戦いの終わりに

 カイは、押しに押していた。敵の守りが、馬鹿に堅い。まるで、何かを待っているように。

 それに、合図になる煙が、早すぎはしなかったか。目の前の敵を、剣を楕円に振りながら斬りまくった。やはり、敵の動きがおかしい。倒れた敵の穴を埋めるように、次の敵がせり出して来て、守りがいっこうに崩れない。

「これは、あぶない」

 カイは、一旦離れ、様子を見たほうが良いと判断した。マヒロは、ほんとうに館を陥としたのか。こちらの作戦が探知され、裏をかかれたということはないか。

「一旦、引く」

 副官のサワに合図をし、号令をかけ、退がる。やはり、敵は追ってこない。カイは、蒸し暑さとともに肌にまとわりつく、いやな予感を振り払おうとした。

 右手、つまり東の方では、オオミが正面突破を試みているはずである。あちらも、同じなのか。

 ――引き込まれた?

 煙の上がるのを見て、敵が一斉に都邑の中に入ってゆき、その後を追い、カイもオオミも都邑の内部になだれこんだところまではよかった。ある地点までは、敵はほとんど逃げるようにして退がるが、ある地点で急に踏み留まり、防戦を開始した。

 やはり、おかしい。

 マヒロは、いや、ヤマトは、められたのではないか。

 考えるカイを、大きな影が横切った。見上げると、頭上を白い鳥が通り過ぎていった。西から、東へ。

 ――帰ってゆくのか?

 何の理由もなく、カイは、なんとなくそう思った。

 オオミもまた、戦っていた。互いの兵の数だけで言えば、こちらが主戦場である。戦いも激しい。

 あの煙のところから、マヒロが駆けつけてくればこの守りの堅い敵を挟み撃ちにできるし、カイも加われば、一気にクナを滅することができる。オオミは、ひたすらに押した。その頭上を、カイが見た白い鳥が、飛び去ってゆく。

 敵の守りは異様なほどに堅く、木製の大盾とそれを支える人間でもって壁を展開し、付け入る隙もない。オオミは兵を五段に分け、波のように押した。やはり、敵は破れない。

 どこかに、突破口はないのか。固まる敵を見、苦々しく思った。


 コウラは、ゆっくりとマヒロの身体を横たえてやった。眠っているらしい。昨日の朝から舟を漕ぎ続け、夜も休むことなく、朝から駆け、そして今の死闘で肉体も精神も限界まで酷使したことで、彼のそれらが一時的に機能を停止しているようであった。

 ヒコミコの首を打ち、その重い首を手にした。そのまま、館の外に出た。

 そこに、セイがいた。セイは、マヒロの軍に激しい攻撃を仕掛け、双方全滅寸前のところまできてもまだマヒロが現れぬため、もしや、と思い、館まで引き返してきたところであった。

 コウラの手からぶら下がっているものを、セイは見た。そのまま、膝を落とし、座り込んだ。

「戦いを、終えましょう」

 コウラが、言った。セイは答えず、ヒコミコの首を見つめている。

「ヒコミコが、貴方を殺すな、と言い、マヒロ様はそれを受け入れました。それに、クシムのことも。彼が、クナの意思を決める、と」

「そうか」

 それだけ、セイは言った。

「だから、戦いは、終わったのです」

 セイは、駆けた。コウラが、あとを追う。

「皆、聞け!既に我らがヒコミコはこの世に亡い。戦いは終わった。今は、次のヒコミコがどう考え、どう動くかを待つのだ」

 セイの声を聴いた、南でカイと交戦していた兵は、一斉に動作を停止した。

 ――ヒコミコが?

 ――どういうことだ。

 と、そこここでざわめきが上がっている。そのまま、東の戦場にも走り、おなじことをした。

「戦いは、終わったのか」

 セイは、コウラに、いや、自分自身に言った。戦いの終わりの先に、何があるのか。セイにとっての戦いの終わりとは、ヤマトを呑み込むことであった。しかし、その逆の形で終わった。このことを恐れ、クシムはヒコミコが倒れた後のことを決めるよう進言していたが、セイ自身は、このようなことなど、考えたこともなかった。ゆえに、どうしてよいのか分からぬ。分からぬものを、どうすることもできぬ。できぬなら、どうしようもない。

