代行者

 ヤマトから、十人ほどの官吏がやってきた。彼らが中心となり、その下にそれぞれ十人ずつ、実務を執り行う者がいる。どことなく、陰湿な印象を受ける者共である。自らの生まれた地を離れ、遥か西のクナの地で暮らすことを義務付けられたわけだから、無理もないのかもしれない。ヒコミコ、いや、マヒロに任命された新たな候に、挨拶をする。立場は候の方が上だが、中央から派遣されてきた官吏は、やはり横柄である。

 セイは、クシムを伴い、かつてのヒコミコの補佐役として挨拶をしに行った。ヤマトの方針として、クナの国家機構は壊さずに残すらしいので、セイとクシムは、クナの地の民治を担当することとなった。今までと違うのは、セイもクシムも、軍事について一切の権限を持たないということである。それを、ヤマトの官吏は申し伝えた。一通りの伝達が終わると、

「以上だ。行け」

 と蝿でも追うように言った。ヤマトからすれば、このかつてのクナの実権を握る唯一の者であったヒコミコのお付きどもの怒りを買えば、どのような災難が待ち受けることになるか分からぬため、彼らの態度は得策とは言えない。しかし、戦勝国から派遣されてきたきた吏とは、得てしてそのようなものであるとも取れる。

 セイは、特にその特異な容貌のため、ヤマトの官吏から嫌悪されたようであった。セイは、そういえば、自分は髪が縮れ、肌も黒く、唇も厚く眉も太く、身体の線もヤマトの者とは違うと思っていた。それを言うなら、クシムも文身いれずみである。夏用の麻の袖無しの平服の肩から、龍が二匹覗いている。異相の二人は、互いの容貌を見て苦笑した。

 さっそく、官吏の頭役が、女を所望してきた。セイは、この火の国で生まれた若くて手頃で男好きのする身体を持った女をあてがってやった。このようにして、人は、民族は、血は、長い時を経て混じってゆくのかもしれない。しかし、混じりきれない者もいる。それが、自分であった。父も母も、何の変哲もない見た目をしていたくせに、そこから突如として、異相の自分が生まれた。父も、母も自分を憎んでいたとセイは思っている。この世で、自分を許すことができたたった一人の人間が、マヒロに討たれたヒコミコだった。

 マヒロ。イヅモでは、ついに戦わなかった。自分は何かにこだわり、マヒロはその先に進んだのか。

 戦いたいという思いがあった。戦えば、どちらが勝つのか。生と死のぎりぎりの境界線の上を歩くその甘美な危険に、もう一度身を委ねてみたかった。しかし、マヒロは、戦わぬことでセイに勝った。そういう意味でも、セイはこだわり、マヒロはその先にいたのだ。その結果が、今、献上された女をさっそく隅々まで調べ、満面の笑みを浮かべている豚のような男として顕れている。

 

 貪欲さが汚ならしいことを蔑んで、筆者は男が豚であることを示したが、豚がきれい好きであることは有名である。また、太った者のことを豚に例えたりするが、豚の体脂肪率は低い。豚をもし魔法か何かで人間の姿にしたら、男性ならば腹筋の割れ目が浮かび上がって見える程度の体型になる程度の体脂肪率しかない。

 その豚という生き物は、神がこの世に与えたものではない。野生の猪を家畜化したのがはじまりで、その歴史は古い。およそ八千年前にはメソポタミアで飼育されていた形跡があるし、中国でも黄河文明圏、長江文明圏でそれぞれ早い段階から飼育されていた。日本のこの時代においては、家畜の存在自体がよく分からぬ。しかし筆者は、この時代、家畜は広く存在したと考えている。たとえば、縄文時代の食料として破棄された動物の骨のうちでは、猪と鹿が最も多い。狩猟によって得た糧であろう。しかし、弥生時代になると、猪の数が圧倒的に増える。これは、猪の絶対数が増えたことを示すのではなく、猪の家畜化、すなわち豚がこの時代に始まり、広まっていたことを示すのではないかと思うのだ。その顎の形状などはそれ以前の時代の猪とはほんの少しだけ異なり、飼料を与えられていたことを示す。しかし、どのみち猪との血が近すぎるため、骨が出てもそれが猪なのか初期の豚なのか判然とはしないという。豚談義が続くが、中国では今なお、豚には「猪」という字を当てる。西遊記の猪八戒も、豚である。

