第七章 継ぎ火

北へ

 秋になった。夏の水害で田がやられてしまったので、オオミとカイは、収穫の手配りを素早く終えることができた。その分実りは劇的に少ないが、前年の実りを少し蓄えてもあるし、それすらも足りぬ場合、マヒロの管轄のもとヤマトに貯蔵されているものを放出するという手もある。

 収穫のことを終えた頃、北の航路が、いや、正確に言えば船の発着の要と言うべき浦があるサザレという地が封鎖されたという報があった。早くにヤマトが王を降し、候に封じていた地である。詳細なことはよく分からぬが、サザレの候である元々の王がそむいたらしい。

 臨時的な役割で拓かれた航路であるから、オオシマからトオサを経由してゆく大陸への航路には支障はない。しかし、こんにちで言う日本海側の諸国への使いのやり取りなどは、このサザレの浦がなければひどく不便である。何よりも、背反を放置しておくわけにはゆかぬ。背後にクナの動きがあるかどうか疑ったが、よく分からない。

 ヤマトからサザレの地までの間には、もともとクニであった集落が沢山あるが、山ばかりで人が少ない。古より存在した山合の小さな集落がいくつか集まり、そのままクニとなり、それぞれヤマトに参加したような格好であった。よって、兵が集まらぬ。山塊を突き抜けた海沿いの地域の最も発達したクニであったサザレの地で、最大動員兵力は三千。山塊の地の兵は、全て集めても千にも満たぬ。よって、キヅの地とハラの地を治めるオオミ、カイの兄弟が軍を率い、鎮圧に赴くことになった。以前にも小規模な反乱があり、それを鎮圧したところであるが、今回はやや規模が大きい。

 今さら叛いて、サザレに何の利があるのか分からぬ。やはり、背後に何者かがおり、その後ろ楯あってのことであろうと思われた。

 

 オオミとカイが合流し、彼らの治める隣り合わせの地の北方に繋がる広大な盆地をゆく。率いる兵は、両軍合わせて五千。これから山塊を越えてゆくため、馬は用いない。

 この頃、この盆地にはごく小さなムラがある程度で、東半分がキヅ、西半分がハラの領土になっていた。盆地のやや北方、川がアルファベットのYの字になり合流している地点で日没となり、夜営をした。兵の引く、山越え用のやや小さい荷車から、夜営用の道具や食料が下ろされる。

「ヤマトの考えに従わぬ者が、まだいるんだな。兄者」

 東の山の連続的な稜線が夕陽に照らされるのを眺めつつ副官のサワと共に自らの夜営の準備をするカイが言った。

「ヒメミコは、さっさと鎮めてこい、とのみ仰せであったが、マヒロ様はクナが関わっていることを疑っておられたな」

「それは、すなわちクナが関わるよう手引きした者がいると疑っている、ということですね」

「うむ。クナというよりは、むしろタク様を疑っておられるのであろう」

 オオミは露骨な物言いをした。

「なんだか、一見仲が良さそうに見えるのにな」

「トオサの浜で聞いたであろう。あの二人には、並々ならぬ因縁があるのだ」

「そんなの、斬ってしまえばいいのに」

「馬鹿者。それでは身内の争いを多くの候に見せるだけではないか。そうでなくともこのようにヤマトに叛く者がいるというのに、タク様を斬るような乱れを露わにしてしまえば、どうなることか分かったものではない」

「じゃあ、どうするっていうんですか」

「待っておられるのであろうよ」

「何を」

「タク様が、クナと通じているという明らかな証があらわれるのを。それを得、クナを討つ。そのために、タク様を断ずる」

「そう簡単に、あのタク様が証を示しますかね」

「もし、タク様がほんとうにクナの者なのであれば、いつも、遠回し遠回しに策を敷き、必ず自分の関与が疑われぬようにしているということになる。オオシマのときも、リュウキ様のときも、父上のときも、タク様は必ず、肝心な所から離れた場所にいた」

「マヒロ様に言わせりゃ、それがタク様が関わっていることの何よりの証だろう、ってことですね」

 思えば、そうである。ヤマトの大事のとき、いつも、タクはそこにいなかった。逆に、それらの事変があったとき、その渦中に一度もいなかったのはタクだけである。しかし、マヒロはそれだけでは、斬る大義名分にならぬことも知っている。ゆえに、もっと明らかな証が現れるまで、待つつもりなのだろう。

