マヒロと火の神

 ヤマト軍は、前述の通り、オオシマに分散して上陸した。

 おそらく、オオシマを支配するクナの老軍師ユンは、開戦の兆しを察知すると同時に本国へ急報しているはずである。海路を用い、風に恵まれれば二日で本国へそれはもたらされるであろう。あのクナのヒコミコのことであるから、報に触れると同時に、自ら先頭に立って乗り込んでくるはずである。


 船団の組織に、二日。伝令用の軽やかな運動を持つ船ではない軍船団を率いるから、発してから到着まで、三日。

 もちろん、そこまで、軍師リュウキは読んでいる。

 その計算が正しいなら、明日の夜にはオオシマの西の海はクナの船団に埋め尽くされることとなり、クナの駐屯地は島の南北から東に集中しているから、船団の上陸を許せば、挟み撃ちを受ける恐れがある。


 よってリュウキは、兵力を活かし、短期決戦でもって揉み潰す作戦を指示した。

 先項でも述べたが、オオシマがヤマトのものであったことはない。しかし、オオシマを押さえることで、制海権を得ることがこの戦いの主題であったから、奪還と言うのが正しい。

 マヒロらの進撃は凄まじく、クナの老軍師ユンの奇策を軽々と打ち破り、クナ兵の半分まで屠り、駐屯地もことごとく攻め潰した。


 しかし、予想外のことが起きた。

 オオシマの民が結束し、ヤマト軍に抵抗をしてきたのだ。

 ユンは島内の民に、以前の、ヤマトのオオトに対する戦ぶりを誇大に伝え、オオシマがヤマトの手にちたらどのような仕打ちを受けるか、と恐怖を煽った。素朴なオオシマの民は、クナ軍劣勢と見るや一斉に立ち上がり、組織されていない大衆がヤマト軍へと押し寄せることとなった。

