01:少女と少年

ごとごとと私の乗っている馬車が揺れる。


私、リリカは今ご主人様の馬車に乗って王都へと続く山道を移動中だ。と言ってもご主人様は別の馬車に乗っているが。

当然である。奴隷がご主人様のような貴族様と同じ馬車になど乗っていいはずがないのだから。

私はたくさんある馬車の一番最後だ。


そういう躾は散々受けてきた。最初のころは何もかもわからずに色々と指導を受けたこともあった。最近になっても躾はよくある。そのせいで私はご主人様のことが怖い。しかしそんな素振りを見せようものならどうなるか分かったものじゃない。


思えば私がこの世界に来てからもう6年が経つのか。時が流れるのは早いものだ。


ごとん、と馬車が一際大きく揺れ、そして止まった。何かあったのだろうか

馬車から頭をぴょこんと出して先頭の方を見ると御者の人が誰かと揉めているのが見えた。


「おいリリカ!」


そうこうしているとご主人様から呼び出しがかかる。馬鹿みたいに大きな声だ。おかげで列の後ろまで声が響く


「なんでしょうかご主人様」


私はすぐにご主人様のもとに向かう。すぐに向かわないとまた躾を受けてしまうから。


「わしの馬車に乗れ。許す」

「わかりました」


あぁ、またか。

私はこれから何が起きるのかを察しながらも黙ってご主人様の馬車に乗り込む。拒否すればもっとひどいことになるだろう。下手なことはできない。

私が馬車に乗り込んですぐに馬車は再び動き出した。


「リリカ、こっちにこい」


私は言われた通りにご主人様のそばによる。足は恐怖で震えている。


「糞がぁ!」


ご主人様はそう叫ぶと私を思いっきりぶん殴った。痛い。今ので口の中が切れた。口から血が垂れる。

ご主人様は何度も何度も私を殴り、私を蹴った。


「なんでわしが町民共の祭りだか何だかのために遠回りしなけりゃならん!わしを誰だと思っているんだ愚民どもがァ!」


さっき馬車が止まっていたのはそのせいか。ここは確か王の側近の治める町の近くだ。ご主人様も下手なことが出来なかったのだろう。

ご主人様は何かあるといつもこうやって私に乱暴を働いて鬱憤を晴らす。おかげで私の体はいつも痣だらけだ。

同じ馬車に座っている執事やメイド達は見て見ぬふりをしている。これもいつものことだ。

口を出せば矛先が自分に向くかもしれない。それが怖いんだろう。私だって向こうの立場だったら同じようにするだろう。文句は言えない。


あぁ、痛い。一体いつまでこの苦痛は続くのだろう。もういっそ死んでしまいたい。しかし奴隷は自ら死を選ぶことすら許されない。自殺を止める魔法がかけられているからだ。私には無抵抗で殴られ続けるという選択肢しか残されていなかった。



私がひたすら殴られて数分。そろそろご主人様も疲れてやめてくれるだろう。いつもの数倍長く感じた数分がようやく終わりを告げようとしたその時、ドォンと爆発音がしたかと思うと後ろの方が騒がしくなってきた。


「何事だ!」


ご主人様が怒鳴る。


「盗賊の襲撃です!」


盗賊か。社会からはぐれたもの達が徒党を組んで通りかかった者たちを襲う奴らだ。狙われるとは運が悪い。


「チッ、ゴミ共が。おい、傭兵はどうした!そのために奴らを雇ったのだろう!」

「それが、最初に彼らの馬車に爆弾を投げ込まれたようで、全滅です!」

「な、何!?くそ、使えない奴らめ!せっかく大金はたいて雇ってやったというのに!」


それを聞いたご主人様は顔に焦りの色を浮かべながら馬車の中をうろつき始めた。

傭兵がいなくなったということはこの集団に戦える者がいなくなったということだ。

私の脳裏に死という言葉が浮かび上がる。先ほどまで望みさえしたその存在が今目の前に訪れている。きっとご主人様の脳裏にも同じ言葉がよぎっているのだろう。


「よし、逃げるぞ!お前らわしを守れ!」


うろうろしていたご主人様はいきなり立ち止まってそう叫ぶと馬車を降りた。どうやらまだ死にたくないらしい。


「はい」


私は命令に従ってご主人様について逃げるために馬車を降りた。同じ馬車に乗っていた使用人たちも同様に馬車を降りる。

ご主人様の命令はいついかなる時も絶対だ。それこそ死ぬまでだ。


「おらぁ!逃げてんじゃねぇぞ!テメェら、追え!」


馬車を降りるとすぐに盗賊たちに見つかり、追いかけてきた。

ここで誰かを逃がすと逃げのびた人が王都に盗賊の討伐隊を要請する可能性がある。私のような使用人の一人や二人であれば取り合われることもないだろうがご主人様のような権力者に逃げられればその権力で王都の騎士団を動かすことも可能だ。つまり盗賊の奇襲の成功とご主人様の死はイコールで結ばれるということだ。