 また、貯金箱に豚のデザインのものが多く見られるが、これは恐らく、朝鮮半島において中国語の「豚」を朝鮮語読みした語と「金」を意味する語が同音であることに由来し、お金にまつわる縁起の良い生き物と半島で古来考えられていたことと無関係ではあるまい。

 ここまで書くと、このヤマトから派遣されてきた男の方が、犬なみかそれ以上の知能を持ち、人の営みの中で神が与えた姿を人に合わせて分化させたきれい好きな生き物とは比べようもないほどに醜く思え、男と豚とを重ねるのに無理が生じてきたように思う。そこで、この男のことを、「欲の塊のような男」と表現することとする。

 この物語がはじまって以来、時代の匂いを醸すために様々なうんちくを並べ立ててきたが、その中でもひときわ馬鹿馬鹿しいうんちくであったように思えるが、そうまでしてでも、このヤマトからやってきた欲の塊に対するクナの者の微妙な感情を描いておきたい。


 ヤマトから来た官吏の、名は分からぬ。それはセイやクシムなどには、自らの名を知らせることがなかったからである。貴人のように、

「リ、と呼べ」

 と普通名詞をもって呼称することを命じた。リ、とは、吏のことである。表記が分かりづらくなるため、ヒメミコ、は姫命、ヒコミコ、は彦命、などとせず音のまま片仮名で表記してきたわけであるが、特例として上記の漢字を用いることとする。

「もういい。行け」

 吏はやはりセイを蝿を追うように追い払い、女の身体を調査、探検する作業に熱中しだした。若い女は、可哀想に震えながら涙を浮かべている。助けを求めるようにセイを見てきたが、セイは目を合わせず立ち上がり、その扉を閉めた。

「何を、考えている」

 セイはクシムの部屋に赴き、小刀で木板に何かをしきりに書き込んでいるクシムに率直に聞いた。

「なにも」

 表情の極めて少ない親子のやりとりは、淡々としている。しかし、淡々としているがゆえに、通じ合えるものがあった。血は繋がっていないとはいえ、二人はよく似ていた。

「どうするつもりだ」

 質問を変えた。クシムが、事務作業を行う手を止めた。

「ヒコミコ」

 と、セイはクシムのことを呼んだ。かつて、セイがそう呼んだたった一人の男から受け継いだ火は、どこにも見えない。しかし、確かにある、とセイは感じていた。

 隣の部屋から、一定の律動をもった女の声が漏れてきている。それを打ち消すように拍子を合わせ、クシムは、木板に小刀で書き込む音を立てた。


 ヤマトが統治する多くの地域では、そのもともとの暮らしや統治方法をできるだけ残した。その方が、「ヤマト」を強制するよりも遥かに人は馴染みやすく、同化が早い。だから、中央から派遣されてきた官吏たちは、いわゆる「お目付け」で、実務はほとんど土地の者が行う。

 怠ったり、遅れたりすれば厳しい罰が課せられるため、それにかかりきりになり、反乱も企てる暇がない。軍事と政治は切り離され、形式上、候が軍の統率者となるが、実際はヤマトが任じた者がその権を握る。従順なクニや、もともと友好的な関係にあったクニなどはタチナラの軍のように殆どそのままの形で残り、ヤマトの吏を中央との繋ぎ役とし、ヤマトの法を用いるだけでよかった。のちに「朝廷」や「幕府」と呼ばれるような強力な統治機構とは違い、なんとも古代らしい、おおらかな統治方法ではある。しかし、それは紛れもなく、この島々に初めて誕生した統一国家あるいはその卵から孵った雛であった。


 クシムは、ヤマトから来た欲の塊のような顔をして威張るばかりの国家の代行者について、何を思うのであろうか。いや、その先に繋がって見えるヤマトそのものに、何を思うのであろうか。筆者には、それはまだ分からぬ。ただ、かりかりと木を削る音だけが、聞こえてくるばかりである。

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