どうも、おかしい。クナからは定期的に報告が来るが、民とともに軍も国家機構も丸ごとマツラに入った、というところで、吏からの連絡は途絶えた。

 どれくらいの民が移動したのかは分からぬ。ヤマトの吏、民、そして軍となれば、相当な大移動になっているはずである。それだけの人数を、マツラにどう収容するのか。タクは、報告を分析し、考えた。ちなみに、報告というのは、それ専門の役割の者がおり、それが陸路を駆けるもしくは海を快速船で越え、やってくる。だから、先にも触れた通り、実際の出来事からやや遅れて報告がもたらされ、そこから今現在の予測をする必要がある。

 普通、相互に擦り合わせをするため、今このような状況であるため、次にはこうするつもりである。という今後の行動についても、合わせて報告するものである。しかし、クナからもたらされる報告は、どれも、現状報告のみであった。それほど、現場は混乱しているのか。マツラにどのように人を収容したのか、皆目見当もつかない。


 タクは、考えた。どう考えても、マツラの地に詰め込むには多すぎる。軍だけでも最低三千はいるはずであり、それに民を合わせれば、軽く二万は越える。それほどの人数が流入すれば、マツラの地は生産が破綻し、崩壊するであろう。また、火の神の山から離れたとはきえ、噴火がクナの地を捨てねばならぬほどの規模であるなら、マツラにも灰は積もっているはずである。その灰の中、彼らは一体どうしているのか。マツラの地にクナの機構を移らせるならば、そこから溢れる人数を引き算して別の場所に移さねばならない。各地の負担ができるだけ軽減されるよう、分散して。それを勝手に行えるほど、タクは吏には権限を与えてはいない。

 やはり、あり得ぬ。とタクは思った。思ったところで、思考が止まった。

 ──あり得ぬなら、この報告は、嘘だ。


 同じとき、ヤマトの楼閣で、サナは西の空を眺めながらわ

「クナのこと、どうすればよいのか」

 と呟いた。

「火の神が、怒っているとか」

 マヒロが、呟きに答えた。

「わたしにも、お前にも、怒っているのであろうな」

 とサナは春の日差しの中振り返り、笑った。

「クナのさきのヒコミコは、恐らく別に怒ってはおりますまい」

 と、その人物をヤマトの中でもっともよく知るマヒロが言った。

「おれとの戦いの後、ヒコミコは、言いました。俺の火を継ぐ者がいると。その者がどうするかは分からぬが、生かしてやってくれと」

 サナは、ふむ、と眉を下げた。

「戦いに負けて、悔しがっている様子は微塵もありませんでした」

「分かっておる、マヒロ。なにも、前のヒコミコが死してほんとうに神となり、ヤマトへの恨みを噴き出しているなどとは、思っておらぬわい」

「はい」

「しかし、クナの地は、駄目であろうな」

 サナは、欄干に腕をかけ、外を眺める姿勢に戻った。

 灰に埋もれ、田が死ねば、灰を掘り返し、一から作らねばならない。それを待つ余裕は、あの巨大な人口を持つ都市にはない。

 あるいは全人口を投入し、その事業に打ち込めば、灰に埋もれた地の回復は成るかもしれない。しかし、今からその事業を行い、夏か秋にそれを完成させ、来年の秋になるまで実りはない。その間のクナの人口が食う作物はどうするのか。ヤマトの倉を全て開き、蓄えの一切を投入すれば、あるいはつか。サナは、それも覚悟していた。

 ヤマトとしては、できるだけ、民や兵を分散させ、各地に受け入れさせるのがよい、というのが共通認識であった。危急の時、妙な団結を生まぬとも限らぬため、あまりクナの者同士で固まらせるのもよろしくない。

 最も恐れるべきは、この混乱に乗じ、クナが支配を覆してくることであったが、今のところヤマトの吏からは便りが来ているようで、その心配はない。

「ヒメミコ」

 サナが、振り返る。

「クナの火を継ぐ者が、こちらに向かってくるということは、ありませんか」

 サナは、自らにうっすらとある予感、いや、不安のようなものをマヒロも感じていて、それを言葉にしたのだ、と思った。

「その火を継ぐ者は、クシムというのですが、歳の頃はコウラより少し上、頭も良く武も立ち、まさしく王の器でありました」

「その者が、叛くというのか」

 マヒロは、八重歯を見せて笑った。

「叛くのではありません。クナは、どこまでいってもクナです」

「従っているふりを、しているだけだと?」

「分かりません。おれが面と向かって話したときは、とても大人しい様子でした。しかし、あの眼。正直、おれは恐ろしい」

「殺してしまっても、よかったのだぞ」

「それは、できませんでした」

「なぜじゃ」

 マヒロは、また八重歯を見せた。

「ヒコミコに、そう頼まれたからです」

 マヒロとは、こういう男であった。合理的行動や先々の不安要素を、その形が成る前に潰すというようなことをせず、ただ目の前の出来事を自然に受け入れられる包容力があった。かといって、浅慮であるわけではない。むしろ、どちらかと言えば、マヒロの思考は深い。ただ、その思考は、言葉で修飾されたり彩飾される前の段階で行われるため、ひどく静かで、一見それが無いかのように見えるのだ。

 以前のマヒロは、そのようなことはなかった。眼にはいつも猛々しい火を湛え、その武は神を殺し、天をも崩すと言われ、必要に駈られれば、まず行動したものである。しかし、年齢の成熟を得、常人にはあり得ぬほど死線を潜り、自らの死をも手に取るようにして見たマヒロは、変わっていた。

 いつも自然体で、喜怒哀楽を不必要に隠したりもしなくなった。自己の人格の核を表現が可能な次元に置く者と、不可視の領域に置く者との違いであるかもしれない。

 マヒロは、何者でもなく、ただマヒロとなった。しかしその眼に宿る火が消えてしまったわけではない。マヒロ自身が火そのものになれば、火から外を見て、眼に火が映らぬのは当たり前である。

 ひとつ言えるのは、マヒロは間違いなく強くなった。技の切れ、肉体の冴えは、個人の研鑽によって磨かれる。しかし、心の奥行き、静かさはどうであろうか。

 マヒロは、自らがマヒロであったがために、それを手にすることが出来たとも言える。恐らく、それが無ければ、あのとき討たれていたのは、ヒコミコではなくマヒロであったろう。いや、その前に、クシムの策に飲まれ、イヅモの草の上にそのむくろさらしていたかもしれない。

 そのマヒロに、

「ヒコミコに、そう頼まれたからです」

 と言われれば、サナは笑うしかない。サナは、一人の女として、マヒロのこういう所も好きであった。

「今のところ、ヤマトの吏には従っているようだが」

 サナは欄干から離れ、マヒロに向かい合うようにして自分の席に座った。その後ろを蝶が一匹ついてきて、サナのお団子頭に挿した箸に止まった。

「蝶が」

 マヒロが指差した。サナが頭を動かすと、蝶は箸から離れ、羽ばたき、外へ戻ろうとした。外に出た途端、吹く風に流され、視界から消えた。

「風に流され、やってきたのか」

 サナは、言った。思えば、自らもまた、自らの力でここまで羽ばたいてきたと思っているだけで、その実、風に吹かれ、流されてきただけなのかもしれない。

 しかし今はそのような詠嘆に浸ってはおれぬ。

「タクを、呼べ」

 サナは、女王の声で、マヒロに言った。

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