07:信頼していい存在

「リリカ!約束の時間をもう2時間も過ぎてんぞどういう了見だこのヤロウ!」


そういうアデルの表情は怒っているように見えつつも、少し安心したような、そんな風にも見えた。


「どうして……?」


どうしてアデルさんがそこにいるの?


私はここには必要ない存在。


この組織にとっても、この世界にとっても。


それなのに、それなのにどうして今アデルはそこにいるの?

どうしてそんなに息を切らしながら私を探してくれたの?

どうして私を見つけてそんな安心したような顔をしているの?


分からない。

私には何もわからない。


「どうしてアデルさんは私を気にかけてくれるんですか……?」


私にはここに居場所はないはずなのに。


「俺が、お前を家族だと思っているからだよ!」


アデルははっきりとそう口にした。


「……家族?」


家族。


今のリリカには存在しないもの。

もう懐かしいとさえ感じるようになってしまったその言葉はとても魅力的なものに聞こえた。


「家族だぁ?寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞアデル。こいつは……」

「黙れ」


口をはさんできたギルガーにアデルはすごい形相で睨みつける。

その迫力に思わずギルガーはたじろいだが、すぐに気を取り直す。


「っ……!なんでお前はそいつの肩を持つんだよ!だいたい、そいつなんかにここにいる資格はねぇんだよ!」

「資格は今から取りに行くんだよ。朝の会議でな。ゲーデさんもそう言ってただろうが」

「そいつは人間だぞ!」

「関係ねぇ」

「俺はごめんだ!人間と仲間になるなんて!邪魔するんじゃねぇアデル!」


ギルガーは剣を抜き、アデルにそれを向けた。


「お前は怖いだけだろ。人間が」

「うるせぇ!」


ギルガーはそのままアデルに切りかかる。

後ろでラルダスも刀を抜いている。


「ったく……躾のなってねぇ猫共が」


アデルは右手を龍化させる。硬い皮膚と鋭い爪が右手に宿る。

ギィン!と鈍い音が部屋に響き、アデルの爪とギルガーの剣が衝突する。

アデルはそれを押し返し、ギルガーの鳩尾に思い切り蹴りを食らわせる。

アデルの蹴りによってギルガーの巨体は部屋の端まで吹き飛んだ。


「……御免」


その隙にラルダスが後ろからアデルの首を狙い、刀を振る。


「アデルさんっ……!」


リリカは思わず声を上げる。

峰打ちにするつもりのようで、刀の刃のない方をアデルに向けてはいるが、これでアデルが意識を失いでもすれば、リリカはこのまま奴隷商に売られることになるだろう。


しかし、そうなることはなかった。

アデルは後ろを見ないまま、右手でその刀を受け止めた。


「舐めんなよラルダス。俺とやり合うつもりなら、殺す気で来い」


アデルは刀を握ったまま、ラルダスを睨みつける


「ぐっ……」


ラルダスは顔を歪める。


「はっ、ろくな覚悟もねぇくせに襲ってきやがったのか、よ!」


アデルはギルガーの時と同じように蹴り飛ばす。




「サレウスは親を亡くして絶望している俺を家族として迎え入れてくれた。嬉しかったし、感謝もした」


アデルは倒れているギルガーとラルダスを見ながら口を開く。


「だから、同じような境遇になっているリリカをたまたま見かけた時、助けずにはいられなかった。その時は一時の感情で動いたけど、間違ったとは思ってねぇ」


だから、とアデルは間を置くと息を吸い込み、


「俺が好きでやってんだ!邪魔すんじゃねぇ!」


と、そう叫んだ。





「……後悔するぞ。人間というのは簡単に死ぬし、簡単に裏切る」


人間は脆い。人間は狡い。

だからすぐに死んでしまうし、すぐに消えてしまう。

大切な人間なんてものは簡単に目の前から消えてなくなってしまう。

だから最初から近づかない。それが自分を守るためのギルガーにとっての一つだけの方法。


自分では守り切れないから。守り切れなかったから。


しかし、アデルは


「リリカお前、俺を裏切るのか?」


と聞き、リリカがふるふると首を横に振るとケロッとした顔で


「じゃあ大丈夫だ。死んでも俺が守るから安心して俺を信じろ」


と、笑いながら堂々と言ってのけた。


「……お前も強いんだな」


アデルには失敗するビジョンなんて見えてないのだろう。何があっても全力で守って守って、守り抜くと、そう覚悟したうえでのこの言葉なのだろう。

家族として、守り抜くと。


サリナもそうだった。化け物に成り果ててまで、俺を守ってくれた。いつから俺は守られる側になっていたのだろう。全く情けない話だ。


「そりゃあお前らをボッコボコにできる程度には強いぞ?」


アデルはこぶしを掲げてそう言う。


「はっ、ちげぇねぇ。でもよ、だったらそいつを俺みたいなやつに簡単に攫われてんじゃねぇよ」

「うるせ、ちゃんと助けてんだろ」

「だったらもう離すんじゃねぇぞ。後悔しねぇようにな」

「たりめーだドアホ」

「フン、その覚悟に免じて認めてやるよ。そいつの組織入りを」


こいつなら、アデルなら絶対にこの女を守り抜く。そう確信できる。アデルには周りにそう確信させられるほどの強い覚悟がある。


「アァ?別にてめぇに認められる必要とかねぇよ死ね」

「んだとこら!予定通りそいつ売っぱらってやろうか!?」

「今度こそ殺すぞテメェ」


ラルダスはその二人の喧嘩の様子を少し嬉しそうに眺めていた。




二人の喧嘩が終わると、アデルはリリカの方を向き、


「リリカ。お前はいつまで奴隷のつもりだ。まぁ『使用人』って言って連れてきた俺も悪かったけどよ。いいか、俺はお前を使用人じゃなくて家族としてここに迎え入れる。俺もそうやってここに来たからな。そして家族としてお前にアドバイスしてやる。もっと前向きに生きろ。何かあったら家族を頼れ。人に頼ることを覚えろ。そして何かしてもらったら『すみません』じゃなくて『ありがとう』だ。わかったか!」


