泳ぐ術

 オオトで交戦しているはずの軍が消えた。クナも、ヒトココも、そしてタクも。伝令役の者はどうしてよいのか分からず、ただうろうろしていたが、まずこのオオトに急行しているタチナラ軍にこのことを伝え、そのままヤマトへ戻り、ナナシに報告せねばと思い、馬を返した。

 タチナラと行き合うとき、そのことを伝えると、 

「わかった。我らはこの地で留まるゆえ、どうすればよいか指示をしてほしい、とナナシ様に伝えてくれ」

 と言ったので、それも合わせて復命した。

 ナナシは、その報告が信じられない。必死で、この周辺の地形などを頭に思い浮かべた。

 タクが消えたというのは、もはや裏切ったと考えるしかあるまい。いや、裏切ったと言うよりは、本来の役割を果たしていると言うべきか。では、クナやヒトココの軍は、どこに行ったのか。三軍合わせて、一万五千にも達しようとする軍である。そうやすやすと消えられるはずがない。

 可能性があるとしたら、北しかない。かつて、ヤマトがオオトを滅ぼしたとき、北から大回りに迂回して、オオトの脇腹を突いたあの経路を、逆回りして攻めてくるのではないか。そうなれば、カイとコウラが危ない。多方面から同時に攻め立てるのではなく、入り口を数でもって堂々とこじ開け、ヤマトの盆地になだれ込んで来るつもりか。いかに圧倒的な数があるとはいえ、カイ、コウラの両軍とまともなぶつかり合いをすれば、損耗も大きい。まだヤマトにはマヒロがいるわけだから、クナとしては、できるだけ数の利を失いたくはないはずである。その可能性は低いとナナシは思っていた。しかし、実際にそれが起きている。クナの、そしてタクの狙いは、何だ。神や精霊も、そのことまでは教えてはくれぬものらしい。

 ナナシは、はっとした。タクがクナを手引きしているとして、攻め寄せる経路についてオオトからの山越えを避けさせる方法はいくらでもある。ヤマトは山に兵を伏せており、北の方が守りが薄いとか、マヒロに攻めかかる前にカイとコウラを潰し、もはや勝ち目のないことを悟らせ、降伏させるのが最も損害が少ないとか、適当なことを言えばよい。タクがそれをしたとして、その目的を考えた。

 両軍を、激しく激突させることではないか。聡明なナナシには、タクの考えることを確信と共に想像することができた。いつから、三軍はいなかったのか。はじめからいなかったとすれば、もう北の地で戦闘が始まっていてもおかしくない。注進が、来ない。送ることができないのか、まだ何も起きていないのか。ナナシは、やはりこちらから人をやり、様子を見に行かせることにした。


 キヅ、ハラからやや南に下った地で、カイとコウラは陣を布いている。やや離れた場所に布陣するイブキなどの北の地の軍と、依然睨み合っている。その間隙を、両軍ともあえて埋めることはしない。

 風が吹いているが、寒くはない。注進役の者が五人おり、それらが一日ごとに交代でヤマトとの間を往復し、こちらには変わりがないこと、ヤマトもまた変わりないことを伝え合い、何か指示があれば持ってきたりしている。今日も、一人が戻り、一人が発った。

「戦いは、ほんとうに始まるのでしょうか」

 とコウラは、カイに言った。

「分からん。そうたやすく、我らを攻められぬのだろうとは思う」

 兵力では、こちらは三千ほどおり、勝っている。

「しかし、不気味ではあるな」

 カイは付け加えた。

「彼らは、俺たちを、釘付けにしようとしているのかもしれん」

「何故です」

「何かを待っているのか、とも思う」

「何を待っているというのです」

「分からん。クナやヒトココなどがオオトを破れば、彼らもまた攻めてくるつもりか」

 カイは自問のような口調で言うが、あまり理論立てて物事を考えるのは得意ではない。

「それならば、我らもまたオオトと同じときに攻められていなければ、おかしいと思います」

 確かに、北の地とオオトとを同時に破り、同時にヤマトになだれ込んでこその包囲である。クナとヒトココの軍がヤマトになだれ込んだときにイブキなどの北の軍がまだヤマトの入り口で戦っているのでは、意味がない。囲い、同時に攻めるなら、複数の点を同時に破らねば意味がなく、ただ単に大軍を小さく分けただけとなり、かえって損である。