 これはマヒロにとっては勿論、リュウキにとっても予想外であった。

「まさか、民が」

「抜かりました。一気に攻め潰せば、民のことなど気にするほどのことでもないと思っていましたが」

「いまさら、それを言っても仕方あるまい。どうする、軍師よ」

「民は、できるだけ傷つけぬよう。たとえこの島を陥としたとしても、後々の恨みの種になります」

「手向かってくる者は、どうする」

「できれば、首魁の者を捕らえるなどに留めたいところです。まずは、速やかに話をしてみてはいかがでしょう」

「間に合うのか。そうこうしているうちに、お前が言っていた通り、クナの本軍が乗り込んでは来ないか」

「こうして話している間にも、です。お急ぎあれ」

 そうしてマヒロは、群がる民の群れに、話し合いをもちかけるべく、千ある手勢のうちから百を切り離し、連れて向かってゆく。


「ヤマトが、来たぞ」

 オオシマの民は、どよめいた。

「あれなるは、ヤマトの軍の指揮を務める者という」

 大陸渡来の、マヒロの白銀しろがね色の鎧兜で固めた美々しい軍装を見た長老が、訳知り顔で言う。

 どうやらクナは相当細かな陣容まで偵知し、情報を流しているらしい。

「我なるは、ヤマトがヒメミコが臣、マヒロである」

 マヒロが愛馬黒雷の上から、たかだかと呼ばわる。

「罪なき民を損なうつもりはない。武装を解き、おとなしく——」

 とまで言ったとき、マヒロの上体がのけ反った。

 矢。

 放ったのは若い娘で、放ったままの姿勢で硬直している。

 その矢を、マヒロは、顔のすぐ前で掴み取っていた。

 狩猟に使うものらしく、やじりは石であった。

 それを打ち捨て、ゆっくりと下馬する。

 矛を地に突き立て、剣を外し、そのまま民衆へと歩を進めてゆく。

 千人の手勢には、そのまま待機を命じた。

「聞け。我らヤマトは、この海が欲しいのであって、お前たちをどうこうするつもりはない」

 とよく響く声でもって呼び掛けた。

 もう一陣、矢が顔をかすめた。

「我々の争いで最も困っているのは、お前たちだ。お前たちが必ず、もとの穏やかな暮らしに戻れるよう、ヤマトが、きっと手伝いをする」

 さらに一陣。

「だから頼む、武器を引いてくれ」

 今度は、数本が飛んでくる。かわしきれぬものを、素手で払い除けた。

 一本が、腕に突き立った。

 マヒロは一瞬、顔をしかめたが、歩くのをやめることはなく、その矢を短く折ると、そのまま押し込み、腕の反対側に突き抜けさせた。

 赤い血液を絡めながらずぶりと突き出てきた鏃を無造作に掴み、引き抜き、捨てた。

 その様の凄まじさに、皆、構えた武器をゆっくりと降ろした。

「長はいるか。話をしよう」

 最も年嵩の一人が、進み出てきた。その者が合図をすると、皆一斉に武器を置いた。

「トオミと申します」

「トオミよ、お前たちの暮らしを妨げたことを、詫びる。我々は、クナをこの地から追い出し、船で海を自由に行きたいだけなのだ」

「仰せ、承りました。貴方さまを見るに、嘘はないようですな」

「嘘など申すものか。必ず、そなたらの平穏を約束する」

「——これを」

 トオミと名乗る長は、貝殻を差し出した。

「この地で採れる薬草を擂り潰し、寝かせたものです。傷によく効きます。先程、矢をはじめに射込んだのは、我が孫娘です。孫娘に代わって、お詫びを」

 素朴な民は、マヒロの言うところを理屈ではなく、その行動と態度で深く理解したようであった。

 トオミは、話の行方を固唾を飲んで見守る民衆の方を振り返り、

「聞け。我らは今より、ヤマトに味方する。この地より、クナを追い出し、今一度我らの島を取り戻すのじゃ」

 と大声で宣言した。

 民衆は口々に歓声を上げ、ヤマトと、その勇者マヒロを称えた。

 トオミが再びマヒロの方を振り返り、にこりと笑う。

 それを受けたマヒロの耳に、風を切る音が聞こえた。

 とっさに身体が反応し、その音の主に手を伸ばそうとしたが、矢で射られた方の腕であったため平時よりも動きが一瞬、遅れた。

 風を切る音はマヒロの腕をすり抜け、トオミの胸板に突き立った。

 矢であった。

 次々に、矢がマヒロの頭上を越え、オオシマの民の群れを蝕んでゆく。

「クナだ!クナが来た!」

 民が叫ぶ。

 振り返ると、野原を埋め尽くさんばかりの数のクナ兵が現れていた。ざっと見ても五千はいるか。

 絹を真っ赤に染めた旗。

 クナのヒコミコが率いる本軍が、予想よりも一日早く上陸してきたらしい。

 折しも夕焼けが美しく、旗が夕焼けに溶けてゆくようであった。

 その夕焼けの空を、クナの軍の放った次の矢が埋め尽くし、雨のようにオオシマの民に降り注いだ。

「やめろ!」

 マヒロは叫んだ。従者の一人が、マヒロの武装を抱え、黒雷を曳いてマヒロの方に駆けてくる。

 その従者も、矢に打たれて倒れた。

 マヒロは、雨のように降る矢の中を駆け出した。

 ももに一本が突き立ったが、意に介さない。

 その雨の中、剣を悠然と佩き直し、矛を抱え、黒雷に飛び乗った。一気に、疾駆させる。

 味方の陣を風のように通り過ぎ、

きりの陣」

 と、リュウキがもたらした陣形を指示した。

 それで混乱していたヤマト兵は我に帰り、黒雷の馬腹を蹴り、再び駆け出すマヒロの後に続いた。


 そのまま、敵の陣に突っ込む。マヒロの手勢の残りも合流してくる。

 弓は、距離さえ詰めてしまえば、使えなくなる。

 クナ兵がいっせいに弓を捨て、矛を取るのが見えた。

 お構いなしに先頭に激突した。

 数人がマヒロの矛にかけられ、宙を舞う。

 マヒロが穿った小さな穴に、二十騎付けた騎馬隊が続き、揉み込む。さらに残りの歩兵がその後に続く。

 五倍の数の敵に遭遇してしまったのでは、もうどうしようもない。

 マヒロは、死を覚悟した。

 ただ、その前にあの赤い旗を倒してやる、と思った。

 黒雷の突進力は、凄まじい。当時の馬としてはかなり大振りで、黒雷自身も初めての実戦に高揚しているようであった。その黒い毛並みが、海のように夕焼けを照り返し、燃えている。ましてや、それを駆るのはマヒロである。その矛の振り回すところ、人間などいないかのようで、実際、その勢いに押されたクナの兵は、知らずの間に道を空けていた。


