第2話 朝市
街の中心にある師匠の天文台から歩いて少しの所にレンガの敷き詰められた大きな広場があって、そこで朝市は開かれる。
一歩ずつ近づく度に肉を焼いた匂いや、果物の匂いが濃くなって、自然と唾液が口の中を潤した。小さい時に朝市に両親に連れてこられて食べた林檎の味を今も私は覚えている。
それから世の中に放り出されて知った己無力さも、降り注ぐ雨と人々の冷たさもきっと忘れはしないだろう。
『よオ、オストワルトの所の嬢ちゃんじゃねえカ』
不意に声をかけられて、モヤモヤと心を満たしていた感覚が吹き飛んでいく。私は笑顔を貼り付けて振り返った。
「あ、ハイドさん……おはようございます」
入口で私に声をかけたのは私の腰までの丈ほどしか身長をもたない妖精。
妖精よりも小人に近く、サラサラとした緑色の短い髪や純粋に輝く瞳はまるで子供のようだがこれでも大人なのだという。
こちらを必死に見上げて、ぴょんぴょん跳ねながら会話を試みているらしい。
年上に上から目線というのも失礼なので、私は少し屈んで目線を合わせた。
『嬢ちゃんはお使いカ?』
10歳くらいの、男の子の声だ。
片手にはバスケット。少し蓋が開いて見えた隙間から肉の塊が見える。
「お師匠にブランチを作ろうかと思いまして」
『今日ハ、トウモロコシが安いって話だゼ』
「なら、コーンスープが作れますね」
『トウモロコシとご飯を一緒に炊くとこれまた上手いんだゼ』
「そうなんですか?」
ここの人達は、私に優しい。
お師匠の弟子だからなんだろうけど。
『蒸したジャガイモを丁寧に潰しテ、トウモロコシを混ぜたのも美味いゼ』
ああ、彼の話を聞いているうちにお腹が空いてきた。くうう、とお腹が鳴ると恥ずかしくて顔が熱くなった。
「すいません、お腹が空いてきてしまって」
『奢ってやるヨ、相談料ダ』
そう言って彼は屋台から一口大に切って焼いた肉の串を1つ買って私に差し出す。
「お肉なんてそんな高級なもの……私、見習いですし」
『良いから食べロ、腹減って観測者に倒れられたら元も子もねえかんナ』
ニカッと彼が笑って、私の手に串を握らせた。そのまま広場の中央にあるレンガで縁取られた噴水の端へ腰掛けた。
串からは程よく脂身の混ざった肉にタレが掛けられていて、とてもいい匂いがする。
「……いただきます」
肉に歯を立てて串から引き抜き、噛む。
まだ熱い肉の塊は噛むたびに肉汁が溢れ出して舌が火傷しそうだ。肉の味とタレが混ざって、濃厚な旨みが口いっぱいに広がる。
1つ、また1つと平らげる程、幸せな気持ちになった。
このヒト達は温かい。
でもその優しさは、私ではなくてお師匠に対するものだ。半分ほど食べて、手が止まった。
せめて相談くらいはきちんと聞いてあげないと。そう思ってハイドさんに目を合わせる。
『美味く無かったカ?』
「いえ、美味しいんです、とても……その、そろそろ相談の内容を教えて欲しくて』
『そうだったナ。嬢ちゃんがあまりにも美味しそうに食べるから忘れてたゼ』
無邪気にハイドさんが笑う。
本当私よりも年下にしか見えない。
ハイドさんの種族は、私達の種よりも寿命が長い。星の種類によって、それが異なるのだと師匠は教えてくれた。
『最近……その、嫁の具合が良くないんダ』
「奥様、たしかハイドさんとは異種族の方でしたよね?」
『ああ、俺よりも短命種なんダ』
「奥様の生年月日を書いていただけますか?観測所で異変が無いか調べます」
白衣のポケットから小さな紙片を取り出してハイドさんに手渡す。
『分かっタ』
ペンを手渡す前にハイドさんが小さく何かを呟いて、紙の上にキラキラとした光が集まっていく。その光は藍色の炎を紙の上に灯して、文字が次々と紡がれた。
魔術だと思った。一人ひとり違うその組み方は他の人には決して分からないようになっている。
ハイドさんは新聞記者だから、文字を書くのが長けているのだ。
『出来たゼ』
差し出された紙には藍色のインクで生年月日が書かれていた。列の乱れも、スペルミスも何も無いとても綺麗な字。
「ありがとうございます」
『いいってことヨ。じゃ、頼んだゼ』
ハイドさんが立ち上がって路地を駆けていった。紙を四つ折りにして白衣のポケットへ仕舞い、残った肉を平らげる。
「ごちそうさまでした」
串を屋台の人に渡していつもの癖で白衣のポケットの中に手を入れる。よし、財布はちゃんとある。中の紙を忘れないように弄びながら路地を歩いた。
さて、買い物を始めますか。
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