弥生時代くらいの戦争の動員数は実際どれくらいだったんでしょうかね。
日本だと中世くらいの時代でも一城主の動員で五百人位だと思います。
人口比から考えると、二千の動員というのはかなりの規模に思えます(恐らく近隣への情報伝達も難しかったでしょうし)。
作者からの返信
伊藤さん
さすが、平明な分析ありがとうございます。
クニの規模にもよりますが、考古学、歴史学的な考察によれば、ご指摘の通り、数百から、どれだけ多くても数千までであったようです。
頻繁に繰り返される、いわゆる「小競り合い」では数十対数十というくらいの小規模な戦いが最も多かったのではないかと考えられているそうで、ここで描いているような千を超えるような規模の戦いはあったとしても、かなり稀であったと思います。
そもそも、この時代にほんとうに大きな戦が頻発していたのかもハッキリしないようで、ここでは「あった」という仮定のもと描いています。
二千という数字で、それだけで総力戦の様相が表れる時代ですね。後年のような緻密な戦略も戦術もないため、ぶつかるときは全軍でぶつかる!という時代であるかと思われます。
あと、正直なところスケールアップのため兵数その他もろもろの数値は盛ってます(笑)
マヒロの戦いぶり、ドキドキしました。
この時代はまだ戦略とかもあまりなかったんでしょうねぇ。
作者からの返信
楠さん
コメントありがとうございます!
まだまだ片鱗、これから彼らが何を求め、示してゆくのかご期待ください!