と言った。


思えばいつもリリカは『すみません』だった。

何かしてもらったということは、すなわち誰かの手を煩わせてしまったということ。だからいつも奴隷であるリリカは『すみません』だった。


『ありがとう』を使えるということは、たとえ誰かの手を煩わせてしまっても、それに対して謝罪をする必要がないということ。そういう関係であると認めてくれたということ。

アデルはリリカにそういう関係でいていいと、そう言ってくれたのだ。

ありがとうと言い合える関係。何かあった時に頼り合える関係。






―――すなわち、家族だと






リリカの頬に一筋の涙が流れた。

それは、リリカがこの世界に来て初めて流した嬉し涙だった。

リリカは元々の世界では一人っ子だった。

だから兄弟姉妹のいる感覚というのはよく分からない。


でも、兄がいたらきっとこういう感じなんだろう。

いつもは不愛想で、口は悪くて、でもいつも私を見守ってくれて、そんな優しい兄。


私はこの人を信頼しよう。

家族として扱ってくれるこの人をいつでも頼ろう。


敬語はやめよう。

あれは奴隷と主人の関係に必要だった言葉。

家族の間には必要ない言葉。


「ありがとう。アデル兄さん!」


リリカはうれし泣きをしたまま、アデルに初めての『ありがとう』を伝えた。


「おう、妹よ!」











「よかったのか?彼女を認めて」


アデル達の様子を横目に、ラルダスはギルガーに声をかけた。


「あぁ。まぁ、あの野郎が守るって言ってる間は不問にしてやる」

「……お前も強くなってくれて良かったよ」

「どういう意味だ?」


ラルダスは昔を思い出すように目を細める。


「サリナにいい報告が出来るってことだよ」

「わけわかんねぇ。あ、次にあいつの墓行くときは声かけろよ。俺も行く」

「ほう、わかったよ。さて、呼んでしまった奴隷商を追っ払ってこなければな」


そう、ギルガーとラルダスはリリカを売るために奴隷商を呼んでいたのだ。

しかし、ギルガーがリリカを認めた今、奴隷商はここには必要ない。

ラルダスがアデルを呼び、4人で奴隷商との約束をしていた城の入り口まで行くことになった。




城の正門に向かうと、そこには一つの馬車が止まっていた。

アデル達が近づくと、足音に気付いたのか中から一人の男が顔を出した。


「ギルガー様とラルダス様ですね?お待ちしていました!奴隷商のフォーレルと言います」


フォーレルと名乗る小太りの男は深々とお辞儀をするとリリカに焦点を合わせる。


「そちらが今回お売りいただける奴隷で?随分と顔の整った女ですねぇ。これは私も奮発する時がきましたかなぁ」


フォーレルはリリカを嘗め回すように観察しながらそう率直に感想を告げる。

一方のリリカはというと、売り物として見られるのが気に食わないらしく、ササッとアデルの後ろに隠れてしまった。


アデルはフォーレンの挙動を見て、深いそうな顔をしながらギルガーにさっさとコイツに説明しろ、と顎で促す。

その意図をくみ取ったギルガーはフォーレルに奴隷を売るのをやめたことを伝えた。


「なるほど。これほどの上玉、大変惜しいですが売る気がないのであれば仕方ありませんね」


フォーレルは商人にしては意外とあっさりと引いて、馬車の中に戻っていった。


「商人ってのはもっとがめついもんじゃねぇのか?リリカを渡せないなら依頼取消料を払えだのなんだの言ってくるかと思ってたが」

