そのとき
タクが翌日の朝のまだ明けきらぬ頃にやって来て、
「やはり、どうもおかしいと思います」
サナらの前で、開口一番そう言った。
「お前も、そう思うか」
サナの眉間に皺が寄る。その場には二人の他にマヒロ、ナナシ、コウラ、ナシメの四人がいる。
「クナは、ヤマトの支配を絶とうとしているのではないでしょうか」
タクは、自らの考えるところを単刀直入に述べた。
「そう考えるか」
口を開いたのは、マヒロである。
「マヒロは、どう思う。今、彼らはマツラの地で、我らの指示をただ待っていると思うか」
やや、言葉に皮肉っぽい響きが混じっているが、マヒロは気にせず、
「わからぬ」
とのみ答えた。
「ひょっとしたら、ヤマトの行く末に関わることかもしれぬ。お前がそのような調子で、どうするのだ」
タクが、珍しくやや語気を強めた。
「どうなるのかは分からぬ。しかし、どうするのか、なら分かる」
「それは、何だ」
「クナがもとのクナに戻らんとし、ヤマトに牙を剥くなら、戦う。クナが灰に追われ、逃げ惑って困っているのなら、助ける」
至極、単純な理屈である。
「クナがもとのクナに戻らんとし、かつヤマトに牙は剥かぬという姿勢を示せば、どうなさいますか」
それを聴いていたナシメが、新たな可能性を提示した。マヒロは、考えたこともない、という風に腕を組み、顔を上げた。
「放っておけばよいのではありませんか」
それについて、ナナシが透き通った声を上げた。一同、揃ってナナシに顔を向けた。
──このような場で図々しくものを言うのは、好みませんが。
と前置きして、
「融和、という言葉が大陸にはあるそうです。必ず、この天と地の下が全てヤマトでないといけない、ということはないのではないでしょうか。クナがクナとして存在するなら、それを認め、認めた上で取り込む、あるいは共に歩む。それもまた道の一つであるかと思いますが」
とこれまでの規定方針を覆すようなことを述べた。仮想的な意味でも、実質的な意味でも、ヤマトの敵はクナである。その存在を、赦してしまえというのである。
「すなわち、ヤマトがこの世で唯一のものとして存在するか、我らの手の届くところが我らの天地と定め、その中を治めるのがよいか、ということを論じねばならぬということだな」
タクが言い換えた。
「そういうことに、なりましょうか」
とだけ言い、ナナシは発言を終えた。ナシメは、自らの思い付いた疑問によって思わぬ方向に議論が向かいそうな気配を示したので驚いている。
「戦い、破ることではなく、融かすことでヤマトに加わってきた地も、確かに多くある。なにも、クナだからといって強硬にならずともよいのかもしれん」
タクが小さく唸った。
「その国力、数と強さ、そして将の器は、他の地とは比べ物になりませんぞ」
はじめにこの理屈を持ち出したはずのナシメが、最も青白い顔になっている。
「だから、戦わねばならぬなら、おれは戦う」
マヒロである。
「タク。お前は、どうするのだ」
マヒロは、タクが自らの部下をクナに送り込んでいることを言っているらしい。クナごと自らのものにしてしまい、その上でヤマトを手にいれようとタクがなお考えているなら、今回のことは痛手になるはずで、その意味を言外に含む。
タクは、閉じていた眼を開けた。
「私か。私は、まず、ことの次第を見定めぬ限り、どうすることもできぬと思う。今ここで論じられるのは、あるかもしれぬことに対する方策だ。起きたことへの対応ではない」
ヤマトの話のようでもあり、タク自身の話のようでもある。タクは、マヒロの言う意味を理解し、応じたつもりである。
まず、向こうからの報告を待つのではなく、こちらから人を放つ。そして、事実を確かめる。タクが睨んだ通りなら、ヤマトの吏は皆殺しにされているはずである。そうであるならば、クナからの報告は、嘘だと思ってよい。
そこへ、埃まみれ、汗まみれの男が転がるように駆け込んできて、急報をもたらした。
「申し上げます。クナの軍が、イヅモに入りました」
一座は、凍りついた。
「マツラの地で留まっているものとばかり思っていたクナの軍は、民を引き連れ、大挙して押し掛けてきました。我らイヅモの地を守るものは突然のことに対応できず、一挙に
どうやら、この者はその混乱の中、一人逃げ出し、命からがらその報をヤマトにもたらすべく、馬を勝手に用い、駆け通してきたらしい。
「クナは、やる気らしいぞ」
サナが、拍子抜けするような口調で言った。
「勝手にイヅモに入るなどと、そのようなことが」
ナシメの青白い顔色が、一層悪くなった。
「勝手に、ではない」
タクが、細い目を鋭くする。
「もはや、クナはヤマトではなくなった、ということだ。クナは、クナの意思で動いているのだ」
何かを決意したような口調である。警戒すべきは、そのままクナが、かつての領地の兵を糾合し、ヤマトへなだれこんで来ることである。さすがにそこまでの無茶はせぬであろうと思ったが、クナはいつも無茶を押し通し、ヤマトを苦しめてきた。その危惧について述べた。