 セイは、なんとなく、館の方に戻った。


 人の気配。身を跳ね起こした。全身に、痛みが走った。首のないヒコミコの亡骸を見つめている、クシムがそこにいた。マヒロはよろめきながら、立ち上がった。

「戦いは、終わったのですね」

 聡明なクシムは、この様を見て、今の今まで敵であったマヒロに、ぽつりとそう言った。

「この地での戦いの気配が、消えました」

 とも言った。

「ヒコミコは、お前に、クナをどうするか決めさせると言った」

 クシムの眼が、マヒロの方を向いた。

「だから、殺すな。生かせ、と」

 マヒロは、ヒコミコの亡骸に眼を移した。

「おれは、お前を殺さぬ。おれと戦い、おれを殺し、クナとヤマト、共に滅ぶまで戦うか、ヤマトと一つになり、生きるか、選べ」

 クシムが、剣に手をやった。マヒロが、身構える。しかしクシムは、剣を提げる紐を解き、剣を捨てた。身体に身につけた飛刀を挿している革帯も、捨てた。

「生きよ、ということなのでしょうね」

 亡骸の方を見、言った。

「従います」

「コウラがおらぬ。覚えているか。お前と、トオサの地で戦った者だ」

「はい」

「恐らく、コウラが、ヒコミコの首を打ち、戦いを止めるよう触れ回っているのであろう。兵を、集めてくれるか」

「わかりました」

 館の外は、静かである。蝉の声が、ただ響いている。もう、昼である。

 ヤマトの兵も、クナの兵も、集まってきた。両軍合わせ、一万五千弱ほどか。この島国の武と戦いの全てが、今ここに集結している。

 館の前の広大な広場で焚かれた火は既に消えており、薄く煙が上がるのみであった。木材は、燃やすとそれぞれ固有の匂いが立つ。この匂いは、なんの木を燃やしたのだろうか、というようなことを、何となく考えた。

 その視界の前方にある壇に、マヒロはクシムを伴い、上がった。

 手には、ヒコミコの剣。激しすぎる撃ち合いで、刃が欠け、曲がっている。それを、クシムに手渡した。

「クナは、我らヤマトの前に降った。これ以上の戦いは、無用である。クナの者は、武器を捨てよ」

 クナの兵が、一斉にその場で武器を捨てた。

「先のヒコミコから、このクシムがクナの意思を預かると聞いた。しかし、このクシムを、クナの新たな候には、せぬ」

 当たり前と言えば、当たり前である。ヤマトに降った以上、その国家機構の中枢の任命権もまた、ヤマトにある。クシムやセイのような危険人物を候にそのまま封じれば、また、いつどのような叛き方をするか分かったものではない。

 クシムもそれはよく心得ていて、ヤマトにとって最も害のなさそうな、ヒコミコの息子の中でもひときわ穏和で無能な者を推薦してきた。

 マヒロは、その者を候に任命した。素朴な顔をしたいかにも凡庸そうな男が驚いたように頭を上げ、砂の上に平伏した。

「ヒコミコは、己に尽くし生きてきたセイと、その子クシムになお生きよと言った。故にそれを生かす。それで、ヒコミコもまた生き続けることになる」

 マヒロは、言う。鼻の痛みも、あばらの痛みも、ない。

「お前たちは、ヤマトなのだ。我らは、一つになった。戦い、血を流し合うことは、もうない。それぞれが、それぞれの生を、全うせよ」

 セイも、クシムも、新たなクナ候も、カイも、オオミも、コウラも、並居る兵も、この場にいる全てが、両膝を地に立て、両手を砂に付けた。

 戦いは、ようやく終わった。マヒロの頭上を、白い鳥が一羽、旋回してゆく。その鳥がどこへ向かって飛んでいるのか、鳥自身にも分からない。


 筆者は、これまで、この島国の歴史においてはじめて発生したであろう、国家としての自我の芽生えと、それに伴う過程としての戦いを描いてきた。戦いとは、多くの物や生命を消費するのみで、生産のない、悲しいものである。この物語において、この島々に、平和が訪れたように見える。しかし、平和とは何であろうか。

 この時代、平和という語も概念もない。この概念が誕生したのは、もっと後の時代になってからである。恐らく、大陸の言葉にある「平和ピンツォ」を、観念的な意味合いがやや異なるが輸入し、いつの時点からか用いるようになったのであろう。しかし、この物語において、幾人かの人物がそう言っている通り、これ以前の世の中は、奪い、奪われ、統べ、従うことのない世であった。それが富の偏りにより社会が形成され、人は争うようになった。かつて、人がまだ一つであった頃には、一つであるが故に、「平和」という概念もなかった。乱れ、争う血塗られた歴史があってはじめて、「平和」を願い、喜ぶのである。その意味で、彼らは初めて戦い、初めて平和となった。

 しかし、平和とは有限である。時によっても、場所によってもそれは異なり、それぞれにおいて明確な境界線が存在する。また、平和とは、どのような状態のことを指すのであろうか。今、ヤマトは平和になったと言えるのであろうか。

 物語は、まだ終わらぬ。筆者は、まだ筆を置くことはできぬ。彼らの向かう、その先にあるものを、彼ら自身が見るまで。

 ゆえに、

「この戦いの終わりを、笑っている者がおります。気を配られた方がよいと思いますよ」

 と、クシムがマヒロにそっと耳打ちをしたことを付け加えておかねばならない。

 クシムの眼は、洞穴のように、何の光も宿さない。マヒロはその闇の中、ぽっかりと浮かんでいる自分の姿を見た。

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