セイは、剣を振っている。眼の前には、白銀しろがね色の鎧冑に身を包んだマヒロ。

 どうやっても、斬れぬ。セイが踏み込むと、マヒロは退がるか左右に流れるかし、踏み込んだ足を斬ってきた。突くと、一本の剣でそれが流され、もう一本の剣で、首を斬られた。

 マヒロが左手に握るのは、大国の宰相が用いるに相応しい飾りが施されたものである。しかしあの右手に握られた、粗末な剣の斬れ味は何だ。通常の剣よりやや厚く、少しだけ長いか。鈍い鉄の色そのままの刃の周りには、見るだけでも心を取られそうなほど、異様な空気が渦巻いている。左の剣は、折れたり曲がったりする度に新しいものを用いているのか、見る度にそれが替わっていた。しかし右の剣は、いつも変わらず、セイの命めがけて突き出されていた。国の者の噂によれば、右の剣でヤマトに棲むという古の聖なる炎龍を斬り、その血を浴びた剣は折れず、その血を飲んだマヒロも死なぬのだという。

 また、セイはあの鳥が翼を羽ばたかせ、地上の獲物をさらっていくときのような低い姿勢のマヒロの突進を受けた。その鳥は地すれすれに飛び、セイの前で翼を閉じた。下から光が来て、それが通り過ぎたとき、セイは死んでいた。


「父上」

 呼ばれて、我に返った。セイは剣を抜き、一人で構えたまま、ずっとその姿勢で固まっていた。したたり落ちる汗が、夏の土を湿した。

「どうなさったのです、ずっと同じ姿勢で、汗ばかりかいて」

 クシムだった。相変わらず口数は少ないが、新たに軍師の座を奪い取ってから、どこか一皮むけたようになり、武だけでなく、驚くほどの智を見せるようになっていた。セイは、この血の繋がらぬ息子を頼もしく思うと同時に、だんだん怖くなってきていた。

 いまは、ヤマトとは戦はしていない。クシムの打ち立てたあらたな方針として、積極的膨張政策はやめ、内治の強化と国力増強に暫くは専念することになっている。攻めて来ても、撃退するに留める。

「火の山が、晴れてよく見えます」

 遠くに、煙を上げる、黒の鮮やかな山が見える。それが、ヒコミコに宿るという火の神が棲む山であった。

「また、マヒロですか」

 とクシムはこちらを振り返り、言った。

「考えていた。あいつと次にまみえるとき、必ず殺すには、どうすればよいか」

「父上は、マヒロが好きなのですね」

好悪こうおではない」

「いいえ、好いていらっしゃる。現に、こうして、楽しんでおられる」

 見透かしたようなことを言う、と思い、セイは再び剣を構えた。

「父上、報告があります」

 クシムは、セイの部屋に置いてある飛刀の束を手にとった。無造作に一本、ひょいと投げると、部屋の外、庭のようになっている場所の向こうの木の柵に、まっすぐに刺さった。

「申してみよ」

 クシムの報告とは、ヤマトの情報であった。

 特に大した内容でもないが、女王の末の妹が、魏国への使節団の長となっていた者と婚儀をしたという。

 昔からユンが使っている間者どもも、今はクシムが引き継いでいる。市井の民の中にもそれはあったし、ヤマトの中枢部にもそれはあった。

 暗殺などの必要がある場合、ユンはクシムに断り、その間者の網を使うことができる。ユンにすれば、長年クナを大きくしてきたにも関わらず、ある日突然若造に剣でもって脅され、その立場を奪われたのであるから、面白いはずはない。

 彼は、クナを作ったのは自分であると確信していた。今、彼は薄暗い部屋で一人、何もせず座っている。ぶつぶつと、口の中で何かを呟きながら。


 夏である。先日襲ってきた嵐により、オオミの治めるキヅの地を潤す河が氾濫したため、その修復工事をカイも手伝っている。河が湾曲していて特に溢れやすい場所には、土を麻袋に入れたものを大量に用意し、河岸に積み上げていき、その上から更に土を被せ、固めた。カイもあちこちにできた、空がそのまま入るかと思われるような水溜まりを見ながら、奴婢と同じような身軽な格好で指揮をし、自らも土をかついだ。カイには人に好かれる天賦の才があるらしい。彼のもとで、兵も、奴婢も、キヅの者も、ハラの者も、生き生きとして働いた。

 夜、オオミはカイを労った。

「済まぬ。助かっている」

「なんの、弟が兄を助けるのは、当たり前ではないですか。河の方はおおかた片付いたんで、あとは田ですな」

 田も、壊れたり水浸しになったりしているものが多くあった。

「奴婢と兵を合わせ、七千。これだけの人数で取りかかれば、三日で終わりますよ」

 カイは笑った。隣に、カイの副将でサワと言う年嵩としかさの男も合わせて飯を食っている。サワは五十になるかならぬかの歳で、ユウリの代から仕えている。ユウリがその軍をオオミとカイに授けたとき、カイの落ち着きのないことを心配したユウリが付けたのである。カイの幼い頃からよく知っているだけあり、遠慮をせず、