「それは、すぐにはないと思う」
マヒロが、きっぱりと言った。
「クナの
彼らの人格を直接見、接触を持ったマヒロが言うことであるから、何よりも説得力がある。
だが、結局、何も結論の出せぬまま、こちらから放った者が戻るのを待つことにした。
クシムは、イヅモのかつての王の館にいた。ここが、クナの新天地である。この先進技術に溢れた豊かな地があっさりと手に入ったのは幸運というしかない。そこで、セイから、これまでのクナの領土であったクニがことごとくクナに靡き、その候やヤマトの吏を斬り、クナが元の形を取り戻しつつあることの報告を聞いた。
ほんの僅かな期間でヤマトの支配は終わり、ほんの僅かな時間で、クナが戻った。
その気になれば、兵を糾合し、ヤマトに決戦を挑むこともできる。しかし、クシムはそれをしない。前のヒコミコならば、間違いなくこの勢いに乗り、更に東へ兵を進め、ヤマトへなだれ込み、血みどろの決戦を挑んでいたところであろうが。
クシムが冷静に見たところ、彼我の兵力はさほどに開きはなく、ややクナが少ない。勢いに乗り、策を敷けば、もしかすれば勝つかもしれぬ。しかし、彼は、勝つと確信できるまで動くつもりはない。その時まで、取り戻したクナの兵力をそのまま抑止力とし、ヤマトを大陸へ出さぬようにだけして、何らかの方法で痩せさせる。それは、ヤマトの傘下の地域を寝返らせるのでもよいし、これまで通りそれらと戦わせ、消耗させるのでもよい。最小限の元手でヤマトを一呑みにできるのであればそうすればよいし、そうでないなら、無理に今よりクナを大きくすることもない。そして、負けぬ者が勝つということについては、先のイズモでの戦いにおいて、他ならぬマヒロが証明してみせている。
そのときが来るまで、クナを保ち、ヤマトを痩せ続けさせればよい。あるいは、ヤマトが肥り、その両足で自らの重さを支えられなくなるのでもよい。どのような方法でも、負けぬ方法はいくらでもあるはずである。
ヤマトから、人が送られてきた。それと分からぬよう、ひっそりと入り、王の館に荷を運び込む奴婢の中に紛れていた。王の館に出入りする者で、やたらと世間話をしたがる者がいるというので、捕らえ、拷問にかけた。
人類史において拷問という行為の歴史は古く、はるか古代から行われていたものと考えられている。日本においては、律令時代には既に罪人などに対する拷問の方法などが記録されたものが残っており、それより遡った時代においても当然あったものと考えられる。それがいかに人類史と密接な関係にあるかは、その拷問が制度的に禁止されることが世界の主流となるのが十九世紀になってからと、かなり新しいことからも分かる。日本においても十九世紀末までこの制度は存続し、施行後三年で取り止めにはなったが、明治三年に制定された、拷問を行う基準やその方法を定めた法律があったくらいである。
その恐るべき手段により、ヤマトから入った者は全てを吐いた。
「この者がここにいるということは、既にヤマトには我らが大人しくしているつもりはない、ということが露見しているな」
とクシムはセイに言った。
「それは、当たり前でしょう。クナを出、今なお大人しくマツラの地に留まっていると信じる者など、どこにもおりません」
セイは、以前のヒコミコに仕えていたときのように、にべもなく言った。
「ヤマトは、どう出る」
「ヒコミコは、どうお考えですか」
「何もせぬ。何もできぬのではないか」
クシムは、自らが考えていることと同じことを、ヤマトも考えていると踏んだ。
「では、このまま」
「このアシハラナカツノクニに、二つの天地があり、それをそれぞれが治める。必ず、一つでならなければならない理由は、私には見つけられぬ」
「では、この先、ヤマトが弱り、飲み込むことができるようになれば」
「その時は、一つにすればよい。それが、ヤマトのためでもある」
運営の破綻した国家というものほど悲惨なものはない、という国家論はこの時代には新しすぎる。しかし、クシムはそう思っていた。民が飢え、国家の運営もままならず、ただ存在するだけの国家など、害悪でしかない。そのときが来れば、ヤマトを飲み込んでしまい、一つにする方が良いに決まっている。広く人を集め、それぞれがそれぞれの力を発揮し、その個人の力を集め、国家にすればよい。きっとそこには、奪い、奪われることのない、平穏な世が待っているはずである。
それはごく近い将来かもしれず、永遠に来ないかもしれない。しかし、クシムはクナを捨てるとき、灰に隠れた火の神の山を振り返り、思った。
「希望を捨てるのではない。希望を繋ぎに、この地を捨てるのだ」
と。
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