 あと、少し。

 隣を駆ける者が、脇から突き出された敵の矛に掛けられ、自らの突進する勢いをもって宙に上がった。

 それでも、マヒロは突進を止めない。

 全身、薄い傷だらけになっている。

 旗。

 マヒロは、咆哮する。

 その旗の周りを護る者どもに向け、矛を投げ付けた。

 その向こうにいる者が何者であるのか、マヒロは悟っていた。

 ——ここで、討つ。

 抜剣。

 黒雷にまたがったまま、上体を下げ、二本の剣を翼のように広げながら、すくい上げるように、旗の周りを護る者のうちの二人の首筋を斬った。

 上がる血飛沫が、旗をより赤く染めた。

 そのまま馬を返し、さらに別の者に斬りかかる。

 旗の周囲を固めているだけに、並の使い手ではないらしく、斬撃は弾かれた。

 弾かれたまま、もう片方の手に握りしめるオオトのオウラの剣が、旋回した。

 兜ごと頭を割られたその者は、崩れ落ちた。

 これらのことが、息を四つか五つするほどの間に行われた。

 いつの間にかマヒロは味方を後方に置き捨てており、そこにいるヤマトの者は、マヒロ一人であった。腿の矢は、自分でも気づかぬうちに、引き抜いていたらしい。

 マヒロが、おもむろに落馬する。

 旗のもとにいる一騎の騎馬から繰り出された矛による、信じられないほどの突きを辛うじてかわし、体勢を崩したためであった。

 地に投げ出された。鼻の奥が鉄の臭いで満ちる。

 駆けていた黒雷が、少し先で馬足を止めるのが視界の端に映った。

 次の一撃が来る、と思い、地面を転がり、跳ね起きた。

 しかし次の一撃は来ず、マヒロを落馬させた者は、自らもゆっくりと馬を降りているところであった。

「やめておけ、こいつは並の男ではないわ」

 と夕焼けの色を吸い込み、鈍い輝きを放つ甲冑のその男は、左右の者に言った。

「こいつは、俺が獲る」

「ヒコミコ、危のうございます」

 左右の者が制止することで、マヒロは彼が何者であるかということについての確信を持った。

「お前、名は」

「ヤマトがヒメミコが臣、マヒロ」

「ほう、耳にしたことがあるぞ」

 クナのヒコミコの目に、炎が見えた。いや、夕焼けを映しているのか。

 マヒロは繰り出された矛を剣で巧みに跳ね上げ、空いた空間に体を滑り込ませた。

 獲った、と思った。

 しかしヒコミコの身体はそこには無い。

 マヒロが、ある、と思った位置よりももう半歩後ろ。

 柄を滑らせ短く構えた矛で、振り払われた。

 再び、打ち合う。矛を受け止めようとするが、並の衝撃ではなく、手が痺れた。

 燃えるように熱い。

 大振りの矛を振るっていると思えないほどの速さで、次の一撃が来る。

 その刃の軌跡を見ながら、死を思った。

 己が死した後には、何も残らぬ、と。

 あの日、自らが手にかけたオウラの死体と、その命が消える手触りが、蘇った。

 その先にあった、オオトのヒメミコの、それも。

 自分がたおれれば、サナを待ち受ける運命は、どうなる。

 今自らが思い出しているあの日の手触りを、この忌々しい敵にも味わわせるのか。

 それだけは、あってはならない。

 マヒロの目にも、火が燃えた。

 振り下ろされる矛を、受け流した。

 流したまま、自らも流れた。

 矛の刃を踏みつけ、そのまま柄を駆け上がる。

 斬り上げざま、二本の剣のうちの一本が、ヒコミコの身体に触れた。

 斬ったが、浅い。

 着地し、次こそ仕留めるべく、よろめくヒコミコに向け、斬撃を繰り出さんと跳躍しようとした。

 耳元で、空気が揺れた。

 マヒロは、その飛来物を弾き返した。

 手のひらほどの長さの刃物であった。

 それを投げ付けた者は、沈みゆく夕陽を背負い、その形を融かしている。

 するすると影のようにマヒロに歩み寄ると、抜剣しながら斬り付けてきた。

 それを受ける。

「控えよ、下郎」

 逆光の中から現れた、麻黒い肌と厚い唇、縮れた毛の男が言った。甲冑は身に付けておらず、袖筒鎧とうしゅうがいと呼ばれる大陸渡来の鎖帷子のみ着用しており、一見ただの兵のようであったが、明らかにただ者ではない。

 そのままマヒロの剣を圧しきると、流れるような身のこなしで、斬撃を繰り出してきた。

 ゆっくりでありながら、速い。

 そしてその一撃一撃が、水で濡らした布を叩きつけるように重い。

 甲冑を身にまとっているとはいえ、みるみるマヒロは血に染まった。

 そこでようやく、マヒロの配下が追い付いてきた。

 縮れ毛の男が、マヒロの背後に眼をやった瞬間、マヒロの剣が縮れ毛の男の剣を捉えた。

 斬り飛ばされた縮れ毛の男の剣の刃が、回転しながら地に刺さる。

 日没。

「ヒコミコ、ここまでです」

「セイ、いらぬ世話をしおって」

「退きます」

 セイと呼ばれた縮れ毛の男は、マヒロらに向け飛刀を続けざまに放った。

「マヒロよ。我はクナがヒコミコ、火の神である」

 クナのヒコミコは言い残し、再び騎乗すると、旗と軍勢を引き連れ、退いた。


 腕と腿に矢傷を負い、全身に斬り傷を受けたマヒロは、目の前がくらくなった。

 追い付いた従者に支えられたとき、従者が持っている愛用の長弓に、眼をやった。

 無造作にそれを取り、矢をつがえる。

 陽が落ちた紺色の色彩の中、僅かに、雲の輪郭だけが、赤を残している。

 その中ではためく、クナの印である赤い旗の竿が、折れた。

 あたったらしい。

 もう遠くなり、軍勢の影だけがかろうじて見て取れる程度であったが、マヒロは、クナのヒコミコがこちらを振り返り、不敵に笑っているように感じた。

 そのまま地に膝をつき、気を失った。

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