応援コメント

大乱の片鱗」への応援コメント

  •  マヒロの戦いぶり、ドキドキしました。
     この時代はまだ戦略とかもあまりなかったんでしょうねぇ。

    作者からの返信

    楠さん

    コメントありがとうございます!

    まだまだ片鱗、これから彼らが何を求め、示してゆくのかご期待ください!

  • 蝉……弥生時代からいたんですね。暦はあったのでしょうか? 秋くらいかなあ(夢想

    作者からの返信

    ええ、蝉は、我々の歴史よりももっと、はるか昔からいました。

    暦は、出雲地方、九州地方など、中国との交流が盛んであった土地では、あったのではないかと考えられていますが、史料がほとんど無い時代のため、実際のところはよく分からないようです。
    なので、何年、というような型にはまらない、もっと緩やかでおおらかな時の流れを描くよう意識したつもりです。

  • 知らなかった名前がルビとともに出てきました。詳しくお調べなのですね。蝉と、夏を語った所、綺麗にひきますね。

    作者からの返信

    真白さん

    遥か昔のことですが、中高生のとき、歴史の先生と議論をし言い負かすような嫌な子供だったもので(笑)

    蝉といえば夏ですよね~

  • 弥生時代くらいの戦争の動員数は実際どれくらいだったんでしょうかね。

    日本だと中世くらいの時代でも一城主の動員で五百人位だと思います。

    人口比から考えると、二千の動員というのはかなりの規模に思えます(恐らく近隣への情報伝達も難しかったでしょうし)。

    作者からの返信

    伊藤さん

    さすが、平明な分析ありがとうございます。

    クニの規模にもよりますが、考古学、歴史学的な考察によれば、ご指摘の通り、数百から、どれだけ多くても数千までであったようです。

    頻繁に繰り返される、いわゆる「小競り合い」では数十対数十というくらいの小規模な戦いが最も多かったのではないかと考えられているそうで、ここで描いているような千を超えるような規模の戦いはあったとしても、かなり稀であったと思います。

    そもそも、この時代にほんとうに大きな戦が頻発していたのかもハッキリしないようで、ここでは「あった」という仮定のもと描いています。

    二千という数字で、それだけで総力戦の様相が表れる時代ですね。後年のような緻密な戦略も戦術もないため、ぶつかるときは全軍でぶつかる!という時代であるかと思われます。

    あと、正直なところスケールアップのため兵数その他もろもろの数値は盛ってます(笑)