 分からぬまま、日は過ぎる。領地のすぐそばなので、兵站にも苦労はないし、敵がキヅやハラの本拠を襲うような動きもない。ただ、はるか昔からそこにあった樹のように、動かない。

 やはり、不気味である。

「今日も、このまま暮れていくのでしょうか」

「あっけないほど簡単に、戦うこともなく終わるような気もするが――」

 空気の流れが、突然変わった。いち早く、カイがそのことに気付いた。

「騎馬、後ろ。弓、前。西へ向かって、広がれ」

 突如として号令を始めた。それを復唱した者達が、鏡を掲げ、光と音で全軍に伝達する。

「どうしたのです」

 コウラが、突然のことに驚いている。

「聞こえんのか。馬だ」

 カイがそう言ったとき、コウラの耳にも、かすかに、馬蹄の轟きが聴こえてきた。騎馬、およそ三百。西から、一直線に来る。そのうちの百ほどは途中で止まり、のこりの二百がこちらに向かってくる。速い。

「矢。手前を狙え」

 矢が放たれるが、当たらない。当てるべくして狙った地点を通りすぎるようにして敵の騎馬隊は更に速度を速め、矢をくぐるように突っ込んでくる。

「騎馬。俺に続け」

 歩兵で騎馬を迎え撃っては蹂躙されるだけであることを、カイはその経験で知っていた。自ら騎馬隊を指揮し、迎え討つことにした。

「歩兵、退がれ。歩兵、退がれ」

 光と音ではなく、カイは、自分の声でそう指揮を飛ばしながら、前線へ駆けて行く。

 最前線へ出た。もう、敵はすぐそこである。カイとコウラのそれぞれの騎馬隊で、百。倍する敵にそのままぶつかるわけにはいかない。隣を駆けるコウラが、唾を飲み込むのが視界の端に映った。 

「左右に、分かれるぞ」

 かつて、オオミとそうしたように、カイは甥に言った。

「はい」

 コウラは、矛を一度掲げ、右へ進路を曲げた。カイは、左へ。そのまま、それぞれの軍が後に続く。小勢を更に二つに割ったので、敵は意表を突かれた。敵とすれ違うようにして、駆けてゆく。

 中程で、カイはいきなり進路を右に変えた。そのまま、敵の騎馬隊の横腹を食い破る。

 剣で、馬の首を斬りまくった。すぐに、コウラが前方から来た。そのまま、再び百にまとまる。

 今、それぞれが倒した騎馬で、二十ほどか。百にまとまったカイとコウラは、前と後ろを敵に挟まれたような格好になり、不利なようであるが、そうではない。騎馬隊が進撃するとき、かならず速い馬が前、遅い馬が後ろになる。速い馬に乗っているのは、序列の高い者。後列の者は、弱いということである。

 そのまま、半分に割った敵の騎馬の前に進むものは放置し、カイらの介入により足を止めた後列の者に一斉に襲いかかった。

 一気に押した。カイは、敵の体を狙わない。すれ違うとき、矛が差し向けられればそれをかわし、あるいは先に振りかぶることで身を守ろうとさせて隙を作り、馬の首を斬るのである。それで騎馬隊の力は消せるし、上手くすれば後ろから来る馬を巻き込んだりもできる。カイの馬は、カイがどの馬に狙いを付けているのか分かるようで、倒れる馬やそれに巻き込まれる馬を、右に左にかわしながら駆けている。

 コウラも矛を凄まじい速さで振り回し、押しに押している。コウラの矛にかけられた敵は、馬ごと吹っ飛んだりしている。

 あっという間に、敵の騎馬の後列は壊滅した。こちらはまだ誰も死んでいない。

 カイも、コウラも、反転する。言い合わせたわけではないのにこの息の合い方は、やはり血のつながりがそうさせるのか、ただ単ににらみ合いが続き暇を持て余していたときに、あれこれ軍の進退の仕方を二人で想像して話していたからか。

