偽りは真実

朱都遥未K

偽りは真実

 君と初めて出会ったのは、いつのことだろうか。気付くと一緒に遊んでいた気がする。俺の記憶の限りにおいて、君と一緒にいなかった時間を考えることなんてできない。それくらいに、君と僕とは近く、長く、同じ時間を過ごしてきた。

「ねえ、結人」

 君はいつものように、俺に呼びかける。

「なんだよ」

「挨拶は、上手くできそう?」

「保証はできないな」

「任せとけって言ったのは結人の方じゃない」

 コロコロと控えめに笑う君は、過去のどの瞬間より美しく、そして俺の心を締め付ける。緩やかに、柔らかく、いっそ心地よさすら覚えるほどに、丁寧に俺を弄ってくる。そんな心を見せまいと、俺がどれほどの努力をしているのか、君には決してわかるまい。

 この結婚式の招待状が届いた日から、僕の心が休まる日など、一時もなかったのだから。

「にしたって、お前でも着飾るとそんな感じになるんだな、馬子にも衣装ってやつだな」

 いつも通りの軽口を叩く。それにしたって、努力がいる。一言一言が重い。今までどんな風に会話をしていたのかが分からなくなる。

「ひっどい、仮にも花嫁に対して言うセリフ?」

「真実は曲げられん」

「傷つくわー」

 そう言ってまたコロコロと笑った。

 良かった、君は気付いていない。いつだって、君は気付かない。

「まあ、結婚できて儲けもんじゃね、物好きもいたもんだ」

「僻みですか?」

「うっせーやい」

「結人も、恋人くらいいないの?」

「いたらお前に自慢してるっつーの」

「じゃあ、気になる人の一人や二人いるでしょう?」

 そう言われ、俺は口角が上がってしまうことを自覚した。

「お、その反応、いますねー、めっちゃいる感じですねー」

「うるせー、人の恋路に割りいろうとするんじゃねえよ」

 仮にも、道のゴールにいるやつだ。

「ふふふ、結人も大人になったもんだ」

「うっせ、同い年が」

「私の方が二日早く生まれてますー」

「誤差もいいとこだよ」

 気持ちが悪かった。

 心底気持ちの悪い会話だった。

 いつも通りの会話なのに、なぜこんなにも温度差があるのだろうか。下手な素人役者とベテランの役者が同じステージにいるような違和感。もしかしたら、俺しか気づいていないのだろうか?

 気づいていないのかもしれない。だって、全ては俺の心情の問題なのだから。他人の心を理解することが永遠に無理なら、気付くことはできない。

「どうしたの? 結人」

 だから俺は、期待してしまったのかもしれない。

「なんか変だよ」

 君なら、僕のことを分かってくれるかもしれないと。

「さっきから……」

 何の努力もしてこなかったくせに、都合のいいことしか考えてこなかったくせに、

「全く、笑ってない」

「……っ!」

 俺は慌てて君に背中を向ける。

「あはは、存外俺も緊張してるみたいだ。友人代表あいさつなんて、柄にもないことを引き受けちゃったからな」

「そう? あんたも緊張とかするんだね」

 また君は笑った。さっきと変わらず。なんら変わらず。

 なんだ、と、俺は落胆した。

 分かってもらえたかと思った。

 気づいてもらえたかと思った。

 なんて都合のいいことだろうか、自分では何もせず、待っていたらいいような気がしていた。だから、だから……

「そろそろ時間です、準備の方お願いします」

 そんな言葉が、扉の外から投げかけられた。

「お、もうそんな時間か。じゃあ結人は会場に戻ってよ」

「ああ、そうだな」

 俺は君の方を極力見ないようにしながら、振り返り、扉に向かった。

「それにしても、結人が来てくれるとは思わなかったよ」

 扉に手をかけると、君はそう言った。

「だって結人って、私のこと好きだったでしょう?」

「な!?」

 俺は思わず振り返る。彼女は、妖艶な笑みを浮かべて俺を見ていた。

「早く戻った方がいいよ、タイムスケジュール、結構厳密だから」

「なんで……」

「その何では、なんで気付いてたのかってこと? それとも、なんで結人を選ばなかったのかってこと?」

 俺は黙り込むしかなかった。そんな負け惜しみみたいなセリフは、ちんけで何の価値もない、俺のプライドが口を塞いで出てくることはできなかった。

「待ってたのは私だからよ」

 君は言った。

「そして、彼が私を選んでくれたからよ」

 君は言った。

「残念ながら、結人は選べなかったね」

 君は言った。

「もう、選べないよ。もう遅い。後悔は、敗者にしかできないわ」

 君は立ち上がった。

「気づかなかったのは、結人の方だったんだから」

 挑戦的な目をしていた。俺を責めるように君は言う。責める? なんで?

「私は、結人が好きだった。でももう、それは過去のことだから」

 君は僕の横をすり抜けるようにして、扉に手をかける。

「じゃあね、挨拶、楽しみにしてる」

 そう言って、扉を開ける君の手を、僕は掴んだ。逆の手で、彼女のあごを上にあげると、顔を近づけ、キスをした。

 時間にして、一秒にも満たない接触。

 君は僕を見る。変わらぬ顔で。

「何をしたって、もう遅いわ」

 部屋を出て行った君を、追いかけることなど、出来るはずがなかった。

 その日俺は、式に出ることができなかった。緊張を言い訳に、他の友人に原稿を渡し、俺は引き留める声も聞かず、帰宅をした。


 それから5年が経ったある日、君が離婚したことを、風の噂で耳にした。

 だからどうということはないけれど、少しだけ心が動く自分が嫌になった。

 この何の意味もないエピソードは、教訓も訓示も含まない。なぜ俺が最後にキスをしたのか、それこそ僕の方が理由を聞きたいくらいだ。

「どうしたの?」

 ベランダでタバコを吸う俺に、妻が声をかけた。

「いや、なんでもないよ」

 俺はそう言って、タバコの火を消した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偽りは真実 朱都遥未K @akato_20

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る