ふたりがここに居る不思議
聞くべきではない愚問であっても、だからこそ確かめたくなってしまうことというのは確かにあって。
「時々ね、荘平さんは私のどこが好きなのかなーって思うわけですよ」
「ナニ、新手のノロケ?」
マキちゃんはわざとらしく顔をしかめてそう答えながら、アイスコーヒーのストローをくるくると掻き混ぜる。
「だってさ、荘平さんの周りって素敵な人、いっぱいいるわけだし。私って特に取り柄があるわけでもないじゃない?」
「逆に考えたら? それだけ素敵な人が沢山居る中でも桐緒が良いって、そう思ってくれてるってことじゃない」
「……そう言ってもらっても、ね」
尚も歯切れが悪く答える私を前に、見かねたような様子でぽつりと吐き捨てるように親友は答える。
「大体取り柄とかなんとか言うけど、桐緒はあの人が好きで、あの人だって桐緒のことが好きなんでしょ? それが一番の取り柄じゃない」
「どういう意味?」
首を傾げる私を前に、彼女の弁は続く。
「人のいいところをちゃんとわかってあげられるってのは立派な取り柄じゃない。桐緒があの人に好きだって気持ちを向けてられること、あの人がちゃんとその気持ちに応えてくれてること。それ自体が一番の取り柄なんじゃないかってこと」
「なるほど……」
思わぬ角度から切り出された答えを前に、私はただ素直に感嘆の息を漏らす。
「ていうか、直接聞けばいいんじゃないの? あの人そういうの、喜んで答えてくれそうだし」
「勿論聞きましたとも」
「で、なんて?」
「強いて言うなら全部だけど、それじゃだめ? って」
やれやれ、と大げさな溜息をつくようにしながらマキちゃんは答える。
「ほら、やっぱりノロケじゃない」
「荘平さんってさ、どんな高校生だったの? 」
「どしたの、いきなり」
「いや、そういえばこないだ金谷さんと高校の時の話してたでしょ。同級生なんだよね、ふたり」
「ん、中高いっしょ」
「なんかいいよねえ、そういうのって」
「そう?」
首をかしげる彼を前に、私は続ける。
「だってさー、それだけ長く知ってくれてるってだけで心強くならない? 思い出だっていっぱいあるんだろうし。だいたい私は高校生の荘平さんの事知らないから、それだけでもう羨ましいよ」
「そんなにいいもんじゃないよ」
困ったようにどこか曖昧に笑いながら、荘平さんは答える。
「あいつと違って地味だったからね。かたやブラバンのエースと、教室の隅で寝てばっかだった帰宅部ですから」
「バンドはやってなかったの?」
「学内ではね。ピアノやってるなんてことだって、亮介くらいにしか言ってなかったし」
「勿体ないよね、なんか」
「そう?」
首を傾げながらそう尋ねる彼を前に、私は続ける。
「だって、モテてたかもしれないよ?」
「モテるのは桐緒さんにだけでいいよ」
「その頃はまだ出会ってないじゃん」
「いいの、俺が一番モテたいのは桐緒さんなんだから」
得意げに微笑みながら答えるその姿を見ていれば、いつしかみるみるうちに頬が赤らんでいくのを私は感じる。そんなこちらの様子には気づいているのかいないのか。いつも通りのあの飄々としたそぶりを崩さないままに、荘平さんは答える。
「俺さー、時々考えるんだよね。もし俺が桐緒さんと同じ年で、同じクラスだったらって」
どこか遠い目をしたまま、続けざまに紡がれる言葉はこうだ。
