第2話「分校の危機」

 次の日も、ジュンはまったく同じ時間にやって来た。


「あらおはよう。今日も早いのね……って……え……?」


 右手に数珠、左手に十字架、ニンニクの首飾り、額にお札。

 怪しげなグッズをてんこ盛りに武装している。 


「ねえ……なにその格好? この地方の風習かなにか?」


 おそるおそる問いかけると、ジュンは鼻息荒く答えた。


「ふっふっふ……これか? 聞いて驚け! ボクの忠告を無視したおまえをすっきりさっぱり除霊してやるんだ!」


「ああ……除霊……」


 わたしはいたたまれなくなって天井を見上げた。


「ボクは昔からおまえみたいなのをよく見るんだ! だから慣れてるんだ! すぐに除霊してやる! ここから追い出してやる!」


 手を合わせ、数珠をじゃらじゃらさせながらお経を唱え出すジュン。


「えっと……経験豊富なのはけっこうなんだけど……。いままで除霊に成功したことは……?」


 ジュンは痛いところをつかれた、というふうに「うう……っ?」と唸った。


「……ない」


「ダメじゃない」


「ううう……うるさいうるさいうるさい! 無理でもやるんだ! なんとかするんだ! 絶対におまえを排除しなけりゃならないんだ!」


 頑なにわたしを除霊しようとするジュンだが、もちろん効果はなかった。

 痛くもかゆくもなく、いたずらにジュンの徒労が募るばかりだった。


「ねえ、なんでそんなにわたしのことを嫌うの? 何度も言うけど、わたしは基本的に無害よ? わけのわからない美術品なんかよりよっぽど綺麗だし、心の栄養になるわよ? ……もし望むなら、あなたの彼女にだって……ね? ほら……みんなには内緒で……」


 胸元をはだけ、しなを作って微笑むと、ジュンは耳まで真っ赤になった。ズザザッと壁際まで一気に後退した。


「だ……ダメだよ! ダメなんだって! とにかくダメったらダメなんだ!」


「だからなんでよ」


「発表会があるんだ! 地域の人やお偉方を招いてみんなで合唱するんだ! その場におまえがいてみろ! おまえを見ることのできるやつがいてみろ! 大騒ぎじゃないか! 努力も練習も、なにもかもぶち壊しだ!」


「それって、その時だけ隠れてればいいんでしょ?」


「え」


 ぴたり、ジュンの動きが停止した。


「わたしの姿が見えなければいいんでしょ? だったらそうしてあげる」


「そ……そんなことできるのか!?」


 明らかに動揺するジュン。


「出来るわよ。普段わたしがどこにいると思うの? ここの鍵盤のドからシの間のところよ? ほら、ここよここ。見えない穴が開いてるの。ね、ここなら見えないでしょ?」


「え……あう……たしかに……」


 戸惑うジュン。わたしを責める理由を失い、振り上げた拳と十字架の落としどころに困っている。


 ──もう一押し、かな。


 わたしはふっと遠い目をした。


「……いいのよ。幽霊だもん。怖がられたり嫌われたりには慣れっこ。ひさしぶりに見てくれる人に出会えたから、調子にのって姿を見せてただけ。本当は、隠れようと思えばいつまでだって隠れてられるの。それこそ、永遠にだって。でも、それも終わり。騒がせてごめんね? 怖がらせたわね? もう二度としない。わたしはもう……消えるわ……」


 両手で顔を覆って肩を震わせ、くすんくすんと泣き真似をする。


「ちょ──」


 ジュンは慌てた様子で近づいて来た。


「ご……ごめん! あんたがそこまで思いつめてたなんて思わなかったんだ! ただ合唱会を成功させたい一心で! 幽霊だから……おかしなやつしかいないと思い込んでたから……。あんたみたない人だと思ってなくて……」


 ──ちょろい。さすが中学男子。ちょろい。


 わたしは内心で舌を出した。


 これで当面、暖かい季節が訪れるぐらいまではここにいられる。

 純朴な少年の心を弄ぶのは気まずいけれど、またぞろ寒い時期に移動するのはこりごりだもの。



 

 いざ胸襟を開いてみると、ジュンはおとなしくていいコだった。

 いままでの非礼をわびて、わたしに尽くしてくれるようになった。


 鍵盤に敷くキーカバーを持ってきてくれた。それでも寒いと訴えると、わざわざ早朝に訪れてストーブをつけてくれたりもした。


 わたしたちはいろんなことを話した。世間のこと。将来の夢。世界情勢。分校の置かれた状況──。


「今度の合唱会次第で、この学校の運命が決まるんだ。っていうと大げさかもしれないんだけど……」


 少子化極まった分校は、この春にも予算が打ち切られる寸前だった。校長や地域の人の尽力で踏みとどまってはいるけど、ちょっとしたきっかけでどう転ぶかわからないような状況らしい。

 合唱会当日はテレビ局や新聞社も取材に来るらしいので、なるべくいい印象を残したかったのだそうだ。


「だからボクもすこしでも貢献したくて……」


 ジュンはもじもじと落ち着かなげに、楽譜の表面を撫でている。


「だけどボクはあんまりこういうのが得意じゃなくて。その……歌……とかさ……」


 ふふ、わたしは思わず笑ってしまった。


「な……なにがおかしいんだよっ?」


 ジュンはムキになって怒った。


「別に、とくに悪気はないのよ。ただ単に、男の子の男の子な部分が可愛いなと思っただけ」


「か、可愛い!?」


「うん、可愛いから特別に、お姉さんが教えてあげましょう」


「お、教えてくれるって!? べ、別にボクはそんなことお願いしてないぞ!?」


「まずは出だしから始めましょ。さん、はい──」


「ちょ……ちょっといきなりすぎるだろ……! まずは発声練習とか──」


 白い肌に朱を走らせたジュンのどぎまぎ顔は、なんとも子供っぽくて可愛いいものだった。もし弟がいたらこんな感じなのだろうかと思って、わたしはほんわかした気分になった。

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