ナシメ

 タクの副官に、ナシメという若者がいる。もう少し後になってから、難升米という字でもって大陸の文献に名も残される人物である。

 眼の細い、青白い顔の芒洋ぼうようとした二十歳前の男で、ひょこひょこと一種の愛嬌のある歩き方をする。


 まだオオトが存在し、タクが外交役として諸国に使いをしていたときはまだタクの身の回りの世話をする従者のような扱いであったが、その頃から常に側でタクの交渉、折衝術に触れていた。それがヤマトがその影響下に多くのクニグニを従え、王制を廃し「侯」とする制度を敷き、中央からの派遣官吏が駐在するという仕組みを取るようになってから、傘下の諸地域の監督のために常に目を配る役を担うようになっていた。


 マヒロも民政の頂点として似た役を担っているが、マヒロの管轄は、ヤマトのもともとの地のほか、タク、ユウリら重臣の統治するいわば「直轄領」であり、ナシメはそれ以外の雑多な地域を担当するという風に分担されていた。

 タク自身は大陸との交易に力を割いていたため、彼にとってこのナシメの存在は非常に有り難いものであった。


 この頃、大陸では、それまでオオトやクナなどの大国が使節を送り、朝貢したりする際の窓口として最もよく用いられていた遼東リャオトンと呼ばれる半島一帯が公孫こうそんという一族により占拠されており、今までの経路では魏などに使節を送ることが難しくなっていた。別の経路を模索しながら細々とそれは続けられてはいたが、タクはヤマトの北の海までの輸送路を拓くと同時に、この遼東半島を経由せぬ大陸への航路も開拓し、より積極的なやり取りを目論んだ。


 遼東をやり過ごし、そこから海沿いに南下し大陸で徐州じょしゅうと呼ばれている行政区分の地域に船を付ければ、魏の都までの陸路も遼東から向かうよりも近い。


 ナシメの手腕が成長すると共に、他の配下にも頭角を表す者が多く現れたため、タクは彼らにナシメの役割を分担して任せ、再びナシメを自らの直下に付け、こんどは大陸への朝貢の指揮の補佐と、実地に赴く使節団の長の役をさせるつもりであった。

 ナシメはたいへん仕事熱心な男で、今はリュウキの部屋に通い、新たな仕事の準備として、大陸の言葉を教えてもらっている。

「それでは、全く違う意味になる」

 大陸の言語はイントネーションにより意味が異なる。そのイントネーションを頭に写し取るのに苦心しているようであった。

「ワタシハ、ヤマトノ、ナシメデス」

「うむ、それならば、滑らかでなくとも意味は通じる」

 といった具合で、少しずつ上達しているようであった。

 このナシメは声にも表情にも抑揚が薄く、閉じているのか開いているのか分からないほど細い眼は相手に感情を読み取らせず、イントネーションの薄い言葉は動揺を隠すのに役立ち、外交官としては申し分ない人材であった。

「向こうの国にはこちらの言葉を理解する者がいるので、無理に言葉を覚えなくてもやっていけるものだぞ」

 とタクやリュウキに諭されても、

「自分の言葉を人に語らせることは、できません」

 と短く言い、かたくなに習得をやめようおしない。

 リュウキの部屋にいつも詰めている、リュウキの従者であるハクラビとは気が合うらしく、リュウキの部屋で部屋の主の帰りを待つときなどは、二人でごそごそと何事かをよく話していた。

 二人とも声は大きくなく、表情も豊かではないから、何を話しているのかよく分からないが、リュウキが帰室すると、おや、と思うほど柔らかな表情を二人ともしていることが多く、仲がいいのは確からしかった。


 ナシメの祖父も、やはりサナの三代前の王の時代に外交方の役割を担っていたらしく、そのあとを継いだはいいが凡庸であるため、特に重要な役につくことなく今は老いるに任せている父に代わり、己が祖父の意思を継いでいるつもりなのかもしれない。

 サナの三代前の王といえば、大陸にも若干知られており、サナの時代よりやや後に編まれる、難升米の名が記される文献にも名が残っている。

 サナと同じく、女王であった。


 女王とは、我が国において非常に珍しいことであるように思われがちであるが、サナの前後を見て、サナ以外にも例が無かったわけではない。

 三代前の女王というのも、何か不思議な力を宿していたらしく、大陸の文献に「鬼道をよくし、人心を惑わせていた」と記述がある。「鬼道」とは巫術のようなものと考えられ(異説はあるが)、「人心を惑わせていた」の解釈にも、人々の心を集めていた、あるいはその字義の通り惑わせていた、などと様々な説がこんにちでは囁かれているが、実際のところどうであったのかは、サナにも我々にもよく分からない。

