅の形相を浮かべた志希人が男の背へと近付いていく。スニーカーが床を踏みつけ、じゃりっ、と擦れる音を鳴らした。

 

 男はぴたりと捕食を止め、一切の動きを停止する。志希人の殺意に反応して――ではない。きっと自身が咀嚼する得物の違和感にようやく気が付いたのだ。

 いくら腕を食み血を啜ろうとも男の体が治癒していく様子はない。空気に晒された腸は乾いていく一方だ。

それもそのハズ、男が啜る志希人の血は生命を宿してなどいないのだから。

 

 それは肌のようであって、肌ではない。

 それは肉のようであって、肉ではない。

 それは血のようであって、血ではない。

 

 よくよく見れば勘付くだろう、志希人の腕は生身の人間の代物と呼べるようなものではなく、機械によって構築された人工物であると。

生物の血でないのなら、彼ら《血の王》は自らの力と成すことは叶わない。それが道理だ。


「俺の血の味は気に入ってくれたか? 《人外てめえら》ぶっ殺すために俺はそうなったんだぜ?」

 

 志希人の声に反応して振り返った男の左胸に杭の切っ先を突き刺し、床に押し倒す。指はトリガーにかかっており、いつでも殺す準備は出来ている。

 

 魔術師組合ギルド組合長ギルドマスター、アリア・ベルからの依頼要項には生け捕り、と書されていた。

 毎度そう書かれてはいるが、志希人がそれを守った例はない。しかし以前まではそれでも金を払ってくれていたが、今回も支払ってくれる保障はない。

 躊躇がそこに生まれ、指がトリガーから離れそうになる。


「……げ、で」

「……?」

 

 それまで衝動に飲まれてしまった男は言葉を口にすることはなかった。けれども今確かに、何かを発しようとしたハズだ。

 絶え間なく男を襲う苦痛が、深淵の底に沈んでしまった自我を引き戻したのやもしれない。志希人は耳を澄まし、男の言葉を待った。


「だず……げで」

 

 拙い言葉ではあったが、男は助けてと言った。人智を超えた怪物のセリフとは思えないほどに弱々しく、何とも情けない声で。

 瞬間、志希人の表情からするりと殺意が抜け落ち、驚きのあまりに素っ頓狂な面を晒してしまった。


「助けて……? 今お前、助けてって、そう言ったのか?」

 

 繰り返す志希人の言葉に、男は力なく頷いた。

 十秒ほどの時間をかけ、その言葉の意味を咀嚼する。それほどまでに、志希人には理解不明なセリフだったのだ。

 たっぷりと時間を掛けて噛み砕いた末、ようやっと理解に至る。そして、



「――ふざけんじゃねえッ!!」

 


 怒号と同時にトリガーを引く。落とされた撃鉄が火薬の尻を叩き上げ、その爆発を推進力として杭が弾き出される。射出された杭はオレンジ色の微細な火花を散らしながら直進し、男の心臓を穿つ。


「お前ら《人外》は何度俺たち人間のその言葉を踏み躙ってきた!? 皆必死になって命乞いをしたハズだ! 助けてくれ、助けてくれって! でもお前らはそんな弱い俺たちが必死な様を愉しんで! 助けてくれなかったクセに! 今度は自分が死にそうになったらソレをするのかよ!? そんなの、そんなのズルいじゃねえかよッ!!」

 

 もはや物言わぬ死体に、志希人は杭を撃ち続けた。心の奥底で燻り続ける憎悪の感情が身を焦がす間、ずっとずっと、雄叫びを上げながら。

 

 やがて排熱の追いつかなくなった《杭打ち機》が警報(ひめい)を上げてトリガーにロックをかける。その音をきっかけにして、志希人は我を取り戻す。

 足元に転がる無数の空薬莢を見て深々とため息を吐き出した。

 

 ああ、またやってしまった。

  《人外》のこととなると熱くなってしまっていけない。

 

 また生け捕りを命令されていたのに殺してしまった。けれども、これでいい。志希人は金のためにこんなことをしているワケではないのだから。《人外》は殺さなければならない。そのために志希人はここにいる。

 

 後は冷たくなっていくばかりの男の体へ志希人が火を放った。

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