 待って、出なければどうするのか。知らぬ間に、ヤマトがタクの手の内に落ちているというようなことはないか。

「今は、ただ敵を討ち、反乱を鎮めるのみだ」

 オオミはそう言い、食事を煮炊きするための火に目をやった。


 十五日ほどかけて山塊を越え、北の果てまで出た。そこから海まで、小さな平地が広がっている。

 そこでいきなり、敵の急襲を受けた。やはりキヅとハラの地から軍を発したことを敵は知っている、と兄弟は思った。

「いける、兄者。一呑みにしよう」

 いける、も何も、急襲を受けているのである。戦うしかない。この場合カイの言う、いける、は、戦っても負けの心配はないという勘が働いていることを言う。どうやら彼の勘は、幼い頃からヤマトの重臣の子として育ちながら、ふらふらと民や奴婢の間に混じり、遊んでいたことが大きく関係しているらしいと、このところオオミはやっと分かるようになってきた。敵の兵の動き方、こちらの兵の顔つきなどを細やかに観察し、それを見極めているらしい。

 また、彼は「危険のある、ない」を見る眼が優れている。たとえば、くさむらから鳥がいきなり飛び立つときは、そこに、こちらを窺う賊が潜んでいたりすることを直感することができた。それを先んじて察し、敵の最も弱いところを突くのだ。

 賊などに襲われたときは、

「剣を持った、髪の長い男。あれをやれ」

 と言い、首魁のみを袋叩きにし、その配下を逃げ散らせたこともあったし、

「待て」

 といきなり静止したかと思えば崖をよじのぼって迂回し、足元に息を潜める賊に崖上から大石を投げつけたりもした。

 また、もっと若い頃に彼が奴婢と喧嘩になり、相手の仲間に袋叩きにされたとき、仕返しにその奴婢たちがぎゅうぎゅう詰めになっている小屋に一人で夜の闇に紛れて押し入り、声を出さず手当たり次第に棒で打ち倒したこともあった。狭い部屋の中で一人が叫び声をあげれば他の者はパニックになり、暗闇の中、同士討ちが始まった。そのときは、誰も殺していない。カイは、身分を明かさずふらふらしていたが、やはり民は民である。ただ個人としての「落とし前」を着けたに過ぎない。その証拠に、一通り奴婢どもが倒れて静かになったら、小屋の中に火を灯し、

「待ってろ」

 と言い、ありったけの酒を運ばせた。

「お前たちは俺を打ちのめし、俺はお前たちを打ちのめした。これであいこだ。それ、飲め」

 と笑い、酒を配った。奴婢達はこの男が一体何者なのかと目を白黒させ、勧められるままに酒を回して飲んだが、後になって、あの時の若者がかのユウリの息子であったことを知り驚き、揃って詫びに来た。

「過ぎたことだ。それに、あれはあいこだ、と言ったろう」

 その姿勢に感じ入った奴婢達がカイの兵となることを申し出てきて聞かないため、仕方なくは自らの兵にしてやった。カイとは、そんな、ふしぎな魅力のある若者だった。

 比べて、歳のやや離れたオオミは、さすがに落ち着いている。彼は、ただただユウリの良き息子であろうとし、武人としては父と同じようにその名を轟かせることが夢であった。その危なげない用兵は的確で、無駄に兵を損なうことなく、勝ち目の薄いときは無理をしない。カイのような型破りな逸話を多く持つ者に比べて人間としては面白味に欠けるかもしれぬが、ヤマトにとって得難い人材であることに間違いはない。

 例えば、マヒロなどは、なまじ人の及びつかぬ武を持っているため、多少の無理でも「おれが頑張れば、何とかなる」と思ってしまい、結果、ヒコミコの矛にかかりそうになったり、セイに討たれかけたりしているが、その点、オオミは自らを凡庸であると定義していた。勿論、武の研鑽を怠ったことはないし、彼もまた常人ではない武を持っている。頭も良く、多少のことでは取り乱さず、いつも冷静にものごとを判断できた。しかし、彼は、やはり自分のことを、

「父や弟に比べれば、粒が劣る」

 と思っていた。それがオオミの戦いや、彼の人間あじに、よい影響をもたらしている。


 この真逆の兄弟の向かうところ、今のところ敵無しである。今も両側から攻め来るサザレの兵を、申し合わせるでもなく、それぞれ左右に分かれ、滅多やたらと討っている。

 オオミは怒号を響かせながら大矛を振り回し、カイは乱戦のため得意の分銅鎖ふんどうさは腰に着けたまま、剣で戦った。カイは敏捷であるが腕が細く、膂力を必要とする矛を嫌い、もっぱら分銅鎖か剣で戦うため、腰には分銅鎖の他に予備の剣を二本佩いている。取り回しを重視し、それらは、専ら使う剣よりやや短い。カイのところまで、オオミの怒号が響いてきた。

「兄者、やってるな!それ、こちらも負けるな!」

 兵に号令をかけ、カイも怒濤の攻めを見せた。

 オオミの方は、あらかた片付いたため、右に分かれたカイの方に助太刀に向かう。

 怒号。

 カイの周りに群がろうとする敵が、一瞬にして吹き飛んだ。それを見たカイが、腰に丸めて提げられた分銅鎖を取り出す。その鎖が蛇のように伸びてきて、オオミの頭の横を通ってゆく。