「カイ様、あまり、奴婢どもに混じり、泥にまみれて仕事をされませぬよう」

 と苦々しく言った。

「なんの、キヅの地もハラの地も、同じヤマトであるから、俺達はこうして手伝っているのだろう」

「それは、そうですが」

「では、キヅの者もハラの者も、奴婢も俺も、同じヤマトの人ではないか」

 カイの理屈は、単純である。からからと笑い声を上げ、まぁ飲め、と酒をどぼどぼと注ぐ。それを少し飲んで、

「将たる者が、泥にまみれていては」

 となおもサワは言う。

「サワよ。将とは、戦いでは誰よりも前に立つ」

 この時代の戦いの、一般的な形であった。まず個人としての武ありきで、その武を最も結晶化させる者が将であり、常に先頭を駆けるものであり、後年のような緻密に理論立てられた戦いの体系により将は後ろ、という配置が一般化するにはまだ時を要する。この時代の将は、将棋で言うならば王将であり、飛車であり、角行でもあった。しかしカイは、決まり事などには一切捕らわれぬため、将棋ならばそのルールによって置けぬような場所に勝手に現れたりするため、このサワはさしずめ、思いもよらぬ場所に打たれた駒に必死で一マスずつ付いていく金将と言うところか。

「俺は、誰よりも泥を浴び、血を浴び、誰よりも先に、屍を踏むんだよ。俺が死んだら、お前が俺の屍を踏んづけて、先に進むんだ。土を担ぐのも、それと一緒さ」

 とサワの肩を叩いた。

「これが、カイのよい所でもあるのだが、側におる身としては、気が気でなかろう」

 オオミが苦笑する。

「しかし、カイ様はユウリ様を亡くされ、一回りも二回りも大きくなられたように見えます。最近では、ユウリ様のお若い頃が思い出されます」

 とこの忠実な副将は、満足そうに言った。おれは、どうなのだ、とオオミは思ったが、口には出さない。

「ユウリ様の激しい火は、カイ様に。静かな火は、オオミ様にそれぞれ受け継がれたようですな」

 よく気のつくサワは言い、オオミに酒を注いだ。

「よし。歌う」

 カイが立ち上がった。この時代、歌とは神や精霊への通信手段から徐々に大衆のものへと変化しつつあった。そして、カイはそういう新しい遊びを発見する天才であった。立ち上がり、上衣をなびかせながら、心のまま歌った。


 ――火は風を呼び、風は水を揺らす。

 ――揺れた水は野を潤し、命を育む。

 ――育まれた命は、また新たな火を起こす。

 ――火は風を呼び、鳥は翼を広げる。

 ――翼は野の獣を捉え、鳥の子の糧となる。

 ――鳥の子よ、この連環の一部となり、どこまでも飛べ。


 知らぬうちに兵が集まって来て、カイに合わせて歌い出した。思い思いに火の真似をし、風の真似をし、水になりきり、鳥になった。奴婢たちも見ている。カイが鳥の真似をしながら奴婢たちの方へ羽ばたき、その翼でもって両側の奴婢を包むと、奴婢たちも、ぱっと笑顔になり、同じようにして歌った。


 ――鳥の子よ、この連環の一部となり、どこまでも飛べ。


 その様を見て、オオミとサワは二人で笑った。美味い酒だ、と思った。


 マヒロは、キヅの地が水にやられたことを聞き、オオミから上がってきたその田の損害の報告から、今年の秋の収穫の予測を下方修正する作業をしていた。

 つまらぬ作業である。ヤマトの運営のため欠かせぬこととはいえ、彼は戦いの音が好きであった。それとは全く違う音を立てながら、蝉の声に合わせて、木を彫り、書き付けてゆく。

 書き付けながら、彼はセイと対峙していた。セイは、速い。ひとつひとつの動作はひどくゆっくりに見えるのに、ぬるぬるとしていて動きが見えない。気付いたときにはもう、身体を薄く斬られている。押し返し、隙を作ろうとしても駄目だ。飛び下がりながら飛刀が来る。弾けば、斬られる。やむを得ず、マヒロは左肩に飛刀を受けた。痛みで、腕が痺れる。下から、突き上げるようにして、セイの剣の切っ先が、喉元に来る。マヒロは首を滑らせ、頭と肩の間にそれを通し、右の剣でセイの腹をえぐるべく突き出した。わずかに切っ先が触れたが、セイは剣を突き出したまま、腹を引っ込めている。

