第6話 序章3の1 決意

 黄昏時の街道を、一台の馬車が進んでいた。

 街道の両側には広大な田園風景が、遠方に望む山々の裾野すそのまで広がっていた。

 季節は秋。

 本来であればこうべを垂れた稲穂が、田園の遙か彼方までも、黄金色こがねいろに染め上げる季節だった。

 だが馬車から見えたのは、見渡す限りどこまでも続く灰色の荒野だった。


 馬車の往く道は舗装されておらず、路傍の小石や溝に車輪を捕られる度に馬車は大きく揺れ、軋む音を上げた。

 本来、人を乗せることを想定されずに作られた筈の荷台には、数人の少女たちが積み乗せられていた。

 彼女らは互いに顔も名前も知らず、暮らしていた土地も皆バラバラだった。

 しかしその誰もが、一様に沈鬱ちんうつな表情を浮かべていることだけは共通していた。

 何故ならば、彼女らは身売りに出された者達だったからだ。


    ※


 ここ数年に渡り、未曽有みぞうの大凶作が東北の地を襲った。


 明治維新より60年。

 東京は近代化の波に乗ることで目覚ましい大発展を成し、世界に名だたる大都市へと変身を遂げていた。 

 しかしその一方で、地方はその波から置き去りにされ、電気や水道を始めとする生活基盤の整備が依然不十分であり、未だに江戸時代の頃と変わらない生活を送っていた。

 それ故そこに暮らす者の大多数は農家であり、その生計も農業に依存していた。

 そこに直撃したのが、今回大凶作だった。


 6月に入っても未だ溶けぬ積雪。

 天候不順による水不足。


 東北地方を中心に壊滅的な被害に見舞われ、数万に及ぶ大量の餓死者を出した。

 中には文字通り、地図から消滅した集落すらもあった。

 各地では姥捨てや身売り、口減らしが横行した。

 生き残った者達は、死に物狂いで命を繋ぐ為に、ソレらを断行せざるを得なかったのだ。

 そして売買の対象となった者の殆どが、家を継げず、労働力足り得ない幼い女児達だった。


    ※


 揺れる馬車の中に、鬼柳きりゅう千春ちはるは居た。

 10歳前後の、いまだ多分たぶんにあどけなさが残る可愛らしい少女であった。

 その膝には、千春よりも更に幼い少女が気持ち良さそうに眠っており、彼女は寝ている少女の頭を優しく撫でていた。

 彼女もまた、身売りに出された数多くの少女のうちの一人に過ぎない。


    ※


「どうお母さん、似合ってるかな?」


「ええ千春、とてもよく似合ってるわ。」


「えへへー、ありがとう。」


「これであなたも剣舞けんばい神楽かぐらの一員になったのよ。豊穣を願い、祈りをたてまつるのが私の先祖代々からの役目。だから・・・、」


「うん、だから私も精一杯がんばるよ。父さまにも、爺さまにも負けないくらい・・・。」


 その年の祈年としごいの奉納は大成功で終えた。

 千春は父や祖父にも劣らぬ舞いを見せ、見た者達は大いに沸き上がった。

 特にも今年が千春の初の晴れ舞台ということで、多くの村人がそれを楽しみにしており、そして少女は、その期待に見事に応える剣舞を披露した。

 千春の舞いを見た村の誰もが、今年の豊作を信じ願った。


 だがしかし、その願いが叶うことはなかった。

 捧げた奉納に、神は応えなかった。


    ※


『私なら大丈夫、大丈夫だから・・・、お父さん、お母さん、小雛こひなのことをお願い。』


『おねえちゃん、いやだよ。おねがいだから、どこにもいかないで。』


『・・・、心配しないで。少しだけ遠くに行くだけだから・・・。またすぐに帰ってくるから。』


『・・・ほんと?ほんとに・・・、うそつかない?』


『本当よ小雛。私が小雛に嘘を吐いたことなんてあったかしら?』


『ううん・・・、ない。おねえちゃんが、わたしにウソついたことなんてなかった・・・。

 うん、わかった・・・、おねえちゃんがかえってくるまで、ずっと・・・、ずっと、まってるから。』


『ありがとう、小雛・・・。それでは、お父さん、お母さん、行ってきます。』


『ごめんなさい・・・、千春、ごめんなさい・・・。

 もう、こうするしかなかったの。そうじゃないと、私達・・・。』


『泣かないでお母さん。お母さんのせいじゃないよ。

 家族が生きるには、誰かが行かなければならなかったんだから。』


『千春・・・、すまない。』


『もう、お父さんもそんな顔しないでって。私は大丈夫だから。』

 