「ひぃっ!お前ら、頼んだぞ!くそ、どうしてわしがこんな目にあわなきゃならん!盗賊共め、覚えておれよ!」


ご主人様はそのふくよかな体型のせいもあってか、ぜーはーと息を切らしながらそう愚痴をこぼした。無論逃げる足は止めていない。

しかしながら如何せん盗賊の方が山道には慣れている。対してご主人様といえば馬車に慣れすぎているため自分の足でこんな足場の悪い山道を歩くのなんてもしかしたら初めてなのかもしれない。覚束ない足取りで盗賊から逃げている。私たちもご主人様の前を走るわけにもいかないのでそのスピードに合わせる。


この状況がどんな結果を生むかなど、目に見えているというものだ。最初は開いているように見えた私たちと盗賊との距離は徐々に縮まっていき、それからすぐにその距離は零になった。


「追いついたぜェ……、金目の物置いて死にやがれクソ貴族!」


盗賊の一人が手に持った剣を振りかざす。


「クソっ!」


そう叫びながらご主人様は側にいた執事の袖を引っ張る。その執事はその意味を理解すると「お世話になりました」と呟き、振り下ろされる剣の正面に飛び込んだ。


「チッ、邪魔すんじゃねぇ!」


盗賊がそう吠えながら再び剣を振り上げる。ご主人様は先ほどと同じように盾にする使用人を探すが、そこでようやく気付いた。

既に他の使用人は全員他の盗賊に殺されていて、残っているのは私とご主人様だけだということに。ご主人様の顔が恐怖に包まれる。死というすべての終わりへの恐怖が。

絶望しながらもごろごろっと体を回転させて盗賊の剣をかわそうとする。しかし完全には躱せなかったようで、ご主人様の分厚い腹に少し切れ目が入る。


「リ、リリカ!頼む!ワシを守れ!」


さて、私の番だ。私が死んでもご主人様の命運には関係のないことのようにも思えるが仕方がない。それがご主人様の命令なのだから。幼いころからずっと刷り込まれてきたこの奴隷根性は今更どうこう出来るものでもない。たとえそれが死の間際だったとしてもだ。


私はご主人様の命令通りに盾となるために立ち上がろうとする。


しかしなぜだろう。立つことが出来ない。体が立つことを拒絶している。

そんな馬鹿な。さっきまで私は死を欲していたんだ。なぜ今更死を拒絶する?私の無意識が死を恐れているってこと?


「どうしたリリカ!早くしろ!」


ご主人様が急かす。うるさい、私だって早く死にたい!

足が震える。うまく立てない。

あんなに甘美なものに思えた死という存在が、今は怖くて仕方ない。

認めよう。今、私は死が怖い。恐怖で動けない。


「リリ……ぎゃあああっ!痛い痛い痛い痛い!!!」


その時ご主人様についに剣が当たる。ご主人様は慣れない痛みに悲鳴を上げる。


「うるっせぇんだよ豚貴族!」


そして盗賊の首への一撃でその悲鳴もやんだ。

私のご主人様はそうやって、あっけなく死んだ。

盗賊の目が一斉にこちらに向く。


あ、次は自分の番なんだな。

そうだ。また諦めればいい。あの時のように何もかも諦めれば、恐怖も幾分か和らぐかもしれない。どうせこの世界で私は何もできない。いいんだこれで。死を恐れるな。


「最後はてめぇか。」

「なあ兄貴!その女結構上玉じゃねぇか!ちょっと使わせてくれよ!」

「あぁ?チッ、勝手にしやがれ。終わったらちゃんと片付けとけよ」

「わかってるって、へへへ……」


盗賊の一人が下卑た笑いを浮かべながら私に近づいてくる。もうどうでもいい。そういうことはご主人様にいやというほどされた。もう慣れた。そもそもどうせもう死ぬんだ。本当にどうでもいい。煮るやり焼くなり好きにしろってやつだ。


私は全てを諦め、目をつむった。

視界が黒に染まる。

その時ふと思ってしまった。死んだらずっとこの闇と共に過ごすことになるのだろうか。何もない、この暗い空間に一人ぽつんと。

それは、とても寂しいな。

あの世界に戻りたい。

あの頃の友達は今どうしているだろう。

お母さんはどうしているだろう。

心配してくれているかな。

急に昔のことが次々と思い出される。


そしてある一つの感情が生まれる。目を開き、私はその感情をゆっくりと口に出す。


「死にたく……ない……」


かすれた声で必死にそう呟いた。生への執着。この世界での私にとって、それは初めての感情だった。

その時、空から何かが降ってきた。着陸したときに砂埃が舞い、私の視界が奪われる


「ぐあっ!なんだテメェ!」


盗賊たちの悲鳴が聞こえる。何が起きているの?


しばらくすると盗賊たちの悲鳴が止んだ。そして砂埃が収まり、私の視界が開けるとそこにはたくさんの盗賊たちの死体と一人の少年の姿があった。


少年は右手に龍の腕を宿していた。

龍。数年前に新たな勇者たちによって滅ぼされたかつての空の覇者たちだ。


その少年はこちらに振り返ると


「お前、生きていたいのか?」


と尋ねた。

私はこくりと頷く。芽生えたばかりの感情を噛み締めながら。


「よし、だったら俺がお前のご主人様になってやる」


少年はそう言うと、龍化していない左手を私に差し出してくる。

私は生きるため、死なないためにその手を取った。

それが私と新たなご主人様、リリカとアデルの出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る