 そのまま、前を駆ける敵の騎馬に追いすがる。敵が何のためらいもなくこちらの陣に突進してくるということは、そろそろ、歩兵が到着するということだ、とカイは思った。

 ヤマトの歩兵の前衛が、矛を突き出して密集し、守りの体勢を取った。それを嫌った敵の騎馬は、横に逸れた。そこへ、後ろから、敵の歩兵が来た。

 カイは一瞬振り返り、その数を確かめたが、異様に多い。オオトはどうしたのだ、と思った。地平を埋め尽くすかと思うほどの人の群れが、初冬の空気に陽炎かげろうを立ち昇らせながら駆けてくる。

 ――これは、無理だ。

 カイは、騎馬での戦いを諦めた。

「前、後ろに軍を分ける。コウラ、後ろの指揮だ」

 とコウラに言い、自軍の歩兵の中に入っていった。


 セイは、騎馬の中にいた。歩兵が密集して矛を向けてくるのを、避けた。後ろを振り返ると、敵の騎馬が陣の中に収容されていくところであった。

 そのまま、歩兵同士のぶつかり合いになる。セイは、自軍のおびただしい歩兵の群れを迂回し、最後列に留まったままの百の騎馬のところに戻った。

 その中心にいる者に、馬を寄せる。

「あのカイという者、なかなかにやる。あのような戦い方、見たこともない。ヤマトとは、皆こうなのか」

「こちらの動きを察するのが、早いようですな」

 男は、微妙に論点をずらした。

「それに、カイの隣に付いていたのは、オオミの子コウラではないのか」

「はて。コウラは、ヤマトの地にいるはずですが」

「確かに、見た」

「もしかしたら、何かの用で、たまたまこちらに来ていたのかもしれませんな」

「お前の言うほど、手薄ではないな」

「そのようですな。しかし戦いの始まった以上、どうにもなりません」

「他人事のように言うものだな」

 セイは、鼻を鳴らした。

「私とて、自軍が自軍と戦うのは、やはり辛いものがあるのです」

 その男は、タクであった。やはり、クナ軍、ヒトココ軍と合流し、北を大回りに回り、カイとコウラの布陣する戦場に導いてきたらしい。

「突如、お前の兵が矛を返し、我らに向けるようなことがあれば、この場で斬るぞ」

「どうぞ、ご随意に。それは、あり得ませんから」

 タクは涼しげな目元のまま言った。その目が、どのような心境で前方のぶつかり合いを見ているのか、セイには分からぬ。

 ――ばけものめ。

 とだけ思った。


 カイは、前衛の中で津波のように押し寄せてくる歩兵に、懸命に立ち向かった。こちらも皆、肩を寄せるように密集し、矛を前に突き出すのみして敵を迎え討っている。

「前列、退がれ。前列、退がれ」

 大声で呼ばわりながら、コウラが前に出てきた。カイと交代するようにして、前列に躍り出る。

「数が何だ。向き合う敵は、一人だ!目の前の一人を、ただ討て!」

 コウラの怒号は、堂に入ってきている。度重なる戦いが、歳よりも早く、彼に将の風格を備えさせているらしい。

「前列は、コウラに任せろ。今のうちに、休め」

 カイは、へらへらと左右の兵達に言った。兵は、その様子を見て、表情を緩めた。

 将は、この状況に危惧してはいない。これは何か、いつものような思いもよらぬ秘策があると皆が思った。

 しかし、カイには、そのようなものはない。

 ――これは、駄目か。

 と、単純に思っていた。だが、今回に限っては、逃げるわけにはゆかぬ。

 ――どこで、誤った。

 考えても、仕方のないことであった。思えば、軍師リュウキの死も、祖父の死も、父の死も、全ての戦いも、何かに導かれるようにして、進んできたような気がする。その結果、今、自分がここにいるような気がして仕方ない。

 ――死ぬなら、死ぬときに、死ぬさ。

 カイの思考は、やはり複雑ではない。それがゆえ、何をどうしたとしても、この人の海を泳ぎ渡る術など、どこにもないことを悟っていた。それを、例えば漁師が潜ったとき、見たこともない色彩の魚を見つけたときのような気持ちで思った。

 あとは、サナがオオシマで引き起こしたような、あり得ぬ奇跡でも起こらぬものかと祈るしかない。カイは、馬鹿馬鹿しくなって、少し笑った。

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