「出席番号も離れてるし、たぶん話すチャンスもそうないと思うんだよね。俺は桐緒さんのことが何となく気になってて、たまーに気づいたら目で追いかけてるわけ。でも『まんがいち目が合っちゃったらどうしよう、ストーカーだなんて思われるんじゃないかな』って内心びくびくしちゃってさ。付き合いたいだとか、告白したいだとか一緒に帰りたいだとか。そんな大それたこと! なんて思っちゃって。それでもただなんとなくこう、話がしてみたいなーとは思ってるわけね。まあ勿論、そんな少年の淡い思いに桐緒さんは気づくわけもなくて。しかしまぁ、そんな荘平少年もある日勇気を出すわけです。たまたま委員の用事が終わって教室に戻ったら、移動教室に行く準備してる桐緒さんがいるわけね。で、俺は聞くんだよ『次の授業、家庭科室で良かったっけ?』って。それだけで、俺にとっては一世一大の勇気なわけね」
「うんうん、それで?」
身を乗り出して尋ねる私を前に、きっぱりと彼は答える。
「それで、おしまい。悲しいかな、荘平少年が勇気を出して話かけられたのはその一回きり。その後、風の噂で久瀬さんには年上の彼氏が居るらしいと聞いて密かに胸を痛めるわけです。まぁ、高校時代の俺ならいいとこそんなもんでしょ」
「えー」
軽妙なその語り口とは裏腹の嫌にビターな結末を前に、私は思わずそう抗議の声を漏らす。
「それじゃあつまんないよ、どうせならもっと高校生の荘平さんと仲良くなりたいんですけど?」
「そこはまぁ、リアリティの追及ってことでひとつ」
子どもを宥めるような穏やかな口ぶりに、どこか不満を感じながらもほだされてしまうのを私は感じる。
「だってさ、あの頃の俺って堂々と人前でピアノも弾けないくらいに臆病だったし、とにかく半端なヤツだったからさ。それに比べれば今は一応は社会人だし、これが一生の仕事だって誇りを持って音楽やれてるし、何かと不安定だったあの頃よりはずっと確かな自分を持ってるって言えるし。そういう俺だから、桐緒さんにも選んでもらえたと思うんだよね。八年分の努力の甲斐があっての今の自分があるっていうか」
たおやかさを称えた横顔は確かに、いまの私の好きになったその人、そのものだ。
「俺はさ、きっといくつの桐緒さんでも好きになってると思うよ」
「私、荘平さんにそんな風に言ってもらえるほどじゃないよ?」
「そんな事ないよ、俺にとって桐緒さんは特別だもん」
「……どういう所が?」
遠慮がちなそんな問いかけを前に、きっぱりとした口調で彼は答える。
「まず、センスがいいよね。俺のピアノが好きだってそう言ってくれたんだから」
誇らしげな表情を前に、いとおしさがそっとにじむ。
「自信過剰だー」
「そうでもないとやってられないから」
得意げに笑うその人に、そっと肩を寄せるようにしながら私は答える。
「私、ピアノが弾けなくなったって好きだよ。荘平さんの事」
「ありがとうございます」
答えながら、瞳を細めてゆるやかに微笑んで見せてくれるこの顔を、高校生の荘平さんに見せてあげられたらいいのに、と私は思う。
かつて中学生や高校生だった荘平さんの姿を、私は知らない。もしその時に彼に出会っていたとしても、私たちが同じように恋に落ちていたのかは定かではない。
もしかすれば彼の言ったその通り、言葉も交わさずに終わったのかもしれないし、あるいは仲の良いクラスメートくらいにはなれたかもしれない。仮にふたりが恋に落ちていたとしても勿論、今と同じ私たちのような恋をしていたとは言えない。
あたりまえのような顔をして私たちの傍で横たわっているこの日常、そのすべてはひとつひとつ、たくさんの偶然の上に積み重ねられているのだという。
私たちは今までどれだけの偶然を重ねあわせて、こうして肩を並べて笑いあえるまでになったのだろうか。
「桐緒さん、選んでくれてありがとうね」
「……それはこっちのセリフです」
照れくさそうに瞳を細めて微笑むその笑顔の奥にはほんの少しだけ、私と同じ十七歳だった荘平さんの姿が見えた気がした。
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