「まぁいいじゃねぇか。大方俺らにビビってんだろ。なにせ人間にたてつくアぺラスの本拠地だしな」


そんな会話をしていると、馬車から再び人間が降りてきた。

しかし今度は先ほどの横に広い人影とは違う、一人のフードを被った人間だった。

フードに隠れていて顔がよく見えないので確かではないが、体格からしておそらく女だろう。

女はボソボソと何かを呟き始める。

その瞬間、アデルは全身に悪寒が走るのを感じた。

本能的に危機を察知したのかもしれない。とにかく全身が今の状況に怯えている。


「っ!『失効エクスキュート』!」


アデルは本能的に、アデルに唯一使えるその魔法を使用した。


「どうしたアデル?」


状況を呑み込めていないラルダスがアデルに問いかけるがアデルは答えない。

アデルはフードを被った人間に向かって


「失せろ」


と殺気を放ちながら言い放った。


「お、おい……どうしったってんだよアデル」

「ちょっと黙ってろ」

「お、おう……」


ギルガーもアデルの突然の行動に驚いているようだが、アデルの言葉通り口をつぐんだ。


「……」


フードを被った人間はアデルの方に少し顔を向けたかと思うと、黙って馬車に戻っていった。


「それでは失礼いたします、自称正義アペレレンター・ラスティティエの皆様。またお会いできる日を楽しみにしております」


フォーレンはそう言い残すと馬車を走らせて城を発った。


「結局何だったんだよアデル。さっきのは」

「分かんねぇよ……なんか嫌な予感がしたんだ」

「なんじゃそりゃ」


アデルにも分からない。さっき、『失効エクスキュート』を使わなかったら自分は、自分たちはどうなっていたのだろうか。


「まぁいいだろ。それよりお偉いさんたちをもう何時間も待たせてんだ。サレウスが説明してくれてるとは思うが早く行くに越したことはねぇだろ。行くぞリリカ。最終試験だ」

「うんっ」


リリカはアデルの後ろをついていき、二人で会議場へと足を向ける。


「なんか、ああしてるとあいつら本物の兄妹みてぇだな」

「うむ。まぁ仲の良いことはいいことだ」

「……今度あの人間にアモルの実のパイでも作ってやるか」

「……うむ。きっと喜ぶ」











「いやー気づかれちゃったね。詠唱、なるべく小さく唱えたつもりだったんだけどなぁ」


馬車にゴトゴトと揺られながら、少女はフードを脱ぎ、同乗している男に話しかける。


「まぁ仕方ないさ。まだ機会はいくらでもある」

「むー、いっそキミがあいつを殺っちゃえば手っ取り早いのに」

「無茶を言うなよ。『忌み子』とやり合うには俺だけじゃ役不足にも程がある。そもそも今回は偵察だけって話だっただろ」

「うーん、駄目かなぁ。ユウヤならあんなの簡単に潰せると思うんだけどなぁ」

「まぁいいじゃないか。ゆっくりやろう。あの日までに奴を殺せばいいだけの話だ。あんまり焦るなよ」

「ま、それもそうだねー。ゆっくりのんびり神様の願いを叶えてあげよっか」


少女と男はそんな会話を交わしながら人間国、アレゾナ王国の王都、ゼスカに向かって進んでいた。


「それにしてもリリカ、随分と大切にされてるみたいだったなぁ。奴隷の首輪も外れてたし。ずるいね。ほんとうに、ずるい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る