このところ、クナはおとなしい。大陸への航路の要となるトオサのクニがあった一帯はヤマトの侵攻によって切り離されたままで、他の地域においても、特に目立った動きはない。時は今、とばかりにタクが進言し、ヤマトはようやく、大陸への使節の派遣を再開することができた。

 使節団の長は、ナシメ。リュウキに教えられ、言葉のみならず字までも使えるようになっていたナシメは、親書も作成し、持参することができた。

 彼らは例によって三十日から四十日ほどの航海を終え、魏の都へと入った。やはり魏の人々は、この、たまに来ては多くの財物を捧げる遠い国の人々を歓迎した。前回と同じように宮殿の入り口で武器と兵を預け、控えの建物で長い間待たされた。

 相変わらず、帝は何も言葉を発せず、取り次ぎの者が隆々と節をつけ、ナシメの書いたヤマト王からの親書を読み上げ、帝の言葉を伝えた。

 噂によると、魏の国は前に来たときの帝が病により死に、別の帝に変わっているらしい。しかしこの大層な儀礼は以前と何も変わることなく、街の賑わいも、黄河の流れも、土の黄色いことさえも、同じである。

 思えば、国とは、そのようなものなのかもしれぬ。帝が変わっても国は国で、例え王朝が変わったとしても、その中で暮らす民にとっては、暮らす土地の広域呼称の名前や税を納める相手が変わる程度で、その暮らしや人生には、何の変化もないのかもしれない。

 ナシメの書いた親書の内容は、こうである。

 長く続く戦乱は、ヤマトの力により、今治まりつつある。未だ従わぬ国は一国のみで、その国を従えるのも、時間の問題である。ついては、ヤマトの女王を我が国――倭国――の王として認めてほしい。

 そういう旨であり、それが許された。

 その証として、帝は、多数の財物、銅鏡と共に、「親魏倭王」の称号を授ける、という。親書にヤマト王の印がないことを不思議がった帝が、金でもってその称号を記した印を作らせるから出来上がるまで待て、と計らったのである。

 それが完成するまで、ナシメは魏に滞在した。形の上でのこととはいえ、これを持ち帰ればサナは超大国である魏の国の公認の王となり、クナはそれに背く者、という構図が出来上がる。クナの傘下にある地域もヤマトに付くかもしれず、その効果は大きいと思われる。あとは、鎧を剥がされて裸になったクナを、一挙に攻め潰せばよい。


 魏の食い物はヤマトに比べ味が濃く、油も強い。しかし一度食べるとその味が忘れられず、ナシメはもう一度食べたいと思っていたところであった。随行しているナシメの部下は、以前から従っている者が半分、今回が初めての魏国であるという者が半分。やはり帝が変わっても食い物の味は変わらず、以前来たときのままであった。

 ひとつだけ違うところがあるとすれば、前に来たときにはリュウキがいた。料理を一口噛む度に、

「わたしはヤマトの味の方が良い。魏の味は、わたしには強すぎる」

 と言っていたリュウキの姿が浮かぶ。

「わたしの生まれた街は、これほど大きな街ではない。財を為す商人が牛耳る町で、私の家は貧しく、食うものにも苦労したものだ」

 というような思い出話や、そこで出た「商人」というヤマトの国では存在せぬ職業の者について分かりやすく、貨幣のことも含め、詳しく説明をしてくれたりもした。

 料理を一口噛むごとに、涙が溢れてきた。やはり、魏の味は濃い。と思ったが、それは涙のせいかもしれない。


 数日経って、印が仕上がったという報せがもたらされた。王宮の入り口まで、それをナシメが受け取りに行く。うやうやしく印の入った箱を捧げ持つ一行が摺り足で歩いて来て、ナシメに差し出した。ナシメは大陸式の拝礼をし、それをひざまづいて受け取った。

 そして、また黄河を下り、海に出る。そういえば、以前来たときは、既にこの時点でリュウキは調子が悪そうであった。黄河の流れを船がかき分ける音の中にリュウキの声が探せぬものかとナシメは思ったが、詮ないことと諦めた。

 帰国の途上、やや海が荒れた程度で、滞りなくナシメはオオトの浦に足を付けた。タクに帰国の報告をし、共に金の印をサナに捧げるため、ヤマトへ向かった。



「ほう、これが、字というものか」

 と、サナは印に記された不思議な記号を眺めた。

「なんと書いてある」

「魏の国に親しむ倭の国、その王。と書かれています」

「ワ、とはなんぞや」

 サナは、リュウキやナシメなどが、大陸では我々のことを、倭と呼んでいる、というようなことを聞いたことがないわけではないが、興味がないので殆ど覚えていないのだろう。

「あちらでは、このヤマトやクナなどのある地の総称として、ワ、と呼んでいるそうです」

「ギだのワだの、おかしな名だの」

 サナは面白がっているが、まさかこのワが、自分達の言葉での一人称「」の音写であるとは思いもつかない。

「大役、ご苦労であったな」

 サナの手に印が渡り、ようやくナシメの役目が終わったことになり、タクがナシメを労った。

「ヒメミコ、魏より、このようなものを」

 とナシメが、一枚の銅鏡を差し出した。銅を延ばし、磨き上げたもので、覗き込めば自分が映る。当時の人々は、自分の顔を詳しく知らぬことが多い。水などに映る顔を見る方法があるが、水の反射率は低く、暗い。また流れや風のもたらす波などによって、像も揺れやすい。この鏡というものは、当時の人々にとって、人が見ている自分、という二人称的な姿を捉えられる画期的な発明であった。この道具の発明まで、自分は「自分」であり、それ以上でも以下でもなかったものを、「自分」が客観視することができるようになった。自分の行動が人にどう捉えられるかという概念が強くなることで羞恥の心も強くなるし、虚栄心の発達にも繋がった。