 家を去る間際の、家族との会話がよみがえった。

 母は涙を流し、終始謝っていた。

 あの時の父の顔も、印象深いものだった。

 普段から仏頂面を張り付けていた昔気質むかしかたぎな厳しい父親が、一層険しく顔をしかめ、で感情を押し殺そうとしていた。

 千春はその顔を良く知っていた。

 剣舞の稽古で父親や祖父から厳しく叱られた時に、千春が必死で涙を流すまいとこらえるときの顔と同じだったからだ。

 父親が必死で涙を押し留めようとする、そんな表情を千春は初めて見た。


 父親は去り際に面を千春に手渡した。

 彼は何も口にはしなかったが、千春にとってその面はよく見慣れたものだった。

 無言の彼に代わり、母が言い添えた。


「この喝禍儺カッカタ面、お爺ちゃんの形見のものだけど。

 せめて私達に代わって千春を護ってくれるようにと、お父さんが・・・。」

 

 千春はそれを丁寧に受け取り、改めて家を後にして馬車へ乗った。


    ※


 千春の祖父は大凶作が起こった後に亡くなった。正確には、人柱ひとばしらとなって果てた。

 不作の渦中に、どこからか、


『こんな惨状に陥ってしまったのは、祈年祭の奉納が不十分だったからだ。』


 というような声が上がった。

 初めは自らの不安を紛らわすために誰かが言った戯言ざれごとだろうということで気にも留められなかった。

 しかし日を追うごとに、益々ますます苦しくなる暮らしに、村人達の不安や不満が大きくなるにつれると、先の戯言が再びささやかれるようになり、次第に彼らの意識の中に浸み渡っていった。

 そして悪化の一途を辿る暮らしに伴って、村人の不安も不満も増大し、やがてその指向性が祈年祭きねんさいを執り行った者達への不満へと向いていった。


 やがて村人は鬱憤を晴らすかの如く、奉納舞を演じた鬼柳の家につらく当たるようになってきた。

 当然、村長や村の重役達はそのような行動をとる者をいさめていたが、収まる気配は無く、むしろ日々悪化していった。

 そして、村長等では抑えが効かなくなるところまで事態は深刻化すると、村人達は、


『鬼柳家が責任を持って神の怒りを鎮めろ。』


 と叫び始めた。

 彼らの主張が、瞬く間に村中へと伝播でんぱし、広まっていくと、いよいよ村長達は折れざるを得なくなってしまった。

 そして村長を含め数名の者が、鬼柳家へ訪れると、何とか人身御供ひとみごくうを出してもらえないかと、頼み込んできた。


 千春は村人達の理不尽な仕打ちにも、村長達が折れて村人の要求を呑み連日家を訪れることに、何度もはらわたが煮えくり返る思いをさせられた。

 しかし彼女にとって不幸だったのは、彼女が年不相応に賢過ぎたことだった。

 怒りのままに村長達や心無い村人に怒鳴り散らすことが出来たならば、まだ楽であっただろう。

 だが、村人の不安や、板挟みにある村長達の懊悩おうのうを思うと、千春はその行動を取ることが出来なかった。

 また下手をすれば、鬼柳の家と同様に理不尽な仕打ちを受けかねないにも関わらず、今でもこうして村の重役達は千春の家族を庇い立てをしていることも、千春は知っていた。

 故に少女は、感情のままに動くことなど出来るはずもなかった。

 

 そして彼らが家を訪れるのも数度目になろうかという時。

 遂に千春の祖父は、その申し出を承諾した。


「この老骨が、この村の皆を救う希望となり、皆の未来を築くいしずえと成れるのであらば、この身を供物と捧げることに何の躊躇いがあろうか。」


 祖父は朗らかに笑っていた。

 父と母は何も言わなかった。

 千春も何も言うことができなかった。

 村長をはじめとした重役達は、鬼柳家の全員に涙ながらに感謝と謝罪の言葉を述べた。

 まだ幼く、状況がよく理解できない小雛に対しても、村長は一つ一つ真摯に事情を教えた。

 幼い少女にも、二度と祖父に会えなくということが分かると、大いに泣き叫び、彼らに対し恨み言を吐き続けた。

 そんな小雛に対して彼らは目を逸らすことなく、ただひたすらに


「すまない・・・、すまない・・・、」


 と、少女の怨嗟を正面から受けていた。

 千春は、そんな妹をただ諫めるだけだった。


 そして、千春の祖父は舞台の上でてた。

 奉納舞の終局、祖父は天を仰ぎ、刀の切っ先を自身の喉元に添え、一切清浄祓いっさいしょうじょうのはらい祝詞のりとを奏じた後、一気呵成いっきかせいに刀を深々と突き立てた。