 サナのこともそうであるが、大概の王はその権力の誇張のため神聖視されて民や外国に向け表現されるので、王が皆シャーマンであったわけはない。


 大陸の、この少し後に編まれる文献に名を残すことになる三代前の女王は、彼らの習慣により「我がクニのヒメミコ」がどのような者であるかを普通名詞を以てナシメの曾祖父により大陸に紹介され、「倭国(我がクニ、の言葉の意味ではなく音をそのまま漢字で写し取ったため、ヤマトという地域呼称と、こんにちでいう日本という広域呼称の区別がつかず、大陸の者は、我らが先祖の土地を、全て、と呼称することになり、邪馬台ヤマトという地域呼称は知っていても、倭が国号であると思い込んでいたふしがある)は長い期間、大いに乱れていた。そこで女王を立てたところ、国はよくまとまった。その女王は既に高齢で夫はなく、弟が補佐をし、身の回りの世話をする男が一人だけ付いている。女王の名は卑弥呼ひみこと言った」と記録されることになる。

 ヒメミコ、という普通名詞の音価を漢字に写し取り、それが後代の者が彼女を特定する唯一の語彙となった。

 我らもまた、サナや、その三代前にあったとされる女王の名を、知らぬのだ。


 サナの三代前の卑弥呼ヒメミコの身の回りの世話をしていた男子というのがサナの祖父、すなわち先々代の王である。

 代替わりの直前、先述の公孫氏の台頭があり大陸との交流がやや難しくなったため、倭国についての記録が停止するが、この項で触れているナシメが、後にその記録を再開させるに至る。

 が、今はまだその準備段階。


 ナシメは、必死の努力の甲斐あってか、僅かな期間で大陸の言葉を上達させ、大陸への交易のための船の一員となることができた。

 香、麻、珠など大陸由来のものを逆輸出しているほか、大陸で重宝がられるものとして金銀、そして奴隷があった。それらを持ち込み、百頭の馬その他の財宝と交換した。

 大陸では倭国ヤマトを隷属国家と認識していたから、この多分に不平等な交易も、致し方なしというところであったろう。

 リュウキの要請により騎馬の者を増やし、騎馬のみの隊を編成するために準備を行っているところであり、馬を交易の代価として船に乗せ帰ってきたときは、ナシメは国中から称賛を受けた。

 牧を設け、この百頭を交配させ、やせば騎馬隊ができる、と馬百頭の話を聞いたマヒロは早速牧を作らせ、馬と一緒に連れて来られた世話の得意な者に、その殖やし方などを指導させた。


 視点を少しの間、マヒロに移すが、牧の中で思い思いに草をんだり駆けたりしている馬の中の一頭に、マヒロは目を奪われた。

 見事な、よく鍛えた鉄の色のような青毛。前足の先だけが白い。他の馬よりも一回り体格が大きく、艶のある毛並みもあって、その威容は尋常ではない。

 すっかり惚れ込んだマヒロは、世話役に頼み込み、その馬を自分のものにすることにした。それならば、と、名を付けてやるように世話役に言われた。この時代、後代や大陸のように、動物に名を付けるという習慣がまだ無かったため、こそばゆいような感じを覚えたが、その駆ける姿と毛並みから、相応しい名を考え、

「ヒタグロシイカヅチ」

 と付けようとしたが、世話役の者に、

 ——長すぎる、駄目だ。

 と片言ながら即座に否定されたので、その世話役の者に意味を説明し、訳してもらった大陸式の語を用い、

「コクライ」

 と名付けた。音ではヘェイレイとなり、マヒロもそのようにこの馬を呼ぶわけであるが、ややこしいので我々に馴染みの深い音読みで表記をする。

 ヒタグロシイカヅチ、とはこんにちの漢字を用いるならば「直黒し雷」と書く。

 「直黒し」とは毛並みが真っ黒であることを意味し、機敏に方向を変えながら駆ける姿が雷のようであったため、当時神霊が宿ると信じられていたイカヅチの語を用いたわけである。

 それを世話役の者は縮めに縮め、「黒い雷」としたわけである。


 感じることを全て語彙で表現することができる——たとえば新月の夜の闇を詠んだ歌には「直黒し」を枕詞まくらことばとし、満月の夜を詠んだ歌には「あかき夜」を枕詞とする歌が詠み分けられるほど——きめ細やかな言語を持つとされる我々日本人の用いる語と共通し、あるいはその前身たるマヒロらの言葉と、語らないところにかもされるものこそステキとされる大陸の言葉の間に微妙なニュアンスの違いはあれど、マヒロはこの大陸式の名が非常に気に入ったようであった。

 ——いけ、黒雷、もっと駆けろ。

 マヒロの嬉しそうな声の響く牧場で、ナシメは、自らの初の国際交易の作品を満足そうに眺めていた。

 だがその細い目からは、満足しているのかどうかは、もう一つ読み取りづらい。

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