旅する頼子さん。
呑竜
第1話「旅する頼子さん」
古びたピアノの鍵盤の、ドからシの間のところ。
わたしはそこに住み着く幽霊だ。
いつの頃からかはわからない。
気づいた時にはそこにいた。ピアノとともに、全国の学校を渡り歩く日々をおくっていた。
楽器専門のトラックの荷台に乗せられて、西へ東へ、北へ南へ。
風に運ばれるような、雲を追うような気楽な旅。
流れ着いた先で誰かに弾かれ、飽きられ売られ、また違う落ち着き先を探す。
自分の意志によらない遥かな旅を、もう何十年も続けて来た。
といって勘違いしてはいけない。歳をとらないので、わたしの外見は若いままだ。
クラシカルなセーラー服に黒髪ロング。目元涼やかな美少女だと、
永遠の美少女というわけなのだ。ふっふっふ……。
雪溶けきらぬ北国の早春。高原を渡る風に吹かれながら、わたしはその学校に運び込まれた。
県庁所在地から車で2時間はかかる小さな町の、小中一貫の分校。
下は小1から上は中2まで、たくさんの子供たちが待ち受けていた。
歓声とクラッカー。垂れ幕に万国旗。どこの有名タレントが来訪したのかというような大騒ぎだった。
「すごいね~、大きいね~」
鼻水垂らした子供たちが、手をわきわきさせながら近づいてくる。
「立派だね~」
いつ洗ったかもわからないような汚い手でペタペタ触れてくる。
「誰が一番に弾く?」
「誰かな~?」
半泣きのわたしをよそに、子供たちは笑顔満点だ。
「……ジュンちゃん?」
「一番上手い人がいいんじゃない? ジュンちゃんはちょっと……」
出来れば一番清潔な人がいいです。
「じゃあチーちゃんだね!」
選ばれたのは子供たちの中では
優しく面倒見の良さそうな女の子が、「猫ふんじゃった」を弾き始めた。
特別上手いわけではないが、盛り上げるのが巧みで、全員が小気味よくノッて口ずさんでいた。
演奏バトンは子供たち全員に順繰りに巡り、最後に渡ったのが、一番年長者のブレザーの少年だった。
周りの反応を見ると、これがジュンちゃんらしい。
リムレスのメガネをかけた、腺病質の男の子だ。白く透き通るような肌に、静脈が青々と浮いていた。
たくさんの指紋や汚れがついた鍵盤をハンカチで神経質そうに拭くと、おもむろに指を走らせた。
──下手だ。
ぶきっちょと言われた通りの、とにかくひどい演奏だった。
何か他のことに気をとられているのではないかと思うぐらいにメタメタだった。
何か他のことに……。
「………………あら?」
ふと気が付くと、ジュンちゃんがこちらを見ていた。
ピアノの上に横座りしているわたしを、彼だけが見つめていた。
「……」
どこか責めるような、険しい視線。
「えっと……ハロウ?」
にこやかに挨拶したが、ジュンちゃんはふいとそっぽを向くように席を立った。
ううむ……ネイティブすぎてわからなかったか?
彼が再び訪ねて来たのは、あくる日の早朝だった。まだ先生すらも来ていないような時間だ。
底冷えする寒さの中を、マフラーに鼻まで埋めながらやって来た。
「ふぁーあ。……あら、早いのね」
人の気配を感じたわたしがピアノの蓋を開いて顔を出すと、ジュンちゃんは明らかに顔色を変えた。
差し渡し15センチほどの空間から「ずずず……!」と体全体を引っ張り上げると、さらに大きく距離をとった。
「おおお……寒いっ」
冷え切った室内の気温に、わたしはぶるぶると体を震わせた。
「なんでこんな時期に、よりにもよって東北に来ちゃったかなあ……」
「あ……あんたでも寒さなんて感じるのかよっ?」
ジュンちゃんは、警戒しながら話しかけてきた。
完全に腰のひけた、弱そうなファイティングポーズをとっている。
「そりゃそうでしょ。寒いものは寒いもの」
「ゆ……幽霊でも?」
「幽霊でもよ」
「そ、そうか……」
わたしが手を擦り合わせていると、ジュンちゃんは音楽室の片隅のダルマストーブに火を点けてくれた。
「あらありがとう。優しいのね」
「べ……別にっ。ボクが寒かっただけだしっ」
典型的なツンデレみたいな台詞を吐くジュンちゃんは、ごほんと咳払いすると、改めて仕切り直しするように指を突きつけてきた。
「だ……だいたいあんたはなんなんだよ!? せっかくのピアノにくっついて来やがって! みんなが楽しみにしてたピアノなんだぞ!? なんでこんなことするんだよ!」
「こんなことっていうか、ただいるだけなんだけど……。それにそもそも、昨日の感じだとジュンちゃんにしか見えてないのよね? じゃあみんなの楽しみは邪魔してないじゃない?」
「うう……っ!?」
「ジュンちゃんさえ我慢してくれれば、それでみんなは幸せになれるのよ?」
はい論破。
「じゅ……ジュンちゃんって言うな!」
言い負かされたジュンちゃんは、顔を真っ赤にして怒り出した。
「えー? でもみんなジュンちゃんって呼んでるじゃない」
「ジュンでいい! ちゃん付けはやめろ! あんたにそんな風に呼ばれるいわれはない!」
「ジュン」
「うるさい!」
「……ちょっと理不尽じゃない?」
「ううう……うるさいうるさいうるさい! ボクはおまえに出てけって言いに来たんだ! ここはボクらの学校で、ボクらの音楽室なんだ! ピアノだってボクらのだ!」
ジュンはがるると噛みつくように唸った。
「そうは言うけど……」
わたしはピアノの表面を撫でた。
「わたしだって好きでこうしてるわけじゃないのよね。ピアノにとりつかなければならないから一緒にいるの。ピアノが動くならわたしも動く。旅をするなら一緒に旅をする。殻を脱げないヤドカリみたいなもんなのよ。これも運命と思って諦めてもらうしかないわね」
「ピアノにとりついてるだって……!?」
ジュンは愕然とした顔をした。
「そうよ。具体的な理由とかそのへんの記憶は曖昧なんだけど、とにかくわたしはここから離れられないの。死ぬまで一緒。いや死んでるんだけど」
「ずいぶんあっけらかんとした幽霊だな……」
呆れたように肩を落とすジュン。
「よく言われるわ。癒し系だって」
「いやそんなことは言ってないんだけど……」
「いいじゃない。別に音質に変わりはないわけだし、場所だってとらないし、ご飯だって食べるわけでもない。夜中にひとりでに鳴ったり、キャスターでゴロゴロ転がったりするぐらい。見た目もほら、可愛いものよ?」
首をかしげてニッコリ微笑んで見せると、こんな美人に接した経験がないのか、ジュンはぽわーんとした顔になった。
数秒間の沈黙の後、はっと我に返ったようにかぶりを振った。
「だ……ダメだダメだダメだ! とにかく出てけ! このままっていうのは絶対にダメだ! いいか!? 明日も来るからな!? 絶対出て行けよ!?」
捨て台詞を残すと、ジュンは音楽室を出て行った。
「出てけって言われてもねえ……」
わたしは腕組みしてうなった。
自分の意思でどうこうではないのだから、あとはもう、成仏させてもらうぐらいしかないのだけど……。
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