 ずしりと重い分銅が、オオミの背後を狙う敵の頭を砕いた。手首を返すと、鎖が持ち上がり、分銅が手元に戻ってくる。その間、隙ができる。分銅に吸い付くようにオオミが駆けてきて、カイの背後の敵を突く。

 奇襲をしかけてきた敵は、討ち果たした。山越えの疲れもあるため、この平原で今日は夜を明かすことにした。

 やや進んだところに、小高い丘がある。そこを中心に、夜営の陣を敷いた。

 今日の戦いで千ほどの敵は倒したが、主力はまだその都邑とゆうにいると見ていい。立てこもられると、こちらも兵を失いやすく、不用意には攻められない。

「どう思う」

 オオミは、その副官であるヒナモという若者と話している。ヒナモは、オオミの母の妹の子で、従弟ということになる。前にも触れたがオオミとカイは母が異なるため、ヒナモとカイとは血は繋がっていない。歳の頃はカイと同じくらいか。いつも困ったような顔をしており、頼りなさそうな印象であるが、糧食の手配など遺漏なくこなし、武もかなり強い。いつも、ぼそぼそと話すため、より一層頼りなさそうに見えるため、オオミの代わりにその軍を指揮することはできないかもしれない。

 それでも、オオミはこの若い、大人しい副官の素養を早くから見抜き、用いていた。

「はい、正面からは、攻められぬかと」

「やはりな。丘を登ろうにも、丘の上を敵に取られれば終わりだ」

 戦場に高低差がある場合、兵や矢の勢いなどの加減で、絶対に高地の方が有利とされており、オオミはそのことを言った。

「ちょっと、見てくる」

 二人の会話を聞いていたカイが、さらりと立ち上がり、火も持たず、草原の向こうまで駆けてゆく。まだ日も暮れていないので、今から向かえば夜が更ける前には戻れるであろう。

「カイ様。あぶのうございます」

 と謹直なカイの副官サワが止めたが、

「ならば、お前も来い」

 と引っ張って行ってしまった。


「カイ様は、面白いお方ですね」

 ヒナモが、細々とした声で言う。付き合いの長いオオミには、ヒナモが笑っていることが分かった。

「あれは、昔からそうであった」

「一人で野の獣を仕留めたり、ごろつきを叩きのめしたり、私にはとても真似できません」

 オオミは、思わず吹き出した。

「お前に、あの阿呆の真似などできるものか」

「もし、自分がああだったら、と人の後ろ姿を見て、己に無い物を求めるのは常でありましょう」

「確かに。私も、あいつが羨ましい」

「オオミ様は、オオミ様のままがよろしいかと」

「なぜだ」

「カイ様は、一人しかおらぬから、良いのです。二人もいれば、それだけで国が滅んでしまいます」

 オオミは、声を出して笑った。


 カイは、駆けている。サワの鎧が擦れてうるさいので、途中、目印になりそうな木の下で脱がせた。自分の分銅鎖も、同じ所に置いてきた。

 日没前、夕の赤が濃くなってゆく頃、丘が、目の前に迫ってきた。丘を簡単に登れぬよう、つづら折りに道が通してあり、柵で仕切ってある。やはり、サザレの兵の姿が見え隠れした。哨戒しているらしい。

 カイは、腹這いになり、見つからぬよう、ゆっくりと進んだ。小石を掴む。腹這いのまま、投げる。向こうのくさむらに小石が落ち、物音を改めに敵が向かったところを、素早く通り過ぎた。

 サワは、緊張で汗が止まらぬらしい。もし見つかれば、切り刻まれて終わりである。柵のところにまで来ると、柵の脇に生えている木を目掛け跳躍し、木の幹を足場にして柵を乗り越えた。サワはそのような敏捷性を持たぬため、木に登り、やっと柵の向こう側へ飛び下りた。


 じりじりと進み、敵の兵の目をやり過ごしながら、丘の頂を避けて回り込み、反対側まで来た。眼下に、海に向かって半円状にせり出した陸地が広がっており、それがそのままサザレの都邑になっている。民家から、夕のかしぎの煙が上がっているのが見えた。

 海に面した大きな館が王の住む館であろう。見たところ、兵が忙しく街路を行き来しているというようなことはないようだった。

「妙だ。もっと、この中は兵でひしめき合っていると思ったんだが」

「ここからでは、よく見えませんな」

「あちらに回ってみるか、サワ」

 二人、移動を始めた。すると背後より、

「誰だ!」

 と、遂に、その姿を見咎められてしまった。

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