 赤黒い血が刀身を伝い、雫となって落ちた。白砂利しろじゃりならされた白洲しらすの舞台が血を吸い、赤く染まっていった。

 それでも彼は倒れず、目を見開き、血が流れ続ける中、最後の最後まで祝詞を奏じていた。

 事切れた彼は後ろに倒れた。

 喉を貫いていた刀が白洲に突き刺さり、その刀身を伝って祖父の首がゆっくりと滑り落ちていった。

 千春は祖父の壮絶な最期を、固唾を飲んで凝視していた。

 それが彼に対する最大の敬意だった。


 その後、彼の遺体は手厚く葬られ、村長はこれを以ってみそぎは完了した旨と、鬼柳家への理不尽な仕打ちを禁止する旨を村中に触れた。

 それにより村人の鬼柳家に対する弾圧は一応の落ち着きを取り戻し、それでも猶、止めない者に対して村長達は厳しい罰を課していくことにより、完全に収まっていった。


    ※


「おねえちゃんもとうきょうにいくの?」


 およそこの暗鬱あんうつとした空気に似つかわしくない楽しそうな声が荷台の中に響いた。


「ええ、そうよ。貴方は?」


 そう言って、その声の主の方に目を向けると、小雛と同じ5、6歳ぐらいの歳と思われる少女が無邪気な笑顔を浮かべていた。


「わたしはね、あかねっていうの。

 しずくいしあかね。

 よろしくね、おねえちゃん。」


 少女はそう名乗った。

 少女の明るく溌溂はつらつとした様子が、ひどくこの場にそぐわなかった。


「よろしくね、あかねちゃん。私は千春っていうの。」


 違和を感じた千春は、それを探るべく少女に問い掛けた。


「あかねちゃん、東京に行くの楽しみ?」


 千春の言葉に、幼い少女は破顔はがんし、


「うん!! おとうさんと、おかあさんがね、とうきょうにあそびにいきましょう、って・・・、」


 心の底から嬉しそうに話した。


「だけど、おとうさんとおかあさんとおにいちゃんはね、ちょっとおしごとがあるから、すこしあとからいくっていってね・・・、」


「・・・。」


「だからあのおじさんにね、さきにつれていってもらって、って。

 あとからすぐにみんなでいくから、っていってたの。」


「・・・。」


「あかねは、いい子だから、ひとりでもだいじょうぶだって。

 いっしょにのってるひとたちとも、ちゃんとなかよくしなさい、って・・・。」


 言葉足らずながら一生懸命に説明する茜の話を聞き、千春は理解した。

 この幼い少女は己が人買いに売られたことに気付いていなかった。

 純粋に一片の疑いも無く少女の両親が言ったことを信じ、嬉しそうに笑っているのだった。

 

 千春は、周りにいる他の少女たちを見まわした。

 皆、千春よりも年上の少女であり、千春の視線に気付くと彼女らは目を逸らした。

 それで千春は悟った。

 おそらく、この人達もこの子と話すうちにその事情を知ったのだろう。

 そしてまた、自分達にはどうすることも出来ないから、この子に関わらないようにしているのだろうと。

 

「ちはるおねえちゃんは、どうしてとうきょうにいくの?」


「私は・・・、私も、東京で遊ぶためよ。東京で少し遊んでから、またこっちに帰ってくるの・・・。」


 とっさに嘘が出た。

 何故なぜ、嘘を吐いたのか、自分でも判らなかった。


「なら、わたしといっしょだね。」


 そんなこととは露知らず、茜は嬉しそうに千春の言葉うそを信じた。


「でもよかったの、ちはるおねえちゃんがいて。

 ほかのおねえちゃんたちは、あんまりあたしとしゃべりたがらないから・・・。

 わたし・・・、なにかいけないこと、したのかな・・・。」


 少女は俯き、哀し気な表情を浮かべた。


「大丈夫よ。あかねちゃんは何も悪いことなんてしてない。

 ただ、みんな長旅の疲れが出たから少し休みたいだけ。だから別にあなたのことが嫌ってる訳じゃないのよ。」


 俯く茜を元気付けるべく、千春は少女を励ました。

 その甲斐があってか、その言葉を聞いた少女は、再び明るい笑顔を取り戻した。


    ※


 その後もしばらく茜との会話が続いたが、彼女もまた、旅路の疲れが出たのか次第にまぶたが落ち始め、その後すぐに寝てしまった。 

 千春はそっと少女の頭を自分の膝の上に乗せ、その頭を撫でながら、寝ている幼い少女の行く末について様々な思いを巡らせていた。


 東京についたときに初めて気付くであろう、親に売られたという事実。

 まだこんなにも幼い少女が、買われた先で生きていけるのかという疑問。

 見知らぬ町が、少女にどのような牙をむけるのかという不安。

 懸念けねんは尽きることなく、次々に思い浮かぶ。


 千春にもどうしてここまでこの少女を気にかけてしまうのかが、判らなかった。

 この子が一人で生きていくには幼過ぎるから、とその身を案じたからかもしれなかった。

 茜に、自身の妹である小雛を無意識に重ねて見ているからかもしれなかった。

 或いは、この少女対する先の嘘に、負い目を感じているからかもしれなかった。

 答えの見えないまま、それでもこの少女の味方であり続けたいという思いだけは、ハッキリと千春の中にあった。

 膝の上少女は、あどけない寝顔で眠っている。

 その顔を見つめ、千春は少女を守る誓いを固める。


(或いはもっと単純で・・・、私はこの子よりも年上だから、私がお姉さんだからなのかもしれない。)


 沈みゆく夕日を背に受け、少女らを乗せた馬車はゆらゆらと街道を往く。


「”働けど働けど、なほ我が暮らし楽にならざり。じっと手を見る。”」


 そんな詩が自然とこぼれ出た。

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