 飛び下がり、剣を低く構えた。両手を広げる。よく、人はその姿を鳥に例えるが、マヒロは矢になっているつもりであった。

 引き絞り、め、放つ。長弓から放った矢のように、突進する。地すれすれに。

 通り過ぎた。

 セイの縮れた頭髪を載せた頭部が、胴から離れた。少し、笑っているようにも見えた。

 身体から力が抜けてゆく。見ると、セイの剣が自分の胸に突き立っていた。

 膝から崩れ落ちた。

「――マヒロ様?」

 はっと我に返った。汗が、手に握っている木片を濡らしている。

「どうなされたのです。早く稽古をしましょう」

 コウラであった。

「汗が」

 マヒロの麻の平衣が、色が変わるほど濡れている。

「なんでもない。今日は、暑いな」

 八重歯を見せた。マヒロは木片と小刀を放り出すと、棒を執り、室外に出た。

「最近、ヒメミコの様子は、どうだ」

 とイヨのことを訊いてやった。

「お元気です。まるで、この蝉のように、あれこれ私に話をして下さいます」

「蝉のように、か。それはいい。まるで、ヤマトのヒメミコが幼いころのようであるな」

 マヒロは、棒を一度回した。

「ヤマトのヒメミコは、幼いころ、どのようなお方だったのです」

 マヒロは少し考え、吹き出した。

「今と、何も変わらぬわ」

 コウラも笑った。

「コウラよ、お前も、苦労することになるぞ」

「願ってもないことです」

 コウラは、棒を構えた。やはり、マヒロには簡単に撃ち込めないようで、徐々に口数が少なくなっていく。

 木から飛びたった蝉が、二人の間を通り過ぎた。通り過ぎたとき、コウラが棒を繰り出した。蝉が、羽根を広げたまま、地に転がった。それと同じような姿勢で、マヒロも身を沈める。矛に見立てた棒とはいえ、コウラはその姿勢の意味を本能で悟った。

 マヒロの突進は、ほとんど見えない。

 風が来て、髪が少し持ち上がり、ようやくコウラは自らの首筋に木の棒があてがわれていることを知った。

「参りました。私も、まだまだです」

「お前は、十分に強いぞ」

「しかし、あの男にはまだ打ち勝てません」

 クシムのことを言っているらしい。全く歯が立たなかったあの戦いのことが、よほど悔しいらしい。

「気負うな。ああいった相手に気負えば、死ぬぞ」

 セイもクシムに同じことを言っていたが、無論、マヒロは知らない。

「どうすれば、あの男を討ち果たせるのでしょう」

「勝つことだ。勝てば、負けぬ」

「それは、そうですが」

「そうだな――」

 マヒロは、蝉の声に眼を少しやった。

「罠にでも嵌めればよかろう」

 と言い、また八重歯を見せた。

「まともに戦って勝てぬなら、落とし穴を掘るなり、逃げると見せかけ伏せておいた兵に矢を射かけさせたり、死んだふりをして首を取りにきたところを一突き、などというのもよいかもしれんな」

「マヒロ様」

「おれは、至って真面目に言っている。武で叩けぬなら、いかなる手段を用いてでも、討つのだ」

 自分のことを、言っているのかもしれなかった。

「さあ、次は剣だ。棒を」

 と言い、剣の長さの棒を三本取り出した。一本はコウラ、二本はマヒロ。

 そこへ、大陸から奴婢としてやってきた元医師が通りかかった。

「これはマヒロ様、コウラ様。精が出ますな」

 とすっかりヤマトの言葉が上手くなった医師が声をかける。

「コウウン。あのときは、世話になったな」

 元医師は、コウウンと言った。マヒロの命を救ったことで、この国には、希少で馴染みの薄い医術というものの重要さが広まり、最近新たに医者として正式に勤めることになったから、元医師ではなく、医師である。

 薬草などの知識も多く持っており、この葉は火で炙ってから擂り潰した方がよいとか、あの花の蜜を集め、煮詰めれば腹の病に効くとか、あたらしい知識を順番にもたらしている。今も、竹を編んだ籠に、様々な葉や根などを詰め込み、背負っていた。

「それは、なんの薬になるのですか」

 とコウラが籠を覗き込んだ。

「ああ、これは、暑さにやられた者がおるので、その者のための薬になります」

「お前は、様々な薬を知っているのだな」

「私は、かつて魏にいたとき、与える薬がなく、どうしても助けられぬ人があったということが頭にあります。すべての人を私の医術で助けるというのは思い上がりであると承知していますが、それでもできるだけ多くの人の役に立ちたいのです」

「ほらコウラ。ここにも、目的のためにあらゆる手段を使う覚悟を持った男がおったわ」

「なんの話です」

「いや、何、落とし穴の話よ」

 と言ってマヒロは笑った。コウウンは、目をぱちぱちとさせた。

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