 

 ファッションとは、虚栄心と羞恥心が生むものである。異性に好かれたい、良く見られたい、恥ずかしい思いをしたくない、人より上に立ちたい、という気持ちこそが服や装飾品――それまでは、服とは防寒や皮膚を守るためか、社会が形成されはじめてからは地位を示すため、そして装飾品とはまじない的な意味合いでしか用いられなかった――、化粧など、人類を装飾する道具の発達を促した。それは全て、この「人が見ている自分の姿」を映し出す道具の発明に起因するのではないであろうか。


 サナはこのとき、この道具にはじめて出会ったわけであるが、別にめずらしがりもせぬ。ひとしきり覗き込んだあと、

「マヒロも、己の姿をよく見てみるがよい」

 とマヒロに手渡した。マヒロの中で見たサナはもっと美しかったが、サナ自身は、今まで何度か不思議な体験によって、他人の眼をもって自分の姿を観ることを既に体験していた。

 マヒロは、興味深げに鏡を覗きこんだ。ひとしきり自分の顔を確かめ、髭を撫でたり、髪を撫で付けたりした。おもむろに顔を上げ、反射された光が天井にあるのを見た。

「光を使って、戦いの場などで、指示を与えたりすることにも使えそうですな」

 一瞬、なんのことを言っているのか、サナには分からない。詳しい説明を聞いてみると、光を反射させることで、情報を伝達するのだと言うのである。一度光らせれば進軍、二度光らせれば待機、一度光らせ、しばらくそのままにしておれば進軍ののち待機、素早く三度光らせれば攻撃、など思い付いたことを話し出した。

「マヒロは、なんでも戦いに役立てようとするな」

 タクが笑った。マヒロはタクの方を見、

「戦いの場では、より的確に指示を与えることが要求されるのだ。それにより、兵の生き死にが変わる」

 と解説した。タクは、そうやって語るマヒロに対して、以前のマヒロとどこか違う印象を受けた。

 眼である。以前よりも深みがあるようでいて、何も考えていないようでもある。それに、よく笑う。タクが長い間知るはずのマヒロはもっと寡黙で、もっと威圧感があった。タクはその変化を敏感に感じ取った。

「確かに、それは有効かもしれんが、陽のない日や雨の日は、どうする」

「叩けばよい」

 光らせるのと同じように、音でもって情報を伝達する。これならば、こちらの行動を大声で知らせて敵にもそれが分かってしまうことなく、天候を選ばず、情報伝達が可能になる。

「これは、よい土産だ」

 マヒロは満足そうにしながら情報伝達のために必要な光量や音量を確保するための枚数を想像し、勝手にもらい受けることを決めてしまった。

 これより前、作戦参謀としてリュウキが存命であった時に、大陸では鐘を叩いたり旗を振ったりして情報伝達を行う、ということは知識として導入しており、実際クナはそのようにしていたが、当時のユウリやマヒロはあまりその必要性が感じず、立ち消えになっていた。しかし度重なる戦いでクナの強いことを身にしみて感じたマヒロは、勝利をより確実なものにすべく、この手段の導入を行うことにした。まさか魏の帝も、鏡も知らぬ素朴な民によかれと思って与えたものが軍事転用されるとは思ってもいまい。

 マヒロは、光や音のパターンとその意味するところ、すなわち符調の作成に熱中した。タクが手伝おうか、と申し出てきたが、寄せ付けなかった。タクに符調を教えてしまえば、クナにもそれが流れるかもしれぬ。

 コウラと二人で、それを行った。出来上がれば、これでかなりのことが伝えられそうだった。

 

 夜。サナの部屋に、一枚だけ、鏡が残されていた。マヒロはそれを手に取っていた。部屋に焚かれている火を、サナに向け、ちらちらと反射させた。

「それは、どういう意味じゃ」

 と無邪気に自分の作品を喜ぶ子供のようなマヒロに、聞いてやった。

「こちらに来い、という意味です」

「口で言え、阿呆、というのはどう光らせるのじゃ」

 と言いながら、サナはマヒロの腕の中に入った。もう、すっかり夏である。サナは剥き出しになったマヒロの腕の傷を数えた。そこには無数の矢傷、斬り傷が、刻印のようについていた。

「ほら」

 とマヒロがサナに鏡を見せた。そこには、サナの好きな男と、その腕の中で安らかな顔をしている女が映っていた。

「やめんか、馬鹿者」

 サナは鏡を押しのけた。やはり、この道具は人に羞恥の心をもたらすのかもしれない。


 同じ時刻。遠い西のクナの地では。

「ヤマトが、魏国に、このナカツアシハラノクニの王と認められたそうです」

 セイとクシムが、ヒコミコの前にいた。

「それでよい。クシムよ、お前の思う通りに、進んでいるのだな」

 とヒコミコはこの若く新しい軍師に言った。

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